雑誌『をちこち(遠近)』
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発掘をつなぐ絆-カマン・カレホユック考古学博物館

大村 幸弘
(財)中近東文化センター附属 アナトリア考古学研究所所長

 トルコのカマン・カレホユック考古学博物館(*)は、平成19年度文化無償資金協力事業のもと建設され、平成22年7月10日に正式開館しました。国際交流基金は中近東文化センター付属アナトリア考古学研究所の協力を得て、平成21年度から同博物館へ博物館展示専門家である㈱ディグ 永金宏文氏を計3回派遣し、トルコ若手学芸員に対する博物館展示技術指導を行いました。発掘成果の展示だけでなく、将来を担う研究者の研究拠点や子どもたちの学びの場、情報発信の場としての考古学博物館ができるまでの様子を同研究所の大村所長よりご寄稿いただきました。

なぜトルコの中央部で考古学の発掘調査を行うのか
 発掘調査中にトルコの子供たちに、「なぜトルコで掘るのですか」と何度尋ねられたことか。村人の中には遺跡の中に金銀財宝が眠っていると思っているものが多く、私が金銀の発見は目的ではないと言っても、発掘開始当初は誰一人として信用してくれませんでした。
カマン・カレホユック遺跡.jpg 
トルコのアナトリア高原は国土のほぼ93%を占めていますが、この中にはホユック、フユック、カレ、あるいはテペと呼ばれる丘状の遺跡が無数に点在しています。中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所は、1986年以来、アナトリアのほぼ中央部に位置しているカマン・カレホユック遺跡で発掘の調査を行ってきました。今年で四半世紀になります。
 この遺跡には約9千年以上にわたる文化が包含されており、40を超す集落址(しゅうらくし)、つまり都市が重層した形で積み重なっていることも判ってきています。これを上から下へ掘り下げて行きますと次々と都市が顔を出してきます。どの都市にも特徴のある遺物が残されています。遺跡を順序よく掘り下げて行き『文化編年』を構築すること、換言しますと『年表』を作成することがこの発掘調査の第一の目的です。これまで約4千年間の『年表』が出来上がりました。

 東西、南北文化の十字路にアナトリア高原が位置していますので、重層した各都市からはその時代を示すいろいろな地域からの遺物が顔を出してきます。それらは『年表』を作成する上で極めて大切です。

 アナトリアで発掘調査をしている研究機関の大きな悩みは発掘終了と同時に遺跡が盗掘に晒されることです。昨日まで丁寧に調査を行っていた場所が鶴嘴等で盗掘されている姿は痛々しいものがあります。どの遺跡でも見張りを置き、そして法律で遺跡の保存を考えていますが、なかなか効果が見えないのが現状です。

『考古学』の授業
 この『年表』を作ることが目的と言ったところで手伝いにきている子供たち(10代から20代が中心の、作業を手伝ってくれる労働者のこと。トルコ語でチョジュックラル−子供たち->という言い方を頻繁にします)にはぴんときません。

 カマン・カレホユックでは調査期間中、毎週金曜日に村の子供たちに『考古学の授業』を行っています。1986年から開始し、かれこれこの授業も20年近く経ちました。なぜこの授業を始めたかと言いますと、一緒に調査を行っている彼らが調査目的も理解せず発掘することに大きな疑問を抱いたからです。最初の頃の授業では発掘の仕方を何度も話しました。一度として発掘を行ったことのない子供たちでしたのでスコップ、手押し車の使い方を丁寧に伝える必要がありました。そのような授業をしながら出土遺物の整理の仕方、図面の取り方等を教えているうちに、彼らのレベルが上がっていきました。
発掘現場での毎週金曜日の授業.JPG
 授業も数年経ちますとかなり発掘を理解するようになりましたが、彼らから「なぜ、大村さんは発掘をするのですか。」という最も難しい質問を受ける様になりました。これには私自身大分苦しめられました。そう容易に答えられるものではありませんし、答えたからと言って理解してくれるとは思いませんでした。

 カマン・カレホユックの遺跡には、既述しましたように文化が幾つも重層しています。これを上から丁寧に下へと向かって掘り下げるのが私の仕事ですが、それらの文化の重層を見ていると文化の変遷過程とその背景がよく見えてきます。簡単に言いますと、ある文化がなぜ隆盛し終焉を迎えるのか等が見えてくる時があります。発掘を行っていてそれが見えてきた時が一番楽しい瞬間です。そんなことを授業で、カマン・カレホユックの遺物、遺構等を使いながら話をしているうちに、遺物等を目の前にして話をすることが如何に子供たちを惹き付けるかに気がつきました。これが博物館建設構想の根底にありました。


毎週金曜日の授業。子供たちは真剣に話を聴く.JPG発掘と同時に土器、獣骨、人骨、鉄製品、青銅製品、金製品、鉛製品、石製品、ガラス製品、種子、コイン、粘土板等沢山の遺物が次々と出土してきます。その量たるや半端なものでありません。授業は作業を手伝っている村の子供たちにだけではなく、発掘を見学に来た子供たちにも行っています。一度こんなことがありました。発掘現場に来た小学生の子供たちが発掘の体験をしたいと言うことで、実際に掘ってもらったことがあります。ある子供が人骨を見つけた時の喜ぶ様子は今も鮮明に記憶に残っています。人骨を手に持った子供は本当に嬉しそうな顔つきでした。授業が終わるまで大事に手に持っていましたが、私に手渡す時に言った言葉は今でも忘れることが出来ません。「大村さん、今度来た時にこの人骨を見ることが出来ますか。」

これがカマン・カレホユック考古学博物館を建設しようとした本当のきっかけです。博物館を通して、出土遺物を使いながら授業を行ったらどんなに楽しいことだろう。それも現地の子供たちにそれが出来たら、時間の経つのも忘れてしまうのではないか。この博物館構想は、村の子供たちと授業を重ねているうちに出来上がったのだと思います。ですから、この博物館は彼らが作ったと言っても過言ではありません。

発掘作業.JPG

日本のODAによるカマン・カレホユック考古学博物館建設
 クルシェヒル考古学博物館にはしっかりした設備がないため、出土遺物のほとんどが収蔵庫内に眠ったままになっていました。せっかく掘り出したものが誰の目にも触れず、20年以上も眠っているというのはちょっと考えられません。考古学の研究には、遺跡があり、その側に出土遺物等を研究する場所、そして出土した遺物を展示する博物館が整っていることが理想です。それを口で言うのは容易ですが、現実的にはなかなか難しいものです。多くの方々の支援による今回の博物館完成で、なんとか理想に近づいたのではないかと思います。
 特に当時この博物館建設の弾みを作って下さったのは、遠山敦子元大使でした。2000年からは、寛仁親王殿下がアナトリア考古学研究所の建設にご尽力して下さいましたし、殿下が研究所建設募金委員会を設立して下さらなかったら、研究所もそれに伴う博物館もおそらく頓挫していたと思います。

博物館内に設置されている遺跡模型.jpg建物自体は日本のODAの予算で建設されましたが、展示ケース、そして展示等に関してはトルコ側の予算で進められました。また、この博物館の展示を行う際には、国際交流基金が展示の専門家である文化施設展示プランナーの永金宏文氏を派遣して下さいました。彼は展示ケース、パネル、遺物の展示まで総てに関わり、トルコの学芸員に対しても、展示について一つ一つ丁寧に説明をして下さったことは何よりでした。手を取りながら遺物の展示の仕方を永金氏が学芸員に教えている姿はとにかく素晴らしいと思いました。理屈だけではどうしようもありません。やはり専門家が実際に展示をして見せる、それを見よう見まねで模倣してみる、私はそれを見ながら技術の伝達とはこんな形が理想なのかなと思いました。展示が完成したときのトルコ側の学芸員はなんとも嬉しそうで「今までトルコにあった展示とは違う、新しいものを知ることができた。」と永金氏と喜び合っている姿は、これからの博物館の展示、文化財保存等に一つの指針を示しているようにも思いました。これから彼らが中心になって行う展示にも大きな影響を及ぼすのではないかと思います。

考古学博物館開館と地元にもたらしたもの
 カマン・カレホユック考古学博物館は2008年4月に着工、2009年3月末に完成、同年4月にトルコの文化・観光省へ手渡されました。そして今年の7月10日に寛仁親王殿下、彬子女王殿下のご臨席を賜りオープニング式典が行われました。式典には3千人を超す人々が参加し、大賑わいでした。式典後、博物館は一般公開されましたが、地元の人々にとっては待ちに待った博物館だったのでしょうか。熱心に展示ケースを覗き込んでいるのが印象的でした。開館後は連日沢山の来館者で賑わっています。博物館は間違いなく地元に根付き始めていると思います。これには永金氏の展示の仕方も大きく影響を与えていると思います。
英国学校の子供たちが来館.JPGこの博物館で、私は毎週日曜日の午後、案内を行なっています。発掘を手伝ってくれている子供たち、特に中学生の少年が家族を連れてやってくることがあります。彼らが母親に一生懸命展示ケースの中の遺物を説明しているのは微笑ましい光景です。誇らしげに母親に説明する少年たちの姿には感動することさえあります。彼らが将来遺跡、博物館を守ることはあっても粗末にするとは到底考えられません。文化財を法律で守るのも一つの手かとは思いますが、それ以上に博物館を通して文化財の持つ意味などを丁寧に地元の人々に伝えることも大切なことではないかと考えています。

少年たちが発掘したものが展示され、それらを彼らが家族、仲間に楽しそうに、自慢げに話す。これだけでもカマン・カレホユック考古学博物館を建設した意味があったのではないかと思います。

ふと気がついてみますと、1980年代にカマン地方で遺跡の盗掘が頻繁にありましたが、今ではすっかり影を潜めたといいます。これまで行ってきた『考古学の授業』だけが影響を与えたとは思いませんが、これほど嬉しいことはありません。

カマン・カレホユック考古学博物館.jpgのサムネール画像*カマン・カレホユック考古学博物館

カマン・カレホユック考古学博物館は、トルコ共和国クルシェヒル県のチャウルカン村に日本国外務省のODAにより建設され、2010年7月10日に寛仁親王殿下、彬子女王殿下のご臨席のもと開館されました。展示室の他に図書室、保存修復室、収蔵庫などをもつ延床面積1,421㎡のマウンド状の建物で、丘状のカマン・カレホユック遺跡を型取って設計されています。
展示品はカマン・カレホユック遺跡からの出土遺物が中心で、これまでに発掘された文化層(I層:オスマン・トルコ時代、II層:鉄器時代、III層:中期・後期青銅器時代、IV層:前期青銅器時代)から出土した遺物が、遺跡の模型を中心に新しい時代から古い時代へと展示されており、来館者が順を追って見学することにより文化編年(アナトリアの年表)を理解できるように組み立てられています。また、出土遺物の保存修復の研究と実践、啓蒙に先導的な役割を果たせる博物館であることを目指しています。

大村さんプロフィール写真リサイズ.jpg大村 幸弘
中近東文化センター附属アナトリア考古学研究所所長
1985年以来、トルコ共和国のほぼ中央部に位置するカマン・カレホユック遺跡の発掘調査に従事。アナトリア考古学で『暗黒時代』と言われていた文化の解明の糸口を発見、現在その文化層を発掘中。主著として『鉄を生みだした帝国』、『アナトリア発掘記』(日本放送出版協会)等。

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