「近くへの遠回り―日本・キューバ現代美術展」帰国展 アーティスト・トークレポート

2018年6月号

住吉智恵(美術ジャーナリスト)

2018年、日本人のキューバ移住120周年記念の年、国際交流基金はウィフレド・ラム現代美術センターと在キューバ日本国大使館の共同主催により、3月から4月にかけて、キューバと日本の現代アーティストたちを紹介する現代美術展「近くへの遠回り―日本・キューバ現代美術展」を開催した。キューバ・ハバナ市で開催されたこの展覧会を再構成した帰国展が、6月6日から6月17日にかけて、スパイラルガーデン(東京)において開催された。本展は「距離」をテーマに、キューバと日本の文化的な成熟度によって感じられる「近さ」、そして、社会・政治体制の違いなどが生む「遠さ」とのあいだで揺さぶられる体験を通して、一面的には捉えられない物事の「近さ」と「遠さ」、関係性とは何かを問う画期的な展示となった。会期中の6月8日、国際交流基金ホール[さくら]にて、キューバからの出展作家によるアーティスト・トークが開催され、キューバの現代に生きる作家たちによる創作活動のプレゼンテーションと活発なトークセッションが行われた。

はじめに本展キュレーターの1人である服部浩之が、展覧会の全体像とその制作過程について、ウィフレド・ラム現代美術センターでの展示を振り返りながら報告した。「キューバと日本両国のキュレーター・チームとアーティストたちが、互いの距離や差異を、対話とメールによって測りながら、少しずつ理解していった。キューバ特有の歴史や文化については、作家自身の口から聞かなければわからないことが多く、相互の繋がりはまだ始まったばかりだ。本展の体験を通してこれから何を紡いでいくか、それが重要だ」と述べた。

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本展のキュレーターである服部浩之がアーティスト・トークのモデレーターを務めた。

続いて、キューバ人アーティストによる、これまでの活動と今回の出展作についてのプレゼンテーションが行われた。

グレンダ・レオンは1976年ハバナ市生まれ、現在ハバナとスペイン・マドリードを拠点に活動する。12歳から美術を学び、ハバナ大学で美術史を専攻しながら、クラシックバレエも習得。Pollock-Krasner財団ほか多くの受賞歴を持ち、2013年の第55回ヴェネチア・ビエンナーレ(イタリア)やサイト・サンタフェ(ニューメキシコ)などのほか、今年はダカール・ビエンナーレ(セネガル)にも参加している。経済封鎖による物資不足が顕著な時代に創作活動を始めた彼女は、使いかけの石鹸や髪の毛、ガム、中古レコードなど日常のささやかな物を素材に、映像やインスタレーションによる独自の表現方法を見いだしてきた。貨幣の粉末で砂絵のように水平線を描いた絵画。世界五大宗教の聖典をミックスした一冊の書や聖なる言葉を彫ったオルゴール。2トンもの砂と砂時計で時間の喪失を象徴したインスタレーション。スイミングプールの両端にハバナとマイアミのビーチの拡大地図を設置し、対岸まで泳いで渡れる両都市の距離を示したプロジェクトなどの代表作を紹介。
「ギリシャ系アメリカ人に育てられ、子供の頃から現在まで多様な文化を享受する機会を得た。アーティストは人生においても正直な生き方を選ぶものだと思う」と語るグレンダは、多文化主義的なコンセプトと、1人の人間の相反する感情や感覚に向けた冷徹な眼差しをあわせもつ。コンセプチュアルでありながら詩性にあふれる作品には率直な人間らしさとポジティブな強さが宿る。

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砂時計を用いて時間の喪失を象徴したインスタレーションについて紹介するグレンダ・レオン。

レニエール・レイバ・ノボは1983年ハバナ市生まれ、ハバナを拠点に活動する。キューバ芸術大学院で学び、その後リバプール・ビエンナーレやハバナ・ビエンナーレに参加。2017年には第57回ヴェネチア・ビエンナーレでキューバ館展示作家の1人に選ばれた。ノボは映像や写真、インスタレーションといった手法で、世界の「歴史」と「権力」の構造に対峙してきた。世界史とキューバ史における重要な出来事を調査し、忘れ去られた出来事を歴史に寄り添うように紡いでいく作品を制作する。キューバ革命前の時代から受け継がれるモニュメンタルな建造物の大理石9種によって壁を構築した代表作 《Stone Words. Power architectures of an inherited country》(2016年)。今回の出展作である、さまざまな人々から集めたボロ布で織り上げられた玄関マットの連作 《Untitled (military and civilians)》。銃弾を溶かして分銅に換え、避けられるかもしれない死の重みを表現したインスタレーション。72,000人もの亡命者が命を落としたといわれるフロリダ海峡に「永久に待つ」と帆に書かれた船を浮かべた作品。さらに「つい最近、新作がキューバの文化省に購入されたので、その代金3,800米ドルをそのまま反体制的な団体の支援のために寄付した」というプロジェクトも紹介。
大文字の歴史に記録された権力や暴力の痕跡とその背後にあるストーリーを可視化する、彼の知的かつ洗練された作品には「世界は変えることができたのか?」という問いかけが潜む。

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自身の作品が購入されて得た代金を寄付する書面にサインする様子について語るレニエール・レイバ・ノボ。

レアンドロ・フェアルは1986年ハバナ市生まれ、現在ハバナとバルセロナを拠点とする。キューバ芸術大学院修了後、キューバ人アーティストのタニア・ブルゲラ(1968年生まれ)が主宰する芸術学校で学ぶ。近年スペインとキューバで個展を開催している。フリーランスの写真家であるレアンドロは、キューバの持つ文化的なイメージと社会主義革命前後の変動を重ね合わせ、過去・現在・未来の時間が交錯する写真展示を試みてきた。2017年の個展「Yo no hablo con fotógrafos(私は写真と語らない)」では、オバマ前大統領の国交正常化政策により、アメリカからキューバに訪れたセレブリティを撮影した作品を発表。ロックが禁止されて以来60年ぶりに実現したローリング・ストーンズのコンサートや、シャネルのショーのランウェイ、クラシックカーから降りるデザイナーのラガーフェルドや女優ティルダ・スウィントン、バックステージに使用された国立図書館などを、革命前のハバナと錯覚するほどグラマラスにとらえている。厳しく規制された近隣の建物まで何とか近づき、バルコニーからパパラッチのように彼らを撮影した視点について、「最高に商業的なイベントだったが、キューバ人にはこれくらいがちょうどいい距離」と言う。特別に敢行されたハリウッド映画のロケでは「ハバナ上空にアメリカのヘリが撃ち落とされることもなく堂々と飛んでいた」と語った。
また、故フィデル・カストロの葬列に集った、1950年代のマフィアと見紛うようなキューバ政府の老将軍たちや革命主義者たちの姿と、自由を謳歌しているように映るハバナの若者たちの等身大の日常を併置することで、政治的・文化的な距離を浮き上がらせる写真作品を紹介した。

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レアンドロ・フェアルはハバナの若者たちの等身大の日常を写した写真作品を紹介。

ホセ・マヌエル・メシアスは1990年ハバナ市生まれ、ハバナ在住。2009年サン・アレハンドロ美術学校卒業後、欧米で多くの展覧会に参加している。2017年にはファクトリア・ハバナアートギャラリーで「Índice de imágenes (Index of Images)」という大規模な個展を開催した。本展最年少作家であるホセは、概念と物質、双方の観点から、キューバにおける過去と現在のコンテクストを再解釈していく。本展では展示されなかったが、実はペインティングの名手である。大きな絵画と小さな中古品や廃品のオブジェを併置させるインスタレーション《Las cosas que se parecen(似ているものたち)》では、過去と未来、美と破壊といった二律背反の関係に意識をめぐらせ、同時に、彼自身が生活のなかで経験する不安や驚嘆を表現する方法を模索する。映像ではいくつかの大型の絵画作品を紹介。歴史的に有名な絵画のなかに空想のエピソードを描き加えたり、象徴的な人物などを消去したりすることによって、歴史の再解釈を試みる。
「歴史とは次の地点に到達するためのプロセス」と言うホセにとって、歴史を語る事象をアーカイブし、それらを神話化されたステレオタイプな都市伝説のように取扱うプロセスは、今ここにあるキューバの現実を映し出す手順であるといえる。

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ホセ・マヌエル・メシアスはキューバ史の英雄、ホセ・マルティが所有していた貝の画像を見せ、個展(Index of Images)の構想のもとになったと熱く語った。

続いて、キューバの作家たちが服部や聴衆から投げかけられた質問について答えた。
まずは、キューバにおける美術教育について。
「12歳のときにアートの教室と国立バレエ学校に通いはじめ、クリエイティブな思考を持つ老婦人の絵画の先生に心を開いたことがアーティストの道に進むきっかけとなった」(グレンダ)
「小さい頃からスケッチをしたり、〈カルチャーハウス〉と呼ばれる塾のような施設に通い、ボランティアの若い先生から学んだ。現代アートから学んだのは複雑なアイデアをオープンに多彩に表現することだ」(ノボ)
「キューバは(独立国家としての歴史が浅く)若い国なので、現代アートとそれ以外のアートの区別はない。あらゆるアートがコンテンポラリーといえる。物資不足でカメラがなかったので、先ずイメージを絵に起こす作業から始め、その後中古のカメラを手に入れた。毎日行くバーや街なかで起こっている騒ぎやお祭りに自然に入っていく撮影スタイルが自分に合っている」(レアンドロ)
「最初からアーティストを目指していたので美術学校に進学し、中等教育まで受けた」(ホセ)
作家4人とキューバのキュレーター2人によれば、国立美術大学(Instituto Superior de Arte)に設置された造形芸術のプログラムはアカデミックな教育から徐々に変化が見られるが、良い指導者が不足しているという。ただ、キューバでは自分自身で進路を決めることは容易ではなく、教育機関や工房からの要請で決まることが多い。給与など雇用条件は実業が優遇されるため、家族や親類に芸術家になることを反対され、卒業後は美術の先生になる者が多く、経済的な成功を自力で掴むことはいまだ困難だ。

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ディスカッションでは、キューバにおける美術教育や表現の自由度について、作家4人それぞれの経験や考えが語られた。

最後に、表現の自由度についてのディスカッションが行われた。
キューバ国内と国外では表現の許容度や検閲の厳しさが変わるか、という問題について。
ノボからは「政治的・社会的に象徴的なテーマの作品を発表するときには、そのコンテクストの整合性などを慎重に検討する。海外で展示する機会があれば、現代キューバの現実をできるかぎり伝えたい」という意見があった。国営施設で展示をするときは、反革命的なイメージなどがあればもちろん役人や軍人から咎められるが、政府の資金に頼らないインディペンデントかつクローズドなスペースで行われていることにはほぼ検閲が入ることはない、という。
キューバ作家の現地におけるクリエイションの過程では、作品のコンセプトが政治・社会体制に言及するものであったとしても、政府を刺激する直裁なイメージや言葉は注意深く取り除かれている。あるいは、仲間内のインディペンデントなスペースでは発表するが、パブリックなスペースでの発表は海外での展覧会や出版の機会を待って行う、という印象だ。このように、ダブルスタンダードや「かけひき」が当然のことであるキューバ社会では、アーティストの活動と作品はおのずとその歴史観や問題意識の表出において、意味と解釈のレイヤーを巧みに纏う必要がある。彼らのこうした戦略的な制作態度には、わが国でも近年取り沙汰される自主規制や忖度とは比較にならないほどの危機感があるはずだが、一方で「キューバのアートだけが極度に不寛容で厳格な検閲を受けていると、ステレオタイプな見方をされるのも心外だ」とグレンダは語った。
ある意味で、その「足枷」こそが彼らのアートを洗練させているとも考えられ、芸術表現にとって「自由」とはきわめて取扱いの難しいものであるといえるだろう。また出展作品をめぐるさまざまな局面について伝え聞くなかで、社会と芸術を繋ぐ「キュレーション」の力と役割について、深く考えさせられる貴重な機会ともなった。

撮影:相川健一

※記事初出時、グレンダ・レオンの作品説明に誤りがありました。お詫びして訂正いたします。

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撮影:片山真理 Mari Katayama

住吉 智恵 Chie Sumiyoshi
アートプロデューサー、ライター。慶応義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。1990年代より美術ジャーナリストとして活動。2003〜2015年オルタナティブスペースTRAUMARIS主宰。現在各所で現代美術展とパフォーミングアーツを企画。2018年カルチャーレビューサイトRealTokyoを復刊、ディレクターを務める。

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