雑誌『をちこち(遠近)』
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サッチモの夢―ジャズがつなぐ日米青少年の友情と絆

文化事業部 米州チーム 松本 健志



おお 聖者が行進して行くとき
おお 聖者が行進して行くとき
主よ 私もあの列に加わりたい
聖者が行進して行くとき。

 ジャズの聖地、ニューオリンズから訪れた若きジャズメンたちの発する高らかな歌声、強烈なビートに乗せた力強い演奏が、美しく晴れ渡った気仙沼の空の下にこだまする。地元が誇るジュニアジャズオーケストラ、ザ・スウィング・ドルフィンズの小中学生たちも、非公開の交流会では少しはにかみ気味だったけれど、大勢の観客を前にした本番では、事前に練習していた課題曲「セカンド・ライン」を大柄のお兄さんたちと堂々共演。率先して躍り、ハンカチを振り、色とりどりの傘を掲げてパレードを盛り上げる。会場のあちこちで、こぼれるような笑み。そして、「ありがとーう!」の大声援。

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気仙沼ストリートライブフェスティバルの様子
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気仙沼スウィング・ドルフィンズからの贈り物

 東日本大震災のわずか1ヶ月後、津波で楽器を流され、活動停止の危機に瀕していたザ・スウィング・ドルフィンズのもとに、ニューオリンズから楽器が届けられた。ニューオリンズの子供たちに長年にわたり日本から楽器を贈り続け、2005年8月、巨大ハリケーンが米南東部を襲い、ニューオリンズの街が水没した際にも、いち早く1,000万円を超える義捐金を贈った日本ルイ・アームストロング協会代表、外山喜雄・恵子夫妻の活動と、日本の人々への恩返しの楽器だった。「今度は私たちが助ける番だ」と。

 大規模な自然災害に見舞われた日米の被災地で、ジャズに打ち込む子供たちを交流させたいとの外山夫妻の強い願いにティピティナス財団、みやぎ音楽支援ネットワーク等、日米両国の様々な関係者が賛同。10月上旬、ニューオリンズからティピティナス・インターンバンドとオー・ペリー・ウォーカー高校選抜バンドの計16名の招聘が実現した。太平洋を越えて来日した青少年ジャズバンドは宮城県各地を訪れ石巻ジュニアジャズオーケストラ、ザ・スウィング・ドルフィンズ(気仙沼)、ブライトキッズ(多賀城)、東北学院中学・高等学校吹奏楽部(仙台)等と交流を図った。

 それぞれの訪問地の状況は異なるが、困難に直面しながらも音楽に取り組む子供たちの表情は明るく、しっかり自分を見据えているように思えた。ザ・スウィング・ドルフィンズの代表生徒が英語で答辞を述べる。「今日は気仙沼に来てくれて有り難う。去年、津波が私の家を襲い、母とは3日間会えませんでした。幸い、私の家族は全員無事でした。町が大きな被害を受けたのでとても悲しかったけれど、ニューオリンズから楽器が届いたときは本当に嬉しかったです。将来の夢はトランペット奏者になることです。一生懸命練習し、いつかニューオリンズを訪れる日を楽しみにしています」。

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小学生バンドブライトキッズも参加
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(左)石巻ジュニアジャズオーケストラと共演
(右)石巻でのワークショップ


 音楽を心の拠り所に、未来に向かって歩む子供たちを支える良き教育者や保護者の方々の存在も、非常に大きいと感じた。20年近くドルフィンズの演奏指導に当たって来られた須藤丈市さんが語って下さった言葉は特に印象深い。「文化、そして音楽は幅が広くて奥が深い。いろんな所に枝葉が広がって、いろんな人と手を繋ぐことができる。今回は、地球の裏側から支援の手が差し伸べられ、震災直後は考えられなかった、一生に一度の経験を子どもたちにさせることが出来た。一生懸命楽器を鳴らしていれば、どこかで大好きな人は聞いてくれる。困った時は助けてくれるし、困った人がいたらこっちが助けてあげるという気持ちになる。末永く交流を続けることができれば、ますます嬉しい」。

 須藤さんはさらに続ける。「未曾有の大災害からどうやって復興したら良いのか、誰もが右往左往している手探りの状態。いずれ方向転換・軌道修正が必要になって来る。その時、頑張らなくてはならないのが、ラッパを吹く楽しさに触れているあの子供たち。彼らが社会の第一線で活躍する頃、へこたれない、くじけない、人の役に立てる人材を育てるのが大人の責任、役割だと思う。今は、復興のハードの部分ばかり目が行っているが、ソフトの部分も並行して頑張って行かねばならない」。

 須藤さんのお話を遮るかのように、子供たちの歓声が聞こえて来た。青少年ジャズバンドを乗せたバスが会場を離れようとする中、ドルフィンズのメンバーが一生懸命手を振り、ニューオリンズのハンサム貴公子たちがバスの窓から顔を出して手を振り返す光景が目に飛び込んで来た。別れの時間が来る頃、ようやくお互いが打ち解け、名残惜しそうにするあたり。甘酸っぱく切ない、思春期を思い出した。

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仙台でのコンサート
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(左)東北学院での歓迎メッセージ
(右)東北学院での共演

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東北学院での交流

 アメリカから訪れた高校生たちは、どう感じていたのだろう。来日直後から演奏と移動を続け、初めて訪れた国をゆっくり楽しむ余裕がなかったのでは、と少し心配していたが、東京で開かれた報告会とミニ・コンサートで、彼らは復興大臣からの感謝状を胸に、異口同音に感想を述べてくれた。「日本では、僕らが日ごろ見落としている細やかさを大切にしている。この旅行を通じて、そうした配慮が出来るような人間になりたいと思うようになった」「コンサートは素晴らしかった。災害から立ち直ろうとする人が沢山来てくれた。演奏でみんな元気になったように感じた」「被災地の子供たちは、僕らがかつて経験した苦難を経験している。希望やインスピレーションを被災地に届けることが出来たと思う。日本から受け取った好意をお返しすることが出来たかな」「日本の子供たちは、僕らが大好きな音楽を同じように愛している。演奏のスタイルや曲の解釈は違うけれど、ジャズを愛しているという点で、僕らは仲間だと感じた」。

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事業報告会&ミニコンサート

 彼らの大半は小学生の頃、ハリケーン・カトリーナによる水害に見舞われ、避難生活を余儀なくされただけに、東日本大震災は他人事ではなかったに違いない。「違うけれど同じ」「音楽を通じて、人と人とが一つになれる」。このプログラムに参加した日米両国の子供たちが、心の底からそう感じてくれたなら、これほど素晴らしいことはない。

 夢のような日米交流の原点には、ジャズトランペッター外山喜雄さんと、バンジョー/ピアノ奏者、外山恵子さんの愛と情熱があったことも忘れてはならない。早稲田大学ニューオルリンズジャズクラブでの出会いによって結ばれ、ジャズの王様、"サッチモ"ことルイ・アームストロングに憧れた若き日、武者修行に訪れたニューオリンズの人々との出会いを大切に、40年以上の長きにわたり交流を続けて来られたこと、1992年、ルイジアナ州バトンルージュで起きた日本人留学生の不幸な事件を契機に、「銃に代えて楽器を」運動を展開し、約20年間に800本以上の楽器を寄贈して来られたこと。自然災害を機に、日米両国市民の善意が太平洋を往復したのは、まさに外山夫妻の率直で飾らないお人柄と、長年にわたる信念の賜物と言える。

 ニューオリンズから東北の被災地を応援しに駆け付けた聖者たちは、帰りの飛行機でどんな夢を見たのだろう。被災地でジャズに励む子供たちは、どんな願いを星にかけたのだろう。外山夫妻は来年、ザ・スウィング・ドルフィンズをニューオリンズに連れて行き、本場のジャズを体感させたいとの夢を温めている。晩年のルイ・アームストロングに『この素晴らしき世界』というヒット曲がある。素晴らしき世界の創造のため、音楽を通じた交流がいつまでも続くように――天国のサッチモも、きっとそう願っているに違いない。


写真:相川健一


A Jazz Journey to Tohoku: 宮城~ニューオリンズ青少年ジャズ交流事業
動画撮影・監督:田村祥宏




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