切られた黒髪とズボンの話

ドー・ホアン・ジュウ
作家

国際交流基金は、作家故開高健氏のご遺族からいただいた寄付をもとに、 1990年より、毎年、開高健記念アジア作家講演会シリーズとして、 アジア諸国から文学者をお招きし、日本では紹介される機会の少ない アジアの文学を多くの人々に紹介してきました。 2008年度にお招きしたベトナムの作家、ドー・ホアン・ジュウ氏に文学、 ジェンダーについて今どう考えられているのかをご寄稿いただきました。

今から20年以上前のことになるが、私の親友にひとりの妹がいた。1年後、その妹は半分男性で半分女性になり、そして今では完全に男になった。話は長くなる。10歳の頃、長く艶やかな髪とピンクのスカートを風になびかせた彼女は、将来を夢見る愛らしい少女だった。しかしある日、彼女の両親は半ば強制的にその黒髪を切らせ、将来への夢までも断ち切った。それは男の子のように髪を短くしないと、その子は早死にしてしまうと占い師から宣告されたからだ。長い髪を失った彼女は、髪と一緒に自分自身をも失った。女の子らしい色とりどりの服をことごとく自らの手で引き裂き、大事にしていた人形の腕を折った。そして兄の着ていた服を身につけるようになった。声はかすれただみ声になり、温和だった性格も荒れていった。2010年に入ってから、彼女は傷害事件と麻薬隠匿の罪で10年の刑を受け、刑務所に収監された。それ以前にも3回服役しているが、いずれも同じような罪状によるものだ。


世間は彼女を同性愛者だという。ちゃらんぽらんな遊び人だと言って軽蔑する。一度、彼女は私の前で涙しながら、「私がこんな風になっちゃったのは髪とズボンのせいだと言ったら、あなたは信じてくれる?」と問うたことがある。それはちょうど私の『金縛り』が世に出たばかりで、私に対するバッシング記事がインターネットと「公安」新聞を通じてあっという間に広がった頃のことだ。私は彼女の切実な訴えを信じ、理解しただけでなく、その言葉を深く心に刻みつけた。彼女の女性性を抹殺し、怨恨と暴力を生み出したのは、有無を言わせぬ強制的なやり方にあったことは間違いない。そしてそれは彼女や私の作品に限った話ではなく、ベトナム社会全体を覆う法則でもあるのだ。

『金縛り』の話に戻ろう。もしこの作品が年配の男性作家が書いたものだったらどうだろう。あるいはドー・ホアン・ジュウという名前のかわりに、たとえばアメリカのウェンディとか、中国のメー・ロイとかいった作家の名前が表紙に印刷され、「翻訳文学」と銘打たれていたとしたら。もしそうだったら、こうまで憤怒の波が沸きおこり、5年間もああだこうだと騒がれることはなかっただろう。不運なことに、私はベトナムの伝統的な農村で生まれ、ハノイできちんとした教育を受けた27歳の若い女だった。つまり私はアオザイを着て、木製の厚底サンダルをはき、自分の夫やホーチミンを称賛する六八体の詩を書いてしかるべき存在なのだ。しかし実際の私は、短いスカートをはき、肉欲を求め、夫の亡霊にレイプされる女を小説に書き、さらにベトナムの輝かしい過去が現在の重圧となっているとか、中国はベトナムの上に覆いかぶさる恐ろしい妖怪だと書いたのだ。つまるところ、ベトナムの観念からすれば、私は許されないことを書いたということだ。なぜそれが許されないかと言えば、私はベトナムの女であり、儒教思想を道徳の規準とする民族の構成員であり、共産主義制度下の公民だからである。

このことを、阮薦(グエン・チャイ)について書いた国内外の書物を例に証明してみよう。阮薦はベトナム人が心から尊敬する、偉大な叡智と文化を有する歴史上の人物のひとりである。もしある特定の個人を崇拝するとしたら、ベトナム人は現代の他の人物ではなく阮薦をこそ聖人として崇めるだろう。今から10年前、フランスの女性作家イヴリーヌ・フレ(Yveline Feray)の手になる万春国をテーマとした歴史小説の翻訳がベトナムで出版された。その本の中で、阮薦は恐ろしく旺盛な性生活を送った人物として描かれた。偉人のセックスシーンが、読者が顔を赤らめるほど何ページにもわたって微に入り細を穿って描かれた。そればかりではない。万春国の他の人物たちも男女の営みに溺れていたように書かれていた。あからさまな性描写に何百ものページが費やされ、歴史小説でありながら無味乾燥ではなく、読めば読むほど引き込まれた。ベトナムの各メディアは、この作品の作者は外国人であるにもかかわらず、ベトナムの歴史にここまで精通し、偉人阮薦も実に生き生きと描かれている、と言葉を惜しまず称賛した。それから2009年になって、グエン・トゥイ・アイが『愛の絶頂』という短編集を出版した。グエン・トゥイ・アイはベトナムの女性作家で、現在ベトナムに住んでいる。この短編集は出版後、即座に回収され、発売禁止となった。その理由はこうだ。歴史上の偉人の性生活を不潔な筆致で描いたこの作品は、歴史を歪曲し、阮薦を侮辱していると。私はこの二作を詳細に読み比べてみたが、グエン・トゥイ・アイが阮薦のセックスについて書いているのはほんの数行で、それは千ページ近くにも及ぶイヴリーヌ・フレとは比べものにもならないような量だった。

他の例もあげよう。ポストモダンな作風をもつサイゴンの5人の若い女性詩人たちが「天馬」というグループを結成し、『天気のない天気予報』という詩集を世に出した。その表紙には、芸術的「カモフラージュ」を施したリンガの表象とともに作者の5人も登場しているが、その詩集は発売と同時に発行禁止となった。その理由は、低俗な言葉を使用し、性描写があからさまで、表紙が読者の反感を買うというものだった。一方、それと同じ頃、オーストリアの女性作家エルフリード・ジュリネク(Elfride Jelinek)の『おお恋よ、恋』も「三級映画」の広告さながらの表紙を付けて出版されたが、これに抗議の声をあげたメディアはひとつとしてなかった。悲しいかな、ベトナムの地に生まれ、文筆を志す女はかくも不遇な目にあうのだ!

検閲でひっかかった本には二度と出版許可を出さなかったり再発行できなくするというのが、権力者が下す処罰の方法だが、だとしたら読者――語そのものの意味での読者は、どう思っているのだろうか。当然のことながら、こうした現象を前にして、読者もいくつかのタイプに分かれる。著名な音楽プロデューサーのチャン・ビンは冗談半分、私にこんな警告を発した。「ベトナムの男は『金縛り』によって2つの派に分かれたよ。半分は共産主義派、もう半分は共和派にね」。階級区分が未だに影響力を残している社会では、多くの人が相変わらず階級主義の色メガネで物を見、それによって意識の持ち方にも違いが出てくるのは当然のことかもしれない。

まずはじめに『金縛り』に共感し、激励してくれた人たちについて話そう。ベトナムでは、そのような人々は民主的、進歩的で、社会の先頭をいく人間と考えられている。彼らは、若いにしろ、中年にしろ、年配であるにしろ、あるいは共産主義者であろうとなかろうと、そのほとんどが知識人である。そして共産主義の領袖カール・マルクスが述べた「私が人間であるからには、人間に関することはすべて私と無縁ではない」という真理を深く理解している。彼らはセックスを文化的行為ととらえており、卑猥なものとは考えてはいない。そして彼らは他の誰より、性は文学にとってきわめて重要なテーマと考え、それを文学作品に描くことのむずかしさを承知している。ベトナム文学において輝かしい文才を有する数少ない作家のひとりで、短編小説の達人とみなされているグエン・フイ・ティエップは、『金縛り』が世間を騒がせた時、あるメディアのインタビューにこう答えている。「性は書くのがもっとも大変なテーマです。作家が性を上手に表現するには、本当の実力が求められます。性をメタファーにして、歴史や文化や政治の問題にまで言及するのは、誰でもできることではありません」と。現代イタリアの作家アレッサンドロ・バリッコ(Alessandro Baricco 数多くの外国語に翻訳された、18世紀末日本を背景とした小説『絹』で有名)も、以下のような観点を提示している。「文学作品において、性について書くのは非常にむずかしい。もしその物語が性を必要とするなら、書き手はただ書くだけだ」。十分な見識を有し、セックスシーンを描く言葉の裏に込められた作者の意図を理解するだけの忍耐力と、作者への信頼感を有する読者なら、作者が性を書く時、なぜこうもむずかしいと感じるかが理解できるはずだ。

次は『金縛り』に断固として反対し、さらには「口汚く罵る」読者の番だ。『金縛り』と、これまでに出た性の要素を含む他の作品に対して異を唱える人々は決して少なくない。それはこの種の作品を称賛する人たちと同じ位いると言える。これらの人々は、階層も年齢もさまざまだ。東洋的なものの考え方と封建的な儒教の伝統的道徳観がこれらの人々の血となり肉となって、身も心もがんじがらめにしている。彼らの日常生活にもセックスがあるはずなのに、彼らは絶対にそれを認めようとしないし、議論しようともしない。彼らの血の中には、「性は卑猥で汚く不潔なもの」という東洋的な観念が深くしみついている。夫婦でそれを語りあうのも許されず、ましてや本に書いて何百万もの読者に読ませるなどはもってほかというわけだ!そんなものを多くの人が読んだとしたら、社会はハチの巣をつついたような騒ぎになり、道徳も何もなくなってしまうのではないかと憂慮している。だからそれを承服するわけにはいかないのだ。そしてありとあらゆる手段を用いて潰そうとする。これはもとをたどれば、すべてが東洋思想のせいとは言えないかもしれない。ベトナムの古い美術品を見てみれば、陶器に施された彫刻には男女の自然な営みが描かれている。古代チャンパ王国の都ミソンに行ってみれば、現在も残る遺跡でリンガの表象を一度ならず目にするはずだ。東洋といえば、島国日本は東アジア的な文化を生み出し、この地球上のどこにもまして、それをもっとも色濃く残す国である。日本の芸術はもともと人間と自然との調和を軸としている。それは美しく、清らかで、どこまでも穏やかだ。そして性は陰と陽との神聖な調和を形作るさまざまな要素のひとつと考えられている。たとえば葛飾北斎の「蛸図」を見てみよう。北斎がこの絵に描いた若い女と蛸との交歓は、軽いタッチで描かれているにもかかわらず、見る者に強烈な印象を与える。見識ある鑑賞者なら、この絵に込められた意図を即座に理解できるだろう。ところで、もし現代ベトナムの短編や長編がそのような情景を描いたとしたら何が起こるか。それは災厄以外のなにものでもない。ここにあげたタイプの読者は、軽蔑の色を隠しもせず、口をきわめて貶しにかかるだろう。ヒューマニズムのかけらもないとか、人間の品性を汚すとか、下劣だとかいった具合に...。村上春樹の『ノルウェイの森』は年頃の男女のセックスに満ち満ちた作品だ。それは明るい日差しと深い暗闇とが同居する原始の森のように美しい。だがもしそれがベトナムで、ベトナム人が書いたものだったとしたら、若い世代のモラルを損ねるという理由で禁止の憂き目にあっていたかもしれない。しかしそう言ったからといって、東洋思想と呼ばれるものが現代の後進的な観念すべてを生み出していると主張したいわけではない。

このタイプの読者が示したような態度を生み出すおおもとの原因は、ひとつではないのだ。それは東洋思想、過去のベトナムばかりか現在のベトナムにも存在する、型にはまった押しつけ教育、変化を恐れる保守的な性向、目に見えぬ亡霊に怯えて本音を口に出さなくさせている現在のベトナム社会の空気、といったものすべてを総合したものなのだ。彼らは断固とした口調でこう言う。真正な文学に汚辱にまみれたくずを持ち込んではならないと。もし彼らが私に頭を丸めるよう圧力をかけるなら、それはそれで構わない。私はピンクのスカートなど自分の手でごみ箱に放り込むまでだ。もし作家が災難に遭った子象みたいにびくびくしていたら、大いなる意思を標榜する文学は死に絶えてしまうだろう。

上に述べた以外の読者は、総じて言えば、自分の態度を表明することをまだためらっているといったところだ。『金縛り』は好きだが、あえてそれを表に出さない層は多い。平穏な暮らしを確保するために、彼らは沈黙を選んでいる。夫と睦みあうことに歓びを感じる女性でも、それを口に出すのはタブーであり、自身の名声を汚すことを懸念している。テレビで男女がキスするシーンになると、彼らは手で顔を覆うかもしれないが、指と指のすき間からしっかり画面を見ている。同じ分類の二番目のグループは、自分のしっかりした知見を持たない風見鶏のような人々である。ある人には、この作品はなかなかいいと言い、また別の場所で別の人間に会うと、そんなのはくず同然だと言う。今の今に至るまで、私には誰が本当のことを言い、誰が偽りの言葉を口にしているのかが見極められずに当惑することも少なくない。現代ベトナム詩壇のすぐれた女性詩人、ヴィ・トゥイ・リンのケースを見てみよう。彼女の詩は官能の香りに満たされている。はじめて詩壇に登場した時、その詩は世論から激しく叩かれた。そんなある時、私は喫茶店の隣のテーブルの客がリンの詩のすばらしさを友人に熱っぽく語っているのを耳にした。声の主を確かめようと、胸を弾ませてそちらに目をやったとたん、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。なぜならそれはリンの詩をさんざんこきおろし、叩き潰そうとする記事を書いたジャーナリストのひとりだったからだ。『金縛り』の出版からほどなくして、私は法律関係の仕事でサイゴンに行った。現地の文芸界や読者は、まるで獲物を狙う猟師のように私の後を追い回した。作品の支持者は自分の意見を表明するために、反対者は重罪人の顔を一目見ようとやってきた。しかし後になって判明したのは、あの日、表向きはにこやかな笑顔をつくろい、一緒に写真を撮った者たちも、実は『金縛り』を完膚なきまでに叩き潰そうとする記事を書いていたことだ。読者の中には、実際は作品を読んでいない者も少なくない。メディアに掲載された評論を読んだり、友人が話しているのを聞いたりして、ストーリーを諳んじている類の人たちだ。彼らは実際は読んでもいないのに、何十回も読んだような気になって、他の人たちの前で自分の意見を熱っぽく語る。実を言うとこの種の人たちはまだかわいい方で、私は彼らに憐れみを感じてしまうことさえある。そしてこれから言及する最後の読者はかなり特殊なタイプである。彼らはこの作品を読んで、かくかくしかじかの意見を表明するようにとの指示を受けた者たちである。この種の読者はたぶんベトナム、中国、北朝鮮にしか存在しない。彼らは党や権力者の命令に従い、許可されたことしか口にしない。悲しいことに、このような作品の読み方を指示されている人々の中には、豊かな知識と人間性を兼ね備えた者も少なくないのだ。

ここで一つの問いが生まれる。なぜ党やベトナムの政権は、性に関わる文学作品の出現をかくも憂慮しているのか。文学や文化というものが伝統の枠からはみ出していくのを黙って見過ごすと、それが自身の権力を揺るがすことになるとでも思っているのだろうか。だがそれは心配過剰というものだ!哲学者プラトンは、芸術は意識が生み出した影にすぎないと教えたのではなかったか。その説にしたがえば、芸術などふわふわしたつかみどころのないもので、蜘蛛の糸より軽いとも言える。世界でもっとも強力な専制権力を有する国のひとつであるベトナムの絶対的権力を揺り動かすほどの力などあるはずがない。かつてベトナムの歴史上、少なからぬ災厄をもたらした思想的事件があった。彼らがそこまで断固とした方針で臨むのは、そういうものを黙って見過ごすよりは、たとえ間違いでも小さい芽のうちに叩き潰してしまった方がましだとでも思っているのだろうか。彼らが『金縛り』に懸念を抱くのにはれっきとした理由がある。それは禁忌の対象となっている政治に言及しているからだ。しかし性を描いた他の作品は、単純に作家が追求する人物の性格を造形するためのもので、そういう作品がなぜ検閲や印刷や発行の際に災難に遭うのかはわからない。当局者は大体においてこんな答え方をする。この種の作品は民族の醇風美俗に影響を与え、若者に悪影響を及ぼし、社会道徳を損ねるからだと。愚かなことだ。知性のある人間なら、そんな言いぐさは単なるまやかしであり、統治者が全面的な権力を貫徹しようという意図を助けるための詭弁にすぎないことを知らないはずがない。ただ公平を期すために言えば、書き手の力が未熟なために、性を描きながらも文学とは呼べないような作品が出現したことも過去にはあった。だが真に民主的な国なら、それも禁止すべきではない。その種のしろものを他の文学作品と同列にあつかうことさえしなければ、そのうち読者によって自然に淘汰されていくに違いない。

そういうわけで、性は文学の書き手にとってむずかしく、危険なテーマであることは否定できない。しかし性を作品の中に持ち込まねばならない時は、作家はそれに全力を傾けるだけだ。ベトナムの読者は性という要素を含む作品にそれぞれ異なった態度を示すが、もっともわかりやすいことは、統治者も読者も、性をテーマにした外国文学は認めるのに対し、国内の作家に対しては非常に厳しいということだ。次に、現代ベトナム人の外国崇拝の例を証明しよう。

このテーマに触れるにあたり、ベトナム社会ひいてはベトナムの文壇における男尊女卑の風潮と女性の権利の問題を見のがすわけにはいかない。最近発表された統計の中のいくつかの数字は、多くの人を唖然とさせた。それは2009年におけるベトナム国民の男女比率が、女性100に対し、男性は106.2だったからである。この両者の差は決して小さくない。これは家族内権力と社会の権力を維持するための、自然法則に反した努力の結果なのだ。男子を産めない妻が離婚の憂き目にあったり、胎児の性別が判明した時点で堕胎する。もっとひどい時は、胎児が女の子だった場合、この世に生まれ落ちたとたんに鼻をふさいで殺してしまう。妻だろうと夫だろうと、祖父だろうと祖母だろうと、高級官僚だろうと下層民だろうと、農民だろうと知識人だろうと、誰もがベトナム人の男性化計画に積極的に加担している。このような結果に彼らは本当に満足しているのだろうか。そのうちベトナムの男たちは2人でひとりの妻をもつことになるかもしれないのに!この地球上において、民主国家だろうと共産国家だろうと、どんな国にもさまざまな不平等が存在することは私も承知している。しかしそれらの国も発展するにつれ、徐々にバランスを取り戻してきている。かつてアメリカには過酷な奴隷制度があったが、その後それは廃止された。重要なことは、人々に闘う権利があるかどうか、闘う自由があるかどうかだ。その点、ベトナムは逆に後退している。封建時代、女性の数は男性より多く、男性が5人とか7人の妻を娶ることで、女性はどこかに落ち着くことができた。現在では、男性は結婚したければ2、3人でひとりの女性を共有しなければならない。封建時代、ベトナム字喃詩の女王の異名をとった胡(ホー・)春香(スアン・フオン)は、女という衣を「大胆不敵」に脱ぎ捨て、才気ある隠喩を用いた詩の中でセックスを以下のように描いた。


男は膝折り背を丸め
女は仰向き背をそらす
振動(ふれ)にあわせて衣(きぬ)は揺れ
四本の足はからみあう

その一方、男性詩人の雄ともいうべき阮攸(グエン・ズー)は、翹(キュウ)の入浴シーンを次のように控え目に描くにとどまった。

見目にも麗わし玉の肌
造化の神の造りたる

怖いもの知らずの胡春香の詩は、封建社会の中で歌い継がれ、称賛され、生き延びた。だが今日ではすべてが逆転してしまっている。先にも述べたように、27歳でまだ独身の私が『金縛り』を書いた時、大変な物議をかもすこととなった。だがもし私が60歳で5人の妻をもつ男性だったら、話はここまで大きくはならなかったろう。

客観的に見て、近年ベトナムの女性が自身の力や才能によってかなり重要な社会的地位を得るようになってきたことは否定できない。しかしベトナムの男性が女性を見る時の探りを入れるような目や、口をとがらせて評価するやり方は恐ろしいものだ。女性蔑視はベトナム男性の頭にしみ込み、深く根を張った観念である。それは儒教思想によるものか。旧制度の残りかすなのか。それともベトナム女性が劣っているせいなのか。それだけですべてを説明することはできない。民主主義の基礎がないところに男女の平等などありえるはずがない。型にはまった押しつけ教育をしているところに進歩などあるはずがない。もっと包括的な立場から、すべての原因は思想体系(イデオロギー)にあるとする者もいる。私自身の意見を言えば、ベトナムはベトナム主義の国であり、男は女より上、富める者は貧しい者より上、年配者は若者より上...という秩序に従っているだけだ。この社会のすべてが小さきものは大なるものに従うべしという観念の上に成り立っている。そのように言えばすべてのことがはっきりする。その証拠にベトナム人はサッカーが大好きだが、試合ではいつも強い方のチームを応援する。それに対し西洋では、弱い者は援助すべしとの観念から弱い方のチームを応援するのだ。

文学における性の問題に戻ろう。通常、文学における性は女性の権利獲得の闘いの問題と同列のものととらえられている。しかしベトナム文学の書き手の中には、男は女より上、年配者は若者より上との秩序意識が今も根強く残っている。実際、ここ数年、数多くの女性作家が文壇に登場し、その文名を高めつつあるが、男性作家の大部分は女性作家の活躍を受け入れられず、一部の女性作家の威信をおとしめ、叩き潰そうとするような発言をしている。彼らは女性の権利獲得などナンセンスであり、必要ないものだと思っている。なぜならベトナムは非常に平等な社会だからというわけだ。そんな彼らもまた、胡春香は天才だと思っている。彼女の詩は俗であると同時に聖であり、不平等な封建社会に鋭いメスを入れる強い力をもっていると。しかしその一方、女がものを書くならキッチンの中で書くべきであり、書くこともキッチンかその周辺のことにとどめるべきだとも思っている。彼らにとって、女性の権利とはキッチンの中だけに存在する権力なのだ。ベッドの上では女性の権利は薄まって曖昧なものとなり、客間では完全に消えてなくなる。男は日ごろから性に飢えているにもかかわらず、女が『金縛り』に出てくるような女を書くことは断じて認めようとしない。中国が衛彗の小説を焚書処分にしたのに対し、ベトナムは『金縛り』を批判しただけなのは、まだしも進歩的だったかもしれない。タイの著名な女性作家カムパカー氏がベトナム人だったとしたら、何が起こっただろう。彼女は肉感的な小説を書いただけでなく、現在も国王が支配するかの国の男性向けの雑誌で、自身の完全ヌード写真を披露した。彼女にとって、自身の肉体美をさらすことは、文学における性は特別なものではないという主張の延長線上にあるのだ。それは封建制に対する果敢な挑戦でもある。しかし彼女がタイ人で、ベトナムではなくタイに住んでいることは幸いなことだった。

性が低俗であるかないかは、個々人が性をどう見、どう考えるかによると言った人がいる。では作家はどうか。もし私が何か書くにあたり、自分の意を読者に伝えるのに必要であれば、私は性を書くだろう。いつかベトナムも変わる日が来るだろう。歴史の和解が来る日が待たれる。たとえ自ら長い髪を切り、女らしい服をすべて燃してしまう者がいるとしても、私たちはその日が来るのを願って書き続ける。

翻訳:加藤栄

プロフィール


ドー・ホアン・ジュウ

1976年ベトナム北部タィンホア省の貧しい知識人家庭に生まれる。教員で作家でもあった父親の影響で、幼い頃から19世紀のフランス文学やロシア文学に触れて育つ。9歳の頃から短編小説を書き始め、11歳にして世界郵政連盟(UPU)主催の「世界手紙コンテスト」でB賞受賞、14歳で共産青年同盟機関紙「ティエンフォン(先鋒)」主催の「青少年文学創作コンテスト」にて、全応募者中、最年少の受賞を果たす。以上のような経緯をへて将来は作家となることを志すも、生活のため断念。1998年にハノイ法律大学、2004年に司法学院弁護士養成学科を卒業して法律コンサルタントとなる。2003年、氏の代表作「金縛り」をはじめとする短編数編を在米ベトナム人主宰の文芸誌『ホップリュウ(合流)』に発表。2005年、同誌に掲載された作品をまとめ、短編集『金縛り』をベトナム国内で出版。最新作に長編小説「蛇と私」があるが、ベトナム国内での出版許可は得られていない。

 

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