十一、落語を聴いて、ちょっと人間が好きになりました

立川志の春




「さあ、とうとう最終回だな」
「そうですね、1年間お世話になりました。ってあなた誰ですか?」
「お前の愛読者のおじさんだ。毎月暇つぶしに読んでくれてやっていた」
「ずいぶん偉そうな愛読者ですね。でもありがとうございます」
「礼を言われるほどじゃない、本当にただただ仕方なく惰性で時間を埋めるために・・・・・・」
「もういいです。それでも嬉しいですよ」
「一つ褒めてやる。日本語版と英語版があっただろ、英語版の方がよく書けていたぞ」
「あれは僕が日本語で書いたものを専門の方が訳してくれていたんです!」
「道理でな、ダハハ! とにかくお前はこの連載エッセイの第1回で、読者に落語の世界をできるだけ身近に感じてもらい、最終的には実際に落語に触れていただきたい、と書いていたな。これを読んで来てくれた人はいたのか?」
「いましたよ」
「嘘をつくな」
「嘘じゃありません。来てくれました。毎月のように。国際交流基金の皆さんが」
「・・・・・・義理か?」
「うるさいですよ! そうじゃないはずです! たぶん。ありがたかったですよ」
「そうか、実は俺はまだ落語を生で見たことも聴いたこともない」
「生で、ってことは他では見たり聴いたりしたことはあるんですか?」
「いくつか、ユーチューブやなんかで、無料でな。まあでも大体把握できた」
「何がですか?」
「落語というものが、だ。つまり俺くらいになると途中で落ちが読めるんだ。落ちが読めた途端にテンションが落ちるんだ・・・・・・落ちだけに」
「くだらない! いや、でもそういうもんじゃないんですよ。落語ってのは確かに『落ちを語る』と書いて落語ですけど、僕が思うに、実際はそこにたどり着くまでに頭の中で描いた絵が大事なんですよ。演者が消えて噺の登場人物の絵が浮かび上がってくる。その絵が脳内で縦横無尽に動き出す。それが快感なんです。だからたとえ落ちを知っていたとしても、何度も何度も同じ噺を楽しめるものなんです」
「俺はそんなに暇じゃない」
「今、世の落語ファン全員を敵にしましたね? 違うんです、それが豊かさというものじゃないですか。アベノミクスにはもたらすことのできない豊かさなんです!」
「大きく出たな。ということは落語会に来ている人はみんな豊かなんだな」
「それは・・・・・・そうです、心の中は」
「演じているやつも豊かなのか?」
「ま、心の中は」
「財布の中は?」
「空っぽです。いいんです、そんなことは」
「武士は食わねど高笑いというやつか」
「高楊枝ですけどね。でもおじさん、落語って毎回毎回同じだと思ってません?」
「そらそうだ、決まった噺があって、決まった落ちで終わる。同じだろう」
「違うんですよ。同じ噺でも演者によってまったく違いますし、同じ演者でも演じるたびに違うんです。それに一方通行な芸じゃあない、お客さんの想像力と対話しながら進めてますから、共同作業なんです。一緒に作り上げるものなんです。だからその場その場によって、 とかリズムとか細かい言葉遣いなんかはまったく違うんです」
「ふーん」
「つまりどういうことかというと、おじさんが一人その場にいることによって、いなかった時とは落語が違ったものになるってことですよ。すごいことでしょ!?」
「いや、そんなに鼻の穴を広げて力説されてもな、比較のしようがないからわからない」
「手ごわいですねえ。じゃあおじさん、欲望ってあるでしょ?」
「欲望? ある!」
「そこははっきりしてるんですね。おじさんだけじゃあない、人間いろんな欲望があります。儲けたい、出世したい、愛されたい、尊敬されたい、必要とされたい、癒されたい、満たされたい、認められたい、褒められたい、成長したい、伝えたい、知りたい、見たい、聞きたい、挑戦したい、楽したい、目立ちたい、夢を叶えたい、笑わせたい、笑いたい、繋がりたい、ドキドキしたい、慕われたい、救われたい、叱られたい、構われたい、楽しみたい、喜ばせたい、生きたい!」
「よくまあ並べたな。俺はその中なら愛されたい、必要とされたい、構われたいだ!」
「おじさん・・・・・・ちょっとおじさんのことが可哀想になってきました。でもみんな何かしらありますよ。で、落語の中の人物が魅力的なのは、みんな自分の欲望に正直なんです。それが人間なんですから。落語が残ってるってことは、人間って300年前から案外変わってないんです」
「杉田玄白とかからか?」
「そうです。面白いでしょ?」
「まあ、な」
「落語会、行きたくなってきたでしょ?」
「ちょっと、な」
「行きましょうよ。僕もね、落語と出合って人間ってものが好きになりましたから。おじさんみたいな人にぴったりですよ」
「じゃあとりあえず試しにな。一回行ってみるよ。落語は英語版の方がよかったな、と言われないようにな」
「うるさいですよ。あ、そろそろ次の方の準備ができたみたいなんで、我々は舞台の袖に引っ込みましょう」
「・・・・・・え? 俺たちこれ舞台でやってたのか?」
「細かいことは気にしないで。とにかく皆さん、1年間お世話になりました。少しでも読んで下さった方に落語というものが身近に感じていただけていれば、こんなに嬉しいことはありません。これからは高座で皆様とまたお会いできればと思っています。ありがとうございました!」
「えー、私からもありがとうございます。ってなんで俺がお礼しなきゃいけないんだ!」
「ほらおじさん、次の出囃子が始まっちゃった。それではお後がよろしいようで~!」

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「少しは落語に親しみを感じていただけたでしょうか。これからは高座でお待ちしています!」(志の春)





shinoharu00.jpg立川志の春(たてかわ しのはる)
落語家。1976年大阪府生まれ、千葉県柏市育ち。米国イェール大学を卒業後、'99年に三井物産に入社。社会人3年目に偶然、立川志の輔の高座を目にして衝撃を受け、半年にわたる熟慮の末に落語家への転身を決意。志の輔に入門を直訴して一旦は断られるも、会社を退職して再び弟子入りを懇願し、2002年10月に志の輔門下への入門を許され3番弟子に。'11年1月、二つ目昇進。古典落語、新作落語、英語落語を演じ、シンガポールでの海外公演も行う。'13年度『にっかん飛切落語会』奨励賞を受賞。著書に『誰でも笑える英語落語』(新潮社)、『あなたのプレゼンに「まくら」はあるか? 落語に学ぶ仕事のヒント』(星海社新書)がある。最新刊は『自分を壊す勇気』(クロスメディア・パブリッシング)。


*公演情報は公式サイトにて。
立川志の春公式サイト http://shinoharu.com/
立川志の春のブログ  http://ameblo.jp/tatekawashinoharu/




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