雑誌『をちこち(遠近)』
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震災のあとの社会状況の中でアートの役割を問う~「抽象的に話すこと - 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト」展でみたコンセプチュアルアートの可能性

長谷川 祐子(東京都現代美術館 チーフキュレーター)



 ヴェネチア・ビエンナーレには独特の評価軸やポリテイクスがある。世界が政治的、経済的、文化的なグローバル化の勢いと、ローカルがかかえているあまりに多様な状況との関係において、結果として生じているきしみをアーテイストたちは反映している。その一方で1820年からはじまった西洋的な美学レジュームの中で形成されてきた価値体系はいまだ強く、方法論や主題のヴァリエーションはあっても「ベニス」的評価がそれに準じていることに変わりはない。
 評価されるものは、政治的、社会的な状況に対する批評的な視点と、それを一定のレベルまで抽象化し、知性と感性に作用するプロポーザルとして共感、認識できるところまで押し上げる造形力である。

 今回日本館の展示において、田中功起がもっとも留意したのは、批評的立場をとるときの対象との「距離」の問題といえる。「abstract speaking」というタイトルはその距離感を表している。
 キュレーターである蔵屋美香には、311の震災後の日本の状況、社会や共同体のありかたやアートの役割を問い直すキュレイトリアルの意図があった。4年超にわたり米国・ロサンゼルスに在住し、震災時に「ここ」に立ち会っていなかった田中が、つまり、間接的な「当事者」でしかない彼がこの意図を受けながら、どのようにプロジェクトを構築していくのか、彼が出した「解」はその試行の結果であり、彼にとってはひとつの転回点となるものだった。
 旧作を含めた9つのプロジェクトは恊働-経験の共有とその過程で生じる葛藤、交渉、共感-を共通のテーマとしている。田中は複数のメデイアを使って、偶然や即興性によるモノのコレオグラフィーとコンスタレーション、場の移動などによって、本来のモノの意味をずらしたり、新たなイメージやコンテクストを生んできた。
 近年、プロジェクトに人をかかわらせていく過程において、彼が見いだしたのは一つの目的にむかって恊働、あるいは一つの経験を共有することで、その過程で生じるコミュニケーション、デイスコミニケーションや失敗もふくめてそこからたちあらわれてくるものの多様さだった。
 そのゆるやかな暗示、ゆるやかに共有されているものへの推測といったものが、今回結果として「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts(抽象的に話すこと - 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト)」展の魅力の一つとなっている。


9つのプロジェクト art_after_the_earthquake02.jpg art_after_the_earthquake03.jpg art_after_the_earthquake04.jpg art_after_the_earthquake05.jpg art_after_the_earthquake06.jpg art_after_the_earthquake07.jpg art_after_the_earthquake08.jpg art_after_the_earthquake09.jpg art_after_the_earthquake10.jpg

 会場は、前年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展日本館の展示の一部を残しながら、9つのプロジェクトのビデオ、ウオールテキスト、箱、陶器、本、ドローイングなどの行為に関係するオブジェが、無造作に組み合わされ、乱雑にならないぎりぎりのリズムを維持している。即興的に見えてスペースの中にリズム感をもった田中の従来のインスタレーションと比較するとかなり雑然と込み合った展示構成といえる。
 理髪師や、陶芸家、詩人の共同(制作)はまだわかりやすいが、不可解な集団行為も含まれており、それはテキストを読む事によってはじめて理解される。集団で本をかかえて、非常階段を昇降する静かな抵抗の振る舞いとしての行為、また皆で建物のある高さの部屋に集合し、そこからの風景を見る体験を共有する行為-この行為はロッテルダムで行われ、しかもそれが福島の津波の高さと同じであることは参加者には伝えられない-など、抽象的な行為から、それぞれの参加者、あるいはテキストとともにこれを見る観客が多様な意味を汲み取っていくことが謀られている。場やコンテクストが異なっていても、一つの出来事から多くのものを「抽象的」に共感、共有することができる。
 田中の今回の成果は、スロウで間接的でありながら複数の人間たちの行為の細部やリアクションをとらえることで、ゆるやかな政治的、社会的なステイトメントに到達していることであろう。この方法論は社会的政治的な視点に基づいた批評的な作品例が他の地域とくらべて少ない日本の現代アートの状況と照らし合わせると興味深い。これは美術教育や作家の社会性、意識の問題にもよるが、「態度をそのまま形にする」ことへのためらい、気後れがあるような風潮が大きい。アートが批評的な声明をもつこと、それが社会へ作用していくことへのコンセンサスが作家にも観客にもいまだ十分には共有されていないのだ。
 中国の作家の例をとれば、一時、権力社会批判的な作品を海外の関係者むけに作り、国内むけには具象画を描いていたりする露骨なダブルスタンダードの傾向があった。ポリテイカルを記号的に売りにすれば評価されるという美学レジユームの約束事の中で「受け」をねらうこと。日本の一部の若い作家たちにはそのことへの抵抗が深層心理のレベルであるのではないだろうか。
 震災のあとの社会状況の中でアートの役割を問う、蔵屋のキュレイトリアルのコンセプトを出発点として、それを共同体験という主題を通して、より高次の共通認識と共感のレベルに止揚した田中の展示は、日本的な、集合意識に訴える、柔らかで曖昧なコンセプチュアルアートの可能性を示したと言える。


第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展 日本館 art_after_the_earthquake11.jpg art_after_the_earthquake12.jpg art_after_the_earthquake13.jpg art_after_the_earthquake14.jpg art_after_the_earthquake15.jpg art_after_the_earthquake16.jpg art_after_the_earthquake17.jpg art_after_the_earthquake18.jpg
(写真:木奥恵三)




art_after_the_earthquake01.jpg 長谷川 祐子(はせがわ ゆうこ)
東京都現代美術館 チーフキュレーター
1979年京都大学卒業後、東京芸術大学大学院修了。水戸芸術館現代芸術ギャラリー、ニューヨーク・ホイットニー美術館研修、世田谷美術館、金沢21世紀美術館などで、多くの斬新な現代美術の展覧会を手掛ける。2006年、多摩美術大学美術学部芸術学科教授、および同芸術人類学研究所所員に就任。また同年より東京都現代美術館チーフキュレーターを務める。2001年、イスタンブール・ビエンナーレ、2013年、シャルジャ・ビエンナーレなどを企画。主な著書に『キュレーション 知と感性を揺さぶる力』、『「なぜ?」から始める現代アート』 、『女の子のための現代アート入門』、共訳書にアーナソン『現代美術の歴史』など




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