雑誌『をちこち(遠近)』
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国際交流基金の関連事業

「3.11-東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」展を通じて考えたこと

五十嵐太郎
建築批評家 



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塔と壁面のある仮設集会所
© Taro Igarashi Laboratory (Tohoku University)



◆ゼロ段階という可能性

 国際交流基金(ジャパンファウンデーション)の依頼により、世界各地を巡回する「3.11-東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」展を監修した。タイトル通り、未曾有の震災と津波の後、建築家がどのように活動したかを紹介するものである。本展でとりあげたプロジェクトは、被災者が体育館などに避難する第一段階の「緊急対応」、第二段階「仮設住宅」、そして第三段階「復興計画」という3つのフェイズに分類した。またこれらに加え、緊急時における国際交流の事例として、「海外からの提案」のセクションも設けた。以下に各段階ごとに見ていこう。
 第一段階は、津波や地震で家を失ったり、自宅に戻れなくなった人への緊急措置である。まずは最寄りの学校の体育館や教室、または文化施設などを避難所に変え、被災者が受け入れられた。この段階ではスピードがもっとも要請され、建築家が本格的にできることは少ない。震災が起きてから考えても、ほとんど間に合わないからだ。とはいえ、建築界では、すぐに今後の救援のためのさまざまな組織が結成されている。またプライバシーがない避難所の生活を改善すべく、工学院大学の鈴木敏彦研究室によるダンボールシェルターや安東陽子のカーテンのように、簡易間仕切りをつくるなどの活動が行われた。
 一般的に小学校の体育館などが避難所に使われるが、有名現代建築の避難所への転用も興味深い。例えば、新居千秋が設計した大船渡市のリアスホールは、リアス式海岸に着想を得た襞状に細かく分節された小さな内部空間が、被災者のそれぞれ居場所をつくり、良好な環境を形成した。こうした文化施設は、いわば本来の目的とは違う集合住宅として瞬間的にリノベーションされ、非常においてその真価を問われたのである。とすれば、今後の建築を考えるうえで、非常時にも活躍できるようなリダンダンシー(冗長性)をもったデザインが求められるのではないか。
また地元の職能団体だからこそ、迅速にきめ細やかにできることがある。例えば、社団法人日本建築家協会(JIA)東北支部の初期災害復旧支援活動だ。被災地以外からの建築家が東北地方に入ってくるのは、基本的に交通事情が回復してきた3月下旬くらいからになっているが、現地の建築家はすぐにでも関わりをもつことができる。JIAの住宅相談は、地元のテレビ局などのマスメディアが震災後に流した支援情報の中でも繰り返し紹介されていた。雑誌等のメディアは、東京のスター建築家ばかりを報道しがちだが、彼らのサポートも忘れてはいけない。本展では、なるべく地元の建築家の活動も紹介するように心がけた。
 ところで、2008年に山崎亮が企画したワークショップ「避難生活+design」は、震災時に体育館へ避難した際に生じる課題をスタディし、翌年に『震災のためにデザインは何が可能か』を刊行した。すなわち、第一段階の避難生活を想定した演習だが、震災前からのデザインの試みという意味で、三段階に分けて手前の、いわばゼロ段階におけるとりくみが重要だろう。


◆プロジェクトの数が多いこと

 第二段階は、避難所生活の後、家を失った被災者に期間限定の住居を大量に供給することが求められる。東日本大震災では、5万戸以上の応急仮設住宅が建設された。もっとも、プレハブの場合、生産のシステムと絡む部分が多く、震災後にできることは限られている。つまり、すぐれた仮設住宅を提案しても、震災が発生してからでは間にあわない。それゆえ、仮設のトリセツなど、仮設住宅の配置に対する提案、付属施設の追加、生活空間のカスタマイズなどが行われた。また今回は被災規模が大きかったために、既存のプレハブ供給だけでは追いつかず、遠野市仮設住宅 希望の郷「絆」や南相馬市の「塔と壁画のある仮設集会所」など、建築家が関与しながら、各地でさまざまな木造の仮設住宅も登場したことは特筆される。
 展覧会は、50組以上のプロジェクトをとりあげており、3331アーツ千代田の「つくることが生きること」東日本大震災復興支援プロジェクト展や関西で開催された「1.17/3.11 明日の建築」展など、震災の一年後にあたる2012年3月の同時期に開催された類似企画と比べても、最大の規模と言えるだろう。本展では、事例をしぼって紹介するのではなく、まず数が多いこと自体を表現しようとした。実際、阪神淡路大震災のときに比べて、被災規模が大きいこともあり、今回は圧倒的に多くのプロジェクトが動きだしている。
 被害のエリアが広いことや、多くの建築家や教育機関が位置する東京が近いことのは、その一因だろう。また坂茂齋藤正のように、すでに阪神淡路大震災や海外の被災地において救援を行った建築家は初動が早かった。初めてではなく、二度目の経験だからである。またベルギーの大学が石巻でワークショプをして提案したまちづくり「石巻建築ワークショップ(IAW)」 や、アフリカのカーボベルデ共和国で、被災した漁村の日本人を丸ごと引き受け、移住させる日本人村計画など、海外からの提案も目立つ。そうした動向を海外に向けて広く伝えるべく、この展覧会は企画された。
 全体のキックオフとしては、被災地である仙台の東北大学において、2012年3月2日に展覧会がスタートした。会場は、震災により建築棟が大破したことを受けてつくられた仮設校舎であり、展示のなかで紹介している。ゆえに、会場そのものが1/1の展示物になっていた。パネルのほかには、それぞれのプロジェクトの場所を一覧できる東北地方の地図、映像やドローイング、建築模型、ダンボールによる家具や小屋などの実物も用意している。また日本人にとってはなじみ深いものとなったが、海外の人たちにはすぐにピンとこないであろうリアス式海岸を視覚的に理解してもらうために、津波の被害を受けた女川や気仙沼の地形模型を導入部において展示している。

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仙台の東北大学仮設校舎での展覧会

 今回は同じものを2セット制作し、仙台会場のほかに、3月6日からパリの日本文化会館の1階と地下でも展覧会が行われた。その後、ロシア、アルメニア、韓国で開催され、ケルン、ローマ、北京などをまわる予定があり、2年間、2セットが世界を巡回する。本展とは別に、バルセロナの日本現代建築展「RESET 11.03.11#New Paradigms」やパリの「3.11後の建築・都市-建築家たちは地域をどう再生しようとしているのか?Ville et architecture après le 11 mars. Comment les architectes régénèrent-ils le local ?」展なども開催されており、震災後の日本の建築への関心度の高さがうかがえる。

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パリでの展覧会
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モスクワでの展覧会
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ソウルでの展覧会


◆建築家の能力が試されるとき

 展示するプロジェクトは2011年11月の時点で固めたために、第二段階の仮設住宅は実現した事例が中心になったが、第三段階の復興計画はほとんどが構想段階のものになっている。街の高台移転が注目された。しかし、あらゆる場所で一律に行えば、問題が解決するわけではない。すべての街において状況が異なるからだ。例えば、針生承一らによる閖上ルネサンス計画は、変わり果てた故郷の風景を取り戻し、地形を変えたり、集団移転することなく、安全で安心出来る住環境を形成するべく提案したものである。したがって、第一段階や第二段階では間に合わなくても、すぐれた空間のリテラシーをもち、場所の文脈を読む建築家は、復興計画の段階においてこそ、最大の能力を発揮できるだろう。
 震災を契機に、ヴェネチア・ビエンナーレ 第13回国際建築展(2012年8月より開催)の日本館に出品する伊東豊雄らのみんなの家のほか、藤村龍至の国土計画からミクロのレベルで介入を行う建築家のネットワーク組織アーキエイドまで、さまざまなアイデアが提出された。牡鹿半島で開催されたアーキエイドの復興ワークショップでは、15大学の研究室が集まり、漁村集落の多様な地域性をすくいあげるリサーチと提案を行う。アーキエイドは、コンサルやゼネコンも入ってこないような見捨てられた小さな集落をていねいに読み込み、復興の姿を示す。
 地震と津波がなくなることはない。周期的に繰り返されるがゆえに、災害を忘れないことが重要である。これは記憶を抱えたまちづくりを示唆するだろう。文献やデジタル・アーカイブだけではなく、宮本佳明塚本由晴研究室のプロジェクト、震災遺構の保存など、物理的なレベルでまちに記憶を組み込むことが求められるのではないか。ともあれ、実現されるプロジェクトが数多く登場するのは、2012年以降になるだろう。2011年秋と2012年初頭にアーキエイドの協力によって実施された被災地の七ヶ浜町における保育所と中学校のコンペはその最初の事例といえる。本展でも第三段階の最後にとりあげた。ちなみに、展覧会のタイトルに「直後」という言葉を入れたのは、二年間の巡回のあいだに情報が古くなったと思われないためである。つまり、震災後の約半年で何が可能だったかを紹介することに焦点をあてたものだ。
 レクチャーで訪れたパリ展の芳名帳をみると、日本への応援のメッセージや震災直後から多くのプロジェクトが動きだしたことに感心していた。3月には国際交流基金の企画により、ベトナムでも、3.11以降の建築について講演を行ったが、ここでは原発を導入することから、その安全性に注目が集まっている。言うまでもなく、地震と津波は日本に多いが、世界各地で起きるものではない。フランスもベトナムも関係ない。とはいえ、それぞれの国に固有の自然災害はあり、洪水やハリケーンのようなものはフランスやベトナムでも起きる。とくに原発事故への世界の関心は高い。実際、いずれの会場でも、質問はここに集中していた。もっとも、建築の立場から、原発事故に対処したり、解決するのはなかなか難しいのだが。ともあれ、今回の展覧会は、世界に向けて日本の建築家が立ち上がっていることを示すメッセージであると同時に、各国でそれぞれの災害が起きた後、どのように対処するかをゼロ段階から具体的に考えるきっかけになるだろう。

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パリ展の芳名帳





「3.11-東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」展

http://www.jpf.go.jp/j/culture/exhibit/oversea/traveling/architecture_311.html

http://www.mcjp.fr/日本語/講演会/過去の事業/「3-11後の建築・都市-

http://www.jpf.go.jp/overcoming/exhibition.html

http://www.jpf.or.kr/column/news/200910/20091015000001.html






architect311_01.jpg 五十嵐 太郎(いがらし たろう)
建築史・建築批評家 1967年 フランス・パリ生まれ。
1992年東京大学大学院修士課程修了。東北大学大学院工学研究科 教授
あいちトリエンナーレ2013芸術監督。第11回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展(2008年)日本館展示コミッショナー。
現代日本建築家列伝』(河出書房新社)、『被災地を歩きながら考えたこと』(みすず書房)ほか著書多数。
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