研修修了者にお話を伺いました~モンゴル、キューバ~

国際交流基金
情報センター

国際交流基金では外務省の協力を得て、主にODA対象国の若手外交官を日本に招き、日本語と日本文化事情の研修を行なっています。1981年の開始以来修了生は500名近く、現在54名が在日公館に勤務、そのうち7名が大使です。この研修は1996年度まで日本語国際センター(さいたま市)で、現在は関西国際センター(りんくうタウン)で実施されています。日本語を初めて学ぶ人も、研修修了時には日本語でスピーチができるようになります。 1991年の研修参加者である、駐日モンゴル国特命全権大使レンツェンドー・ジグジッドさんと、1993-94年の研修参加者で、現在キューバ大使館参事官を務めるエルミニオ・ロペス・ディアスさんにお話をうかがいました。

駐日モンゴル国特命全権大使 レンツェンドー・ジグジッドさん

日本とモンゴルを結ぶために

ジグジッドさんの経歴は、日本とモンゴルの外交史と深く関わっています。1977年に日本とモンゴルの間に経済協力協定が結ばれ、日本のODAによるモンゴルのカシミア工場建設が決まりました。このプラントを運転していくためには、モンゴル人の専門家を養成することが必要だということで、日本へ留学生を送ることになりました。ジグジッドさんはその第1号として、1981年から1985年まで、信州大学繊維学部に学びます。

帰国後国営の繊維会社に数年勤務した後、母国が民主化したのに伴って外交部門に人材が必要となり、ジグジッドさんは外交官に転じます。そして1991年、国際交流基金の外交官日本語研修に派遣されることになりました。モンゴルからこの研修に参加するのは彼がはじめてです。ジグジッドさんはすでに日本留学の経験があったため、日本語はブラッシュアップ程度でよく、その分のエネルギーを、日本の政治・社会事情や行政の仕組み、外交などを学ぶことに注ぎました。

また自分がモンゴルからの第1期生であるため、後進の役に立ちたいという思いから、外交関係の専門用語集をモンゴル語・日本語・英語の3カ国語対訳で作成しました。

日本語を軸として世界を見る

センターには各国の外交官が集まっているので、参加者同士の交流も盛んでした。 「同じ釜の飯を食った仲間同士、強い絆で結ばれています。」とジグジッドさん。みんなで「ひな祭り」など日本の伝統行事を祝ったり、各国の民族衣装を身につけて踊ったりする楽しいイベントも開かれました。スポーツも一緒に楽しんだそうです。ここで培った人脈は、その後の外交官人生の宝になっています。母国で勤務している間に、同期が在モンゴル大使館に赴任してくることや、日本に赴任して同期と再会することも多いからです。 ジグジッドさんは英語がそれほど得意でなかったため、研修中にバヌアツ、インド、フィリピンなど、英語圏の参加者と積極的に話して英語力を高めたそうです。自作の専門用語集に英語を集録したのも、英語力を磨きたいと思ったからでした。

「国際交流基金のプログラムは、日本語を軸として世界を見ることのできるすばらしいものだと思います。発展途上国の人間にとっては、日本にいるということだけで、ものすごい量の情報が吸収できます。国際交流基金には非常に感謝しています。」とジグジッドさん。 ジグジッドさんは2006年9月から駐日モンゴル国特命全権大使を務めていらっしゃいます。同期には駐日ルーマニア大使がいらっしゃいます。穏やかに、美しい日本語で話をしてくださいました。

キューバ大使館参事官 エルミニオ・ロペス・ディアスさん

日本語ゼロからのスタート

外交官日本語研修に参加したとき、ロペスさんは25歳でした。日本語はゼロからのスタートで、ひらがな、カタカナから勉強を始めたため、最初の3カ月はとてもたいへんだったそうです。しかし先生方の熱心な指導に助けられ、だんだんと勉強のコツがつかめるようになりました。特にスペイン語と日本語の文法構造の違いが理解できてからは、ずいぶん楽になったそうです。

ロペスさんにとって初めてだったのは、日本語だけではありませんでした。
日本はおろか、アジアを訪れるのも初めてのことでした。しかし研修で一緒になった韓国、マレーシアなど、アジア諸国の人々とつきあううち、日本だけでなくアジアの事もよくわかるようになったそうです。 研修中は日本語の勉強だけでなく、日本文化や歴史を知るための研修旅行や見学、日本の経済、政治を知るためのレクチャーなどもあり、日本を深く知るのに役立ったそうです。また日本人家庭へのホームステイも経験されました。

一緒に研修を受けた各国の外交官とは今もずっと交流があり、東京に来るたび集まって思い出話に花を咲かせるそうです。9カ月の研修期間をいろいろな国の外交官と共にすごした経験は、仕事の上でもたいへん役立っています。

踊りのない日本式パーティー

研修参加者はバックグランドの違いにより、日本の生活でさまざまな誤解をひきおこしました。その内容が、それぞれの出身国の事情を反映しているため、それを通じて相手の出身国への理解が深まり、さらに参加者同士の絆も深まったといいます。ロペスさん自身も、いろいろなカルチャーショックを経験しました。

たとえば研修初日。「歓迎パーティーがありますから集合してください」という案内があったので、ロペスさんはじめ、エルサルバドルとボリビアから参加した中南米3人組は「パーティーなら歌や踊りがあるはず」と思い、トロピカルなシャツを着てウキウキと歓迎会に臨みました。

ところが、何人かのご来賓のあいさつに続いて和やかに食事をしたら、そこでパーティーは終了。中南米の3人には思いがけない展開となりました。ロペスさんにとって、日本式のパーティーをはじめて体験した思い出です。

ロペスさんは研修終了後4年間、東京にあるキューバ大使館に勤務。その後キューバに戻って外務省の日本担当となり、2003年から再度日本に赴任していらっしゃいます。

「仕事が忙しく日本語の勉強を継続する時間がないのです。」と謙遜なさいますが、インタビューにはたいへん美しい日本語で受け答えしてくださいました。レセプションなどでは日本語であいさつをし、仕事もほとんど日本語でこなしていらっしゃるそうです。「漢字をもっと勉強したい」と、忙しい業務の合間を縫って現在も日本語の勉強を続けておられます。

若いときに日本を体験された外交官が、その後の日本と自国の外交を担っていかれることは、私たちにとっても非常に心強く、うれしいことです。

※この記事は、2007年10月31日に国際交流基金JFサポーターズクラブウェブサイトに掲載されたものを再録したものです。

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