雑誌『をちこち(遠近)』
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「日アセアンJITA-KYOEI PROJECT」が育む柔道交流

【特集070】

世界の"JUDO"として親しまれている柔道。その創始者である嘉納治五郎師範の指針に「自他共栄」という言葉があります。「互いに信頼し助け合うことで、自分も世の中の人も共に栄える」という精神にのっとり、国際交流基金アジアセンターと公益財団法人講道館()は共同で、「日アセアンJITA-KYOEI PROJECT」を実施しています。よりハイレベルな指導者の育成や、選手、コーチ、審判員等幅広い層を対象とした教育普及を通して、日本とASEAN諸国の関係者間のネットワークを形成し、相互理解を促進しています。
国際交流基金が長年行っていた柔道指導者の派遣事業などを通じて、約40年にわたり東南アジアをはじめとする各国で指導され、ミャンマーでは「柔道の父」とまで呼ばれミャンマー柔道連盟名誉総裁に任命された藤田真郎氏、そしてミャンマーで柔道の普及に尽力する同国柔道連盟のトントン(Tun Tun)会長。「日アセアンJITA-KYOEI PROJECT」に取り組むお二人に、海外での柔道の普及や今後の展望について伺いました。

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(左から)藤田氏、トントン会長

—藤田さんは、なぜ海外で指導されることになったのですか。

藤田:大学時代の同級生が先にオーストリアに指導に行ったんです。今と違って海外に行くチャンスがそうあったわけではないので、私も海外で指導する夢が捨てきれなくて、いったんは民間会社に就職しましたが、27歳の時に講道館に通って海外に行かせてもらえるようお願いしました。その結果、1978年の1月から1年間、国際交流基金の柔道指導者派遣事業でバングラデシュへ指導に行くことができました。生まれて初めての海外です。当時のバングラデシュは、世界で一番貧しい国と言われていて、アジアに関する情報もまだ少なく、なかなか現地に行く人がいなかったのです。帰国後の1979年11月から1か月余り、ミュンヘンオリンピック金メダリストの野村豊和氏(オリンピックで3連覇した野村忠宏氏の叔父)を含む4人の南西アジア巡回指導使節団として5か国で指導したほか、タイにも行きました。
派遣事業では1か国あたり4、5日間など短期のものが多かったのですが、技を披露して終わるのではなく、継続して指導する形でバングラデシュで1年間行ったというのが非常に良かったのではないかと思います。

—海外での指導はいかがでしたか。

藤田:失敗や試行錯誤がいろいろありました。バングラデシュの時は日本の柔道を背負っているという自負が強すぎたためか上から目線で対応してしまい、イライラの毎日。帰国後、講道館の先生方からもアドバイスを受け、日本人の考え方と海外の人の考え方は違うということを本などで学びました。
1980年から、短期でミャンマーにたびたび行くようになりましたが、バングラデシュの時に「なんで出来ないんだ!」「なんでやらないんだ!」「なんでわからないんだ!」の怒りの"!"を、疑問符の"?"に変えたんです。「どうしてできないんだろう?」「どうしてこうしないんだろう?」「それには何か原因があるんじゃないか?」と。その途端に全く世界が違って見えてきて、選手に接する時も「みんな、強くなりたいか?」と、まず問答するようになったんですね。「これをやれ」ではなく、「強くなるためにはね、今までの練習と違ってこんなトレーニングをしなきゃいけないし、こんな練習もしなきゃいけないよ、それでもいい?」と、一人ひとりにちゃんと了解を取った上で指導しました。トレーニングも当時のミャンマーには十分なメニューがなかったので、世界に通用するいろいろな方法を教え、なぜこういうふうに技をかけるのか、なぜ基本は大事なのか等、丁寧に説明しました。
そのうち現地から「藤田はミャンマー人の心理を知っているからぜひ来てほしい」と言われ、1985年の8月から1年間行くことになりました。

—特にミャンマーは肌に合ったのでしょうか。

藤田:理屈抜きで好きなんです。人懐っこいところもあるし、一生懸命やるところとかね。行ったときは社会主義の国ですから、システムにはなじめませんでしたが、人はみんな良かったです。生活の不便さやカルチャーショックは散々バングラデシュで学びましたから、ミャンマーではそんなに苦労は感じませんでした。毎日みんなと会って指導するのが楽しくて、午前と午後の3時間ずつ、そんなにやらなくてもいいと言われるほど練習していました。日本では1日3時間もやらないところが多いですが。

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—トントン会長が初めて藤田さんにお会いになったのはいつでしたか?

トントン:2006年5月に就任して講道館に挨拶に伺った時が初めてです。

藤田:それからはもう数えきれないくらいお会いしていますね。トントン会長が就任されてからというものミャンマーを訪れるときの歓待ぶりはすごくて、特に今年2月に北信越学生柔道連盟の研修団の役員として訪問した時には、どこに行くにしても全部白バイ先導で超VIPのような扱いで驚きました。

—ミャンマーでは柔道は普及していますか?

トントン:結構知られています。戦前に柔剣道や空手が日本から伝わり、まず軍隊で普及して民間に広まりました。学校ではクラブ活動がほぼないので、教育現場などではこれから広めていきたいです。
ミャンマーでは1988年に政府との騒動があって以降、大学生が活動できなくなってしまいました。ですから前回と今年、三十数年ぶりにミャンマー柔道連盟が大学の柔道大会を開いたのは大きな成果でした。現在は日本の大学柔道の選手たちとの交流も行っています。

—藤田さんが指導された成果はいかがでしょうか。

トントン:大変感謝しています。

藤田:私の後にもたくさんの若い指導者が派遣されるようになりました。みんな人柄も良く、選手やコーチたちとコミュニケーションをとりながら一生懸命やってくれて、とても評判がいいので私も非常に嬉しいです。

—指導する日本の柔道人にとっても良い面はありますか?

藤田:教えることはすごく勉強になります。講道館では「指導者は勉強することを忘れたらもう指導者ではない」という意識を浸透させています。私が指導に行く人に常に言うのは「行った先でも過去の知識や経験値だけでなく常に勉強してほしい」、「知識や技術を出し惜しみしないで教えてほしい」、「柔道を通して両国の国際交流の懸け橋になってほしい」、ということです。やっぱり海外の人たちに柔道の楽しさを知ってもらいたいです。

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日アセアンJITA-KYOEI PROJECT 2017年のミャンマー訪問(藤田さん提供)

—嘉納治五郎師範の頃から、海外で柔道を広めていくことはなぜ重要視されていたのでしょうか。

藤田:当時は文明開化の後ですから、日本は欧米諸国から勉強することが多かった。今度は日本が海外に文化でお返しする番だというのが「自他共栄」の精神で、それに貢献できるのが柔道だという考えでした。嘉納師範は自ら英語、ドイツ語で柔道の素晴らしさを説きながら模範演技もして、弟子の中から優秀な指導者を選んで派遣しました。その高弟の中には米国のルーズベルト大統領や同国の貴婦人達に柔道を広めた山下義韶・筆子夫妻もいたんです。
柔道で一番いいのは、直接肌で触れ合うことによって、言語の壁を越えて、柔道そのものが世界の共通語のようになることです。お互いがそこで悩みながら問題解決したことは、柔道の世界だけでなく社会全般にも応用できる。そういう教えがまさに広まっていったということだと思います。

—お二人はこの事業の立ち上げから関わっていただいていますが、成果をどう見られていますか。

藤田:最初にニーズ調査をして人材育成が大事だと分かり、日本がリーダーシップを取って、指導者の派遣や海外のコーチの招へいを重ねた結果、どんどん人材が育ってきました。かつての教え子も今ではもう兄弟と呼び合うような、"柔道ファミリー"であり、私にとってはそんなみんなが生涯の財産となっています。
ネットワークの構築という目的でも、今はSNSもありますから、シンガポールからミャンマーへ行って合同練習したいという話も出るなど活発に交流しています。
またもう一つの大きな成果は、ASEAN諸国で唯一柔道連盟が存在しなかったブルネイで柔道連盟ができ、国際柔道連盟に加盟できたことです。指導者はいましたが組織がないような状態で、この事業による支援がなかったら、ブルネイは加盟するにしても何十年か先になっていたかもしれない。周辺国も歓迎しています。

トントン:まさに「自他共栄」、素晴らしい言葉だと思います。ミャンマーでも、これをきっかけに多くの人が柔道へ興味を持つようになれば、麻薬などの社会問題や戦争から少しでも抜け出せるのではないかと思います。

—東京2020オリンピックも目前ですが、ミャンマー柔道界における今後の目標は。

トントン:まずは、12月の東南アジア競技大会に向け強化していくことです。8月に東京で開かれた世界選手権に参加したのは東京2020オリンピックに向けての最初のステップですね。藤田先生のアドバイスをいただきながら、同大会にもぜひ出場できるように頑張っていきたいと思っています。

藤田:それに加えて、東南アジアのレベルから次のステップとしてアジアのレベルへと強化してもらいたいです。国際的に活躍する審判員や、トーナメントの運営が出来る人達を育てるのも重要です。日本の大学生はじめ各国の柔道家と国際交流をすることで、裾野を広げてもらいたいですね。今後も良きパートナーとしてぜひ一緒に人材を育成し、ミャンマー、ASEANそしてアジア、世界へとどんどん柔道の輪が広がっていけばいいなと思います。

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講道館の嘉納治五郎師範像の前で

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講道館内に新設された海外で活躍する柔道人の展示を鑑賞

藤田 真郎(ふじた しんろう)
1950年生まれ。講道館柔道8段。講道館指導員、全日本柔道連盟参与、ミャンマー柔道連盟名誉総裁、シンガポール柔道連盟技術アドバイザー。講道館国際部長、全日本柔道連盟国際委員長、形特別委員、強化委員(女子部)、アジア柔道連盟形委員等を歴任。
国際交流基金の柔道指導者派遣では1978年1月~79年1月にバングラデシュ、1985年8月~86年8月にミャンマー、1986年12月~87年1月にヨルダンで指導。

トントン(Tun Tun)
1955年生まれ。2006年ミャンマー柔道連盟会長に就任、ミャンマー全土で柔道の指導や普及を担う。2016年、日本で開催した「日アセアンJITA-KYOEI PROJECT」にも参加。連盟としては、2013年東南アジア競技大会で4個の金メダルを獲得。

※講道館
1882(明治15)年に嘉納治五郎師範によって創設され、世界約200の国と地域で行われている講道館柔道の総本山。学校「講道館」の運営、柔道指導者による青少年の健全育成に関する協議会や研究会の開催、国際大会および国内大会の開催、柔道指導者の養成、外国派遣ならびに外国人柔道指導者の受け入れ、段位認定など、広く柔道に関する普及活動を行う。

2019年8月 於・東京
インタビュー・文:寺江瞳(国際交流基金コミュニケーションセンター)
撮影:加藤甫

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