国際展:マッシミリアーノ・ジオーニ氏の場合

マッシミリアーノ・ジオーニ
ニュー・ミュージアム・オブ・コンテンポラリー・アート、エドリス・ニーソン アーティスティック・ディレクター)

第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2013)の総合ディレクターを務め、歴代最年少という若さやアウトサイダー・アートをキュレーションしたことでも注目されたジオーニ氏は、イタリア生まれ。米・ニューヨークを拠点にアジアや中東で行われる大規模な国際展のキュレーターとしても活躍しています。母国とは異なる文化圏で、どのように思考し、企画に取り組んでいるのでしょう。日本との出会いから、展覧会の観客への期待、国際展の未来について語っていただきました。

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日本とのかかわり

日本には、2001年に開催された第1回横浜トリエンナーレの視察に国際交流基金の招待で行ったほか、それ以前もCCA北九州と交流があり、何度か訪れています。最近では、2010年に光州ビエンナーレのリサーチで再訪しました。この時も国際交流基金にお世話になりました。日本の美術やアートの仕組みについて、遠くから眺めて思い描いていた単一的なイメージを、実際に現地に入り込み、多くの作家と会うことにより、その本質を知ることができるのは気持ちのよいものでした。とりわけ大竹伸朗との出会いは印象深いものでした。東京都現代美術館で行われた彼の個展の図録の厚さに困惑したのですが、実際に会うことでより多くのことが理解できました。「実験工房」の作品との出会いも特に大切なことでした。山口勝弘の映像作品≪試験飛行家W・S氏の眼の冒険≫はとても刺激的な作品で、光州ビエンナーレにおいて重要な意味を持つことになりました。≪銀輪≫(実験工房のメンバーによる共作)は、私が企画したほかの展覧会でも何度も展示しています。また、一方で村上隆とも会い、2012年にカタールのドーハで開催された"Murakami-Ego"展に備えることができました。

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日本と自身の関わりについて話すジオーニ氏

光州ビエンナーレ (2010)での経験があってのヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2013)

会期66日間で50万人以上の観客が訪れたこの第8回光州ビエンナーレ(2010)は、自分にとって初めて体験するアジア圏でのキュレーションでした。当然、観客に向けての対応が期待されていました。欧米では、オープニングに集う人々を見れば、コレクターや学生の違いなど、人々の身なりや態度ですぐに理解することができるのですが、韓国や日本ではそうはいきません。観客の多くはアジア圏からの人々だとわかっていただけに、大きなプレッシャーでした。
 これまで経験してきた形式や構成の多くを光州では再考する必要がありました。それまで見えていた枠組みというものが以前のようにはっきりと見えず、そのうえで、50万人もの観客を前にして対話するとき、どのように表現するべきか、まったくこれまでとは異なる責任を担うことになったのです。基本的に、多様な観客が理解できるように、どのようにメッセージを伝えるかという方法を理解することを強いられたといえます。展覧会は学ぶ、発見する、教える場所と考えます。そして、自分が多くのことを学ぶことで、観客も同様に多くを学ぶのだと思います。明らかに、自分自身は五感を通して、また、楽しみを通じて学ぶことに興味があります。しかし、それは一般論としてのアジア文化圏における異邦人としての経験によるところが大きいことから、観客についての認識、観客に対してどのように論じるのかを再考する必要があったのです。
 個人的な経験として、光州ビエンナーレは重要な転機となりました。ある種のことを学び、言語の違いにも取り組むことを余儀なくされ、いかに明快に指示することが大切か、情報を合理化し、明確に提供するかなど、多くのことを学びました。

 ここでの経験がヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2013)で生かされたと思います。ヴェネチアでは現代美術のいわゆる主流(メインストリーム)とされる領域では見られないアーティストやアウトサイダー・アーティストをキュレーションしたことで多くの人々に驚かれました。"アウトサイダー・アーティスト・ビエンナーレ"として覚えている人もいるかもしれません。また、美術市場では見られない、もしくは販売されていない作品を多数発表することにも努力し、展覧会はカール・グスタフ・ユングの有名な「赤の書」から始めました。買うことができない「赤の書」、これを展示するために私は膨大な努力をしました。私にとっては、この書籍を展示できたこと自体が成果といえるかもしれません。それほど、借用には困難を要しました。ユングがそれを所有したり購入したりする人とは無関係だったように、私が企画したヴェネチア・ビエンナーレでの展示作品の多くは美術館から借用したものでした。展覧会の総合テーマ"The Encyclopedic Palace (百科事典の宮殿)"にもなったマリノ・アウリッチの作品 "The Encyclopedic Palace of the World" はアメリカン・フォーク・アート・ミュージアムから借用しました。このような作品を十分に集め、観客は購入するためにここに来たのではないのだということに気づいてほしかったのです。
 このビエンナーレが成功したかどうかはわかりませんが、私はこのようにして展覧会の位置づけを選択してきました。そして、それには大きなリスクも伴いました。リスクをとらなければひどい展覧会になっていたでしょう。ヴェネチア・ビエンナーレのような大規模なイベントに携わっているときでも自己を保ち、自分自身を大物だと思わずに仕事を続ければ、より多くのことを達成できると思うのです。

国際美術展とアートフェア

 近年、ビエンナーレやトリエンナーレという名称のつく国際美術展が世界各地で開催されています。これらアートイベントの急増にあたり、多くの美術関係者や美術愛好家たち、そして行政機関等がその成り行きを注視しているでしょう。
 私の場合、自分自身の成長がこの現象と同時に起こったことを興味深く見ています。「キュレーター」という単語がまだあまり聞かれないころから芸術に興味があったことを覚えています。19歳のときに1993年のヴェネチア・ビエンナーレに行ったのが最初でした。その後、ビエンナーレが急激に増え始め、キュレーターの役割を専門とする職業も増加してきました。ビエンナーレというものについて否定的な発言をするつもりはありません。世界的に多くの文化の違いを通して芸術を思考することにより拡張してきたのですから、私の人生の重要な構成要素ともいえるのです。長所もたくさんあると思います。一種の国際主義に旗揚げされていないのであれば、まだかなり健全であるといえます。西洋の覇権構造を再定義するようなビエンナーレ、例えばサンパウロ、光州、横浜などのやり方も興味深いです。ハバナビエンナーレなどは、「見て、私もここにいる、あなたも一緒に来て!」というようなイベントでした。

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世界各地で開催される国際美術展について語るジオーニ氏

ある地域に、なんの脈絡もなくアーティストやアートが送り込まれるというような傾向のビエンナーレがあることも、もちろん知っています。その一方で、アートワールドの境界と優先順位を再設計することができる国際展もいくつか見受けられます。ビエンナーレという名称のつく国際美術展について、一般論としての批判はできなくても、部分的には批判できるかもしれません。今やこれほど急増している世界各地のビエンナーレを若いキュレーターらは心に留めておくべきです。

「ビエンナーレ」という言葉自体はもはや特別な意味をもたなくなったといえます。ビエンナーレは、文字通り2年に一度開催されるということだけです。このことはまた、完全に自由に形式をつくることができる機会ととらえることもできるでしょう。

2003年ごろからビエンナーレを見てきて思うのは、行政機関は、アートフェアという成功例が存在することを認識しているということです。世界各地に増殖しているビエンナーレを強く批判することは、より多くのアートフェアを開催することにつながるのではないでしょうか。 私たちは過去10年間、ビエンナーレと同じくらい多くのアートフェアを見てきました。アートフェアは作品を売るのが目的。ディーラーやコレクターにとって、すべて商業的なイベントです。ビエンナーレは運営コストがかかるという批判に対して、アートフェアなら基本的に50パーセントは参加ギャラリーから回収でき、通常は収益を上げています。社会的にも華やかになり3日間で6万人以上の入場者数も見込めるのです。ただし、販売することを目的に展示されていることを知ったうえでアートフェアに行く人はどれだけいるでしょうか。どれだけ教育的な要素があってもアートフェアはあくまでもアートフェア。ビエンナーレとは大きな違いがあります。ビエンナーレを否定的に言いたくないですし、問題の解決策としてアートフェアが増えると思うと穏やかではいられず、気がめいります。

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ニューミュージアムでは、「Pipilotti Rist: Pixel Forest」を開催中(2017年1月15日迄)

聞き手:国際交流基金ニューヨーク日本文化センター 谷川智美
構成・編集:重野佳園
撮影:Ayumi Sakamoto

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Massimiliano Gioni(マッシミリアーノ・ジオーニ)
アメリカ・ニューヨークのニュー ミュージアム エドリス・ニーソン アーティスティック・ディレクター、イタリア・ミラノのニコラ・トラサルディ財団ディレクター。第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2013)で総合ディレクターを務めたほか、マニフェスタ5(2004)、第4回ベルリンビエンナーレ(2006)、第8回光州ビエンナーレ(2010)など、数多くの大規模な国際的な展覧会においてキュレーターを務めた。

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