国際交流基金賞 受賞記念
サラマンカ大学スペイン日本文化センター~伝統と未来の間で~

2018年12月号

ホセ・アベル・フローレス・ビリャレッホ
サラマンカ大学スペイン日本文化センター所長

 1999年サラマンカ大学に設立されたスペイン日本文化センターは、日本語教育や日本文化の紹介事業のほか、歴史、政治、外交、社会に関する質の高い交流活動を行うなど、スペインと日本の関係を維持強化する上で一貫して中心的な役割を果たしてきた功績により、2018年度国際交流基金賞を受賞しました。受賞を記念してスペイン日本文化センター所長のホセ・アベル・フローレス・ビリャレッホ氏に同センターと日本のつながりについてご寄稿いただきました。

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東京外国語大学にて行われた受賞記念講演会で語るフローレス所長(2018年10月19日)。

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2018年度 国際交流基金賞授賞式(2018年10月16日)

樫の木の 花にかまはぬ 姿かな

これは巨匠松尾芭蕉の俳句です。春という季節の始まりを前に、厳かかつ質実剛健とした樫の木を題材にした一句。若木のころから力強さを得てきた樹齢の高い木を思わせます。挑戦的かつ描写的な句であり、作者と読者が場を共にするという名句の要素を持ち合わせています。この樫の平然とした様は、感情を表現しない樹木が感情をひた隠しにしているような矛盾した状態とみることもできるでしょう。それは植物のみならず人間にもみられることです。変化に対して時に不変不動、時に敏感であったサラマンカ大学も開校800年を迎えました。当校はスペイン最古の大学であり、欧州そして西洋においても最も長い歴史を有する大学の一つです。当校は1252年に賢王アルフォンソ10世の勅令により王家に公認された最初の大学であり、歴史と積み重ねてきた功績を誇りに、確固たる信念と"大学"の語源である万物的精神により、その遺産を活用することで将来の発展を見据えています。中南米および欧州において科学・芸術分野の表現媒体として用いられているスペイン語は日本では馴染みの薄いものと思われるかもしれませんが、二国間の歴史は長いのです。
 2018年は両国の外交関係が正式に樹立されて150年という記念の年でもあります。歴史を掘り下げていくと両国関係は1549年、イエズス会士フランシスコ・ザビエルが鹿児島に到達した年にさかのぼることが出来ます。1609年にはガレオン船サン・フランシスコ号が千葉県沖で難破、約300人の漂流者が御宿に程近い岩和田で救助、保護されました。その中には当時のフィリピン総督であったロドリゴ・デ・ビベロも含まれており、スペイン人の高官として初めて日本の将軍に謁見しました。1582年、イエズス会とつながりのあった大友宗麟(おおともそうりん)は、ローマ教皇ならびに当時フェリペ2世の統治下にあったスペイン帝国を含む欧州の最高権力者に対し、豊臣秀吉の書状を託した使節団を派遣。また1613年から1620年にかけては支倉(はせくら)(つね)(なが)率いる慶長遣欧使節が実施され、太平洋と大西洋を長航した後、コリア・デル・リオに上陸しました。ほぼ世界を一周した航海でしたが、それに見合った評価を受けるには至りませんでした。

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サン・フランシスコ号と岩和田海岸沖(千葉県御宿町)

 その後二世紀半の時間が経ち、1868年11月12日に神奈川で東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)によって修好通商航海条約が調印されました。その二年後にはスペインの代理公使ティブルシオ・ロドリゲス・イ・ムニョスが天皇陛下に謁見、これを機に両国の関係はさらなる高まりをみせていくのです。

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支倉常長と慶長遣欧使節団の航路

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スペインで出版された
『DAI NIPON』(1910年)

 1878年になるとスペイン系アメリカ人アーネスト・フランシスコ・フェノロサが訪日します。フェノロサは当時設立されたばかりの東京大学の講師として東京美術学校の発展に努めるとともに、スペインに日本の芸術を伝えました。1893年には蜂須賀(はちすか)茂韶(もちあき)の指導のもと西班牙(スペイン)語学会が誕生。1905年ドン・キホーテが初めて和訳され、1910年にはアントニオ・ガルシア・ジャンソにより日本の文化と慣習について初めてスペイン語で書かれた『DAI NIPON』が出版されました。20世紀になり両国関係が深まるにつれて、スペイン人の間で日本への関心も高まり、世紀末の1999年、スペイン日本文化センターが数百年の歴史を有するサラマンカ大学の中枢に誕生しました。それは日本サラマンカ大学友の会の前任者の努力の結晶でした。

 サラマンカ大学スペイン日本文化センターを訪れる人であれば誰でも以下の文章を目にするでしょう。

1999年に設立されたスペイン日本文化センターは学術・文化交流から経済関係まで日本・スペイン間の知識と協力の構築を追求する機関である。そのため日西の行政機関に加え日本サラマンカ大学友の会、企業ならびに教育研究機関、そして両国のNGOとも協力して業務を行っている。
本センターでは日本語教育、日本文化週間、専門家や企業関係者のための研修、文化芸術事業の運営、日本や東アジア地域に関する高等研究の促進等、様々な活動を実施している。

 1996年、サラマンカ大学執行部はアリアス・コルベジェ邸をスペイン日本文化センターの本部として使用するためスペインの建築家チームに改修計画を依頼しました。これは当時、荒船清彦氏が特命全権大使を務めていた在スペイン日本国大使館からの要請でした。
 高貴な雰囲気漂うアリアス・コルベジェ邸は1470年ごろに建てられ、16世紀には中庭の壁や豪華絢爛な階段に現在まで残る円形のレリーフがあしらわれました。18世紀になるとその当時のはやりを取り入れてファサードに独特なズグラフィート※1を施したことでサラマンカの唯一無二のモニュメントとなりました。

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スペイン日本文化センターとして利用されているアリアス・コルベジェ邸

 改修工事を経て、サラマンカの厳しい気候から保護するため屋内に移されたルネッサンス様式の階段は、格間(ごうま)が施され天井が高く優雅な「美智子さまホール」に通じています。この皇后陛下のお名前を冠したホールでは日本、スペイン、その他の国のアーティストによる数々の展覧会が行われ、絵画、版画、折り紙、いけばな、陶器、ポスター、コラージュ、写真、織物・着物、魚拓、切り紙、日常品、人形、彫刻など様々な展示が行われてきました。日本独自の芸術と東洋的観点を持ったスペインの創造性が明白に、また抽象的に交わるなかで、両者の接近、融合が図られています。国際交流基金、在スペイン日本国大使館そしてその他後援者の協力のもと、極めて優れた水準が保たれています。

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「美智子さまホール」での
日本語講座

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2018年「日本文化週間」での
茶道デモンストレーション

 「美智子さまホール」のほど近く、中庭上部の回廊を進むと我々の講堂であるサロン・デ・アクトスにたどり着きます。この部屋では手工芸、茶道、琴や三味線、尺八のコンサート、文学の講演、俳句、子供の遊戯や造形芸術、ロボット、料理、操り人形、そしてパフォーマンス、ダンス、習字など幅広い活動を提供しています。日本文化を教える教育機関ならびに作家や芸術家、科学者は日々存在感を増しています。18回連続で開催されすっかり定着した日本文化週間では、活動を通じて市民はさらに日本に触れる機会を持ち、その開催において国際交流基金はとても重要な役割を果たしています。
 日本語コースにおいて、クラスは年間コースや集中講義など様々な形態で行われており、スペイン日本文化センターの門戸を叩いたスペイン人の日本語学習者の数は4,000人を超えました。欧米人の学習者にとって困難ではありますが甘美で優雅に響くその言語を話し、読もうと努力しています。また、学習を継続し、より学術的な内容を専攻することもでき、東アジア研究学士課程(日本研究に特化)や東アジア研究修士課程(大学院における東アジア・日本研究)もあります。
 サラマンカ大学と日本の大学機関との間で締結された協定は合計で38に上り、毎年数百人に及ぶスペイン語ならびにその他の分野の学習者が本校に集います。その大多数はスペイン語学習者ですが、生物、地学、化学、生化学、物理、情報学、薬学、医学など様々な分野の研究室や実験室で、年間約200人に及ぶ日本から来た学生や教師を見かけることは決して珍しいことではありません。
 スペイン日本文化センターの活動は通常の業務に限定されるものではなく、日西両国の学生に対する奨学金の運営や、組織の交流と連帯を高める活動も含まれます。
 スペイン日本文化センターの活動に関する報告の締め括りとして、日本研究「林屋永吉大使日本研究図書館」を紹介します。6,000以上の文献や多様なデーターベースへのアクセスにより、専門家の研究活動のみならず、単に古典文学や大衆文学または日本人作家のスペイン語翻訳に興味を覚える方々は、より容易にその機会を得られるようになりました。大学所蔵の文献コレクションの中には、日本サラマンカ大学協会によりリストアップされた「日本をよりよく知るためのスペイン語文献100冊」や、両言語で書かれたマンガ等も含まれており、その多くが団体または個人の寄付によって提供されたものです。

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多数の日本関係図書を収蔵する「林屋永吉大使日本研究図書館」

 林屋氏は優れた助言者であり創造者であると同時に、インスピレーションを与えてくれる人物でした。スペイン文化を研究した知識人であり、とりわけサラマンカ大学に深い愛情を注ぎました。2010年に名誉博士の称号を得てその名が図書室に残る、尊敬と賞賛に値する人物です。協会の創設者でありセンター設立の発起人である彼の功績を、我々は決して忘れないでしょう。
 サラマンカ大学スペイン日本文化センターは皇室、すなわち天皇皇后両陛下のご協力なくしては成り立ちません。天皇皇后両陛下が初めてこの地を訪れたのは、天皇陛下が当時まだ皇太子殿下であられた1985年でした。天皇陛下として即位されたのちの1994年に再びご来訪されたことにより、サラマンカという街と大学がスペインにおける日本の代名詞となりました。皇室とサラマンカ、サラマンカ大学の親密な交流は、スペイン日本文化センターの設立という形で実を結びました。1994年にサラマンカ大聖堂のオルガンが日本人により修復されたことや、岐阜県にサラマンカホールが開場し、その客席扉にサラマンカ大学のレリーフのレプリカが設置されたことも当センターの設立につながったと言えるでしょう。
 皇室との関係は日本・スペイン交流400周年に当たる2013年の皇太子殿下のご来訪によりさらに強固なものとなりました。2018年4月には、日本サラマンカ大学友の会設立20周年記念の集いを執り行うにあたり、天皇皇后両陛下にご臨席いただくという栄誉を賜りました。
 こうして今日、カサ・デル・ハポン、すなわち日本の家として知られるスペイン日本文化センターは、20年にわたりサラマンカというスペインの片隅で謙虚に両国の交流を推し進めてきました。20年間伝統を伝えながらも将来を見据え、重点的に言語教育を行いながら、人文学と科学の歩み寄りを目指してきたのです。これこそがスペイン王立アカデミーが定義する"大学"、すなわち"組合・教授・学生の総合体"の姿であるといえるでしょう。
 故に私は学習者や教師に学問を始めること、また教室や身近な研究室にとどまらずそれを継続していくことを勧めます。国際交流基金はそうした可能性、ひいては成功への道につながる知識を提供されています。サラマンカ大学も言語、人文学、科学の分野で学問を志す者たちを受け入れる用意があり、800年にわたり世界に門戸を開いています。
 本稿を終えるにあたり、偉大な詩人の詩を紹介します。スペインのサモラ出身でサラマンカ大学の学生であったクラウディオ・ロドリゲスは意味深長な言い回しが特徴的な詩人ですが、以下に挙げる彼の詩からは、活力や楽観性、希望といった俳句的な要素が垣間見られます。芭蕉が詠んだ力強い樫の木も、周りの木々の春の芽生えや己を眺めるのみにとどまらず、周囲で起こる全てを受け入れて共生し、読者をその一部にいざなっていると想像してみてください。

木々を眺める時に私が見ているのは
落ち行く葉でも、芽生える枝でもない。
海野や海、山を眺める時も
形を超えてそれを見ているのだ。※2

  • ※1 壁の装飾技法の一種
  • ※2 クラウディオ・ロドリゲス(Claudio Rodríguez)による詩Círculo de Lectoresより
  • 出典『Cómo veo los árboles ahora』 (2004) Círculo de Lectores, Barcelona, Spain

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ホセ・アベル・フローレス・ビリャレッホ
サラマンカ大学スペイン日本文化センター所長 サラマンカ大学理学部地質学科教授。専門は微古生物学・海洋学。スペイン国家研究機構の地球科学・水資源プログラムコーディネーターも務める。

サラマンカ大学スペイン日本文化センター
本年創立800周年を迎えるサラマンカ大学は、ヨーロッパでも最古の大学のひとつとして、国際法、哲学、文学などの分野で世界の学術を主導してきた。1999年サラマンカ大学に設立されたスペイン日本文化センターは、世界で唯一、皇后陛下のお名前を冠することを許された文化施設「美智子さまホール」および日本関係図書を収蔵した図書館(林屋永吉大使日本研究図書館)を有し、スペインと日本の関係を維持強化する上で一貫して中心的な役割を果たしてきた。

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