ロシアツアー<舞踏―大いなる魂>

森下隆
慶応義塾大学アート・センター

 

 舞踏の国際化は、1980年代に始まっているとはいえ、近年また別の波が生まれつつある。

 一つは、アジア諸国は、これまで舞踏を細い流れでしか受け入れてこなかったが、次第に太いストリームになりつつあること。今一つは、早くから舞踏を受容してきた国々で、その歴史への反省が語られ、研究が進められていることである。

 後者については、私たちが20091月に行った国際舞踏カンファレンス(慶應義塾大学)に招聘したフランス人の研究者シルヴィアンヌ・パジェスさんの発表「フランスにおける舞踏の受容―誤解と欲望」に顕著である。パジェスさんはその後、同じタイトルで博士 論文を発表された。

 また昨年、ブラジルから来日されていた身体論とダンスの研究者クリスティーヌ・グライナーさんは、国際日本文化研究センターで「舞踏という経験:東西の違いを越えて身体を再創造する」と題する講演を行っている。講演の趣旨は、土方巽の舞踏のさまざまな局面、西洋世界での舞踏のディアスポラ、大野一 雄の死が西洋世界に与えた象徴的な意味、舞踏がブラジル、フランス、アメリカ、アルゼンチンに及ぼした衝撃についてである。

 このところ、私も国際舞踏連絡協議会(LIB)の代表として、毎年のように海外公演を企画し各地に出かけていた。ロシア、イタリア、ブラジル、インドネシア、ハンガリーと、そのつど舞踏家や音楽家のチームを組んで、現地の期待に応えてきた。2010年度は海外ツアーの予定が入っていなかったのだが、国際交流基金の主催で、11月にロシア、ついで2011年3月には中国に出かけることになった。
 
 そこで、すでに終了したロシアツアーについて報告することになるが、はたして、ロシアにとっての舞踏の受容はどうなのかという点に関心を寄せながら述べていきたい。


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サンクトペテルブルグでの公演の様子 

プロジェクトの開始、そしてロシアへ


 ロシアと中国に土方巽の舞踏を紹介するプロジェクトが動き始めたのが、2010年の7月であった。公演を中心に、ワークショップ、上映、展示、レクチャーと多彩な企画を実現するため「舞踏―大いなる魂」と題してプロジェクトが組まれた。パフォーマンスには、和栗由紀夫さんと山本萌さんを推薦した。二人とも、1970年代の土方舞踏の完成期に、土方巽の稽古場であったアスベスト館に入門し厳しい稽古に耐えた舞踏家だった。現在もしばしば海外に出向いて、公演・ワークショップ活動を行っていてうってつけである。和栗さんには中国へ、山本さんにはロシアに行ってもらうことになった。
  
  11月17日、成田空港には、金沢舞踏館の山本萌さん、白榊ケイさん、それに制作を担当する鈴木光子さんの3人、照明の曽我傑さん、音響の山本瑠衣さん、展示とレクチャー担当の私に、今回のツアー担当の国際交流基金の北川さんがそろい、ロシアへの旅が始まった。9月に山本さんと北川さんと私の3人で、ロシアに事前調査に出かけている。その際も、今回のツアーでも、サンクトペテルブルグでは総領事館、モスクワでは国際交流基金にツアー全体を調整していただいた。

サンクトペテルブルグに「戻ってきた」

 サンクトペテルブルグ到着の翌18日から忙しくなる。午前中から記者会見、つづいて午後早くからレクチャーである。場所は、シェミャーキン基金というロシア人画家が運営しているファンドのギャラリー。といっても講堂のように広い空間である。そこに、まず細江英公さんの「鎌鼬(かまいたち)」の写真や横尾忠則さんのポスターを展示した。サンクトペテルブルグは今回で3度目の公演なので、私たちの舞踏を歓迎してくれる雰囲気は承知していた。20人ばかりの記者たちが集まる。主催者として、総領事館の松山哲士さんと、それに北川さんのあいさつのあと、山本さんが今回の作品「腹中のむし」について説明する。舞踏作品を言葉で説明するのはいつもむずかしいのだが、この作品も同様。つづいて、舞踏についての質問が次々と出る。舞踏をめぐって、たんに情報ではなくて、本質的な問いかけである。なぜ舞踏は日本で生まれたのか、なぜヨーロッパの人たちが舞踏を受け入れたのか。彼らも明快な答えを求めている。

  午後に行なった、ロシアでの一回目となる私のレクチャーでは、土方巽の舞台のスチルを見ていただきながら、舞踏の歴史についてお話しする。歴史と言っても、年表的知識ではなく、土方の舞踏の発生の経緯から本質をめぐって、思想的な課題に応えるかのような解説が求められている。ロシアにおける日本文化への興味の強さ、関心の高さと相まって、聴衆は日本で生まれた舞踏を理解するための正しい系を探っている。さすがに、かつてのように、原爆と舞踏の関わりを問う人はいなかったが、その代わりといってはなんだが、仏教思想と舞踏の関わりが問われた。土方巽は、舞踏の創造や思想に宗教が関わっていることを認めてはいないが、舞踏と仏教の相似性にも一定の見方を与えてもいいのではと思ったりもする。

  冗談では、「舞踏は動く禅」などと言ってはいるが、そう定義すれば、海外では納得してもらえるのかもしれない。舞踏が人生をいかに生きるかの指針を与える芸術であったり、舞踏の本質は表現を超えた先にある、といった考えに立つならば、きわめて宗教的でありうる。ロシアの人たちも、舞踏の精神性に惹かれているにちがいない。

  私たちが、今回の催しを「大いなる魂」としたことは故なしではない。

  サンクトペテルブルグでの劇場や展示会場を手配してくれたベーレグ社のディレクターであるリペイカさんが「サンクトペテルブルグの人は舞踏が日本から来るのを待っている」と言うとおり、日本の舞踏を見たい、知りたいというダンス関係者や舞踏ファンが確実に存在する。

  記者会見、レクチャーに続いて、山本萌さんのワークショップが行われる。40、50人の参加者があり、さしもの広い会場も熱気にあふれ、窓をあけて通風しなければならないほど。参加者には、相当年配の人もいる。舞踏の本(英語)を翻訳予定の人や日本に行って本格的に学びたいという人もいる。

 こうして、サンクトペテルブルグの人たちの以前と変わらぬ熱気を感じて、初日から、サンクトペテルブルグに「戻ってきた」という思いにとらわれる。
  
  ロシア、とくにサンクトペテルブルグに舞踏を紹介したのは、ロシア人のダンスカンパニーのDEREVO(デレーヴォ)である。私たちが最初にロシアに来るきっかけとなったのも、DEREVOである。大野一雄さんののファンであったリーダーのアダシンスキーが、来日の折、たまたま私が企画した催しを見て、ロシアで一緒にと持ち掛けられ、2005年にコラボレーションが実現した。
その時はサンクトペテルブルグだけでの公演だったが、6日間の公演で、連日1000人近い観客が入ったのには正直、驚いた。日本からは、土方から直接学んだ玉野黄市さんや山本萌さんのほか、土方を直接は知らない若い舞踏家たちとミュージシャンが参加して、「マッド・イン・ジャパン」のツアータイトルで、DEREVOと共演した。その時は、日本人舞踏家ではなく、DEREVOの狂気のおかげで、まるで日本の1960年代のエネルギーが舞台に渦巻いた。


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(上・下)サンクトペテルブルグでのワークショップの様子


お昼休みに、異国の芸術や宗教についてのラジオ番組が成立する国


  さて翌日、私はラジオ番組に出演しインタビューを受け、演劇学校でレクチャーを行った。ラジオ局に出向いて初めて、「アート・ランチ」という30分の昼の生番組であると知った。女性司会者が質問するので答えてくださいという。その説明が終わるや否や、番組開始のキューが出されて始まった。

  舞踏のアウトラインの解説を終えると、日本の舞踏の現状や海外での評価について質問が出る。さらには、ここでも舞踏と仏教との関わりについて問われる。ラジオの向こうの聴取者は、ロシアの一般市民ではないのかと思いながら答える。お昼休みに、異国の芸術や宗教についてのインタビュー番組が成立するロシアこそ、こちらにとっては興味の対象である。番組を聴いていたリペイカさんは、おもしろかったということだった。次に向かった演劇学校でもレクチャーを予定していたが、担当の先生は必修授業でもないので、どれだけ人が集まるかと心配されていたが、開始時間には狭い教室ながらぎっしりと埋まった。学生だけでなく、一般の方も参加していた。

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サンクトペテルブルグのラジオ局での収録風景

何といっても問題は公演である。公演会場であるリツェデイ劇場は、仕込みとリハーサルに1日、公演に1日しかおさえていない。やむを得ないことながら、1日だけの公演は残念なことである。ロシアについて初めての公演を明日に控えたこの日、照明の曽我さんは、ベテランらしく初めての劇場での仕事をたんたんとこなし、出演の山本さんと白榊さんは、黙々と体をつくっている。

  つづく20日、公演当日。リツェデイ劇場は400強の客席をもつ中劇場。上手奥と下手奥、それに上手手前に天井から床まで垂れされた白い紙が淡い光に照らされている。そして、開演前の緊張が解かれるように客入れが始まった。開演時間になっても客の列が途切れない。しびれを切らした客席から拍手が起こる。開演時間がかなり過ぎてようやく、山本萌さんと白榊ケイさんが舞台に入って「腹中のむし」の開演である。

  じっくりと動く山本萌さんに対し、軽快にステップを踏むかのように舞台上を動く白榊ケイさん。その対照が印象的だった。上映時間が短い割には多彩なシーンで構成された作品で見応えがある。おそらく、この日の観客の多くも、初めて見る舞踏に不思議な、しかし強い印象を受けたにちがいない。フィナーレでは、舞台の二人は踊り終えた満足感からか、陶然とした表情で頭を下げ、山本さんは大きな拍手に応えて、花束を手に舞台の前に歩み出て、そのまま床の上をスライディングしたのである。観客席からは、さらに大きな拍手が続き、ブラヴォーの声が飛ぶ。立見も出るほどの客の入りで、サンクトペテルブルク公演は成功である。
公演後、映像上映。「肉体の叛乱」「疱瘡譚」、それぞれ上映が終わるたびに拍手がおこる。さらに、國吉和子さんによる「日本のコンテンポラリーダンスの現状」のレクチャー。夜9時半を過ぎているのに、まだ100人以上の観客が残って熱心に耳を傾けていた。

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(上・下)サンクトペテルブルグでの公演の様子

モスクワ公演と、旅の終わり

  翌々22日、モスクワへ移動する。モスクワは1週間の滞在で少し余裕がある。

  モスクワの会場は、ドラマ芸術学院、ここで、すべての催しが行われた。私たちも誤解していたが、学院と言っても演劇学校ではなく、実験的な演劇を行うための施設であった。いくつかの劇場やスタジオを有して、特有の演劇理論をもって、新しい演劇を実践している。

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モスクワ展示風景。手前の2枚は寒冷紗(農業用に使われる、目の粗い布)に写真を印刷したもの

展示風景4.JPGIMGP0612.JPGのサムネール画像
(左)展示は両方の都市で実施された。写真やポスターなどのほか、小さな映写室での上映も。
(右)額に入っているのは細江氏の写真、「鎌鼬」オリジナルプリント。

  今回のツアーにあたっては、『土方巽の舞踏―その芸術思想表現と身体表現思想』と題する日本語とロシア語のバイリンガルの冊子を編集・制作した。期間中にモスクワで印刷があがり、関係者に配布されている。

  それを踏まえて、レクチャーにおいても厳しい質問も出て、私も答えに窮することもあった。例えば、日本にはいろんな舞踏があるようだが、それぞれどう評価すべきなのか、とか、大野一雄と土方巽の舞踏は具体的にどう違うのか、といった、到底一言では答えようのない問いかけである。もともと、私のスピーチには原稿がない上、いろんな質問が飛び出すので、通訳にあたっていただいたタラソワさんもたいへんな仕事になったが、スリリングでおもしろかったと言ってくださった。

  日本では舞踏をめぐる討議の場でも、一般の方から、これだけの質問や意見が出ることはないので、私にしても有意義な時間であった。

  「腹中のむし」の公演は2回(2日間)行われた。劇場ではなく変形のスタジオを使っての舞台であった。1日回目はやや散漫な印象だったが、2日目は照明も含めて引き締まった舞台になった。招待客も含めてだが、2回とも満席となった。場所柄、一般客というよりも専門家の人が多かったのかもしれない。上映、レクチャー、そして公演と、同じ顔を見ることになった。熱心に舞踏を吸収しようとする姿勢がよくわかる。いずれにしても、モスクワでも多くの人に見ていただくことができた。また、公演当日は、テレビの取材と2つのラジオ局のインタビューがあった。ジャーナリズムからすれば、舞踏が、このように海外で評価され受け入れられていることの理由、要因を知りたいのである。

  今回のツアーでは、関係者に実に細やかな配慮をいただき、参加者は何の気がかりもなく、それぞそれの仕事に打ち込めた。あとは、どれだけ土方巽の舞踏がロシアの人々の心に届いたかである。

  「舞踏―大いなる魂」と題してのツアー。はたして、ロシア人の魂にどれだけ訴えることができたのか、その結果は、いずれなんらかの形になって見えてくることだろう。ひとまずは、ロシアにおける舞踏への関心の高さを再認識させてくれる旅であったことは確かだ。

  つづいて、今年2月から3月にかけては、「舞踏―大いなる魂」を中国へもってゆくことになる。今回は北京だけだが、いずれにしても中国は初めである。これまで、舞踏公演も数えるほどしか行われていない。それだけに、期待と不安が交錯するツアーとなる。
また、中国はロシアよりもレギュレーションがあるというものの、文化・芸術の交流で大事なことは積み重ねである。日本の文化・芸術に対する関心も高まっているというから、ロシアと同様に、中国の熱気を肌で感じながら、舞踏をもって語りかけてきたい。


photo by Svetlana Karlova

森下隆
慶応義塾大学アート・センター土方巽アーカイヴ

1950年生まれ。1972年より、土方巽のアスベスト館にて舞台制作に携わる。出版社勤務を経て、1986年の土方巽の死後、土方巽記念資料館の設立と運営に参画。土方巽をめぐる展覧会やシンポジウム等の企画・構成を行う。
現在、慶應義塾大学アート・センターに設置されている土方巽アーカイヴを運営。慶應義塾大学文学部非常勤講師。NPO法人舞踏創造資源代表理事。著書に、『土方巽 舞踏譜の舞踏―記号の創造、方法の発見』。

顔写真 高山さん09,3_18.jpg

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