雑誌『をちこち(遠近)』
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郷土料理の形成~高知の土佐料理

クリストファー・ローラン(モントリオール大学博士課程在籍)



 ある晴れたさわやかな朝、私は高知市郊外にある農産物直売所へ行った。週に一度直売所の2階で、高齢女性のグループがレストランの厨房を借り、お腹を空かせた大勢のお客さんに、地元の家庭料理を作っている。私が8時に着くと、厨房は既に忙しく、鍋と70代の人々で隙間もないほどだった。だし汁としょうゆの匂いが漂い、おしゃべりと鍋がぶつかる音が響く清潔な作業場で、彼女たちは直ちに私に仕事を言いつけた。タケノコを切り、崩した豆腐を混ぜ、野菜の天ぷらを揚げ、その合間に知識の宝庫である白髪頭の料理人たちから味見を頼まれた。料理の味が「正しい」ことを確かめるためだ。
1週間前、ある板前が私にこっそり打ち明けた。「自分には、土佐料理と呼ばれる高知の伝統料理の定義がよく分からない」と。郷土料理を郷土料理たらしめるのは何であろうか? 特徴的な味覚、材料、調理法?それとも地方のアイデンティティーを表現し、ビジネスチャンスを創出するために使用されるフレキシブルな用語なのだろうか?

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高知県安芸郡馬路村でのゆずの収穫



経済的必要

 高知料理の伝統をよく理解してもらうためには、少し背景を説明したほうがいいかもしれない。高知県の面積は四国4県のうち最大だが、人口は最小である。北は山脈、南は太平洋に接し、人口の大半は沿岸の狭い平野に集中している。このように自然の境界線に事実上隔離されてきたおかげで、独自の方言、宗教行事や料理が生まれた。歴史上でも重要な地域である。高知県民は、日本の民主化に貢献した英雄たちを非常に誇りにしている。例えばおよそ260年続いた徳川幕府の転覆に一役買った坂本龍馬の姿は、高知文化の随所に見られる。龍馬の名を冠した日本酒の銘柄、和菓子、「龍馬バーガー」のようなファーストフードにも高知の代名詞といえる龍馬の影響を見て取れる。高知の経済は第一次産業に大きく依存し、食文化でも重要である。高知の海産物や野菜が最高レベルと言われているのも、驚くことではない。

 県民1人当たりの所得は日本で2番目に低く、農業以外の産業がほとんどない高知において、高知料理は地域経済の中心的な役割を果たしてきた。この観点から、伝統や過去と結びついている土佐料理は、観光客を魅了し、県外へ食品販売を促進するという、二重の目的を果たしている。「ふるさと」と呼ばれる伝統的な村のイメージは昔から、田舎の村こそ真の日本が残る場所という考えを定着させるために長く使われてきた。したがって田舎の村は、比喩的にも経済的にも、このイメージを全国に売っている。要するに、高知県は限られた資本でできる限りのことをしているのだ。県も地元の事業者団体も、この文化資源を積極的に活用し、衰退しつつある経済の活性化のために、高知の料理や産物を宣伝している。県は最近、野生動物を使った料理を「ジビエ料理」として支援する事を決定した。稲作に深刻な被害を与えるイノシシやシカの数を抑制し、同時に山村の経済を活性化しようというアイデアだ。そのために、食のイベントでジビエ料理を宣伝したり、仕留めた動物に報奨金を出したりすることにしている。

 このように日本では、郷土料理の形成が、経済的メリットを目当てに促進されることがある。料理を通じてアイデンティティーや文化を商品化することは、デメリットも伴う。アイデンティティーとビジネスチャンスは衝突する場合があるからだ。どうすれば本物らしさを保てるのか。それを考える過程で、自分たちの文化を売り物にすることに気がとがめる高知県民もいるかもしれない。本物らしさとビジネスチャンスとの両立は、微妙なさじ加減を必要とする。商品化された郷土料理は、地方文化の表れとして売られるかもしれないが、実際は市場経済の産物だ。しかし私の研究目的は、ある料理の本物らしさを吟味することではない。その料理の現在を形作った、様々な過程を分析することだ。  

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農産物直売所で家庭料理を提供するグループ



過去の遺産

 高知料理の場合、地方のアイデンティティーとは、住民が何を食べることを選択し、ひいては何を通じて地方文化を表現するかの選択を決定する重要な要因になっている。アイデンティティーは文化人類学で広く論じられるテーマだが、複雑な力学を通じて醸成されるものだ。その力学は食の場合、集団への帰属意識と感覚記憶によるところが大きい。高知県民が郷土料理に共感するのは、外部との対立を通じて存在する、より大きな想像上のコミュニティーの一部になるためだ。又、高知の文化に特有の料理や味と結びついた記憶のためでもある。東京に住む高知出身者はホームシックになると、高知の特産物を売る「アンテナショップ」で生まれ故郷の味を体験できる。すると、その味が自分の村や家族への想いを記憶の中の食べ物に蘇らせる。

 文化的伝統は、過去をどう表現するかと密接に結びついている。ある伝統が本物であるか、でっちあげであるかは関係ない。人々は現代に生きている、その継続性という観念に慰めを見いだすからだ。高知では、伝統料理は豊かな地方文化の必要不可欠な一部分であり、それ自体が明白に、あるいはさりげなく、過去とつながっている。明白なつながりとして、「土佐」という名称を使っていることがあげられる。土佐とは今の高知県の前身である封建時代の藩名で、先に触れた豊かな歴史と分かちがたく結びついている。過去を思い起こさせるために、高知の物産や料理に「土佐」と付けるのはよくあることだ。しかし、古い名前だけでは、料理の伝統に永続感を生み出すには十分でない。神話は、料理の形成に役立つ説話の基本的要素だ。このような物語の1つに、高知を代表する料理である鰹のたたきにまつわる話がある。伝説によれば、鰹は高知近海で大量に取れるのだが、漁師は浜に着いたらすぐに食べていた。漁師は生魚による腹痛が心配だったので、独自の方法で鰹を調理した。新鮮な魚を漁に使う包丁でおろし、流木で表面を焼き、高価なしょうゆではなく、海の塩をすり込んだ。事実に基づく部分は少ない話だが、この伝統料理を地方の集団意識にしっかりと結びつけるのに役立っている。

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ひろめ市場のかつおの塩たたき



人と場所

 高知の郷土料理のイメージ形成に、さらに大きな役割を果たしているプロセスがいくつかある。第一に、料理の教育が、料理のかたち(美しさや調理法)や価値(諸要素の象徴性、正しい味)の伝達に中心的な役目を果たしている。料理の作り方を習うことは、本質的に遂行的だ。なぜなら、理論よりも実践によって伝えられ、料理学校、厨房での見習い、家庭で行われるからだ。第二に、飲食店がキープレーヤーだ。飲食店による高知料理の解釈が、しばしば正当な解釈となるからだ。飲食店で創造力を発揮する調理師は、伝統と革新の間のグレーゾーンに生息する流行の仕掛け人といえる。このシステムにおいて、調理師は伝統料理の守り手というだけでなく、地方の味を外部に紹介する大使でもある。第三に、県が高知料理の形成に対して非常に積極的だ。高知県は、出版物や補助金、それに高知料理を奨励することで県の文化政策を確立している。高知県民の高知料理に対する見方を形成する以上に大切なのは、地方自治体が観光振興に努力すると同時に、他県の人々の高知料理に対する見方を形成することだ。

 研究場所として、RKC調理師学校ひろめ市場が調査にきわめて有益だった。RKC調理師学校は、高知唯一のプロ養成の調理学校だ。カリキュラムは和・洋・中華のコースに分かれ、和のコースは地元の味や高知料理の影響を強く受ける。同校は高知料理の権威であり、高知料理に関する多くの出版物に寄与している。郷土料理を伝えるだけでなく、地元の食関係者の交流場になっており、研究団体や食に関する会議、試食会などの支援も行っている。ひろめ市場は人気の屋内市場で、地元の特産品を売る小さな店がたくさん並んでいる。高知一おいしいとか、由緒正しいというわけではないが、毎日多くの観光客や地元住民を引きつけている。公式サイトによれば、ひろめ市場の使命は高知の食と文化を「ひろめる」ことだ。大きなテーブルを囲んで、地元の名物料理を友人や知り合ったばかりの人たちとシェアできる。この市場にいると、コメンサリティー、つまり食事を共にすることは、高知の食文化の最大の特徴に思える。

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RKC調理師学校で料理実習をするクリストファー・ローラン氏



郷土料理の定義

 郷土料理は、それを体験した人々の心の中に、代表的料理というかたちで生きている。例えば、高知人は鰹のたたきを高知の食文化の代表的要素だと認めるだろう。海沿いの地域で広く食べることができ、高知県内で大量に消費され、県外でも高知のシンボルとして、広く売り出されている。だが作り方は全く統一されておらず、高知県内でも場所によって、切り方や薬味、たれもバラバラだ。特別な時に食べる大皿の皿鉢料理も、高知県民なら誰でも共感する料理だ。生の、あるいは火を通した郷土料理を一定のルールに従って、美しくまとまるように盛り合わせる。台所に縛られて祝いの食事に加われなかった高知の女性たちが、男性と一緒に食卓を囲めるよう、料理を全部大皿に載せて出す方法を考案したという。興味深いのは、高知文化において食事を共にすることの重要性に目を向けても、答えが見付かることだ。かつて皿鉢料理は、宗教的な祝い事に使われた。この場合は様々な料理が集められ、コミュニティー内の結びつきを強化した。また皿鉢料理には、持ち寄りパーティーの側面もある。そこでは人々が自分自身を少しずつ分かち合い、また、コミュニティー内の多様な要素が、統一された象徴的表現のかたちで表される。

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皿鉢料理

 高知料理を明確に定義するのは難しく、「専門家」の間でさえ大きく意見が分かれる。現実的に言えば、高知自体が文化的に一様ではなく、東と西、海辺と山地では食習慣が全く違う。さらに細かく言えば、地方や家庭によっても、高知料理の解釈は少しずつ異なる。しかし、郷土料理の研究は無駄ではない。郷土料理とは何かについて、ある程度の意見の一致は存在するからだ。さらに高知料理は、それを食べる人々の心の中に生きている。文化的概念はどれもそうだが、高知料理も流動的で、固定されていない。概念として、高知料理は地方のアイデンティティー形成に絶大な影響を及ぼしており、この郷土料理の象徴的、経済的機能を明らかにすることは大切だ。だが同時に、県民の大半、特に若者は、高知料理を日常的に食べているわけではないことに留意する必要がある。土佐料理は祖父母の料理、特別な時の料理であり、その事実が、高知料理を地方文化の中心的要素として、ますます神聖化している。土佐料理は複数の目的を果たしており、実際的な目的のこともあれば、象徴的な目的のこともある。このほとんど手で触れられそうな文化的存在は、静的とはほど遠い。土佐料理は常にいくつもの力を受けて性格を変化させながら、その定義を再解釈しているのである。





regional_cuisine_kochi06.jpg クリストファー・ローラン Christopher Laurent

モントリオール大学博士課程在籍。2014年度国際交流基金日本研究フェロー。現在「地方を消費する:日本における郷土食と郊外の再活性化」をテーマに研究。"L'ekiben : la boîte repas des chemins de fer japonais" (L'Asie en 1000 mots, Université de Montréal 2014) 、"The Many Lives of Mustard: Journey of a Familiar Condiment"(Cuizine: The Journal of Canadian Food Cultures, McGill University 2013)などを執筆。




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