アフリカの地で奏でた音~僕たちの音楽を息をのんで聴く人たちがいた~

 

上妻宏光(津軽三味線奏者)×塩谷哲(ピアニスト)

聞き手・大内桃子(国際交流基金職員)


2010年6月、国際交流基金では、津軽三味線プレイヤーの上妻宏光氏とピアニストの塩谷哲氏によるデュオ「AGA-SHIO」のアフリカ巡回公演を行ないました。訪れたのは、今年、日本と外交樹立50周年を迎えたコンゴ民主共和国と、同じく交流100周年を迎えた南アフリカ共和国の2か国。AGA-SHIOは両国でコンサートだけでなく、現地の子どもを対象としたワークショップも行い、交流を深めました。AGA-SHIOのこれまでの音楽活動を振り返りつつ、アフリカ公演の印象や音楽を通じた国際交流の意味などについて、両氏に語っていただきました。

 

アフリカで演奏できることに
期待と不安でいっぱい

大内:今回のアフリカツアーでは、コンゴ民主共和国で3回、南アフリカ共和国で1回、AGA-SHIOによるコンサートを行いましたが、お二人ともアフリカは初めてでしたか。

塩谷:僕はヨーロッパツアーの一環でエジプトのカイロへ行ったことはありましたが、アフリカ大陸の中の方に足を踏み入れるのは今回初めてで、どんなところなのかワクワクしました。今ではインターネットなどで情報を得ることはできますが、行ってみて実際にそこの空気を吸って、住んでいる人の息遣いを感じないと、実感としては全然わからない。自分が参加したオルケスタ・デ・ラ・ルスのアメリカツアーもそうだったし、中南米、中東、ヨーロッパのツアーもそうでした。想像をはるかに超えるというか、想像できないものなんですね。だから、「アフリカに行けるんだ」と思って、めちゃくちゃうれしかった。


上妻:僕もエジプトには2回行きましたが、サハラ以南は今回が初めてでした。いろんな期待と不安はありましたが、治安の問題や現地の情報の少なさから、正直言って不安も大きかった。でも、「行きゃ、何とかなるだろう」という気持ちもありました。

大内:今回のアフリカ公演が実現した経緯ですが、南アフリカ共和国東ケープ州のグラハムズタウンで毎年開催されているナショナル・アーツ・フェスティバルに、日本人アーティストを呼びたいというお話が在南アフリカ日本大使館から寄せられたのが始まりでした。35年にも及ぶ歴史あるフェスティバルですが、日本から公式にアーティストが招聘されるのは初めて。三味線を持ってきてほしい、ただし伝統音楽だけを紹介するのではなくて、今の日本が誇る現代の音楽シーンを伝える場にしたいということで、AGA-SHIOのようなアーティストの参加が得られれば最高、としてお名前が挙がったのでした。

  しかし、アフリカ公演事業の実施が決定したのはタイミングとしてはぎりぎり直前で、以前から決まっていたAGA-SHIOヨーロッパツアーに向けて準備を進めていらしたお二人にあわててお願いして、奇跡的にご快諾をいただきました。が、そのためフェスティバル側との調整も事前に十分できたとは言えず、南アの前に訪問することを決めたコンゴ民主共和国の事情はほとんどわからない状態で、一言で言えば「大変な条件」のツアーをお引き受けいただくことになってしまいました。

上妻:今年4~5月に僕単独で行った「上妻宏光アンサンブル アメリカツアー」が終わって、その間に実は日本で二人目の子どもが生まれたりしていたのですが、そのアメリカの時差ぼけが取れないまま、東京で塩谷さんと落ち合って、1か月間のヨーロッパツアーへ出ました。ヨーロッパ5か国7都市にエジプトのカイロを加えた8都市で、今度はAGA-SHIOとして、アメリカとは違うプログラムでの公演、しかも演奏してはすぐに次の公演地に移動、という過酷なスケジュールだったんです。ヨーロッパツアーの最後、スペインのセゴビア公演が終わって初めて、自分の中で区切りとして、自分にとって未知の土地であるアフリカへ行くことを実感しました。

  大変だったかと聞かれたら、どこでもその時々でつらいことがあると思うんです。昔だったら、「うわあ、つらい」という思いしか残らなかったのが、この1~2年ぐらいは、「ああ、おれはここを超えないとだめだな」という意識があるんです。超えるだけじゃなくて、経験してそれを消化して、次にどうつなげるか。「これは1つ1つ経験しなきゃいけない」とか、「やることで自分が成長できるんだ」という思いがあったんですね。

  今回、日本文化というか、僕にとっては三味線という楽器で、AGA-SHIOとしての音楽をアフリカの人たちに届けることができたのは、すごくよかったと思います。最初、コンゴの音楽院の学生やストリートチルドレンを対象にワークショップをしましたが、参加した地元の人たちは概してリズムに興味を示していて、もしかしたらピアノのメロディーとかハーモニーとかいう部分ではアプローチは難しいかなという感覚がありました。でも、コンサートをやると、ちゃんと反応がありました。すごくよかったんですね。


ライブのお客さんの反応が
僕らを育ててくれる

大内:お二人のこれまでの歴史を振り返ると、まずお互いの音楽を聴いて出会われて、最初はコンサートで共演なさって、それから今度はAGA-SHIOとしてユニットを組むことになり、さらにAGA-SHIOとして海外公演に出られるようになったわけですよね。


塩谷:数年前初めて共演したとき、上妻君の三味線の音色の奥に存在する大きなものを感じて、ただごとじゃないなと思いました。上妻君はいつもどおり演奏していたと思うんだけど、僕は日本人でありながらそれを新鮮に感じたんです。今までクラシックやジャズなど西洋の音楽にあこがれてきていて、日本の音楽だってもちろん聴いてはいましたが、そこまで感動したのは初めての体験でした。それは民謡という日本の文化そのものなのかもしれないし、その魂かもしれない。その出会いがAGA-SHIOの発端だと思います。それからどんどん二人で何か新しい音楽をつくりたいという思いが強くなってきました。

  2007年に僕のコンサート「スケッチ・オブ・ニューヨーク」(オーチャードホール)で上妻君に出演をお願いしたときに、その思いは決定的になりました。上妻君の弾く『じょんがら節」のバックに、僕は全然関係ない映画音楽のようなストリングスで、テンポも違うし、世界観も違う音楽をぶつけてみたんです。それによって、逆に上妻君の三味線の音、その背景にある民謡の素晴らしさが浮かび上がって聞こえた。自分にとっても衝撃的で、ぜひ二人でこの音楽をちゃんとつくって、いろんな人に聴いてほしいと思った。それがある意味で結実したのが、今回のヨーロッパとアフリカのツアーだったと思っています。


photo by Satoru Shionoya

大内:新しい土地でのお客さんの反応はいかがでしたか。

塩谷:国によって受ける曲が違うんですよね。

上妻:ヨーロッパでも国や都市によって好みが違う。でも、塩谷さんがMCでギャグを言うとどこでも受ける。この人は世界で通用するギャグマンだなと思いました(笑)。

塩谷:うれしかったですね。MCで各国の言葉でおもしろいことを言って受けると、テンション上がりますね。演奏もすごくよくなる。お客さんとコミュニケーションを取ることはとても大事です。僕たちの場合、ほとんど歌詞がないから、音楽にどれだけ内容があるかという勝負になる。下手に格好つけても全然通用しない。日本だったらお客さんの中にはファンの人も少なくないですが、ツアー先は完全アウェーの状態ですから、逆にそれは今の自分たちの音楽の状態が測れるいいチャンスでもあるんです。

 

  最初は、「三味線って、ああやって弾くんだな」ということからスタートして、だんだんとお客さんの興味を音楽そのものに移していく。そして、僕らAGA-SHIOとしての音楽をちゃんと表現し切れたと思う瞬間に、拍手してくれているのがわかる。「珍しいから、おもしろいね」というのは違う、それは本当に如実にわかるんです。ミュージシャンとしてこの上なく誇りに思える瞬間ですし、その拍手1つ1つが僕らの財産になるんですね。

  作品をつくり、CDをつくって聴いてもらうのはとてもうれしいし、大事なことですけど、それと同時にライブの重要性を今回は感じました。ミュージシャンにとって、演奏をしている瞬間は、とてもリアルな自分たちの音楽なわけですね。それを聴いて感じてもらって、リアクションを受け取ることを繰り返すことで、アーティストとして成長していく。

  結局、ライブでお客さんが僕らを育ててくれるということなんです。反応がいいときも、そうでないときも、それが自分たちをつくる。AGA-SHIOというアーティストを、1つの生命体としてのアーティストを育てるということを、今回は特に感じました。


photo by Riki Fujioka


photo by Riki Fujioka

 



音の出ない鍵盤があるピアノで
コンサートに臨む

 



photo by Satoru Shionoya


大内:コンゴのコンサートでは、「みんな本当に聴いてるの?」というほどお客さんのお行儀が悪くて、演奏中にもかかわらず賑やかに出入りしたり、おしゃべりしたり携帯電話があっちこっちで鳴ったりなんてことはもちろん、音を立てて缶ジュースを開ける人まで続出して、いちばん後ろで聴いていた私は「いいかげんにして!」とはらはらやきもきしていました(笑)。でも、あとから思うに、音楽を座って聴くことに慣れている人ばかりが集まっていたわけじゃないんですね。



  コンゴでの最終公演、6月26日の国会議事堂ホールでのコンサートでは、事前ワークショップに参加したストリートチルドレン20人余りが特別出演するコーナーがあり、その出番を待ちながら子供たちは客席最後部に席を取っていました。その子供たちが揃って身を乗り出して、お二人の演奏を、本当に文字どおり「息をのむ」という感じで聴いているのです。

  それからとりわけお行儀の悪い会場担当の警備員が演奏中に会場を出たり入ったり繰り返すので、さすがに「聴くなら聴く、聴かないなら聴かない、警備するならする、しないならしない、はっきりして!」と言いに行こうとしたら、どこからか仲間の警備員を何人も連れて帰ってきて、みんなで入口のところに鈴なりになって聴き始めた。その姿もまた「息をのんで聴いている」としか形容できないものでした。そんなことがあったのがとても印象的でした。

上妻:多少物音があったりしたんでしょうが、そんなに気にはならなかったですよね。

 

大内:コンゴに比べると、南アは、フェスティバルだったこともあって、ずいぶんコンサートを聞き慣れたお客さんのようでした。現地で準備してもらったピアノも、コンゴと南アではずいぶん違いました。

塩谷:上妻君はアフリカではサブの楽器を使っていたんですね。メインで使っていた三味線の皮がセゴビアの公演時に破れてしまったから。僕に関して言えば、コンゴでは十分とはいえない楽器で演奏しました。コンゴでいちばん良いというピアノを苦労して用意していただいたのですが、最初は信じられなかったけれど、これが弦が歯抜けだったり鳴らない鍵盤があったりというピアノで、大きな会場のコンサートでそんなピアノを弾いたのは初めてでした。でも、実はけっこう好きなピアノだったですね。

大内:塩谷さんに弾いていただいて、ピアノが大喜びしているのがよくわかりました。あのピアノのお世話係だったコンゴ人の調律師の青年もものすごく喜んでいましたね。

塩谷:やはりピアノもただのモノじゃなくて、魂を吹き込んであげれば輝くんですね。弾いているうちに、だんだんピアノが変わってくるんです。3日目には、もう完全に自分のピアノになっていました。弾いていると蓋もペダルもガタガタギコギコ揺れるんですよねー(笑)。そういう経験もおもしろかったですし、実際、十分でない楽器を操るというか、そういうピアノともいっしょになれることがわかって、自信がつきました。「おれ、ピアニストって言えるかも」と思いました(笑)。


photo by Riki Fujioka


photo by Riki Fujioka




c: The Japan Foundation

上妻:僕も、サブの楽器だったことも含めて、そんなに気にならなかったです。周りの方々が一生懸命やっていただいている中で文句を言うことではないなって。自分たちは自分ができる範囲のこと、つまり演奏をちゃんと皆さんに聴いてもらう、届けるということに集中できたと思います。人間としてミュージシャンとして対応できるかを試されているわけで、それをどう超えるかが大切だと思っていたので、アフリカではそんなに腹を立てるようなことはなかったですね。

塩谷:でもいろいろなことを考えさせられる体験は多くありました。コンゴの国営テレビ・ラジオ局 (RTNC)でのライブは全国中継されるということで、僕らのほかに2つ、コンゴ人のバンドが賛助出演することになっていました。このうち1つのバンドは、見るからにお金持ちのバンドで、サウンドスピーカーからPAまで新しい立派なものを自分たちで持ってきて自分たちで全部ばっちりセッティングしちゃってる。それに比べてもう1つのほうは、何と言うかちょっと情けないような感じが溢れちゃってて、現場でもなんとなく蔑ろにされているようでもあり、サウンドチェックもほとんどできないありさま。

  しかも、彼らは本番中にハプニングがあって、演奏中に突然楽器が落ちて外れて壊れてしまった。それでも何事もなかったかのようにジャンベ(打楽器)を叩き続けている。あの感覚はすごいなと思いました。で、ステージが終わって、帰ってきたときの彼らの顔を見たら、めちゃくちゃうれしそうだった。自分たちの音楽が表現できて、すごく幸せって感じで。それを見たときに、「ああ、いいな」と思いました。それはもう本当にミュージシャンです。「これがこの国のパワー、アフリカのパワーなのかもしれないな」と思いました。環境が整い、一般の人たちもきちんとした教育を受けるようになればすごいことになるんじゃないか、とてつもないパワーを秘めていると思いますね。

上妻:日本のように物がたくさんあることは素晴らしいんだけど、便利であればあるほど、人間の大切なものが欠落して感覚が鈍っていく部分があるんだなと感じました。アフリカに行って改めて、日本という国がどんなに素晴らしく、豊かで安全でいい国なんだろうと考えた反面、日本には、もしかしたら人間、ヒューマンの感覚としてどこか危ないところがあるかもしれないとも感じました。


photo by Satoru Shionoya


音楽には誰にでも同じように
平等に伝わる力がある

塩谷:僕が所属していたオルケスタ・デ・ラ・ルスのことを思い出します。僕らが中南米に行くといわゆる「外タレ」になるわけです。そうすると、コンサートのチケット代を払える人は、みんな富裕層。でも、実際に僕らの音楽を聴いてくれていたのは、ラジオでかかるのを聴くという一般の人。チケット代も払えないし、CDも買えない。無料コンサートをすると、村の人が全員来て、子どもからおばあちゃんまで、歌って踊ってくれるわけです。「この人たちに届いているんだ」と思うと、自分のやっていることに意味を感じました。

  音楽は平等に伝わるわけで、お金持ちの人だけが享受するものではない。そういうものって、そんなには多くない気がする。誰にでも平等に同じように伝わるということでは、音楽にはとても力があると思います。

  だから今回も、アフリカの何人かにでも、その心の中に音楽が入っていったとしたら、それは無意味ではない。ワークショップに参加した子どもたちもすごくいろんなものを感じてくれたと思います。

  昔自分がやったワークショップに参加したという子どもが大きくなってデビューしたと聞くことがあるんですよね。責任を感じます。音楽に対する真摯な姿勢を貫けば、音楽は伝わる。AGA-SHIOとしてやってきたことも、必ずだれかに伝わると思うし。

大内:コンゴや南アフリカでも、将来、昔子どもの頃にお二人の演奏を聴いたという音楽家が出てくるかもしれません。あるいはそういう直接的な見える結果が出なくても、今回お二人の音楽を聴いた人たちに伝わった何かが元になって、何か新しいことが生まれてくるのではないでしょうか。

塩谷:文化ってそういうものだと思うんですよ。性急に「結果を、結果を」という今の日本の風潮は、この不況下では仕方ないかもしれない。でも、文化はそんなものじゃない。

  一般の人にとっては、芸術は娯楽だと思うんです。生きることが最優先だと考えるなら、芸術は最後にあればいいのかもしれないけども、音楽とか芸術がない世の中を考えたときに、それが人間らしい生活といえるかどうか。

  文化を育てていくということは、そんな急には結果は出ることではありません。国としての成熟度は、やはり文化に表れると思うし、もう少し長い目で見てほしいと思いますね。


photo by Satoru Shionoya


photo by Satoru Shionoya


 

上妻:文化交流ということを考えるとき、国際交流基金などに海外公演をさせていただいて感じるのは、お客さんが会場いっぱいになることも重要だしありがたいことですけど、一般の地元の人が集まるほか、地元のミュージシャンがやってきて次につながる何かが生まれるとか、新たな広がりがあるとまたもっとおもしろいのではないかということです。


  邦楽界の人間としては、海外へ行けば一生懸命やるのはもちろんですけど、意識の持ち方について改めて考えました。相手のお客さんにとっては、もしかしたら生涯でこの1回しか日本の音楽を聴くチャンスがないという場合も少なくないと思います。ここで三味線を聴いて、それがつまらなかったら、「日本の楽器ってこんなものか」ということになってしまうかもしれない。たとえ物理的に悪条件であったとしても、その中で自分らが出せるベストのものを出せるように、僕らも二人で頑張ってきたつもりです。一つ一つの結果を感じてちゃんと次につなげていかないと、何が目的で外国へ行くのか、趣旨がずれてきてしまって、結局そのひずみがいずれ出てくると思う。演奏者側の意識として、僕らの時代から気をつけていかなければいけないと、最近すごく感じますね。

  そのためにも、訪れた国やその都市の歴史や文化を自分なりに少しでも吸収して、何かしら自分たちで解釈し合ったり伝え合ったり、現地の共演者などとの間でもそういうものを感じながらやろうと努力しました。今回のヨーロッパとアフリカの経験は、僕の中に深く刻まれたと思います。

塩谷:アフリカに行ったのは、ちょうど南アでサッカーのワールドカップ大会が開催されている時期でした。日本がワールドカップに出られるようになったのは、最近のことです。それが、いまや出て当たり前になって、決勝トーナメントで勝ち上がろうと言っている。スポーツの世界もそうだし、文化、音楽の世界でもそう。1歩1歩なんです。そんな急には発展しない。それをサポートするサポーターがいて、初めて育っていく。先人のパイオニアたちの精神はとても尊い。

 

  僕らにどれだけの力があるか、わかりません。でも、今回のアフリカ公演は無意味ではないと信じています。アフリカの人たちに、日本に音楽があって、「いいじゃない! 素晴らしいね」と思ってくれた人が何人かいてくれるだけでも、絶対大きいと思う。これを将来につなげていきたいですね。




photo by Satoru Shionoya

公演情報
2010年6月 「AGA-SHIO」アフリカ巡回公演
2007年11月 塩谷 哲グループ 東南アジア(タイ、マレーシア、インドネシア)巡回公演





※締め切りました。ご応募ありがとうございました。

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プロフィール

上妻 宏光
津軽三味線奏者 公式ウェブサイト

1973年生まれ。6歳より津軽三味線を始め、幼少の頃より数々の津軽三味線大会で優勝を重ね、純邦楽界で高い評価を受ける。その一方で、ジャズやロック等ジャンルを超えたセッションで注目を集め、2001年『 AGATSUMA 』にてメジャーデビュー。1st、6thアルバムは「日本ゴールドディスク大賞」を受賞。海外アーティストとの共演も多く、日本の伝統楽器と西洋の音楽との融合を行う他、音響システムを一切使用せずに民謡を演奏する「生一丁!」ツアーや、日本全国の小学校に出向き「生一丁!出張授業」を始めるなど、独自のアプローチで高い評価を得ながら"津軽三味線の伝統と革新"を追求し続けている。


塩谷 哲
ピアニスト 公式ウェブサイト

1966年生まれ。東京芸大作曲科出身。オルケスタ・デ・ラ・ルスのピアニストとしての活動(93年国連平和賞受賞、95年米グラミー賞ノミネート)を経てソロ活動を開始、現在まで11枚のオリジナルアルバムを発表する。自身のグループをはじめ、世界的ジャズピアニスト小曽根真との共演、SING LIKE TALKINGの佐藤竹善や矢井田瞳、絢香、渡辺貞夫、平井堅、今井美樹らとのコラボレートの他、モーツァルトのピアノ協奏曲などのクラシック演奏、05年愛・地球博にてビッグバンドを率いたステージを演出するなど、活動のジャンル・形態は多岐に渡る。

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