雑誌『をちこち(遠近)』
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JF便り 日本研究・知的交流編・1号 日本アセアン・フォーラム―東アジア共同体形成のためのパートナーシップ

日本研究・知的交流部
小松諄悦


2006年2月24日午前、アロヨ大統領は非常事態宣言をだした。
この日、日本アセアン・フォーラムに参加予定の日本側メンバーの多くは、マニラに発つことになっていた。国会議員が1名、ジャーナリストが3名、学者2名、そして私を含むジャパンファウンデーション職員2名の計8名である。

第一報を得たのち、まず主催者であるフィリピン安全保障・開発研究所(ISDS)に開催の可否を確認する。全く動じている気配はない。予定通りである。マニラ日本文化センターに様子を聞く。市内は平常どおりである。反大統領集会が行われているのは、会議会場から少し離れており、危険はないだろうとのことであった。

jf-stu1forum.jpg議員から連絡がある。外務省から、危険はないが、空港が閉鎖されると予定通り帰れないおそれがある、との連絡が入ったとのことである。こちらからは、マニラからの情報を伝える―会議は予定通り行なわれる、会議開会中の危険は余りない、ジャーナリスト、学者、ジャパンファウンデーション職員は予定通りマニラに向かうなど。議員は、帰国の翌日に予算委員会の決議が予定されているので、帰国が遅れることはできないと判断に迷っていた。

成田空港の待合室に議員から電話があったのは、それから2時間ばかりたった後だった。外務省、在マニラ大使館、アジア開発銀行マニラ本部など情報収集の結果、参加を見合わせるとの結論であった。ドタキャンで迷惑をかけることを心配していた。やむを得ない判断であった。

マニラは平和であった。空港ではいつものように生バンドが歓迎の演奏をしていた。普通でないのは、渋滞のない空港からホテルまでの道路であった。ホテルのロビーは、何事もないかのようににぎわっていた。

翌日の会議は、予定通りはじめられた。日本とアセアン諸国の議員、ジャーナリスト、研究者が、ほぼ計画どおり参加した。ただ、日本の国会議員、フィリピンの議員とジャーナリストは参加できなかった。会議のテーマは、「東アジア共同体形成のためのパートナーシップ」。

jf-stu1forum2.jpg非常事態宣言にもかかわらず、議論は活発であった。「アセアンの不安定要素はフィリピンだけではない。タイのタクシン首相は、国会を解散し、野党は総選挙をボイコットした。ミャンマーは相変わらずアセアンの頭痛の種である。設立から40年近くになるアセアンですら統合には程遠い。まして日中韓を含む東アジアの共同体など、夢のまた夢である。


主催者は、フォーラムの中の1セッションに「東アジア共同体の夜明け」というタイトルをつけていたが、「夜明け」はまだまだ先の話で、現実は「真夜中」である」「共同体という言葉は誤解を生むので、当面は、「東アジアの協力関係(cooperation)くらいにしておいたら」などなど「東アジア共同体」に対する風当たりは強かった。

日本のジャーナリストからも、「日本の現政権、次政権のことを考えると、日中関係は暫らく解決しようがない」「共同体などということをどれだけ真剣に考えているのか」など悲観的な意見が出された。

一方、推進派からは、「誰も共同体が一朝一夕にできるとは思ってもいない。自由貿易協定(FTA)やメディアのネットワークなど、機能ごとに、段階的に具体化を図っていけばいい」「価値観の共有が重要で、このための重要なステップのひとつは、歴史認識の共有化の努力である」「協力関係は日常的に行われており、共同体という目標を掲げることが重要」など積極的な提案が出された。

近年のアセアンの知識人との対話でしばしば強調されるのが、日本のリーダーシップの欠如であるが、今回も繰り返された。戦後のトラウマからそろそろ解放されるべきだという意見も聞かれた。

今回も日本の政治家の参加を得られなかった。アセアンが日本に期待する生の声を、だれよりも日本の政治家に聞いて欲しかっただけに残念であった。しかし、今回は、日本からジャーナリストも研究者も例年になく多くの参加をえた。日本の生の声は、アセアンのリーダーにとどけられた。日本とアセアン諸国との対話を続けていくことの重要性が再認識された。


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