失われた言葉の信頼を取り戻すために

2019年6月号

『シンセミア』『ピストルズ』『Orga(ni)sm』の約20年にわたる三部作がついに完結を迎えた芥川賞作家の阿部和重さん。国際交流基金の翻訳出版助成事業で著作が各国語版に訳され、カナダ、タイ、イタリアでの講演や朗読会などにもご参加いただくなど、世界で活躍される阿部さんにインタビューを行いました。

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――三部作は初めから構想していたのですか。

そうです。とはいえ三部作のような千枚超えの長篇に限らず、短めの作品でも、書き始めている時にはお話のだいたい7割以上は決まっている状態です。「三部作になります」と公に発言したのは、『シンセミア』の時の著者インタビューだった気がします。『シンセミア』連載中に『ピストルズ』と『Orga(ni)sm』の大まかなアイディアは決まっていました。第二部の『ピストルズ』でどんなことが起こり、第三部の『Orga(ni)sm』でどのような話にまとまるのかという構想はほぼかたまっていました。具体的には、主要な登場人物たちがたどる物語の大筋と作品ごとに見え方の異なる表現形式をとることは決まっていましたね。ただ、僕の作風は現実の出来事を割とダイレクトに物語にとりこんでいくところがあって、特にこの『Orga(ni)sm』に関してはさまざまなマスメディアの記事を直接引用するとか、アメリカの大統領の名前などだれもよく知る実在の人たちの名前がいくつも出てくる形で組み立てていっているので、逆に言うと、そこまで時代が近づかないと物語上の出来事と現実のずれもあって、もちろん、そのずれが起こることも前提に書いてはいるんですけれども、細部に関しては、直前になって決めたことも当然たくさんあります。

――未来を設定することもあるんですか。

あります。『Orga(ni)sm』もそうですが、2001年に書いた『ニッポニアニッポン』という短めの長篇も、雑誌掲載や単行本の刊行時点より少し先の出来事が後半で描かれている。佐渡のトキ保護センターを襲撃する計画を、少年から青年になりかけている主人公が結構緻密にたてるのですが、当時芥川賞の候補になってメディアに取り上げられることが多かったせいか、作中で襲撃日とされている日には模倣犯がでないように実際にセンターが警備体制を強化したという後日談もありました。大変迷惑をかけてしまったなあっていう感じなんですけれど、それくらい真に迫るようなお話が書けたのだと前向きに受けとめておきました。

――構想に時間をかけられるほうでしょうか。

神町三部作に関しては、『シンセミア』連載中に全体像ができていたとはいえ、第二部、第三部と書き進めるうちにさらにふくらんでもいったので、そういう意味では20年分の構想といえるのかもしれません。
特に『Orga(ni)sm』に関しては、独立した物語を展開させながら『シンセミア』と『ピストルズ』という二作を融合させてひとつの大きな物語を終わらせるという試みになるので、書きはじめる前に考えなければならないことや構成の難易度が以前よりも増していたと言えますね。

――ご出身地の「神町」を舞台に「神町サーガ」といわれる壮大な物語世界を創られていますが、神町にこだわられる理由は?

物語の舞台をひとつの街に限定して、その中に住む人々の群像劇として密度の濃い物語を展開させることによって、それが世界の縮図となるのだ、みたいな発想っていうのは当然ありましたし、そのような考えから『シンセミア』の物語が生まれたところもあるんですけれども、またもう一つの考え方があります。
現実の神町っていうのは、僕自身の生まれ故郷で、今も実家があって自分の家族や身近な人たちが暮らしているわけです。現実に神町がたどった歴史の一部をそのまま作中に組み込んでいる部分もあり、それは決して誇れるような史話ではなかったりもするので、地元の人たちが読んでいて愉快なことばかりではない。そういうこともあり、モデルとなるものとフィクションとの関係みたいなことも、書き手としては、考えていかなきゃいけないことが常にあります。
この三部作の創作意図の一つには、作品世界を組み立てていくなかでどれだけ現実の神町から離れられるかっていう狙いもありました。第一部の『シンセミア』が現実の神町に一番近い形だとすれば、『ピストルズ』、『Orga(ni)sm』と進んでいくことにより、現実の神町からどんどんずれていって、いわゆるフィクションの濃度が高くなっていくように見えるはずです。その意味ではデビュー作以来、ある種の、紋切り型化した名前とか、そういう記号を意図的に登場させて、一般に流通しているそれらのイメージと、作中での言及が生みだす見え方のずれや意味合いの隔たりを際立たせる表現というのを、これまで積極的に試みてきたところがあります。今回もさらに、自分なりに深めてみたというところはありますね。

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――「言葉の意味をずらす」ことが創作のテーマになっているのですね。

なんでそんなことをやるかというと、文学って、数十年前までは、それなりに期待されていたジャンルだったと思うのですけども、そういう期待は減る一方となっていて、もはや、大学から文学部をなくせという声まで聞こえるようになってきている。もちろん、社会に役に立たなくていいんだという考えも当然成り立つし、そういう声にも一定の真実はあると思うんですが、果たして本当に役に立たないのか。
文学っていうのは基本的に言葉のみを使う表現ですよね。言葉っていうのは、国語教育を受けている人間であれば、だれでも使える、一番世界で使われているコミュニケーションツール。だからこそ、たぶん、考えなしにいきわたりやすいし、たとえば、流行語みたいなものがあると、拡散しやすいですよね。
そうした、非常に拡散しやすい言葉のあり方というものを、いったん疑ってみるのが、文学がこれまで社会の中で果たしてきた機能の一つではないか。本当にその言い方でいいのか、耳触りのいいフレーズを皆で無批判に口にし合うばかりで何か弊害がでてこないか。それを文章でシミュレーション的に検証していくことによって言葉の位置づけを考え直してみるっていうことを(文学が)担ってきたんじゃないのかなと気づくと、文学者がやるべきは言葉の「拡散」ではなく「攪乱」なのではないかと思うようになるわけです。
そもそも、文学というかアートというのはアウトサイダーの側に立つものという考え方があって、それ自体もはや紋切り型の認識という視点はここでは措くとして、だからこそ、多数派の運動に乗っかる「拡散」ではなく、少数派の声を押しあげる「攪乱」に取り組むべきだという話にもなる。社会というのは、ほっとけば多数派にとって都合のよい仕組みになりがちなので、どんなに必要とされなくてもアウトサイダーの側に立って少数派を擁護する文学的試みは継続されなければならないと考えています。
僕はそもそも映画がつくりたかった人間で、まともな文学教育を受けた経験はないから、そういう意味では業界内でもアウトサイダー寄りなんですね。だから余計に、多数派の原理の中で、紋切り型として流通している記号が多数派のシステムを補強するようなものとして機能し、みんながあまり疑問を持たずにそれを利用してしまっている文学的な現実にひっかかりを感じるところがあるのかもしれない。
いずれにせよ、「文学部なくせ」という声があがる現状に対しては、単純に人々の読解力の維持という面からも文学は一定の役割を果たしうるのではないでしょうか。法律の条文とかややこしい文章を読み解く能力を培ううえで、文学的な教養は役立つはずですから、学校の先生たちはそういうことももっと強調したほうがいいと思いますけどね。

――阿部さんは文学以外も映画をはじめ多ジャンルに造詣が深いですが、だからこそ文学を客観的に捉えられたのでしょうか。

なにも知らずに入りこんでしまった文学の世界では無教養のアウトサイダーにすぎませんから、中途半端な部外者意識を持ちつつ、どうやったらこのジャンルにとどまっていられるか、というか、とどまっていいという資格を得られるのか、ということを考えざるを得ない状況ではありました。
最初から文学を志していたり、正規の文学教育を受けたりした人たちだと、それがどういう歴史をたどって、文学とはこういうものだという規範やジャンル意識をある程度は持って、作品を書いてデビューしようっていう流れがありますが、それがごっそり抜けているので、そういう自分なりの文学観はあとづけで養っていくしかなかったんですね。
ただ、もともと映画しか頭になかったからこそ、文学というジャンルを相対的に見ることができたのは結果的にはよかったのかもしれません。一つのジャンルで純粋培養されると、模範的なスタイルを早くからものにできる反面、どうしても固定観念ができやすいから案外と不自由かもしれない。僕の場合はまず、物語を扱う表現への意思があって、映画も文芸もどちらもそれに当てはまったから、ジャンルを移るうえでアイディアや感覚を流用することもできた。もちろんその分いびつな作品にはなりますが、教科書的な文学観に縛られず、部外者として文学というジャンルで自分に何ができるんだろうと、いわゆるゼロベースで常に考えているところはある。そういうなか、たとえば僕が敬愛している蓮實重彦さんの著作からヒントをたくさんいただいたこともありますし、自分なりの文学観がだんだん明確になっていったというのはあります。
川端、三島というところから文学に入るときれいな日本語を心がけ、だれが読んでもこれは美文だねっていう完成度を目指すだろうけど、僕の場合はネットで転がっているスラングでも、公共広告機構とかが使うようなベタなフレーズでも、お堅い評論の言葉でも、遠慮なくガチャガチャ組み合わせちゃう。そういう意味ではすごく汚い文章を書いてしまうわけですが、そこに抵抗がないっていうか、逆に自分にこそできることで、それが身体的に合っている。だから、自分が文章を書く余地はあると思えたところはあります。
あとはやっぱり、発想が9割くらい映画からなのですが、ある種、それは自分の可能性であり限界でもあると思うんですけれど、だからこそ自分なりの顔みたいなものをクリアにできたっていうことはいえるかもしれないですね。

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――文学と他のジャンルとのコラボレーションも増えていますが、今後はジャンル間の境界もなくなっていくのでしょうか。

特定の作家に限った、それぞれの個性というレベルの話しでは全くなくて、時代の要請というか、たとえばよく言われる通り、日本の近代小説では私小説っていうジャンルが主流で、社会を生きる自分自身の境遇や心境をありのままに飾りなく描くことがリアルであるとする文学観が支配的だったと思うんですけど、80年代ぐらいからメディア環境が拡充していって変化が生まれた。映像文化や諸々のサブカルチャーに接する生活が日常化した。同時に、子どものころからそういうものにあたりまえに触れながら成長していくっていう人たちも時代を追うごとに増えてきている。90年代になるとインターネットが一般にも普及してきて、自分自身の身の回りの環境、社会そのものがマルチメディア化していったっていうのが、この30年くらいの我々のリアルな日常だと思うんですね。
だから、意識的にであれ無意識にであれ、そういったさまざまなメディアの影響が入り込んでいることはもう当然で、社会で起こる事件や事故の衝撃と、学校に行って誰かとしゃべってという日常と、マンガを読んですごく面白かったという一コマと、ゲームのプレーであそこがうまくいったという体験の瞬間と、映画のスクリーンで観た感動とが、並列してというか、フレームがはずれて同じものとして経験の中に入っていく。そういう個々の影響を組み合わせることによって自分自身、私を描くっていう方向に行くのは必然的なんじゃないか、というのはここ数十年の否定しがたい社会的現実で、それは自分自身に限らず、ある世代以降に共通する感覚だと思うんです。
描写の対象や参照するモデルというのは、以前は自分自身と社会、さらに自分が読んできたさまざまな先行作家たちの古典作品だったのが、我々の世代以降は、もうそれぞれの経験するマルチメディア化した生活環境から受け止めた虚実のイメージの組み合わせで、それで小説を書きたい人は小説という形式の中で表現するだろうし、映画かもしれないし、音楽かもしれないし、ゲームかもしれない。あるいは今だったらウェブコンテンツかもしれない、ということになっているんじゃないかと思います。

――東日本大震災後1年後のエッセイで「人々が情報に翻弄される中、失われた言葉の信頼を取り戻さなければいけない」ということを書かれていましたが、その後の現状はどのように見ていらっしゃいますか。

個人的には悪くなる一方だと思います。ちょっとでもいかがわしいことを発信してしまった瞬間、発信した側の信頼性は崩れてしまって、それを取り戻すには大変な労力をかけなければ、もしかすると戻れないかもしれない状況、というような危機感をあそこで書いたつもりなんですけども。結局、ここ10年ぐらい感じているのは、インターネットって人類にとっては早かったというか、情報というものの確実なコントロールの方法が確立されないうちに万人が一斉に使いだしちゃったという危うさがぬぐえない。
今さら言うまでもなく、人間っていうのは情報に左右されやすい。歴史的に見ても、噂やデマに翻弄されて誤った行動を犯してしまうという愚かな事態を何度も何度も繰り返してきているわけですが、その制御方法も見つけられずにいるうちに、ネットができたことによってますますそういう状況が生まれやすくなってしまった。でも、この手のネット害悪論を口にすると、規制強化すればいいのかって話になりがちですが、そういう単純な話じゃない。ならどうすればいいのかという話をすると、どこにでも害悪は生まれるという前提に立てば、とりあえずはリテラシーを社会ぜんたいで高めてゆくしかなさそうだという結論になる。
そこでさっきの、文学の役割という話に戻れば、基礎的なリテラシーを高めるにはうってつけのジャンルと言えるわけですね。難解な表現をどう解釈するか、一つのフレーズが流行語となるなかでどのような意味の変遷が生ずるか、といったことの検討は文学の課題ではあるので、シンポジウムや対談などでもそのようなことを話して、文学というジャンルの必要性を伝えたりしているんですけどね。
昨今話題にあがることの多い、いわゆるフェイクニュースの問題というのがありますが、報道によると世界中で利用されて人々が翻弄されているのはどうやら事実らしい。情報を操作して、自分たちの利益につなげていこうというような、はっきりとした主体があって行われている場合もあれば、主体がない状況っていうのもあって、一番怖いのはたぶんそっちですよね。
主体がないけども、急激に何か良からぬ情報がばあっと一気に蔓延して、それに翻弄されてしまうことが起こったときに、どういうふうに歯止めをかければいいのかっていうのは、かなり難しい。だからこそ、防衛手段として、インフラを持つIT企業自身の対策を別にすれば、リテラシーを高める以外に今のところは手だてがないという話になるわけです。

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――国際交流基金の海外でのイベントでもそういったお考えを話し合うことはありましたか。交流することで見えてくるものはありますか。

あるはずではないかと思っていますが、本来もっと海外の皆さんとじかに話をしなきゃと思っていても、直接の交流機会が少ないことと、自分の語学力不足のおかげでなかなか......。何度か行き、繰り返し機会をもうけてゆけば、もっとつっこんだ話し合いができるんじゃないかとは思います。

――国際交流基金の海外でのイベントで印象に残っていることは。

初めて行くところで、拙著の出版も初めてにもかかわらず、シンポジウムやサイン会に意外とたくさんの方が来てくださって、外国でそういう人たちの顔をみたり握手したりすると単純に励みになりますよね。
こちら側の文脈を共有していない人たちが自分の作品をまっさらな状態で読んでくださったときにどういう印象を持たれるのかっていうのはとても興味があるので、もっとこれから積極的に触れていきたいなという気持ちは強く持っています。
特にバンコクのブックフェアでは、老若男女のお客さんがものすごくたくさんいらっしゃって、本を出してくださる出版社の方たちもすごく熱心で何人も来てくださって、いくつも取材も受けて、非常にありがたかったですね。その後もタイでは3冊ぐらい刊行が続いたので、特に身近に感じています。

――以前と比較して作家は海外には出やすくなっているんでしょうか。

旅行に行くということでは出やすいでしょうけれど、作品を自分の国の外で読んでもらえる状況をつくっていくうえでは実は何段階も壁があるという現実を、業界の現状を知れば知るほど目の当たりにさせられます。
書き手の中には国外で自作を読まれたくないと思っている人はまずいないと思うんですよね。みんな多かれ少なかれ自分の作品はより多くの人たちに読まれたいという気持ちは持っているでしょう。でも、なかなかそうなりにくい状況というのが否定しがたくあって、それはどうやら国外の出版社がこちら側にアクセスするための窓口の見えにくさが一因らしいのですが、いずれにせよ、業界の構造的な問題なんだろうなと思っています。
もちろん、作家ごとにかかえている問題は異なるとは思われるのですが、国際的に作品が読まれるべきという状況の必要性に業界ぜんたいがもっと意識的にならないとこの構造的問題は打破できないという気がします。そういう状況の変化に貢献するためにも、世界で読まれるということはこんなにいいことだよと布教できるくらいに自作が広く売れるようにしてゆきたいものですが、まだまだ努力しないといけません。そのためには、国際交流基金の力もさらにお借りしなければならないかもしれませんね。

――翻訳についてはどのようにお考えですか?

外国語が使えないので、自分でチェックができないんですよね。翻訳者やスタッフを信頼してやっていくしかないかなと。
ただ、日本語で書いて日本人に読まれても、そこに込めた意味がそのまま読者の方たちに伝わっているわけではないだろうという現実もあるので、深刻にはとらえていません。
翻訳によって何かずれが生まれることにより、それが悪い方向に行く場合もあれば、読み方次第では作品がまた別の新しい姿に生まれ変わっていくっていう発展も当然あるはずなので。だからとにかく、自作がいろんな言語に訳されてゆくことを楽しみにしています。ぜひ世界中の翻訳者の方に興味を持っていただきたいです。

阿部和重(あべ・かずしげ)
1968年生まれ。日本映画学校(現・日本映画大学)卒業。1994年『アメリカの夜』で第37回群像新人文学賞を受賞しデビュー。その後、『無情の世界』で第21回野間文芸新人賞、2004年『シンセミア』で伊藤整文学賞・毎日出版文化賞をダブル受賞、2004年『グランド・フィナーレ』で第132回芥川賞、2010年『ピストルズ』で第46回谷崎潤一郎賞を受賞。近作に『クエーサーと13 番目の柱』、『□』(しかく)、『Deluxe Edition』、『キャプテンサンダーボルト』(伊坂幸太郎との合作)がある。9月に最新刊となる『Orga(ni)sm』を文藝春秋より刊行予定。

2019年5月 於・東京
インタビュー:寺江瞳(国際交流基金コミュニケーションセンター)
撮影:桧原勇太

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