雑誌『をちこち(遠近)』
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007 日系ブラジル人コミュニティから再考する「日本」

Victor Hugo Martins Kebbe da Silva

日本からブラジルに最初の移民が渡ってから100年を迎えた2008年、現地ブラジルでは数々の記念行事が開催された。この行事を通して、日系ブラジルの人々が、最初にブラジルに渡った日本人の移民がもたらした伝統を守り抜くため、いかに「日本人のコミュニティ」を築いてきたか、その様子を見ることができた。私は日本文化の研究者として、日系ブラジル人の記念行事や催しを数多く現地で目にしたが、そのたびに彼らが抱く日本に対する思い(日本観)について考えさせられた。また、彼らと接するたびに、ブラジルと日本という二つの国の狭間に文化的・象徴的な「ふるさと」を築いている「日系ブラジル人」という人々について、理解することの難しさを実感させられた。

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彼らの家庭の中の様子を見てみると、今でも日本の伝統が生きていることがわかる。はるか昔、ブラジルに最初に渡った日本人たちは、自分たちがもたらした習慣と家族の伝統を守るための道を模索した。婚姻は日本人のコミュニティの中で執り行われ、家族に伝わる伝統が守られることで、日本文化に対する志向性が維持された。このことは、ブラジルに最初に渡った移民からその子孫にまで、伝統、価値観、および言語(日本語)が受け継がれている事実を見れば明らかである。

その後日本が、経済発展を維持するため産業労働者を確保する必要性に迫られた際、類似した文化的背景の中で暮らす海外の日系人に、出稼ぎ労働者として日本に来てもらう機会を提供した。しかし、彼らが日本に渡ってきたことで、意外なことが明らかになった。彼らの多くは、古風な日本語を話し、日本古来の伝統に固執していたのだ。この事実は、双方に時空を超えたカルチャーショックをもたらした。例えば、ある者は「便所」という言葉がすでに死語となっており、今では「トイレ」という言葉が主に使われていることに驚きを隠せなかったという具合である。その一方で、若い日系ブラジル人と彼らの日系人ではない配偶者を、言葉の壁とカルチャーショックが同時に襲っていた。このような状況下に置かれ、来日した労働者たちは、日本の社会や文化に溶け込むことなく孤立した集団を築くことになった。

近年私が、浜松市に住む日系ブラジル人を対象に行った調査では、日本で暮らすうちに、彼らが抱いていた家族観が徐々に変化していることが明らかとなった。来日以前は、伝統的な日本の家族と同様に長男が父親の家業を継ぐというパターンが一般的だったが、出稼ぎのために日本に来るようになると、日系ブラジル人の家族の中に変化が起きはじめたのである。今では長男が出稼ぎ労働者として日本に渡り、自分の子どもの世話や家業を親に任せているケースも見られるようになったのだ。さらに、日本に存在する日系ブラジル人のコミュニティで離婚率が著しく上昇している事実も明らかになった。彼らの間には研究者すら把握していないような変化が数多く起きているのである。

また、同調査を行って最初に驚いたのは、日系人ではない人々(配偶者)や、もはや日本人らしい外見を持たない日系三世と呼ばれる人たちがコミュニティに数多く存在するという、ブラジル本国の日系ブラジル人コミュニティではこれまで無かった状況が生まれているということであった。彼らはブラジルでは、日本古来の伝統を維持しているという理由で「日本人」と呼ばれるが、日本では出稼ぎ労働者として外国からやってきたという理由で「ブラジル人」と呼ばれている。世界中で日系(Nikkei)と呼ばれる人々や、こうした日本に暮らす新しい世代の人々は、これまでにない新しい家族のあり方を示しているばかりでなく、「日本」研究に取り組む私たちに、「日本」とは何か、そして何をもって「日本の文化」、「日本の家族」と言うのか、再考せよと迫っているようにすら思えるのだ。


ビクトル・ユーゴ・マーティンズ・ケッベ・ダ・シルヴァ(Victor Hugo Martins Kebbe da Silva)

社会人類学者。ブラジル、サンパウロ、サンカルロス連邦大学 社会人類学博士課程。国際交流基金フェロー(日本研究)。静岡大学研究員。
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