その弐 眼鏡、はめるもんか

トニー・ラズロ
言語研究家


 子供のとき、毎年、学校で顔写真を撮られていた。写真が何かに使われたわけではないので、これは各家庭への学校からのサービスだったのだろう。......でも、そういえば学校が生徒一人ひとりからそのためのお金を取っていた。ということは、サービスではなく、個人が強制的に貯金させられる年金のようなものと言ったほうがいいかもしれない。「一年に一万」で無しに、「一年に一枚」。これは「年写」とでも呼ぶべきか。
 母はこのシステムが大好きだった。写真をまとめると子供の成長が一目瞭然だったからだ。私はまったく同じ理由から、それがなによりも憎いと思っていた。「ほら、前歯が抜けていたね」とか、「ここでは髪の毛がちょっと長すぎてヒッピーっぽい......そしてこのときはニキビがひどく出ていたわよね」、とか。人が家に遊びにくる度に、ナレーションを付けて「年写」を見せびらかしていた。もう、どこかに消えてくれないかと願ってみたが、むしろ年々充実してくるこのアルバム。だから、反対に本物の自分のほうが家の外に出るなどしてよく姿を消していた。親戚や友達が訪れるちょうどそのちょっと前に。
 私は大人になった今でも、しかめ面をせずにはこのアルバムを見てられないが、子供の記録として写真が残っているのも少しはありがたいかな、と思っている。特にある一枚に関しては。10歳のときのもの。たったこの一回だけ、撮られている自分が眼鏡をかけている。実は、ちょうどこの年、学校に眼科医が来て視力検査を行った。このできごとを子供ながら、疑いの目で見ていたのをよく覚えている。「なーんだ。写真屋さんの次に今度は眼鏡屋さんを儲けさせるのか」、と。読み書きを含めて何事も不自由なく普通にこなせたので、まさか何かを言われると思わなかったが、そのまさかだった。「眼鏡が要る」。「え?!」両親は息子の新しい事情を意外にすんなりと受け入れ、すぐに、眼科へ。やはり、眼鏡を作るというのだ。それが要らない、この私のために。多額のお金と引き換えに仕事に取りかかってくれるのは?......検査を行ったのと同じ先生だ。やはり怪しいよ。
 tonyイラストゴーグル.JPG眼鏡をどうしてもかけろというなら、しかたがない。でも、格好いいやつを選ばなくちゃ。丸っこいのがいいのか、真四角のものがいいのか。これだけを決めるのに30分はかかったと思う。結局、当時の流行を意識してやや丸い、けっこうがっちりしているものにした。どちらかというと、第一次世界大戦時代の飛行機パイロットがするゴーグルのような -- いや、もちろんそれほど大きくはないが、なんとなくそれを連想させるところがあった。
 次にフィッティング。きつすぎないか、緩すぎないか。鼻にも、耳にも、頬にも、どこにも変にプレッシャーがかかっていないか。あちこちにかかっていた。これを調整するのにも新たに半時間。そして最後に、ケース選び。ええ、もちろん必要、と。選べるタイプは限られており、「豪華」、「スーパー豪華」、そして「スーパースーパー豪華」。なぜ高いのばかりか?!10歳児の眼鏡だぞ!子供の私にはもう、事が明々白々。「すごい詐欺だ、これ」。なんで親のほうがそれに気づかないのだろうか。

 眼鏡をかけて1か月くらいたったある日、なんとそれを無くした。誓ってもいい、それはわざとではなかった。ああ。もう一回眼鏡を作ってもらいに、同じ眼科のところへ。あれほど喜んでいる人間の顔は、めったに見られるものではない。「何、無くしたか?そうかよ、そうかよ」。ゴーグル第二号第を作ってもらい、取りに行って、かけて帰るのだが、それを無くするのに、今度は2週間もかからなかった。なにごとにも進歩がある。pic2P1010136.JPG「困った子だな。モノの大切さがわかるように、次はお前の貯めたお金で買うんだぞ!」。8歳から新聞配達をしていた私は、眼鏡を買うくらいのお金は持っていた。とは言え、これが人生初めての大出費となった。財産が減ったのを数字を見て確認できたときは、確かに、鋭い痛みが伴った。だが、それにも関わらず、約1週間後、また眼鏡紛失。 
「?!!」
 さあ、どうするか。買っては落として、買っては落として。2回無くせる子だから3回目もあるかもしれないと、両親は心の準備ができてよかったかもしれないけれど、それでもこれはおそらく受け入れがたい展開だったはず。さぞかし悩んでいただろう。そして第四号を買う、買わないという話になったときは声が妙に小さかった。「あの......なくても大丈夫そう?」  「うん!」。
 あれからずっと眼鏡ともコンタクトレンズとも無縁の人生を送ってきた。まあ、ごく最近まで。そう、実は10歳児のときに遠慮した眼鏡第四号を数年前に買ってしまった。持っている。まだ持っている。ほとんどかけないで、持っている。かけない理由は、やはり眼鏡がそう必要だと感じないから。そして、やはりかけていればどこか変な場所に置いてしまうのではないかと思うからだ。

 アルバムの中の10歳の自分を眺める。眼鏡付きの自分。「いったいなにがどうなって一年に三回も紛失を?」。そして目を凝らしてこの写真をさらに詳しく見る。ここに写っている眼鏡はどれなのか。第一号?第二号?それとも最後の第三号?答えは、きっと少年の表情のどこかにある。「お前、かけているその眼鏡をもう少しで無くすんじゃないの?」

tonyイラスト眼鏡.JPG




profileトニーさんの写真TSFA6811.JPGトニー・ラズロ Tony László

言語研究家 ハンガリーとイタリアの血を受け継ぎアメリカで育つ。1985年来日。 85年より日本を拠点としてライター活動を開始。92年から多文化共生を研究するNGO「一緒企画(ISSHO)」を運営。 漫画家、小栗左多里の夫であり、「ダーリンは外国人」のダーリン。 自他ともに認める語学オタク。現在一児の父。著書に「トニー流幸せを栽培する方法」、「ダーリンの頭ン中」「イタリアで大の字―さおり&トニーの冒険紀行」「ダーリンは外国人 with BABY」などがある。

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