雑誌『をちこち(遠近)』
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落語でハンガリー人がハンガリー人を笑わせる~柳家さん喬師匠、ブタペストに来たる

ブダペスト日本文化センター
(現 文化事業部欧州・中東・アフリカチーム)
田崎 恵子



 2012年秋、国際交流基金ブダペスト日本文化センターでは、「落語を通じてハンガリー人を笑わせる」試みに挑んだ。
 ハンガリーを含む中東欧地域は、一般的に親日的な風土を持ち、国際交流基金が実施する様々な日本文化紹介・日本語教育促進の活動も、いつも好意的に受け止められてきた。しかし、そんなハンガリーでも、落語紹介は初の試み。ハンガリーで「笑わせる」と言えば、喜劇=演劇の役目で、落語のような形態の芸能は存在しない。語りの芸である落語の紹介は、私たちにとっては新たな挑戦だったのである。



落語を通して日本語を学ぶ
 ブダペスト日本文化センターでは、2005年の日本語講座開設以来、ハンガリーの学生や社会人が日本語を学び、日本に触れる場所を提供してきた。当初は、文法や会話、読み書きを総合的に学習するコースが主だったが、学習者のレベルやニーズの多様化に合わせ、2012年から「トピックコース」という新機軸のコースを設置した。
(このコースでは、例えば「アニメ・マンガ」「俳句・川柳」「J-POP」といった文化紹介を含むものから、「漢字をシステマティックに学ぶ」「ビジネス日本語」といった特定の技能を磨くことを目的としたものまで、様々な角度で日本語を学ぶことが出来る。)

 私たちはこのトピックコースの一つとして、落語を通して日本語を学ぶ講座を企画した。そして米国・ミドルベリー大学の夏期講座で長年日本語学習者に対する落語指導の実績を持つ、落語界の実力派で真打の柳家さん喬(やなぎや さんきょう)師匠に打診、ご快諾を得て、一門の柳亭左龍(りゅうてい さりゅう)師匠と共にプラハ(チェコ)、ブダペスト(ハンガリー)、パリ(フランス)を巡る「落語を通した日本語講座」事業が実現する運びとなった。



高座、座布団、屏風、めくり・・・
 こうして動き出した落語事業。私たちは、落語界の第一線で活躍する師匠たちがハンガリーを訪れる貴重な機会に落語を多くの人に知ってもらうため、日本語講座での落語指導に加え、ハンガリーの一般市民に向けた落語デモンストレーションも開催し、そこで、日本語講座受講生にも日ごろの学習成果として落語を披露してもらうことにした。

 ハンガリーでは観る機会の希少な、日本の古典芸能には、ブタペストの複数の劇場が関心を示してくれた。しかし、会場がすぐに決まったのは良かったものの、いざ準備に入ると、様々な課題があった。音響と照明は最低限にして、観客の目線からかなり高い位置に置かれる高座(演台)、座布団、屏風、めくりといった、落語特有の舞台装置の数々-ハンガリー人には馴染みの無い-を、どうやって劇場関係者に説明し理解してもらうのか。そして、資材の入手にさまざまに制限があるなかで、どのようにして落語の舞台を作るのか。

 もう一つの課題は字幕。落語家が座ったまま、語りと仕草で全てを表現する落語は、俳優が動きと共に舞台を駆け回り、様々な道具を使って情景を伝える演劇とは異なる。異なる言語という「壁」がある外国で、しかも動きや道具の助けを借りられないなか、どのように面白さを伝えるのか。
 話を全て翻訳してしまうと、お客さんは字幕を読むことに気を取られてしまう。内容の理解を優先するのか、それとも、100パーセント理解できなくても、とにかく「落語」を見てもらうことを優先させるのか。試行錯誤は続いた。



日本語専門家が入念に準備した授業内容
 柳家さん喬師匠がハンガリー入りするに先立ち、2012年10月末、「落語を通した日本語講座」が開講。全5回の授業のうち、さん喬師匠が指導するのは最後の1回だけ。それまでの4回は、ブダペスト日本文化センター日本語専門家の三森優さんが指導を担当した。
 「落語を通した日本語講座」の授業シラバスは、三森専門家と、柳家さん喬師匠が巡回するプラハとパリにそれぞれ基金から派遣されている日本語専門家、森田衛さん(カレル大学)と蜂須賀真希子さん(国際交流基金パリ日本文化会館)の3名が連携し、入念に組み立てられた。

 講座に参加した日本語中級レベルの男性2名、女性6名の計8名が今回挑んだのは、短い落語、あるいは落語の冒頭に語られる短い話のことで、最後に落ちが付いて人を笑わせる「小噺」。一瞬とも言える短い時間で、言葉を操り、仕草や表情を駆使して話を「落とす」。これは日本語の母語話者にとっても容易ではないが、彼らはたった5回の授業で、各自が選んだ小噺をお客さんに披露できるまでの形にしなければならない。授業は毎回、とても熱の入ったものになった。

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日本語講座の受講生が落語修行をしている様子



ついに真打登場
 そして11月11日、プラハでの公演を成功させたさん喬師匠と左龍師匠がブダペストに到着。翌日から早速、ハンガリー人受講生たちに対する小噺指導が行われた。

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指導をするさん喬師匠と左龍師匠

 受講生たちは4回しか授業を受けていないのが信じられないほど、小噺を身に付けていた。自主練習も相当積んだのだろう。そんな彼らに、師匠たちは、高座の上での立居振舞いから、手ぬぐいや座布団といった道具の使い方、日本語の発音、話の調子、仕草の付け方までを丁寧に指導していく。師匠のアドバイスで微細な変化を付けることで、小噺の面白さが一層増し、情景がより鮮やかに浮かび上がってくるのだから不思議だ。受講生たちの小噺は、見る見るうちに生き生きとしたものになった。



カムラ劇場での本番
 そして11月14日、本番。会場はブダペストでも実力派の劇場として評価の高いカムラ(Kamra)劇場。心配された舞台も、さん喬師匠の監修のもと、劇場スタッフの迅速な働きで見事に設営された。ここで師匠が日本から持参して下さった浴衣を着て小噺披露に臨む8名の受講生たちは、否が応にも緊張の表情である。

 夕方、山本忠通駐ハンガリー日本大使をはじめとする満場のお客さんを迎えて開演。まずはさん喬師匠による落語の概説、そして一つの話の中で師匠が多様な落語の仕草を見せるデモンストレーションと続く。明快なハンガリー語で解説を加える進行役との呼吸もぴったりに、愉快な表情や動きを次々に繰り出す師匠の「七変化」に、お客さんは大爆笑。

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さん喬師匠による落語の概説

 そしていよいよ受講生の小噺披露。彼らにとっては当然初舞台、しかも、短時間ながら高座に上がっての日本語での独演である。にもかかわらず、受講生たちは緊張しつつも堂々と小噺を披露。字幕も設置されたが、それ以上に受講生たちのコミカルな仕草や表情、そして何より懸命な姿勢がお客さんの笑いと感動を誘い、8名が無事に発表を終えた後には、会場中から温かい拍手が起こった。

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受講生8名の小噺披露

 プログラムの最後を飾るのはもちろん、両師匠の落語。演目は「つる」、「初天神」、「長短」という滑稽話である。課題の字幕だが、私たちは最終的に逐語訳ではなく、ごく簡単な場面説明だけに留めることにした。話の中身を理解したいと思っていたお客さんにとっては、戸惑いがあったかもしれない。しかし師匠の落語からは鮮やかに江戸時代の日本人の生活情景が浮かび上がり、いつの間にか日本語を解しないハンガリー人のお客さんからも大きな笑いが起こっていた。落語をとにかく楽しもう、そんな雰囲気に会場が包まれた。さん喬師匠は「落語は日本の文化。日本語でやるからこそ意義がある」と仰ったが、まさに落語を通し、日本の文化、日本語の愉しみを存分に味わい、楽しんでもらえる舞台になったのではないかと思う。

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(左)柳亭左龍師匠、(右)柳家さん喬師匠



次は人情話で泣かせよう!?
 こうして「落語でハンガリー人を笑わせる」試みは、大成功に終わった(と私たちは自負している)が、それは何より、忙しい日程をものともせず、一人ひとりの学習者に優しく接し、素晴らしい落語を披露して下さったお二人の師匠、そして今回は紹介できなかったプラハ、パリの受講生、関係者の方々の努力のお陰である。
 すっかり落語に魅了された私たちは、実は次の落語講座も目論んでいる。次は今回紹介できなかった人情話で「落語でハンガリー人を泣かせる」のも面白いかもしれない。中東欧の人々に日本文化、日本語の豊かさを伝える試みを、これからも積極的に続けていきたい。

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