雑誌『をちこち(遠近)』
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グラフィティの力──チチ・フリーク、石巻での復興プロジェクトを語る

チチ・フリーク(グラフィティ・アーティスト)
大山エンリコイサム(美術家)



世界を舞台に活躍するグラフィティ・アーティスト、チチ・フリーク。東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市にて現地活動団体らとプロジェクトを立ち上げ、ブラジルから来日、仮設住宅で暮らす人々と協同で壁画作品を制作した。日本とも縁が深いチチ・フリークの目に映った東北の姿とは? 気鋭の美術作家、大山エンリコイサムによるインタビュー。



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■アーティストができること

大山:はじめまして、大山エンリコイサムです。
まず簡単にですが、僕が何者かを説明しておこうと思います。
というのも、僕がインタビュアーに選ばれたのにはいちおう理由があると思うからです。

僕は日本生まれ日本育ちですが、父親がイタリア人、母親が日本人です。まずこの時点で、日系ブラジル人でいらっしゃるチチ・フリークさんに少なからず親近感を感じてしまうと言ったら大袈裟でしょうか。

それだけではなく、僕はふだん美術活動を行なっており、とくにグラフィティやストリートアートと現代美術の双方にまたがる視点から作品をつくったり、また文章の執筆活動も行なっています。
チチ・フリークさんも日頃から感じていらっしゃることだと思いますが、グラフィティやストリートアートはここ十数年で世界的な文化現象として定着し、また毎日のように世界のどこかで新しい実験的な表現が試みられている、とても刺激的なジャンルです。アーティスト同士の独自のネットワークのなかで、国や地域を越えた交流やコラボレーションがインディペンデントなレベルで活発に行なわれているという点も、その魅力のひとつだと思います。

そのようなグラフィティやストリートアートのグローバルな動向を考えるとき、今回チチ・フリークさんが国際交流基金に招へいされ、日本にとって歴史的な意味をもつ3.11という出来事に対して、グラフィティ・アーティストの立場からコミットした事実は*1、とても意味深いことのように思えます。
このインタビューでは、同じアーティストとして、またグラフィティやストリートアートのフィールドにいるものとして、そして半分日本人であり、半分そうでないものとして、僕自身の視点からチチ・フリークさんのお話を伺えればと思います。

まず最初に、日本で地震が起こったときどのように感じられたか、そしてその後、実際に被災地を訪れ、ご自身のアートを通じて被災者の方々とコミュニケーションをとられたその一連のプロジェクトのなかで、なにを感じられたかを教えてください。できれば、どのようなきっかけで今回のプロジェクトが実現したか、その経緯も教えていただけると嬉しいです。

[編集部註] *1──チチ・フリークは、国際交流基金のプロジェクトで、2011年12月に宮城県石巻市にて作品制作やワークショップを行なった。
「コミュニティ×グラフィティ@仮設住宅(トゥモロー・ビジネス・タウン) in 石巻」(石巻市トゥモロー・ビジネス・タウン、2011年12月3日〜11日) 
http://www.jpf.go.jp/j/project/intel/archive/information/1201/12-01.html
 

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制作を見守る人々

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仮設住宅の壁面に作品が描かれた



衝撃的な風景、印象的な人々

チチ:大山さん、はじめまして。
日本の東北地方で地震と津波の悲劇が起こったとき、私はブラジルにいました。ケーブルテレビのNHKで放映される映像を家族と見ていましたが、その光景はにわかには信じがたく、すべてを理解するのに少し時間がかかりました。
まもなく、そのニュースはブラジルのテレビでも流れ始めました。まるで映画のワンシーンのような映像を見たあのときに感じたのは、痛み、怒り、悲しみが混じりあった気持ち、そして、この事態を前になにもできないという無力感でした。

私の妻は日本人で、私は日系三世です(私の祖父母は最初の移民船「笠戸丸」でブラジルに渡りました)。そのこともあって、人一倍、「あの人たちのためになにかしなければいけない」と思いました。
2011年の3月の終わりに妻と私はサンパウロのあるギャラリーの協力を得て2枚の版画を制作し、それを売ったお金を東北地方の復興支援のために募金することにしました。無事に作品を買っていただき、9月には日本赤十字社を通して募金することができました。

震災が起こる少し前に、私たち夫婦は日本にしばらく住むことを決めていました。じつは以前からずっと考えていたことで、妻の家族は大阪に住んでいますし、息子もまだ小さいので、彼にとっても日本に住むことはいい経験になると思ったのです。それに私の芸術のためにもとても大切だと思いました。
そのような事情もあって、震災後、東北へ行ってなにかをしたいと思っていましたが、日本では何事もそう簡単ではないことも十分にわかっていました。とりわけ、グラフィティということになると......。

そんなことを考えていた矢先、駐日ブラジル大使館と国際交流基金から石巻でのグラフィティのプロジェクトについて、メールで打診があったのです。信じられないタイミングでした。やはり日本へ行くべきなのだと確信しました。

そこからおよそ2カ月をかけて、石巻の仮設住宅に住んでいる人たちのためのグラフィティ制作とワークショップを行なうプロジェクトの準備をしました。ほどなくして、住民の方々によってプロジェクト実施の承認がなされました。その決定直後の11月には私はもう日本で関係者と顔を合わせ、被災地に雪が降りだす前の12月にはプロジェクトがスタートするように準備を始めていました。

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チチ・フリーク

石巻で住民の方々と共に過ごしながらの10日間ほどの作業で、15枚の絵を描きましたが、それは生涯忘れられない貴重な経験となりました。悲劇が起こった場所に身をおき、津波に襲われた土地を歩くことでこれまでに経験したことのない衝撃を受け、生きる意味をあらためて考え直すきっかけともなりました。
あれほど悲惨で悲しい経験だったにもかかわらず、誰もが町やそれぞれの生活をよみがえらせようと一生懸命働いていて、生き残った被災地の皆さんは誰もあきらめてはいませんでした。津波で、家も、友人も、家族も、すべてを失った男性は、まだ心に深い悲しみを抱えつつも、「ただ膝を抱えて泣いてばかりはいられない、自分が津波にあっても生き延びられたのは、前を向いて歩き続けなければならないからなのだ」と話してくれました。あんなことが起こっても、彼らは怒りを感じてはいませんでした。その姿は私の心に深く刻まれています。

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石巻市の風景



ためらい、ジレンマ、当事者性

大山:チチ・フリークさんと同じように、国内でも震災の直後にアート関係者のさまざまなアクションがありました。一番多く見られたのはチャリティ・イベントで、売り上げを被災地に寄付するというものです。そのほかにも、震災や原発をテーマにした作品の発表やプロジェクトなどもありました。

その反面、震災に対し、アーティストとしてアクションを起こすことに強いためらいを感じた人もいました。あるいは結果的にアクションを起こした人でも、そのためらいを一度経由したうえで行動することに決めたという場合も多かったようです。

そのようなためらいの原因は人それぞれだと思いますが、そこには多かれ少なかれ「東日本大震災のような大惨事に対してアートが本当になにか力を持つことができるのか」「それはアートに関わる人間の自己満足に過ぎないのではないか」というジレンマがあったように思います。逆に言えば、そのようなジレンマを抱えてしまうほど、東日本大震災は日本人にとってショッキングなものだったとも言えます。

また、そのような事態のさまざまな受け止め方というのは、当事者性の程度によっても大きく異なりました。東京の人はもちろん津波の被害は受けていませんが、原発問題に関しては少なくても潜在的な被害を受けています。そのとき、自分たちはなにに対してどの程度まで当事者であり、どのようにコミットするべきなのかということへの認識において、ある種の混乱状態にあったのかもしれません。

そのように考えると、日系ブラジル人であるチチ・フリークさんがユニークな立場で被災地へ赴き、アートを通じて現地の人たちとの交流を成功させ、そこにポジティヴな雰囲気をもたらしたというのは、やはりとても意味のあることだと思います。

同時に、上記のようなジレンマの問題を踏まえるとき、アートが今回のような歴史的な大惨事に対してコミットしていくことについて、チチ・フリークさんがどのような考えをお持ちなのかに興味があります。そのあたりのことを聞かせていただけますか?



グラフィティの力を試す

チチ:私は、アートがなんらかのかたちで人々を変えることができると信じています。とりわけ、グラフィティは、ストリートのアートであり、アーティストと人々との接触がもっとも多い表現なので、コミュニケーションのきっかけになりうることを知っていました。また、私を含むプロジェクトのメンバーは、このプロジェクトによって人々の自尊心を高めることができると思っていました。それは私の作品の色彩と作品を描くという行為自体が人々の感受性に訴えかけられるだろうと思ったからです。

石巻にはサンパウロやニューヨーク、そのほかの大都市のようなグラフィティのシーンはありませんし、私は日本人がある種のことに対してどれだけ閉鎖的かも知っています。ですから、大山さんがくしくも"ためらい"とおっしゃったように、地域の人たちが私の絵を気に入ってくれないかもしれない、ブラジル人アーティストがスプレー缶を持って彼らの家に絵を描いているのを不審に思うかも知れない、という不安もありました。

実際、はじめの数日はなんとなく疑いの目を向けられている気がしました。ところが、日が経つにつれて、そして絵が形になっていくにつれて、住民の方々の私たちへの接し方が明らかに変わり始めました。人々が私に話しかけてくれるようになり、私の絵をとおして彼ら同士の会話も始まり、子どもたちは私のグラフィティのそばで遊びたがりました。私が絵を描いている姿を見たり、私と一緒にいることを、楽しんでくれているのだと理解しました。10日間にわたる制作期間中は、制作以外の時間も彼らと一緒に過ごしたことで、より親睦を深めることもできました。

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作品制作中のチチ・フリーク

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地元住民との交流会

プロジェクトが終わるころには、皆の笑顔がはっきり見てとれるようになり、私の仕事を心から喜んでくれているのがわかりました。日本ではアートといえば絵画や彫刻が一般的なようですが、彼らが私の絵のスタイルを徐々に理解してくれていく様子はたいへん興味深く、感動的でもありました。
結果的に、グラフィティはこの地域の人々の心を動かすことができました。彼らは家からより多く出るようになり、会話が増えて、場所に対する愛着も生まれたのではないでしょうか。正直、これほど大きな反応があるとは思いませんでした。

石巻にはたくさん友達ができました。みんなとても心の温かい良い人ばかりで、彼らを忘れることなどとてもできません。彼らとの再会のためにも今年中に必ずまた石巻を訪れ、このプロジェクトの続きとして建て直しが進んでいる商店やレストランなど、市内のほかの場所にも絵を描こうと思っています。

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ステンシルを使ったワークショップ



災害と芸術の関係を歴史的系譜でとらえる

大山:グラフィティがストリートのアートであるからこそ、直接に人の生活へと届けることができるというのはそのとおりですね。

たしかに、もともと石巻にはグラフィティが根づいていたとは言えないでしょう。他方で、たとえば日本では1923年の関東大震災の直後にも、今和次郎によるバラック装飾社の活動などがありました。これは、ある種の生活困窮状態において、芸術によってそこに彩りを加えるという試みの歴史的前例であり、今回のチチ・フリークさんの石巻でのグラフィティ・プロジェクトはその現代版のようにも感じられます。
今後機会があれば、そのようなことについても聞いてみたいと思います。

今回はインタビューに応答していただきありがとうございました。ひとまず、僕からの質問はここで終わりにしようと思います。 チチ・フリークさんのこれからの活躍に注目するとともに、石巻でのプロジェクトの続行も期待しております。




継続的な関係を

チチ:大山さん、今回は本当にありがとう。

私も自分がアートをとおしてほかの人の役に立てたことをとてもうれしく思っています。 4月にはまた日本に戻って、石巻の皆さんに会い、ほかの場所にも絵を書くつもりです。

将来、一緒にアートプロジェクトができる日がくるかもしれませんね。 そのときにまたお会いしましょう



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魚や花をモチーフにしたグラフィティ

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地元住民とのひととき

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作品を前に地元住民らと




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石巻仮設住宅グラフィティアートプロジェクト報告書




TitiFreakはブラジルで開催される講演会「復興のためにアートは何ができるか」にて、石巻での自身の活動について話します。

3月20日サンパウロ大学、3月21日サンパウロ美術館、3月23日パラナ博物館(クリチバ)。また、講演会と併せて東日本大震災の映像上映も行われる。







graffiti_12.jpg チチ・フリーク(Titi Freak)
1974年ブラジル・サンパウロ生まれ。日系ブラジル人。国際的に活躍する、ブラジルを代表するグラフィティ・アーティスト。各地の自治体や所有者等の許可・依頼を得て、合法的なアートとして壁画(グラフィティ)を描く。NIKE、adidas、CONVERSE等の企業との仕事を多数手がけているほか、各国からの招待によるグラフィティ制作も行う。世界各地のギャラリーでの展覧会なども精力的に行っている。アートを通して東西文化の融合、人種差別や貧困問題などのテーマを表現しており、その作品は芸術作品としての評価も高い。
http://titifreak.blogspot.com/


graffiti_13.jpg 大山エンリコイサム(Oyama Enrico Isamu)
美術家。 1983年、イタリア人の父と日本人の母のもと東京に生まれる。「Quick Turn Structure(急旋回構造)」という独特のモチーフを軸に、ペインティングやインスタレーション、壁画などの作品を発表する。2011年秋のパリ・コレクションではCOMME des GARÇONSにアートワークを提供するなど積極的に活動の幅を広げている。おもな展示=「あいちトリエンナーレ2010」(名古屋市, 2010)、「Padiglione Italia nel mondo : Biennale di Venezia 2011」(イタリア文化会館東京, 2011)など。共著=『アーキテクチャとクラウド──情報による空間の変容』(ミルグラフ, 2010)、論文に「バンクシーズ・リテラシー──監視の視線から見晴らしのよい視野にむかって」(「ユリイカ」2011年8月号、青土社)など。アジアン・カルチュラル・カウンシル2011年度フェローシップ(ニューヨーク滞在)。
http://enricoletter.net/




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