雑誌『をちこち(遠近)』
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[座談会] 私の“日本語パートナーズ”
~アジアでの体験を活かしたキャリア設計~
モデレーター:白河桃子

半年から10ヶ月にわたってアジアに赴任し、各地の中学・高校で、日本語教師のアシスタントとして授業のサポートを行い、地域の人たちに日本の魅力を伝えるプログラム“日本語パートナーズ”。2014年度から始まった同事業は現在12カ国・地域にまで広がり、毎年数多くの日本人が新たな人、土地との出会いを体験しています。
その体験者の声をじかに聞く機会として企画されたのが、7月27日に清澄白河リトル・トーキョーで開催された“日本語パートナーズ”公開座談会。
「婚活」を広めたジャーナリストの白河桃子さんがモデレーターを務め、“日本語パートナーズ”タイ1期としてタイに派遣された高橋美都子さん、インドネシアに派遣された中村允也さん、長屋七恵さんがそれぞれ個性豊かな体験をお話になりました。

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日本語パートナーズ参加者による座談会。

“日本語パートナーズ”が見た東南アジア

白河 少子化ジャーナリスト、相模女子大学客員教授の白河桃子と申します。今日は"日本語パートナーズ"派遣事業に参加して東南アジアに派遣された3名の方にお話をうかがいます。私自身、1998年から2002年までインドネシアのジャカルタで生活した経験があるのですが、インドネシアについての知識がまるでない状態で飛行機に乗り、機内ではじめて教本を開いて「スラマッパギ(おはようございます)」を知ったぐらいでした。ところが、インドネシアでの生活は非常に楽しくて、アジアに対するポジティブなイメージを持つきっかけになりました。
みなさんは半年から8ヶ月にわたって滞在されたわけですが、現地での体験はいかがだったでしょうか?

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座談会のモデレーターを務めた白河桃子さん。

高橋 高橋美都子と申します。私はこの事業の第1期生で、タイのチョンブリー県に2014年から15年にかけて半年間赴任しました。チョンブリーは、バンコクから車で2~3時間くらい。私の赴任先はバンブンという山側でしたが海側には有名なパタヤビーチがあるところです。田舎ではあるのですが、道路もきちんと整備されていて、日本の企業も多く進出しています。

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タイ1期としてチョンブリー県に派遣された高橋美都子さん。

中村 中村允也です。私はインドネシアのシドアルジョに派遣されました。ジャカルタからは飛行機で1時間強、さらに車で1時間くらい行ったところ。あまり都会ではなく、ビルは高くてもせいぜい5階ぐらいです。

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中村允也さんはインドネシアのシドアルジョに8ヶ月間滞在。

白河 アジアの都市度を測るときに「ショッピングモールが何階建てか?」というのは、けっこういい指標になるかもしれませんね(笑)。ジャカルタには高層ビルや巨大ショッピングモールがたくさんあります。

中村 シドアルジョで5階建ては、なかなか高層なんです(笑)。

高橋 バンブンにはビルはなかったですね。

白河 みなさん、だいぶ各都市の様子が想像しやすくなったのではないでしょうか?

長屋 2017年3月に帰国したばかりの長屋七恵と申します。赴任先はインドネシアのジョグジャカルタ。日本で言うと京都のようなところだと言われています。さっきの基準で言うと、モールは3階建てくらいでしょうか(笑)。

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インドネシアのジョグジャカルタに7ヶ月間派遣された長屋七恵さん。

白河 “日本語パートナーズ”に参加する以前に、みなさんは海外での生活経験はありましたか?

高橋 私はタイを含めて4カ国に、全部合わせると12年間くらい海外に住んでいました。

中村 私は高校3年の頃、留学でアメリカに1年間住みました。

長屋 大学生のとき、半年だけデンマークに留学しました。

白河 高橋さん以外はアジアでの居住経験はないということですね。アジアに行って、最初にびっくりしたことはなんでしょう?

中村 インドネシアはイスラム教徒が多い国なので、どこに行っても当然のようにお祈りをする場所があります。毎朝5時になると、拡声器からお祈りの声が大音量で流れて目が覚めるんです。まず、それに驚きました。

長屋 私は交通事情ですね。道路は穴が空いているのが当たり前で、きちんと下を見てないと歩けないほどです。それから、バイクが尋常でないほど走っていて、交通のルールはあってないようなもの。これから行く方は、慎重に左右確認をしてくださいね(笑)。

高橋 タイでは、学校生活にも驚きがありました。先生や生徒に、普通にトランスジェンダーの人がたくさんいるからです。話を聞くと、そういった人々が社会的に認められるようになったのはここ30年ぐらいの話で、親子間では衝突がある家庭もあるのですが、教育の現場では子どもたちの志向性を尊重して、個性を伸ばすことを大切にしているのだそうです。
チョンブリー県の日本語スピーチコンテストで指導した、ある男子生徒が書いた親友についての作文は、じつはその親友が男の子ではなく女の子だったことがありました。ですから日本語で「彼」とか「君」と訳して指導したのですが、彼の意味することではなかったということもありました。

白河 思わぬところで、認識の違いがあったわけですね。

高橋 舞踊を教える先生は、男の先生なんだけどやはりトランスジェンダーで、「私の後任で来る日本人は男性よ」と教えたら「あら嬉しい!」って言ってましたね。

ハードルはやっぱり「言葉」

白河 タイやインドネシアに派遣される前、みなさんは4週間にわたって現地の言語を学ぶ研修を受けています。現地に行ってもすぐに会話できましたか?

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現地での言葉について質問する白河さん。

高橋 タイ語は発音が難しくて困りました。文字を少し読めるようになったら発音がわかってきて、ちょっとずつ理解が増していくという感じでした。

中村 やはり言葉は苦労しましたが、インドネシアの若い世代はけっこう英語を話せるので、お互いに言葉を混ぜながら、それこそルー大柴さんみたいな喋り方で最初の3ヶ月はやり取りしていました。その後の3ヶ月で授業の仕方を覚えて、最後の3ヶ月くらいでやりたいことができたかな、という印象です。

長屋 生活するうえでの基本となるインドネシア語は勉強していきましたが、教育現場で使うレベルとなると厳しかったです。でも中村さんがおっしゃるように3ヶ月くらいで慣れました。

白河 では、現地の「ここがよかった!」というポイントを教えてください。

長屋 人と人との距離が近いことですね。日本人の常識からすると、ちょっとおせっかいすぎるくらいなんですが、私が風邪でダウンしたときは、先生や生徒が毎日お見舞いに来てくれるんです。私はひどい格好だから来てほしくない気持ちもちょっとはあるんですけど、「先生、今日の夜はこれ食べな」と優しい言葉をかけてもらって、不安な気持ちが和らぎました。みんなすごくオープンなんですよね。不用心と言われればそれまでなんですけど(笑)。

中村 私は、予測の立たないものに飛び込むことの楽しみを発見しましたね。日本では、何かやるときも「だいたいこうなるだろうな」と予測を立てながら生きてますよね。ところがインドネシアに赴任して、3ヶ月くらい経ったときに、担当の先生から「教科書が終わったので自由にやっていいよ」と言われて、それから半年間くらい丸投げの授業期間が始まりまして。

白河 そんなことが!

中村 授業内容を考えるなんてはじめての経験ですから、毎日しっかり授業の準備をして、生徒のリアクションを見ながら、自分なりに工夫して行動に移す経験はよかったです。例えば、例文をつくってもらうときのテーマに「女の子にメールアドレスを聞く方法」を選んだりだとか(笑)。ドラマやアニメの名シーンを日本語で覚えるとかも試しましたね。市川海老蔵さんのプロモーションビデオがすごく反応がよかったり、東南アジアでは『風雲! たけし城』(1980年代後半に放送された視聴者参加型のアトラクションバラエティ番組)が流行っているので、身体を張ったバラエティ番組の動画もウケがよかったです。

高橋 予測のつかなさはタイでもありましたね。タイの学校では決まったスケジュールがほとんどなくて、突然「今日は授業なし」「明日は遠足」と言い出すんです(笑)。その他にとても興味深かったのは、学校で定期的に行う宗教関係の行事ですね。寺院のお坊さんたちが托鉢にやって来るので、その日は生徒たちも正装をして喜捨をするんです。それがとても面白くて、私も4日間のプチ出家に挑戦しました。

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タイでの出家の経験を話す高橋さん。

白河 すごい! お寺に滞在するんですか?

高橋 そうですね。髪の毛はさすがに剃りませんし、普通は1ヶ月とか1年間やるようですが。毎日瞑想を繰り返して、考えることや固執を取り払っていくんです。その体験は、すごくよかったですね。

白河 逆につらかったことはありますか?

中村 食事ですね。インドネシアって、基本的にすべての食べ物が甘いか、辛いかなんです。さらに屋台に食事に行っては定期的にお腹を壊し、お腹を壊すと「栄養つけなさい」と言われて、また甘い食べ物が出てくる(苦笑)。たまに食べにいくケンタッキーフライドチキンが、とても美味しかったです!

白河 滞在費も支給されるとうかがっています。国によって異なりますが、月10万円程度。額は十分でしたか?

長屋 お金に困ることは一度もありませんでした。月に1回の贅沢でマッサージに行っていたんですが、そこそこグレードの高い店でも1時間1500円くらいですから格安です。私は、等身大の日本文化を伝えたいと思って、放課後に先生や生徒を招いて、日本のごはんをつくってご馳走していました。その食材費も、活動費として別途支給されるので負担はありません。普通に暮らして、休日にはちょっと旅行に出かけたりもしました。

三者三様の教育体験、そしてこれからのこと

白河 みなさん、授業はどのように進めたのでしょう? 中村さんは、自分でカリキュラムを考えることになったとおっしゃってましたね。

高橋 私も現地のタイ人の先生と協力しながら進めました。ほとんど日本語の喋れない方だったんですが、タイ語を喋れないのは私もお互い様なので、丁寧にコミュニケーションしながら、「日本のゲームを使って授業を進めましょう」と授業のアイデアを出し合ったりもしました。授業は私たちで自由に計画を立てたり工夫することができました。

白河 自由度があるんですね。

高橋 すごく面白かったです。これをやりなさい、と課題を与えられるものではありませんから。 いつも彼女と一緒でたくさん話しましたから、私のタイ語よりタイ人の先生の日本語はとても上達しました。タイ人の先生の日本語が上達することは、生徒の日本語が上達する以上に重要なことだと思います。

長屋 私の場合は、現地の先生のアシスタントに専念しました。その代わりではないですが、さっきお話した食事会のように、部活動のような感覚で日本文化を伝えることに力を入れました。気張りすぎてもよくなくて、友人同士のような関わりを持つことも、日本語教育の大切な要素だと思っています。

白河 「言葉を教える」というと、すごく高いハードルだなと思っちゃいますけど、現地の人と仲良くやっていく方法はいろいろあるんですよね。
最後の質問です。皆さんがプログラムに応募した動機、そして実際に体験してみて得たものについて教えてください。

中村 もともと前職からの転職を考えていて、次の仕事を探すうえでのプラス要素として、アジアでも勢いのあるインドネシアでの体験は活きてくると思ったのが最初の動機でした。だからじつは、インドネシア、アジアに対する思い入れはそんなになかったんです。でも、下水道の少なさだとか、インドネシアの行き届いていないインフラ事情に触れて、これらを改善するために日本人の視点・技術は役立つのでは? と考えるようになってからは、一気に視界が開けた印象があります。
今勤めている企業は化学製品の商社なのですが、インフラ整備も含めて化学製品が関わらない分野はありませんから、きっと東南アジアの未来にプラスになると思っています。

白河 現地で課題を見つけたことで、自分の行く先が見えたんですね。

長屋 このプログラムに入るまでは北欧家具を扱うグローバル企業で働いていました。会社の気風はすごく好きで、それは今も変わらないのですが、組織が大きすぎると自分が何に関与しているのか、何の役に立っているのかがわからなくなってしまうことがあります。自分はもっと個々の人たちを相手にした仕事をしていきたいと思って、それで応募したんです。

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“日本語パートナーズ“の応募に至った思いを話す長屋さん。

白河 インドネシアから戻ってきて、どう変わりましたか?

長屋 それまで全然知らなかったインドネシアが好きになれました。少しでも同国とのつながりを持っていたいと思い、今はインドネシアから日本に来る技能実習生の就業・生活サポートをする仕事をしています。

白河 若手社会人だったお二人は会社を辞めて参加したんですね。でも、高橋さんは経験も経緯も違いますよね。

高橋 約20年外資系企業でマーケティングをやっていました。子どもたちが社会人になって、家族への責任が減ったので、何か社会のためになる生き方を選びたいと思ったんですね。そのときにたまたま“日本語パートナーズ” 派遣事業のことを知って「そういえば、私は教育に関わりたかったんだ」ということを思い出したんです。そこで前職を辞めて、飛び込みました。
前職は軍用機関連の仕事をしていて、日米の安全保障に関係がありましたが、これからは東南アジアと日本との関係は重要になってくる。そしてそこで重要になるのはソフトパワーだと考えています。“日本語パートナーズ”派遣事業はそんなソフトパワーの安全保障だという考えで行動に移せたと思います。

白河 高橋さんにとって、新しいステップアップの契機になったわけですね。では、現在は教育関連の事業をされている?

高橋 まだこれからですが、海外進出を考える中小企業の支援の仕事をしながら、徐々に教育へも活動を広げていくつもりでいます。

白河 現在、日本の企業には再雇用制度を推進している企業も多く、転職指導を受ける機会も増えています。これまで、仕事を辞めて海外へ行くのはすごく勇気のいる選択でしたが、逆に今はそれが有利になる時代になりつつあるのかもしれません。そういった潮流の中でのチャンスとして“日本語パートナーズ”を活用していくのは、とても素晴らしいことですね。貴重な経験をお話いただき、みなさんありがとうございました。

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(テキスト・構成:島貫泰介、撮影:桧原勇太)

my-nihongo-partners_10.jpg 白河 桃子(しらかわ とうこ)
東京都出身。私立雙葉学園、慶応義塾大学文学部社会学専攻卒。住友商事、外資系金融などを経て著述業に。婚活、妊活、就活、キャリアプランなど女性のキーワードについて発信する。山田昌弘中央大学教授とともに「婚活」を提唱し、婚活ブームを起こす。少子化対策、女性のライフデザイン、キャリア、男女共同参画、女性活躍推進、不妊治療、ワークライフバランス、ダイバーシティ、働き方改革などをテーマとして扱う。

my-nihongo-partners_12.jpg 高橋 美都子(たかはし みつこ)
東京都出身。外資系企業にてマーケティング・広報を担当。"日本語パートナーズ"に応募し、タイ・チョンブリー県にて約半年間活動する。帰国後は起業し、中小企業海外進出支援コンサルティングを行う。

my-nihongo-partners_11.jpg 中村 允也(なかむら まさなり)
東京都出身。大学卒業後、2年間旅行会社にて法人営業を担当。“日本語パートナーズ”に応募し、インドネシア3期として、東ジャワ州シドアルジョにて約8ヶ月間活動する。帰国後は化学品等を扱う専門商社で東南アジア地区を担当。

my-nihongo-partners_13.jpg 長屋 七恵(ながや ななえ)
東京都出身。大学卒業後、IKEA JAPANに就職し接客販売を担当。"日本語パートナーズ"に応募し、インドネシアのジョグジャカルタにて約7ヶ月間活動する。帰国後はインドネシアからの技能実習生受入をサポートする公益財団法人にて勤務。

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