雑誌『をちこち(遠近)』
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国際交流基金賞 受賞記念講演会
対話としての日本研究:一小国の視点から

アンドレイ・ベケシュ(リュブリャナ大学名誉教授)

アンドレイ・ベケシュ氏はリュブリャナ大学を拠点として、スロベニア、さらには欧州における日本研究・日本語教育を長年にわたり牽引し、国際相互理解の促進に貢献してきました。その功績により、2017年度国際交流基金賞を受賞。去る10月20日、ベケシュ氏による「対話としての日本研究:一小国の視点から」と題する受賞記念講演会が、上智大学で開催されました。情報の流れが一方通行になりがちな現在のグローバリゼーションの中で、スロベニアから見て、「対話」が秘めている可能性について考察した講演内容について、ベケシュさんにご寄稿頂きました。

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上智大学で開催された、アンドレイ・ベケシュ氏の国際交流基金賞受賞記念講演会(2017年10月20日)

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2017年度 国際交流基金賞授賞式(2017年10月16日)

はじめに

 今、世界の隅々にまで広がってきたグローバリゼーションは、各国の経済力の違いなどによって様々な弊害が生じ、けっしてプラスのイメージがあるとは言い難い。世界各地域の人々が接触するようになった結果、米国や欧州の先進国で増していくナショナリズムの風潮が派生するように、新たな不安、そしてそこから出てくる偏見が生まれつつある。このような状況の中で、異文化との接触に限定しながら、日本研究・日本語教育を例に、一小国であるスロベニアでの対応を考えてみたい。

自己と他者との関係

 他者、そして他者につきまとう異文化に対する不信感、または蔑視は、古今東西を問わず、昔からある。では、自己と他者の関係をどう捉えればいいか。対話か対立か。欧米の植民地宗主国で始まった「非ヨーロッパ」的文化研究では、その背後に植民地の支配・被支配の関係があったが故に、基本的には対話ではなく、対立を前提としていたと言えるであろう。対立がどのように現れるかと言えば、研究対象になっている他者に自文化中心の視点から望むということである。先住民族、多くの場合は「土人」呼ばわりされたその地に生まれ住む人の言い分を聞き入れないという視点である。その結果、異文化研究は、しばしば道具化され、エキゾチシズムへのこだわりにとどまってきた。
 一方、対話の場合は自文化中心の物の見方を越えなければならない。異文化と対話しながら接触するという異文化研究における対話には三つある:人間との対話、社会との対話、文化との対話である。
 また、この対話としての研究を成立させるためには、好奇心、好奇心を正しく方向付ける方法論、そして相互性すなわち交流、という三つの要素が欠かせない。対話としての異文化研究のためには、まず言葉の学習がカギである。

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異文化研究における三つの対話について語るベケシュ氏

相対化

 しかし、異文化研究に真の対話が生まれるためには、いわゆる「相対化」という過程が必要である。「相対化」とは、「他者についての知識を得ることによって、自分や、自分が属する社会や文化に対する見方を再構成する」ということである。言い換えれば、「相対化は自己を他者の目で理解しようとする」努力であろう。このような相対化はいろいろなレベルで行われると考えられる。

言葉の学習と交流

 対話のための言葉の学習では、言葉=道具という見方は妥当ではない。ソシュールが既に指摘したように、言葉は関係性の中で理解する。関係性を重視した言語学習によって、他者の視点を受け入れることができ、自己の社会的、文化的状況を外から見つめる結果、自己が置かれている状況のより深い理解が可能になる。D. ラミスが‪Boundaries on the Land, Boundaries in the Mind‬ (Tokyo: Hokuseido Press, 1982.) で言うように、「異国で真の友人を作ったときがはじめてそこへ行ったことになる」。「友人」を「対話」と置き換えれば、相互性すなわち交流の必要性が自然に出てくる。それがリュブリャナ大学の異文化研究であり、日本研究・日本語教育の出発点となっている。

リュブリャナ大学の日本研究

 リュブリャナ大学では研究対象としての日本をその歴史的文脈、地域的文脈との関係性から理解しようとしている。内部と外部からの観察を組み合わせながらより深い理解の可能性を探る。そのためには、地域研究的視点を取り入れながら、情報への直接的アクセス及び情報交換(対話)を可能にするために徹底した語学学習を実施している。
 人材も少なく、財政的にも限界がある一小国では、上記の目標を実現するため、特定の国家、地域とその他の文化・社会の専攻の組み合わせであるダブルメイジャーが適しているということが分かった。このように好奇心と方法論の組み合わせが確保できる。
 ここまで来て、スロベニアにとって、そもそも日本研究、東アジア研究のような「非ヨーロッパ」の社会・言語・文化の研究は必要か、という批判もあった。答えは、必要だと言うことである。なぜなら、一小国が故に、スロベニアは、常に外部との対話に努めなければならない。視野の狭さ、異文化に対する偏見を克服するためには、欧州の様な近場だけでなく、日本、東アジアなどの社会や文化についても積極的に学ぶ必要がある。自立できる世界の一員であるためである。

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「一小国が故に、スロベニアは、常に外部との対話に努めなければならない。」とスロベニアにおける日本研究の必要性に言及。

終わりに

 これから少子化が進むにつれて、労働力を確保するためには移民をもっと積極的に受け入れる時代が訪れるだろう。そうなれば外部との対話だけでなく、内なる他者との対話ももっと必要になってくる。それに備えるためにも、対話としての異文化との交流を研究としてだけでなく、実践としても、積極的に行う必要がある。それは、スロベニアだけでなく、日本でもしかりである。

編集部注
本文中に差別語ととられる言葉が使用されておりますが、ベケシュ氏が意図する文脈を正確にお伝えするため使用しております。

japanese_studies_bekes_05.jpg アンドレイ・ベケシュ(Andrej Bekeš)
1949年スロベニア生まれ。1971年2月リュブリャナ大学理工学部卒業後、来日し1986年に筑波大学で文学博士号を取得。1995年リュブリャナ大学文学部アジア・アフリカ研究学科(現アジア研究学科)の初代学科長に就任。以来、スロベニアにおける日本語教育を長年にわたり牽引、日本研究者の育成や留学生教育にも力を注ぐ。日本語学習者のための教材を数多く開発し、ベストセラーとなった共著『教師と学習者のための日本語文型辞典』(1998年)は、各国語版に翻訳されている。2008年に旭日小綬章受章。2017年ヨーロッパ日本研究協会会長に就任。

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