「2016エクアドル地震」による文化財被害:博物館と文化の多様性理解

大平秀一(東海大学教授)

国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、2016年4月16日に発生したエクアドル地震による文化財被害状況を視察するため、アンデス考古学を専門とする大平秀一東海大学教授を現地へ派遣し(2016年9月2日~15日)、調査を実施しました。同年12月16日には上野の東京国立博物館で大平氏による報告会が行われました。その報告会の内容を大平氏にご寄稿頂き、ダイジェスト版としてお届けします。

 2016年4月16日、熊本地震のおよそ60時間後、南米エクアドルの北海岸を震源地とするマグニチュード7.8の「2016エクアドル地震」が発生しました。この地震により、同国沿岸部は甚大な被害を受け、671名の命が奪われました。被害は、文化財にもおよんでいます。

 2016年9月、国際交流基金の主催で、日本による支援の可能性の模索に向け、博物館の展示品・所蔵品の被害状況を調べるために現地に向かいました。現地では、計14の博物館・関連施設を訪れて聞き取りを行い、キト市とグャヤキル市では「"Catástrofes Naturales y Bienes Culturales: Prevenciones y Acciones en Japón"(自然災害と文化財:日本の備えと対応)」と題した講演も行って情報を共有してきました。被災地に近づくと、すでに5ヵ月が経とうとしていましたが、地震の爪痕が生々しく残されており、沈痛の思いにかられました。

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崩落した建造物跡(ペデルナレス市)

仮設居住区に張られたテント(ペデルナレス市)

 博物館の中には、保険の問題等が絡んで、被災当日の状況がそのまま残されているところもありました。転倒して大破している展示ケース、吊られたガラス板の展示台が割れて展示物がすべて落下・破損しているもの、首が折れてしまった人物像。きれいな展示ケースの中で台座に乗せられ、照明を浴びながら多くの人々に見つめられてきた先住民の生きた証が、ぐちゃぐちゃになっているのを見て、やり場のない気持ちになりました。博物館の担当者も、みな同じ気持ちを口にしていました。

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(左・右)破損した展示物(エスメラルダス博物館・文化センター)

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(左上)首が折れてしまった人物像 (右上)転倒して大破した展示ケース
(下)展示ケースの転倒と展示物の破損(いずれもマンタ博物館・文化センター)

 建造物にも大きな被害がおよんで構造的な問題が生じ、使用が困難になった博物館もありました。しかし避難・移転先がなく、収蔵品がその危険な建物に保管されたままになっていました。
 調査対象とした博物館だけでも、500点前後の収蔵品が被害を受けているようです。そのほとんどは、スペイン侵入以前の遺跡から出土した土器・土製品でした。報道されている個人コレクションの被害等を加えれば、被害総数は数千点におよぶと思われます。

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ガラスが割れ、壁に穴が開いたバイーア・デ・カラケス博物館・文化センター

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崩落した収蔵庫のガラス壁と避難先のない収蔵品(バイーア・デ・カラケス博物館・文化センター)

先住民の歴史

 アンデスの先住民は、フランシスコ・ピサロによる1524年の探検以後、「発見」・「征服」・植民地化という重い歴史を歩みます。この過程で先住民は脇に追いやられ、南米は収奪の大地と化してしまいます。ポトシ銀山に代表されるアンデスの富はヨーロッパへと運ばれ、資本主義の生起に直結する重商主義を生じさせます。1820年代になってアンデス諸国は独立を果たしますが、それは先住民の独立ではなく、クリオーリョ(新世界生まれの白人)が宗主国スペインから独立したことを意味します。先住民がおかれた状況にさほどの変化はありませんでした。
 ところが1920年代になって、先住民への関心が興隆していきます。資本主義の中で強き国家を作るためには、人口の4割ほどを占める先住民の位置づけが大きな問題となるからです。こうした政治的動きとあいまって、特に知識人たちが先住民に大きな関心を寄せていきます。「インディヘニスモ(先住民主義、先住民擁護の思想)」と呼ばれるこの動きの過程で、文学・芸術・音楽等の領域で、「先住民のあり様」は作品化されていきました。
 例えばエクアドルでは、1950年に「素焼きの壺(Vasija de Barro)」という誰もが知る国民的な歌が作られています。「我々の祖先のように葬られたい。薄暗くて心地よい素焼きの壺の中に・・・」。そこには先住民の切なき心が、他者の言語であるスペイン語で美しく歌われています。ただしその「先住民のあり様」は、先住民の本当の心ではなく、都市の知識人たちが一方的に思い浮かべたイメージにすぎません。関心が高まって作品化されたことにより、一定の特徴をもった先住民像こそ生産・再生産されたのですが、本当に理解し合い、共存に向かったわけではありませんでした。しかし1970年前後に、変化が現れてきます。収奪された土地の一部が、少しずつとはいえ、先住民に返されはじめたのです。

博物館と文化の多様性の理解

 アンデス諸国の中で、エクアドルは早くから多文化主義に基づく国家の形成に向かわんとする動きがありました。現在の憲法一条には、異文化間・多民族の権利と公平を尊重する国家であることが明記されています。
 一つの国家の中で織り成される文化の多様性は、当然スペイン侵入以前の歴史にまで遡って考えられてよいでしょう。その歴史は文字を必要としなかった民が担ってきたもので、モノで語られまた示されることになります。このとき博物館は、国家がおかれた状況を再確認させる上で、重要な役割を果たすことになります。2007年に誕生した左派のラファエル・コレア政権は、こうした考えに基づき、国立博物館の再編を積極的に進めてきました。一部では名称も「博物館・文化センター」と改変され、市民参加型の複合文化施設に再編されました。週末には伝統工芸品製作の体験学習等の催しも積極的になされ、子供たちを含め、大勢が参加し、博物館はにぎわいを見せていました。その矢先に、「2016エクアドル地震」が起きてしまったのです。

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博物館の催しに集う人々(アマンテス・デ・スンパ博物館・文化センター)

 文化財被害への対処は、スムーズには進んでいません。考古学者・専門家の数が限られていることに加え、地震被害の経験の少なさもあって戸惑っているというのが実状のようです。
 日本では、2006年に「海外の文化遺産の保護に係る国際的な協力の推進に関する法律」が公布・施行され、その協力を円滑に推進するため、「文化遺産国際協力コンソーシアム」という組織も設立されています。歴史の過程において、おそらくアンデスに匹敵するような文化の多様性に満ち、そして地震被害の経験豊かな日本が、何らかの手を差し伸べ、文化財の本当の意味・文化の多様性の意味をお互いに思考し合っていく意義は少なくないでしょう。

(写真は全て筆者撮影)

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大平秀一(おおだいら しゅういち)
東海大学教授。文化遺産国際協力コンソーシアム中南米分科会委員。岩手県生まれ。早稲田大学大学院修了。専門は文化人類学・ラテンアメリカ地域研究・アンデス先史学。1992年以後、エクアドル・ペルーにて、インカを対象とした遺跡調査・民族誌調査を実施。著作に『エクアドルを知るための60章』(新木秀和著、明石書店)『他者の帝国:インカはいかにして「帝国」となったか』(関雄二、染田秀藤編、世界思想社)などがある。

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