抽象化によって協働の可能性を考えるー第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展帰国報告会

田中功起×蔵屋美香



 2013年6月1日から始まった第 55 回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展において、日本館の展示「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts(抽象的に話すこと - 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト)」(国際交流基金主催)は特別表彰(Special Mention)を受賞しました。
 参加作家の田中功起さんとキュレーターの蔵屋美香さんが、藤井光さんによる日本館展示のドキュメンタリー映像とともに、現地での様子を報告してくださいました。
(2013年7月18日 国際交流基金 JFICホール「さくら」での報告会を収録)







■ 抽象化によって伝わるメッセージ

田中:藤井光さんのドキュメンタリー映像を観た時に、「ほとんど付け加えることがないね」って蔵屋さんと話してたんですよね。

abstract_speaking01.jpg 蔵屋:藤井さんの映像が素晴らしくて、私たちが経験したヴェネチアってこういう場所だったな、という感じがすごくとらえられていましたよね。
 どういうことかと言うと、「ヴェネチア・ビエンナーレ」って、世界中のアートセレブが押し寄せる資本主義最大のお祭りみたいに受け止められていると思うんですが、実際の展示作業というのはすごく地味なことの積み重ねなんです。
 映像には、清掃の人や警備の人の様子が何度も挟み込まれますね。どんなに派手なお祭りも地道な労働に支えられていて、それがいったん幕を開けるとびっくりするくらいの大パーティーに変わっているという、ヴェネチアの裏と表......つまりアートと日常労働との関係が、すごく批判的にすくい取られている。したがってこの映像は、ヴェネチア全体の構造を的確に表していますし、同時に、日本館のテーマである「協働作業」にも深く関わっていると思います。

abstract_speaking02.jpg 田中:日本館の一番奥の壁に、今回の展示に関わってくださった人たち全員の名前を掲示したのですが、過去に日本館では、スタッフ全員の名前を出すことがなかったという話を聞いて、ちょっと驚いたんです。まあ、今回のプロジェクトで僕は不特定多数の人との協働をちょっと過剰なくらいにやったので、特にたくさんの人たちが関わっているように見えると思うんですけど。でも、あらゆる展覧会は、ものすごい数の人たちが関わって作り上げられているので、その人たちの名前が展覧会のなかに見えてこないのが不思議だなと思っていたんです。
 これまで、展示や作品について語る機会は多くあったのですが、今回はプロジェクトに関わった人たちの話もしながら、「抽象的に話すこと(Abstract speaking)」というタイトルにもある、抽象について考えられたら、と思っています。

蔵屋:今回の受賞は、私たちもびっくりするくらい話題になりましたが、日本館がいただいた「特別表彰(Special Mention)」というのは、正規の金獅子賞、銀獅子賞に加えて、その回のビエンナーレで特筆すべき展示に対し、臨時に出る賞なんです。今回の表彰に関しては、単に作品の善し悪しではなく、日本館以外も、すべて「協働作業」という、審査員が重要と考えたテーマに合致するものが選ばれています。たとえば日本館に対する審査員の選評にも、「協働作業と、その失敗についての考察」に注目した、とはっきり書かれています。「協働作業」というトピックを審査員が重要なテーマとして受け止めて、しかも各国パビリオンや参加アーティストのなかに同様の問題意識が広く共有されていた。実は、そこが私にとって一番嬉しいことでした。
 今回のヴェネチアで、日本館の示した問題意識が観る人たちにも広く伝わった理由のうち、展示のタイトルにもある「抽象」という要素はとても大きな意味を持っていると思います。2012年にコンペ案を作る時、東日本大震災をテーマに扱おうと決めはしたのですが、田中さんも私も具体的にはどうしたらいいか全然わからなかった。アーティストの佐々木健さんと一緒に被災地を見に行ったりもしましたが、田中さんの持ち味は、やはり日常性に足を置いて考えることにあると思うので、ここでいきなり現地に行って田中さんが直截的な活動を始めたとしたら、それはアーティストとしての一貫性に欠けるだろうと感じました。
 そこで、日常性から震災を問うってどういうことかなと考えてみた時に、田中さんの提案した抽象性という言葉が現実味を帯びてきました。例えば、国際交流基金の職員らと一緒に階段を上り下りした映像作品(《振る舞いとしてのステートメント(あるいは無意識のプロテスト)》)。単に階段を上り下りしているだけの映像が、電気を使わないで歩く=原子力発電に何か物申しているような行為に読めてしまうというように、あるひとつの行為が別の意味を帯びてしまう側面というのが、震災後に生きる私たちの社会にはありますよね。これが田中さんの持ち味である、日常に足をつけてものを考えながら、震災という非日常的な大きな問題に向かっていく時の一つのあり方じゃないかと思ったんです。
 非常に曖昧で抽象的ではあるのですが、この曖昧さが、逆に広い意味での読み込みを可能にしたという実感を、私は現地で強く感じました。はっきり言わないことで、多くの人が自分の経験を読み込むことができる隙間をつくれたのだと思っています。

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a, staircase
a behavioral statement (or an unconscious protest)


田中:実は自分で抽象と言っておきながら、まだよくわかってないんですよ。ヴェネチアの会場で説明を求められた際には、「例えば2012年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展の日本館が、被災地での具体的な活動を紹介したことに対し、ぼくらは抽象化されたものを扱っている」という「具体に対立する抽象」としての説明をずっとしていたんですけど、ある人に「ちょっと違うんじゃない」と指摘されて。つまり抽象的であることのなかにも、具体的なことが含まれているはずだと。僕らが今回行ったさまざまなプロジェクトは、すべてひとつひとつは具体的な行動でしかない。具体的な行動をすることが日常性に根ざしているってことだと思うんですけど、それによって示される方向が曖昧である。だからそれを抽象と呼ぶことでいいのかどうか。
 「不安定なタスク」と呼んでいる試みを一度オランダでも行ったのですが、その時はホテルの一室に15人くらいの人たちと一緒に行くという内容でした。ホテルの6階くらいの高さがちょうど16.7メートルぐらいにあって、これは東日本大震災のときに押し寄せた津波の高さ(痕跡として残っている公式な記録)なんです。そこで僕は、津波の具体的な情報は与えずに、水位の話だけをしました。16.7メートルが床の位置で、というような話をしただけで、それが何を意味するかは伝えない。話をした後は自由に解散してくださいと参加者には伝えたんですけど、30分くらいザワザワしたままで、その場に留まり続ける人がたくさんいた。何かを感じていたのでしょうが、同時に彼らはある種の不安定さ、その不安を受け入れようとしてそこに留まったのだと思うんです。そういう意味では、抽象じゃなくて「不安定」(この言葉は「不安定なタスク」という、作品シリーズにも使っています)という言葉のほうがより合っているのかもしれない。不安定な状況を受け入れることで、具体的なものも抽象的なものも含まれていくんじゃないか......。そんな風に最近は考えています。

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b-7, precarious tasks
#6 going up to a city building taller than 16.7m


蔵屋:公式カタログのなかで私は英文でテキストを書いたんですけども、じつは「抽象的な」っていう言葉は使ってなくて、「メタファー」とか「たとえ話」と言っているんです。具体・抽象の区分けで考えると、日常の細かな行為は、細々しているという意味において具体的なのか、それとも、まだ概念的な枠組みが生じる以前の行為という意味で、目的が読みとれない、曖昧で抽象的なものなのか......みたいな、どっちにも取れる言葉の定義の問題になっちゃいますよね。メタファーという言葉を使って考えると、この点はもう少しすっきりするんじゃないでしょうか。
 たとえば、「なぜピアノなのか」「なぜ5人なのか」「なぜ陶芸家は中国人なのか」。田中さんの映像作品の細かな設定自体は、意味付けを問われても説明できません。こうした、意味付けを整理できないものごとを経験すると、人は小さな不安を感じ、そこに新たに意味を与えようと、それまでとはちょっと違う思考を始める。田中さんはそのプロセスを扱っているんだ、という書き方を、テキストの中ではしたんです。
 その時に私の頭のなかにあったのは、柳田国男の『遠野物語』です。作中に100年以上前の明治三陸地震の話が出てくるんですが、ここでは家族が亡くなったという直接的な経験譚ではなくて、ある日月夜の浜辺で、亡くなった奥さんが初恋の男性とあの世で幸せに暮らしているところを残された旦那さんが目撃してしまった。そのショックで旦那さんはやがて死んでしまった、という、一種のファンタジーに話が変えられているんです。震災の経験を語るうえで、怪談要素や恋愛要素って別になくても困らないじゃないですか。だけど、そうした意味や目的をすぐには読みとれない部分を含み持つことで、明治の経験は100年の時間を生き延び、今、私たちに何かを伝えている。田中さんの作品が持つ仕組みも、これと似ているのではないかと思います。

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■ これまでと異なるヴェネチア・ビエンナーレ

田中:もうひとつ、これまであまり喋っていなかったことに「失敗」がありますよね。受賞理由にはなんと書いてありましたっけ?

蔵屋:正確には、「協働とその失敗についての鋭い省察が、日本館に特別表彰を出した理由です(special mention to JAPAN for the poignant reflection on issues of collaboration and failure.)」ですね。

abstract_speaking06.jpg 田中:この「失敗」が何を指していたのかなって思ったんですけど、協働が失敗しているということなのか、それとも失敗しているということを日本館の展示は省察していた、と見なされているのか。受賞理由の文があまりにも短いのでよくわからないんですけど。
 国内コンペで僕らが選ばれたときに、「この案で賞を取れるのか、勝てるのか?」ってことがtwitter上で問題になりました。でも、結果的に取れてしまった受賞の理由に「失敗」が含まれている。これが意味するのは、成功する/失敗する、勝つ/負ける、というような単純な賞レースとしてビエンナーレを見ていた一部の人びとは完全に見当はずれだったということです。そういうマッチョな見方が意味をなさなくなった。ある種、今回のヴェネチアは賞レース的な制度を批判的に解体しようとしてる感じもしたんですが、蔵屋さんはどう思いますか?

蔵屋:ヴェネチア・ビエンナーレ全体の話をした方がわかりやすいと思います。今回は、マッシミリアーノ・ジオーニという若いキュレーターが総合ディレクターを務めました。これまでヴェネチアと言うと、作家が金獅子賞を獲った瞬間に作品の値段がバーンと上がって一挙にスターになる、みたいな派手なイメージがありました。実際、その雰囲気に引きずられて、日本館も賞を取りにいかなきゃ、賞レースに対する戦略が足りないぞ、みたいな議論もありました。でも、ジオーニは非常にその辺が巧妙で、こうしたもろもろをキュレーションの手法によってうまく批判していたのではないかと思います。
 例えば、ジオーニのキュレーションによるセントラル館の展示では、出品作家の半分近くがいわゆるアウトサイダー・アートの人たちで、しかもその何割かは物故者だったりする。これは、現代美術の祭典としては非常にめずらしいキュレーションです。亡くなったアーティストに賞をあげることは考えにくいし、仮にあげたとしても、これからその人がすごく有名になる、というストーリーは考えにくい。賞レース自体が成り立たないような構造を、ジオーニは巧妙に展示に組み込んでいたと思います。また、ジオーニのみならず、これも全員40歳前後と若い審査員たちが、最高賞である金獅子賞を、アフリカのアンゴラという小さな国の展示に与えたことも、ある意味アート関係者にとってはショックだったと思います。
 今回は、ジオーニ、審査員、アーティスト、多くの人がいろんな方法で、ヴェネチアのあり方を批判的に捉えなおす姿勢をはっきりと示していた。こういう場に居合わせることができたのは、私にとって嬉しいことでした。

abstract_speaking07.jpg 田中:全体として祝祭的な雰囲気はなかったですよね。もちろん、いま蔵屋さんが言ったような祝祭的な雰囲気を引き継いだ「俺の表現を見ろ!」っていう国別のパビリオンもありましたが、逆にちょっと的外れで残念な感じがしたというか。なぜ今回に限って、そういう状態だったんでしょうか。僕はこれまでのヴェネチア・ビエンナーレを見たことがないので、いままでとの比較ができないですが、とても意外でした。

蔵屋:私がヴェネチアを見始めたのは90年代の終わりでした。例えばビル・ヴィオラなんかの相当お金をかけた大型映像インスタレーションが出てきた頃で、遅れてきたバブルみたいな雰囲気でした。でも、ヴェネチアの歴史をさかのぼって調べてみると、例えば70年代には賞レースの不透明さや国別対抗という仕組みに対しての批判が高まり、学生運動の煽りで会場が閉鎖されたこともある。私が直接知っているのは派手なヴェネチアだけですが、実は、過去から未来に渡り、いろんな可変性や可能性を持っていて、その揺らぎがジオーニのような戦略を取る余地を生んだのではないでしょうか。
 それから、ドイツのカッセル市で「ドクメンタ」が5年ごとに開催されていますよね。これは、第二次世界大戦後にドイツが国際社会に復帰するにあたって、自分たちが戦時中に行ったことを反省し、市民の手でアートと新しい社会をつくる、という目的で始められたものです。そこでは、既に資本主義との関係や、国別対抗というヴェネチアのような枠組みは、すでに過去のものとして解消済みになっている。ヴェネチアは逆に、資本主義や国別対抗が強固に残存、というか一度潰えてまた復活しているから、いまだこの問題を正面から考える可能性を持つのではないでしょうか。



■ 作品の造形的意味

田中:できあがった作品の「内容」について話す機会ってこれまであまりなかったので、それもちょっと話しておきましょう。
 会場で設営作業をしているうちに、作品の内容同士に造形的なつながりがあるよね、って話になりましたよね。事前に立てた展示プランどおりに配置してみると、どうもしっくりこなくて、結局映像の配置を全部入れ替えたんです。それによって、例えば詩人たちによって共作された大きな紙に書かれた詩の隣に陶芸家たちがひとつの陶器をつくっている映像が流れ、詩人たちの映像の隣にはピアニストたちの協働のテーマ(集団的な取り組みのためのサウンドトラック)である短いテキストが置かれ......っていうように、別々の作品の要素が会場内で隣り合って置かれているという状況に、最終的になりました。そうすると、映像内でつくられているものや、話されている内容のなかに、ある種の共通点を見つけられやすい状況が生まれてきました。

abstract_speaking09.jpg 蔵屋:これまでの田中さんの作品って、映像を流すモニターと一緒に、映像のなかに登場するものが会場に置いてあったんですね。そういう方法で、映像のなかと映像の外の世界をつなぐというのがコンセプトとしてずっとあった。今回も、陶芸のビデオの隣に実際にできあがった陶器を置く、詩人のビデオの隣には書き上がった詩を額装して置くという風に、ビデオと制作物が1対1で対応するように最初は配置してましたよね。でも、その関係がだんだんとずらされていった。

田中:作業スペースが限られていたので、とりあえず空いているスペースに荷物やそのほかの作品を仮置きしていたんですけど、偶然に仮置きした作品同士の自然な繋がりが見えてきて、むしろこのように配置し直した方がいいんじゃないかって判断したんですよね。

abstract_speaking12.jpg 蔵屋:映像と陶器などの成果物が離れたところにあるので、鑑賞者は会場を歩きながらそれぞれのつながりの意味を考える必要が生じます。そうやって会場内を歩く経験が、観る人の頭のなかにいわば「自分だけの脳内展覧会」を組み立てさせる。ウェブ上で映像を見るのとはまた違い、日本館という場でしかできない経験を成立させるための、重要な変更だったと思います。
 それから造形的なつながりについて言うと、例えば「丸テーブルに円状に並べた詩を、詩人たちがテーブルに添ってぐるぐる回りながら読む」という行為が、「陶芸家が輪になって丸いろくろを回している」という動作とほぼ同じに見えたんです。映像と実物をばらばらにしたことで、異なる作品間の「丸」という造形的な共通点が浮かび上がり、二つの異なる場が同じ「丸」によって駆動しているってことが非常にクリアに分かるようになったと思います。

abstract_speaking10.jpg 田中:あと、どうしてもインスタレーションは空間的なものなので人びとはその中を歩きながら断片的に事物/作品を受け取るしかない構造になってしまうのですが、配置を変更したことで、その意味が肯定的なものに更新されましたよね。とくに今回の展示では、それぞれ映像の尺が長い(30〜70分の複数の映像)ので、一部分しか見ない人が多く、より断片的にならざるをえないわけですが、断片的であるがゆえに、例えば単純に「テーブルが丸かった」ということだけが頭に残って、他の場所に登場する丸いもの(ろくろや円形に書かれた詩)に意識が向くというか。

蔵屋:断片的であることによって造形的な類似が際立ち、断片を自分でつないで別のストーリーをつくるという能動性が生まれましたね。藤井光さんのビデオの最後で、私は「造形性」と言っていますが、それは今の話にも深く関わっています。
 震災という大きな問題が多くのクリエーターの間で共有されると、例えば音楽や文学の場でも「今何ができるのか?」ということが当然話題になる。昨日、音楽や映画、文学の批評を主とされる佐々木敦さんと田中さんのトークを聞いたんですけど、震災にどう向かい合うか、といった倫理的な態度についての考え方自体は、どの分野でもそう大きくは変わらないですよね。こうしていろんな分野で同様の倫理的な問題が共有されるようになると、次に「じゃあ造形美術の特性をもってできることは何なのか?」という問いを問わざるを得なくなる。
 詩人の作品に参加してくださった管啓次郎さんが、丸テーブルのことを「近い距離から相互監視するパノプティコン状の空間」とおっしゃっていましたけれども、例えばこうした「丸」というかたちに対する鋭敏な感覚から組み立てられているという点が、田中さんの作品では、メッセージを単純化しないための重要なツールになっていると思うんです。仮に「原発反対」って文字で書いてしまうと、それは100%の反対しか意味できなかったりする。でも、そこには曖昧で多様な気持ちがあって、単純な言葉ではそれを全部吸収できないわけです。他方、美術は言語よりも曖昧なメッセージを発する色やかたちという「視覚言語」に基づくものなので、「100%の反対」ではない揺らぎみたいなものを、言語よりも幅広く込めるのに適している。そこに、抽象的に話すこと、曖昧性、メタファーやたとえ話として今回の展示を捉えることの意味があるのではないかと思っています。

abstract_speaking11.jpg (編集:島貫泰介、撮影:木奥恵三)








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田中 功起(たなか こおき)

1975年生まれ。日常のシンプルな行為に潜む複数のコンテクストを視覚化/分節化するため、主に映像や写真、パフォーマンスなどの制作活動を行う。近作では、特殊な状況に直面する人びとが見せる無意識の振る舞いや反応を記録し、私たちが見過ごしている物事の、オルタナティブな側面を示そうとしている。現在ロサンゼルス在住。
主な展覧会に森美術館、パレ・ド・トーキョー(パリ)、台北ビエンナーレ、光州ビエンナーレ、アジア・ソサイエティ(ニューヨーク)、横浜トリエンナーレ、ヴィッテ・デ・ヴィズ(ロッテルダム)、イエルバ・ブエナ・センターフォー・ジ・アーツ(サンフランシスコ)「Made in L.A.」(ハマー美術館、ロサンゼルス)「2013 カリフォルニアパシフィックトリエンナーレ」(オレンジカウンティ美術館)などがある。

公式ページ:http://www.kktnk.com/alter/





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蔵屋 美香(くらや みか)

東京国立近代美術館美術課長。千葉大学大学院修了。主な企画に、「ヴィデオを待ちながら―映像、60 年代から今日へ」(2009 年、東京国立近代美術館、三輪健仁と共同キュレーション)、「寝るひと・立つひと・もたれるひと」(2009 年、同)、「いみありげなしみ」(2010年、同)、「路上」(2011 年、同)、「ぬぐ絵画―日本のヌード 1880-1945」(2011-12 年、同)。主な論考に「麗子はどこにいる?―岸田劉生 1914-1918の肖像画」(『東京国立近代美術館 研究紀要』第 14号、2010年)。




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