雑誌『をちこち(遠近)』
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国際交流基金の関連事業

「日本的風土の再構築」――東日本大震災からの復興を風土の視点から考える

オギュスタン・ベルク(フランス国立社会科学高等研究院退任教授)
伊東豊雄(建築家)
北川フラム(アートディレクター)



著書『風土の日本』や『風土学序説』で知られるオギュスタン・ベルク氏が、2011年度国際交流基金賞の日本研究・知的交流部門を受賞しました。受賞を記念し、授賞式同日の2011年10月11日、東京都内で「日本的風土の再構築」をテーマにシンポジウムが行われました。東日本大震災から7か月目となった日に、建築家の伊東豊雄氏と、アートディレクターの北川フラム氏を迎えて行われた討議の模様をお伝えします。

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風土性は歴史性を
切り離すことはできない


restructuring02.jpg ベルク:私が研究している風土論について、まず日本の格言を1つ引用したいと思います。それは「景観10年、風景100年、風土1000年」です。
 私は1000年の規模の風土を研究しているだけではなくて、風景にも景観にも興味を持っていますが、今年起きた大地震による津波、そして原発の事故は空間的にも時間的にも、風土のスケールの出来事であったことを確信しています。
 今、皆さまの頭には風土は再建できるのかという問題が浮かんでいると思います。再建、復興するのであれば、どういう方向が望ましいのか。復旧だけではなくて復興、あるいは再生させることは考えられるのでしょうか。
 それにはまず、風土は生きているということを考えねばならないと思います。風土は客体、つまり土地や気候であるだけではなく、それを生きる人間の歴史でもあります。人間と他の生物も一緒になって、ある風土が歴史的に生まれる。ですから、風土性というと歴史性を切り離すことはできません。風土性、歴史性は互いに相手に応じて、歴史的にある方向へ進んでいく。その方向は人間にとって意味を持っている運動なのです。「人間にとって」と言うのは、それが人間の創造する技術体系と象徴体系を合わせて生態系の中に生かしていく複合体だからです。その複合体が生きているということなのです。
 風土が再生しても将来どうなるか、機械と違って、予測することはできません。しかし、ある程度は予見できると思います。その未来を考えるための基準は今までの歴史であります。
 再生させるためには、まず歴史を覚えておかなければなりません。しかし、近代の人間は歴史を忘れがちです。あるいは無視する傾向が強いのです。ラテン語で言うとそれはタブラ・ラサ(白い石版)、何も書かれていない白紙の上で、物を新しくつくるという傾向が強い。それは近代そのものの精神です。その精神が今、日本が置かれている状況をもたらしたことは明らかです。その態度を修正し、歴史性をもう一度発見しなければならないと思います。そのようにして風土性を再び生かすことができるのだろうと思っています。



東日本大震災は
近代主義の思想の限界を示した


restructuring03.jpg 伊東:私はベルクさんがまだ日本に住んでおられたころに書かれた『都市の日本』に影響を受けました。
 私が設計した「せんだいメディアテーク」がオープンしたのはちょうど10年前ですが、今回の東日本大震災で被災しました。2か月休館していた際に、復旧の手伝いをしたのですが、それをきっかけに東北によく行くようになりました。仙台にはこれまでも足しげく通っていましたが、今回特に被害の大きかった三陸地方は訪れる機会がなく、被災後に初めて足を踏み入れました。日本の中でも自分が経験したことのない風景であると感じました。現在私はよく岩手県釜石市に行きます。新花巻駅で東北新幹線を降り、車で遠野を通ると本当に美しく、そこには曲り家(母屋と馬屋がL字形に連結した建築)と呼ばれる素晴らしい民家を見ることができます。そして棚田も大変美しいのです。ところが釜石の集落は決して美しいとは言えません。城を中心にして周りに美しい町がつくられた城下町、あるいは水田や畑を中心にして、自然を美しく開拓してそこに集落ができた農村......。釜石の集落はいずれでもありません。リアス式の入り組んだ湾岸で、釜石市だけでも小さな湾が数多くある。それぞれの湾に数十戸から百数十戸の民家が張りついて、海と向い合って暮らしてきた。そこには中心がないのです。もともとは漁村だったのでしょうが、今はそこに小規模の工場があったり、わずかに人々の民家があります。これは一体なんだろうと考えてみると、言わば郊外です。日本の大都市にはみんな郊外があって、貧しい風景が展開されている。東北の方に怒られるかもしれませんが、そうした郊外の風景に近いと思いました。
 しかし、山と海とはきれいなまま保存されています。交通網が発達していないため、本当に日本の中にもまだこういう場所があったのかと思うような風景が、三陸には残されています。これは沖縄に行っても、北海道に行ってもありません。このことを一体どう受け止めたらいいのか、ずっと考えています。
 今回、多くの住民の方たちから何度も話を聞きました。多くの人が津波はいつか来ると思って準備をしていた。それでも津波によって大きな被害が出てしまった。その原因の1つが防潮堤でしょう。防潮堤の高さが足りなかったという意味ではありません。防潮堤があれば安全だという神話によって、人的被害が大きくなったのです。
 よく津波は天災で、原発は人災だったと言われますが、どちらも人災だったと思います。たった1本の防潮堤によって、こちらは自然、こちらは人の住む場所という境界を定めて、安全だと決めてきた。原発もなかの見えないブラックボックスで囲い込んでその外は安全だとされてきました。しかし、そのいずれもが、いとも簡単に被災してしまったのです。考えてみると、私たち建築家が造る現代建築もまったく同じ思想でできています。自然と人間の住む場所との間に1本の境界線を引き、それによって囲い込めば、中は最適な環境だと考えられてきました。その思想が今回、根本的に崩されてしまったと思っています。
 今、各自治体は「今までの1本の線では無理だ。3本にしよう」と考えていますが、結局、同じことだと思います。変わらなくてはならないのは、そうした近代主義的な思想なのです。もっと人々が、自然は恐ろしいものと考え、自然に対して自分たちがここに住むことを許してくださいという気持ちがあれば、こんなに大きな被災にはならなかったはずです。それを思想として復興計画に取り組むことが最大の課題だと思います。  住民の意思を自治体の計画の中に組み込んで、少しでも自然と良い関係を結んだ町を復興できるのか。ですから、私が東北を支援するのではなくて、これは私自身の問題でもあり、建築家全体の問題でもあると思っています。

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「せんだいメディアテーク」 提供 宮城県観光課



アートが過疎の地域を
よみがえらせる


restructuring04.jpg 北川:私は越後妻有(えちごつまり)という新潟県と長野県の境にある十日町市を中心とした地域で1996年から活動し、2000年からは3年に一度、「大地の芸術祭」を行ってきました。また、2006年からは瀬戸内国際芸術祭を通して、瀬戸内の島を元気にする活動をしています。ここでは越後妻有での活動を中心にお話しします。
 越後妻有は昔、秋山郷と呼ばれ、昭和年代では義務教育免除だった地域を含んでいます。つまり、小学生が学校に行こうにも行けないという地域でした。
 人口3万人以上が集団で営農している場所としては世界で一番雪が深いところです。信濃川が氾濫して出てきた地形で、林があります。人は古くから住み、十日町市の笹山遺跡は今から約4500年前の縄文中期のもので、出土した928点は日本で最も古い時期の国宝に指定されています。
 日本が近代化するなかで、田舎の若年労働者が都市に出て行きました。日本は農業を捨て、昔は棚田などで頑張って田んぼをつくっていた地域に対しても、効率が悪いから、田舎から町に出なさいという方針を採っています。明治の初めに日本で最も人口がいて、厳しい場所でありながら一番お米をつくっていた地域が今は過疎のために、壊滅的な場所になっています。息子が田舎に戻ってくるのは自分の葬式のときだと思っているお年寄りが2割近くいます。こうした中で、どうやってこの地域に住む人たちが希望を持っていけるのか。それが出発点でした。
 そこで、「人間は自然に内包される」というコンセプトをつくりました。共存するというのもおこがましい、自然の流れの中でしか私たちは生きられないと考えて、それを中心に地域の活性化を考えたわけです。
 今年、越後妻有は3回の災害に見舞われました。1月の大豪雪、3月12日の新潟・長野県境地震。フォッサマグナが通っている場所で、3月11日の大地震と連動して起こりました。そして、7月28日の豪雨による洪水。もともと災害が多い地域ですが、その中で自然に合わせながら生きてきた。そういう意味で自然とどう付き合いながら地域を活性化するのかということが大きいのです。
 来られた人たちに棚田を初めとした生活の仕組みを見ていただく。それを皆さんがことほいでくれる。それによって地域の人たちが今までやってきた生活に自信を持つことを狙いにしました。人がたくさん来る観光はありがたいことですが、それは方法であって、実を言えば、おじいちゃんおばあちゃんの笑顔を見たい。その地域の人たちが幸せを感じる「感幸」を、私たちの目的としてやってきました。
 越後妻有にどんな作品があるか、簡単に紹介します。2004年の新潟県中越大震災のあと、建築家のドミニク・ペローが公園の整備に参加してくれました。産業廃棄物が捨てられていた川の横に公園を造り、メインの《バタフライパビリオン》という能舞台は、屋根に反射する素材が使われ、周囲の風景を写して刻々と色が変わるのが特徴です。

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ドミニク・ペロー「バタフライパビリオン」撮影:倉谷拓朴

 フランスのクリスチャン・ボルタンスキーの《リネン》は、1ヘクタールの畑に等間隔に古い衣服を設置したものです。衣服のゆらめくさまは、ここで亡くなっていった人々だけではなくて、ここから外へ出ていかざるを得なかった人たちの魂のゆらめきのようにも見えました。

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クリスチャン・ボルタンスキー「リネン」(大地の芸術祭2000作品)撮影:安齋重男

 地域を元気にすることは、今考えてプラスなものだけでなく、マイナスと思われることを含めて資産を明らかにする、あるいはそこの資源とは何かを明らかにすることです。そこで特に空き家、廃校の再建に力を入れています。ボルタンスキーの《最後の教室》も、今回かなり被害を受けましたが、こうした活動は、地域の人たちの1つの希望になる。廃校になるのは仕方ないから、建物を生かすことを考えました。

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クリスチャン・ボルタンスキー&ジャン・カルマン「最後の教室」撮影:倉谷拓朴

 この地域は、去年から今年の春にかけて平均8回の雪下ろしをしました。ふた冬放っておくと屋根が抜けて雑草が生えます。そういう場所をとにかく生かさなければいけないと、建築家、アーティストが入ってギャラリーや小さなミュージアムに変えていくわけです。約20の学校と、40の民家に手を入れました。例えば、2004年の中越大震災で危なくなった家に日本の焼き物の名手8人が信楽の風呂、織部の釜などを造り、柱から梁(はり)まで掘ることによって再建し、コミュニティの場であり宿泊所として使っています。
 重要なのはアートだけではありません。地域のお母さんたちの料理もそうです。地元で採れる山野草、野菜、キノコなどを使って、地元の人たちがレストランを運営しています。こういうことによって集落あるいはコミュニティをなんとか守りながら、食べていくわけです。
 いくつかわかってきたことがあります。もともとある資産を生かすと、都市と地域の交流が極めて活発になるのです。専門家や若者だけでなく、都市の人たちは地域と関わりたいと思っている。越後妻有では約1000人、瀬戸内では約3000人が登録して、東京や横浜、大阪などから手伝いに来ています。
 新潟はもともと越の国で、歴史的には中央から外れた人たちが追放される場所でもありました。中央から人を受け入れることを考えないと、自分たちの生きる道はない。全体としてはまだまだですが、東京などの中心に向かっていくことをやめようと考えた地域づくりに入っています。
 今年の災害ではいろいろな作品が被害を受けました。越後妻有で少しずつできてきたことは、まず地域の手伝いをする、そしてそれをできるだけ普通に戻して、3年に一度開かれる、来年の「大地の芸術祭」のために復旧しようということです。それと同時に遠くとどうつながるか。まず東北の被災地から来る人を受け入れて林間学校をやろうとしています。こうして都市の人たち、地元の人たちといろいろ楽しむことをやっています。



風土は物理的、精神的な
次元の両方が大切だ


ベルク:北川さんの話についてですが、私は2000年の「大地の芸術祭」を見に行きました。トリエンナーレの最初の年でしたが、残念ながらアーティストたちのいる夏に行くことができず、秋になってから行きました。人は少なくなって田舎に戻った感じでした。あのときは、アートによって地域の経済、地域の生活が再生できるか、将来どうなるかという不安がありました。しかし、少しずつ来る人が増え、妻有が有名になり、経済が復活し始めたというお話ですね。
 やはり、人間の生きている風土そのものに価値があります。そこに人間の創造力を生かせば、歴史が変わるきっかけが出てくると思います。
 東北の復興の話になりますが、具体的な生活の地盤と言うと、普通はまず土木の話から始まります。今まで国土開発といえば、まさにそうでした。しかし、北川さんのお話はアートから、つまり精神から始めようということで、今までなかった逆転したやり方ですね。
 風土には「土」もあり、「風」もあります。つまり物理的な次元と精神的な次元の両方があります。精神的な次元も大事なのです。風土の意味を考えれば、私たちは両方を同時にやらなければならないと思います。
 そして3番目に忘れてはいけないのは、肉体の次元です。先ほどの地方料理の話などもそうですが、生活そのものをもう一度発見しなければならないということです。
 伊東先生のお話ですが、印象深く聞いたのは、人災と天災についてです。津波はもちろん天災ですが、被害には必ず人災が含まれています。今回の出来事にはそれがはっきり出ています。もちろん津波の次に原発の事故が起こったからですが、これも風土そのものと言えます。
 風土とは「土」、つまり物理だけの話ではなく、それを基盤にした人の生活、人の肉体、人の感じ方を通じて精神までおもむくという意味があります。それは「風景」あるいは「山水」という概念が出てきたときからある考え方です。六朝時代の中国に宋炳(そうへい)という画家がいて、世界で初めて風景論、山水論を書きました。その山水論の最初には、「山水にいたっては形を有にして霊におもむく(至於山水、質有而趨靈)」とあります。質は物理的な形のことですね。風土は物理的な国土ではあるけれど、それだけでなく、それを風土にするのは人間です。その中に「土(ど)」をある「風(ふう)」に捉える人間の生き方、風俗があるのです。
 「風(ふう)」にはいろいろな意味があります。例えば、「日本風にやる」「フランス風にやる」とか。それは風俗、文化そのものですね。人の人生、人の感じ方、精神を含んだとらえ方、土のとらえ方が風土ということなんです。これからの人たちはどのように日本という国土をとらえるか、その想像力に期待しています。



コミュニティの維持が
被災地再生への鍵


伊東:風土は僕の解釈では「土地柄」という言葉が日本語では一番ぴったりする気がします。つまり、その土地がどういう人を育てるか、どういうコミュニティをつくりだしていくか。それが三陸へ行くと「この土地がこういう人を生んだのだ」ということがすごく見えてきます。ところが東京にいると、そういうことは全く見えません。先ほどお話ししたように、今、建築は東京でも仙台でも、あるいは青森でも、どこでつくっても全部同じです。つまり、その土地とは無関係に建築が造られているからです。それが結局、そこに住む人を無性格にしています。それが非常に今の日本の大きな問題ではないかと思っています。
 今回の大震災ではその瞬間にみんなが、風土によって人間は育まれてきたということを考えたはずです。それが時間がたつと薄れていって、復興だという話ばかりになりつつある。そのことこそ、僕ら日本人が本当に重く受け止めなくてはいけないと思うのです。
 ベルクさんがおっしゃったように、復興計画は完全に土木主導で動いています。その計画に民意をどういう形で入れることができるのか。そのために今、非常に小さなプロジェクトですが、「みんなの家」をつくる運動をやっています。これは住民たちが集まって、これからどういう町にしていくのかを話し合える場所を提供するという運動で、建築家の妹島和世さん、山本理顕さん、内藤廣さん、隈研吾さんと私の5人で行っています。
 仮設住宅の中でもいい、あるいは被害を受けた商店街の中でもいい。本当に小さな、半壊したビルの一画を囲うだけでもいい。人々が心を安らげる場所をつくって、食事を一緒に食べて、そしてそこでこれからの町をどうするかということを話し合う。それが拠点になって、新しい町の復興計画の起点になっていくようなネットワークを僕らはつくりたいと思っています。
 非常にささやかなんだけれども、それを実行することによって少しは土木的な復興計画とは違うものに変えていくことはできるんじゃないかと頑張っています。

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「みんなの家」

北川:その活動はコミュニティ再生に関わっている部分が大きいのですね。

伊東:そうですね。あのエリアに行くとコミュニティがまだ残っていることが実感できます。被災した方たちは体育館などで避難所暮らしをし、今は仮設住宅へ移っています。それは一歩前進だと受け止められていますが、実は避難所と仮設住宅は全く違う性格の空間です。避難所ではまだコミュニティを持続できます。仮設住宅に行きたくないというお年寄りの話を何度も聞きました。そうしたコミュニティすらも、仮設住宅によって失われつつある。だからそこにみんなの家をつくって、仮設住宅の中でもコミュニティが残ることをやりたいなと思っているわけです。

北川:ベルクさんの本を読ませていただくと、地形以外にも歴史の大切さを指摘されています。そこには当然コミュニティも入ると思いますが、日本のいろいろな地域のバネになっているコミュニティに対して、ご意見をお聞かせください。

ベルク:土地柄、コミュニティという言葉が出てきましたけれども、土地柄といえば必ず人間同士の間柄ですし、コミュニティといってもそれは隣の人間との関係だけではなくて、やはり以前の人間との間柄であり、未来の人間との間柄でもあります。
 人は過去、現在、未来に対しての間柄の中にいてこそ、初めて「人間」なのです。これは和辻哲郎の有名な人間の解釈ですが、人間には「人」「間」の両面があって、「間」というのは間柄のことです。それは人間の基本的な構造ですが、近代の人間はそれを無視して「人」だけの次元で生きようとしている。それは個人主義であるだけでなく、資本主義も同じように歴史の趣を断絶させて、今の利益だけを考えるようになっています。
 現在、先進国は持続不可能な生活様式をしています。日本もフランスもアメリカも、程度は違うけれども、みんなそうです。歴史の教えを無視し、未来の人間を無視するわけですね。人間の本来の構造を再発見し、「人間」である、人だけではなくて間柄を持った存在であることをもう一度考えるべきなのです。

伊東:今のお話を伺っていて、昔ベルクさんの書かれた書物を読んだときに、「形」は「空間の中にある」だけではなくて、「時間の中にもある」と書かれていたのを思い出しました。
 これは本当に大事なことで、われわれも建築を近代主義の中で考えるときには空間の中だけで考えて、人と人とのコミュニティも何か空間をつくればそこでつくられると言ってきました。しかし、そういう時間の中でのコミュニティは、これからの建築を考える意味でも本当に重要なことだと思います。

北川:東日本大震災から7カ月がたちました。ほぼ同時刻に日本列島にいる人たちが震災を目撃したという体験は、戦後の中で初めてだったかもしれません。私たちはそれとどうつながっていろいろなことを考えていくか、あるいは、どう忘れないでやっていくかということが問われているのかもしれないと思います。



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撮影:相川健一






restructuring11.jpg オギュスタン・ベルク(フランス国立社会科学高等研究院退任教授)
1942年モロッコ・ラバト生まれ。日本各地の文化や風土に造詣が深く、独自の風土論を確立したフランスの著名な日本研究者。和辻哲郎『風土』に出会ったことを契機に、単なる自然環境ではない「風土」に関する画期的な研究によって、地理学、哲学、人類学、そして日本研究の分野において多大な貢献を行っている。1984年から4年間、日仏会館(東京)フランス学長を務めた。



restructuring12.jpg 伊東 豊雄(建築家)
1941年京城市(現・ソウル市)生まれ 。東京大学工学部建築学科卒業。
1965から69年まで、菊竹清訓建築設計事務所勤務後、1971年にアーバンロボット(URBOT)設立、代表取締役に就任。1979年、事務所名を伊東豊雄建築設計事務所に改称 。
主な作品 に、せんだいメディアテーク、TOD'S表参道ビル、多摩美術大学図書館(八王子キャンパス)、2009高雄ワールドゲームズメインスタジアム(台湾)、今治市伊東豊雄建築ミュージアムなどがある。現在、台中メトロポリタンオペラハウス(台湾)、バルセロナ見本市グランヴィア会場拡張計画(スペイン)等が進行中。
受賞歴として、ヴェネチィア・ビエンナーレ「金獅子賞」(2002年)、王立英国建築家協会(RIBA)ロイヤルゴールドメダル(2006年)、第22回高松宮殿下記念世界文化賞(2010年)など。
2012年秋に開催される第13回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館ではコミッショナーを務める。


restructuring13.jpg 北川 フラム(アートディレクター)
1946年新潟県高田市(現上越市)生まれ。 東京芸術大学卒業。
主なプロデュースとして、現在のガウディブームの下地をつくった「アントニオ・ガウディ展」(1978-1979)、日本全国80校で開催された「子どものための版画展」(1980-1982)、全国194ヶ所38万人を動員し、アパルトヘイトに反対する動きを草の根的に展開した「アパルトヘイト否!国際美術展」(1988-1990)等。
地域づくりの実践として、2000年にスタートした「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(第7回オーライ!ニッポン大賞グランプリ〔内閣総理大臣賞〕他受賞)、「水都大阪」(2009)、「にいがた水と土の芸術祭2009」「瀬戸内国際芸術祭2010」(海洋立国推進功労者表彰受賞)等。
長年の文化活動により、2003年フランス共和国政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。2006年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)、2007年度国際交流奨励賞・文化芸術交流賞受賞。2010年香川県文化功労賞受賞。
現在、「越後妻有アートトリエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」の総合ディレクター。




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