繍仏(しゅうぶつ)の制作者と意味の解明

2019.9.20

キャロリン・ワグーラ
ピッツバーグ大学博士後期課程

国際交流基金は日本に関わる研究を行う学者・研究者を日本に招へいしています。2018年度日本研究フェローとして、国際日本文化研究センターで「仏陀の具体化:日本の繍仏における女性の存在」をテーマに博士論文を書き上げたキャロリン・ワグーラ氏に繍仏との出会いから研究についてのエッセイをご寄稿いただきました。

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當麻寺 奥院

奈良県葛城市の當麻寺には何度も行ったことがありますが、毎回、観光客はあまり見かけませんでした。印象に残っているのは、人気のない石段、静寂に包まれた曼荼羅堂と建物に所蔵されている當麻曼荼羅の綴織、そして二つの塔に挟まれたボタン園。當麻寺は1400年の歴史を持つお寺ですが、平穏な空間なので、私が見つけた秘密の場所だと思ってしまいます。お寺の門をくぐり、砂利道を進むと、そこには黒い僧衣を着たお坊さんが立っていて、挨拶をしてくれました。お寺全盛期の頃からの貴重な宝物を観覧するために、私は當麻寺を訪れたのです。その宝物とは、伝説の中将姫によって織り上げられたと伝えられている繍仏です。現在は展示ケースの中にきちんと保存されていますが、むかし色鮮やかだった糸は今では鈍い茶色に変化しています。

忘れられた貴重な刺繍を研究することは、華々しい作業に思われるかもしれませんが、研究時間のほとんどは図書館で過ごしています。繍仏の裏に書かれている銘文を判読し、慎重に現代語と英語に翻訳する作業を行っています。繍仏を博士論文の研究課題にすると決めてから4年経ちますが、繍仏に魅せられた理由は今でもはっきりしません。繍仏の魅力は単に美しいというだけでなく、作品を通して中世日本の宗教的・神秘的な考えがよく見えてくるところにあります。これは繍仏を大切な遺物だと私が考えている理由でもあります。

繍仏は追善や供養などに使用された作品が多く、亡き人への思いが込められた礼拝像です。そもそも繍仏とは心のこもった作品であり、また世間一般だれでも持っている共通の感情を表すものなのです。飛鳥時代・奈良時代における繍仏は、高さ10メートル以上の大規模な作品が多く、そのほとんどは朝廷によって制作されていました。有名な例として754年に孝謙天皇が2帳の大規模な観音菩薩の繍仏を東大寺の大仏殿にかけたと史料に記されていますが、現在、これらの作品はもう残っていません。鎌倉時代には繍仏の制作が飛躍的に増え、阿弥陀来迎図が最も盛んに制作されました。この図像は阿弥陀如来が雲に乗って亡き人を迎えに来て、極楽浄土へと導く場面を表現しています。

繍仏は追善供養思想と深い関係があります。高貴な女性の発願によって制作された作品が多く、女性本人の髪を仏菩薩の衣服や仏菩薩を象徴する種子などに縫い込んでいます。このタイプの繍仏は髪繍と呼ばれ、当時、髪を用いて繍仏を縫い込むことで即身成仏の功徳を得られるという考えがありました。中世の女性はおそらく仏菩薩と縁を結ぶために毛髪を寄進して刺繍に縫い込んだのだと私は思います。

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重要文化財
刺繍大日如来像
鎌倉時代
細見美術館蔵

私は14年間も日本に滞在していましたが、「繍仏」という言葉自体を初めて聞いたのは4年前のことでした。大学院のゼミで使用した書籍に載っていた色鮮やかな糸を使った作品「刺繍大日如来像」(細見美術館蔵、重要文化財)に魅せられたのが研究を始めるきっかけでした。当然、作品の美しさに感銘を受けたのですが、繍仏に関心を深めた理由はその書籍に記されていない数多くの疑問が浮かんだことでした。誰が繍仏を作ったのか、また、どうして制作されたのか?

繍仏の制作や発展に女性がどのように関わっていたのか、また、どんな儀式に使われていたのかを検証したくて、私は研究を始め、繍仏に関する資料を集め始めました。史料を通して繍仏の発願者の名前とアイデンティティを現代に蘇らせたかったのです。しかし、4年前は繍仏に関する資料が少なく、1964(昭和39)年に奈良国立博物館で開かれた「繍仏」展の目録と数点が記された論文ぐらいしかありませんでした。繍仏の糸の色使いや技法なども検証したかったのですが、大半の写真がモノクロの画像だったので、研究を進めるのには難しい状況でした。

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刺繍と伝統的な技法で両界曼荼羅などの図像を入念に再現している中村和照氏(右)と。

そんな折、2018年の夏に奈良国立博物館で「糸のみほとけ−国宝綴織當麻曼荼羅と繍仏」という特別展覧会が開かれました。繍仏に関する展覧会が開かれるのは50年ぶりのことで、奇跡的に現在まで残っている中世の繍仏が修理され、図像・材質技法が分類整理され、高精細の画像が撮影されました。9か月間の国際交流基金日本研究フェローシップが奈良国立博物館の展覧会と重なって本当に私は運がよかったと今でも感じています。

私は、フェローとして来日した最初の週末にこの繍仏の展覧会を見に行きました。目録で見ていた繍仏の名品ばかりがずらりと並んでいました。目録では不明瞭だった繍仏の画像が奈良国立博物館のモダンな建物の中で鮮やかに生き生きと蘇ったようでした。実物を見ると、繍仏の技法や色使いなどの細かな点も認識することができました。また、ひと針ひと針思いを込めて刺繍されていることがよく伝わりました。一つの花びらを刺繍するだけでどれくらい時間がかかるかと、考えるだけでもめまいを起こしてしまうほど感動しました。

フェローとしての滞在期間中に、繍仏の復元に携わってきた日本刺繍の職人さんにも会うことができました。中村和照氏は刺繍と爪掻綴という伝統的な技法で文様を織る専門家で、両界曼荼羅などの図像を入念に刺繍で再現しており、彼の作品はお寺の儀式などに使用されています。長い年月の間に風化した中世の繍仏の模様などは彼の作品で復元されています。想像以上に明るい色彩で、絹糸には光沢があり、大変驚きました。

繍仏についてまだまだ研究不足な点が多々あるため、新たな発見をすることができるのは私の研究の一番の喜びです。博士論文を書き上げるのは孤独な作業ですが、研究はいつも共同作業だと私は感じます。田舎のお寺などで繍仏が再発見されると研究者や繍仏愛好家からよくご連絡をいただきます。また、繍仏についての講演会では、聴講者の意見を聞くことにより、自分の研究を見つめ直すこともできて、大変勉強になります。例えば神戸大学で髪繍についての講演会を行った時に、「髪は女の命」といった言い伝えに繍仏との繋がりがあるのではないかと言われました。この様に、日本では女性の髪の毛に対して特別な感情を持っていたことがよく伝わり、現代でもことわざとしてこの考えが生き続いていることがわかります。

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国際交流基金京都支部講演会にて「中世日本の繍仏における女性の存在」について語るワグーラ氏。

繍仏は制作当時の発願者や結縁者の信仰心を伝える作品です。制作背景や事情について研究すると、母・息子・娘などの亡き人を偲ぶために、思いを込めて制作された作品が多いことがわかります。亡き人が極楽へ無事到着することを願って制作されていることが繍仏の図像に表れています。中世の繍仏は色が落ちていて、現代ではすたれた習慣や儀式に使用されていたことから難解なものだと思われがちです。でも繍仏は現代人としても忘れてはいけない事実を伝えています。それは、命が実にはかないものであることです。繍仏を通してその事実が深く、強く感じられると私は思います。

buddhist-embroideries-006.jpgキャロリン・ワグーラ
1990年生まれ。ピッツバーグ大学博士後期課程在学中。専門は日本美術史。2018年度国際交流基金日本研究フェローとして国際日本文化研究センターにて繍仏について研究を行った。近著として「仏陀の具体化:中世日本の繍仏における女性の存在」のテーマの博士論文を書き上げている。

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