雑誌『をちこち(遠近)』
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アルザス日欧知的交流事業 / 日本研究セミナー「江戸」論文集発刊のおしらせ

三方をブドウ畑に囲まれ、アルザスの山並みを彼方に仰ぐ風光明媚な地の、元成城学園アルザス校の学生寮を改装したアルザス欧州日本研究センター(CEEJA)において、ジャパンファウンデーションはCEEJAと共催で2008年、2009年と、『江戸セミナー』を実施しました。講師として田中優子法政大学教授をお迎えし、欧州の若手日本研究者が「江戸」をキーワードに集まり、発表と議論を交わしました。

 

この度、その参加者による論文集が完成しましたので、ご紹介します。

 

改めて驚かされるのは、参加者の高い専門性や、現代の文献と江戸時代の資料を読み込み、口頭発表につづいて議論し、論文を書き上げる、その日本語運用力はもとより、そのテーマやアプローチの多様性です。専門的なコメントは田中先生にお任せするとしても、江戸の専門家でない者から見ても、面白そうな研究が並びます。

 

富士山に対する民間信仰の研究では、例えば富士山山頂を阿弥陀三尊に見立てたり、富士山そのものを世界の中心(アクシス・ムンディ)として捉えるなど、様々な神格化が行われるとともに、富士山麓の洞窟での修行による神との一体化を経て、富士山そのものに女性性が付与され、更にこうした「神体としての富士」のレプリカとして各地に富士塚が作られたことが、豊富な図版とともに実証されています。ここで富士信仰は、なんらかの体系的な宗教や思想というよりも、江戸の庶民の思考体系(エピステーメ)として捉えられていて、現代に続く日本人の富士山に対する感情の源泉を見るようです。(ゴッタルト「富士信仰と庶民のエピステーメ(思考の枠組み)」)

 

あるいは、朝鮮通信使にどのような食事が提供されたのかを資料を通じて丹念に追うことで、友好関係維持や徳川幕府の威光誇示という目的の一方で、財政悪化などに幕府や対馬藩がそれぞれどう対応したのかを浮き彫りにする研究もあり、現代に通じる外交と内政、中央と地方の確執や駆け引きが思い起こされます。(グレピネ「朝鮮通信使に提供された食をめぐって」)

 

17世紀半頃の大規模なキリシタン逮捕事件についての研究では、江戸幕府により禁止されていたはずのキリシタン・コミュニティの実態や藩の認知、日本独自に発展した終末観などが、日本語はもちろん、英語やポルトガル語(宣教師)の文献も駆使して立体化されていて、必ずしも迫害一辺倒ではなかったという事実も浮き彫りにされています。(ノゲラ・ラモス「演題-郡崩れにおけるキリシタンコミュニティの姿(1657-1658)」)
「鎖国」といわれる16~17世紀の、長崎にいた唐人を媒介としてのはるか東南アジアをまたぐネットワークの存在と、それに関わる商人、海賊、幕府、オランダ東インド会社などの交錯をめぐる研究となると、何だか長編時代小説めいてきて(実際にその中核には、あの鄭成功を出した鄭氏一族がいます)ロマンを掻き立てられます。(カリオティ「16-17世紀における長崎の唐人に関する基礎的研究」研究成果は本としても近々出版される予定。

 

他にも、占いとしての家相の研究(ハイエク「松浦琴鶴(19世紀)の家相術:当世風な伝統の発明」)、子供向けの草双紙のひとつ・赤本〔絵本〕でのカチカチ山を通じての「悪」や「化け物」の研究(ミシック「『兎お手柄』-「悪」の対象としての化け物」)、江戸時代の栄養・養老など全人的医療についての研究(ゼンタイ「貝原益軒の『養生訓』の紹介と、現代におけるその意義」)など、本当に様々な研究がありました。

 

これらは、とりもなおさず日本人や日本にいる研究者とは異なる視点からの研究であり、田中先生もご指摘の通り、研究素材を通じて、日本の思想や文化構成の過程を知り、ひいてはより普遍的な(日本)文化研究につなげてゆこうとする姿勢に基づくものです。その成果は、日本での日本人による日本研究と、いわば相互補完的に研究を深める契機となるものだと思います。このように、国際文化交流として日本研究を支援することは、単に日本の理解者を増やすだけでなく、実は日本研究そのものを深化させ、日本についての多様な見方を育むものであると改めて思いました。

 


アルザス日欧知的交流事業
日本研究セミナー「江戸」論文集

この論文集はJFICライブラリのほか、国内の大学図書館などでご覧いただけます。 また数に限りがございますが、ご希望の方にお送りします。

日本研究・知的交流部
欧州・中東・アフリカチーム

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