子どもたちに寄り添う外国人ボランティアたち

NPO法人NICE(日本国際ワークキャンプセンター)理事
吉本紀子


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2011年3月11日、東日本を襲った大震災と津波。その影響を受けたのはもちろん日本人だけではなかった。多くの外国人が避難したり、帰国したりする中、東京で英語教師を務めるアメリカ人女性のリアは、被災地の子どもたちのためにできることを探していた。4月25日、リアは避難所の子どもたちと遊ぶプロジェクトに参加するため、福島県会津若松市にやってきた。

浜通りから会津若松地域に避難している人は約1万人。その1.5~2割は中学生以下の子どもたちだ。学校にも行けず、自分の家にいつ帰れるかもわからない状況で避難所にいる子どもたちのケアの必要性をいち早く感じたのは、地元でフリースクールを営むNPO法人寺子屋方丈舎の代表、江川和弥さんだった。

震災の直後から、市内の避難所の3か所に、寺子屋方丈舎のスタッフとツイッタ―で募集した地元の高校生・短大生ボランティアを交代で毎日派遣し、10時から16時頃まで子どもたちと遊んだり、話を聞いたりした。4月からは、普段から「国際ワークキャンプ」というボランティアプログラムを共催しているNPO法人NICEと一緒に「震災復興特別ワークキャンプ」を開始。全国、そして海外から来るボランティアをいち早く受け入れ始めた。

workcamp02.jpg リアはワークキャンプの最初の外国人参加者だった。8年間日本に住んでおり、普段は子どもたちに英語を教えている。福島に行くと言ったら、子どもたちの親や友人がおもちゃや絵本を寄付してくれた。それと、普段使っているシールや手作りのゲームなどを大きなスーツケースに詰め込んできた。

「福島に行くといって、旦那さんや家族に反対されなかった?」
と聞くと、
「アメリカの家族には最初反対された。アメリカと日本では報道がかなり違って、アメリカの報道は極端で間違った情報も多いので、それを説明して、理解してもらった。夫は一緒に行きたいといっていたけれど、仕事で来れなかった」 と笑う。

workcamp03.jpg リアは日本語の日常会話は問題ない。難しい話は日本人のボランティアが通訳した。自然と通訳を担当するようになったのは兵庫県から来たけいこさん。50代の主婦だ。まだ肌寒い4月の会津で、床に寝袋で寝る生活はきついのではないかと問うと、
「私は阪神・淡路大震災で実家が被災した経験があるから何かをしたかった。あの震災を経験していなければこなかった」
と語った。子どもと遊ぶのはそんなに得意じゃない、と言いながら、食事作りや通訳を誰よりも熱心にこなすけいこさんの存在は学生のボランティアにはとても頼もしかった。

ボランティアは毎朝ミーティングを行い、その日の活動場所を確認する。おにぎりとお茶を持ち、2~3人で1つの避難所に行き、夕方まで子どもたちと遊ぶ。
金髪に青い目のリアを見て、子どもたちは驚き、最初は遠巻きに見ていたが、すぐに「英語ちゃん」というあだ名をつけて遊び始めた。リアの持ってきたアルファベットのシールや動物のすごろくは大好評。画用紙にリアの絵を描いてプレゼントしてくれる子どももいた。お母さんたちも、「どこに住んでいるの?日本語うまいのね?」とリアに話しかけるようになっていった。

workcamp04.jpg 1日の活動が終わると、ボランティア全員で集合し、各避難所の子どもたちの様子や親の話、気付いたことを共有する。リアは、
「子どもたちが片付けをしないようなときには叱ってもいいのか」
という疑問を投げかけた。
「被災した子どもも普通の子ども。悪いことをしたら叱ってもいいのでは」
「いっしょに片付けよう、といって片付けてほめてあげると、子どもも達成感がある。なんでもボランティアがやってはダメだと思う」
他のボランティアから意見が出て、江川さんもアドバイスをする。時にミーティングは1時間にも及ぶ。

2週間の活動を終えて帰ったリアと、再び東京で会った。
「実は私は日本人の友達は少なくて、今まで日本人は表面的には穏やかで優しいけど、内面はどうだかわからないと思っていた。でも、避難所の人たちやボランティアと一緒に過ごすうちに、内面も優しくて思いやりのある人が多いとわかった。会津若松での2週間で、日本人に対する見方が変わった」
という。
「来週は石巻に行く。これも同じような避難所の子どもたちと遊ぶボランティアなの」
リアはその後石巻に3回、気仙沼に2回、南三陸に1回、アメリカ人の夫と一緒にボランティアに行き、会津若松も再び訪れている。


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会津若松には、リアの後もアメリカ、香港、フランスなどからボランティアが来て、そのほとんどは日本語が話せないながらも子どもたちと遊び、今も活動を続けている。
香港で会社員をしていたエスターは、3週間の休みがとれず、仕事を辞めて日本に来た。
「行かないと自分が後悔すると思った。香港で働いて、また必ず会津若松に来る」

アメリカのNYに住むヨガ講師のジャッキーは、
「アメリカ人はロジカルだから、会津若松は福島の原発から何キロ離れていて、どういう状態で、だから安全だというようなことをもっとクリアに知らせた方がいい」
と、英文のボランティア募集のインフォメーションや資料を全部作りなおしてくれた。

香港の大学院生、ウォルターは、来たときは全く日本語が話せなかったが、2週間で簡単な日常会話ができるくらいに日本語が上達した。一度香港に帰り、8月には再びNICEのワークキャンプで岩手県の陸前高田に滞在し、瓦礫撤去などのボランティアをしている。

被災者の生活はまだまだ先の見えない状態だが、こうした外国人ボランティアの存在に、 「遠いところから来てくれて、応援してくれているって思うとありがたい」 といってくれる人も多い。子どものケアという、地道で成果が見えにくいけれど必要な活動が、会津若松だけでなく、東日本の多くの場所で今日も続けられている。



NPO法人NICE
日本や世界中から来た若者達が2~3週間共同生活をしながら、地元の人々と一緒にボランティア活動をする「ワークキャンプ」というプログラムを主催。9月後半からは国際交流基金 日米センターの助成を受け、自然災害の多い国から来たボランティアが長期活動する「被災地復興ネットワーキング・特別国際ワークキャンプ」を開催。福島復興支援・避難所便り


Yoshimoto06.jpg 吉本紀子
NPO法人NICE(日本国際ワークキャンプセンター)理事。学生時代から国際ワークキャンプに参加。2001年、NICEの派遣で国連UNESCO内のCCIVSにてアジア欧州ユースボランティアエクスチェンジのコーディネーターとして働く。2002年よりNICE理事。2011年、東日本大震災直後より福島県会津若松市に入り、震災復興特別ワークキャンプのコーディネーターを務める。

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