考えを「分かち合う」ための一歩として―「日韓若手文化人対話事業」を担当して

武田康孝(アジアセンター)

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第3回寄藤文平×キム・ジュンヒョク韓国対談(2016年6月、ソウル)

ソウル日本文化センターでの4年間

 筆者がソウル日本文化センターで勤務したのは2012年4月から約4年間。この間、両国間では様々な問題が顕在化し、関係は決して良いものとはいえなかった。一方で、文化・芸術分野においては、両国の交流はこの間も着実に進んでいるという印象を持った。
 例えば2013年~14年には、草間彌生展、村上隆展、スタジオジブリ展といった展覧会が韓国側の主催で開催され、ファンが会場に詰めかけた。演劇界では、日本の作品が上演されたり日本の演出家が韓国で演出を担当したりすることはすでに珍しくなく、日韓の劇場が共同で新たな作品を制作することも多い。ソン・ギウン脚本、多田淳之介演出の『가모메(かもめ)/カルメギ』が両国で上演され大きな反響を呼んだのも記憶に新しい。また日本においても、熱狂的なブームは一段落したものの、K−POPや韓国映画、韓国ミュージカルといった分野ではすでに確固たるファン層が存在する。

「日韓若手文化人対話事業」の誕生

国と国との関係は難しい状況にあるが、互いの文化に対する関心に衰えは見られない。民間や自治体間の交流の層も厚い。こうした状況下で迎える国交正常化50周年に、文化交流を通じ相互理解を促進することを目的とした事業を行う国際交流基金として一体何をすべきなのか、何ができるのか。これまでの50年を踏まえ、次の50年を見据えた交流のきっかけをどのように作り出せるか。
 そんなとき、前年(2014年)の初夏に実施したある事業が頭をよぎった。ソウル国際図書展に合わせ直木賞作家の朝井リョウさんをお招きした際、女性作家、チョン・セランさんと公開で対談していただいたときのことだ注1。初対面だった二人はすぐに意気投合し対談でも様々な話が出たが、二人の目のつけどころや共感するポイントに共通点が多いことが印象に残った。それは、同じ小説家だからというだけでなく、ひとりの20代の若者としてそれぞれの国で経験する楽しみや悩みが似ているからかもしれないと感じた。
 このような若い世代の対談をシリーズ化できないだろうか。内部で検討を重ねた結果生まれたのが「日韓若手文化人対話」である。事業の大枠は以下の通り。(1)20代〜40代中盤くらいまでの次の世代を担うであろう、(2)それぞれの国で精力的に活動を行っている文化人に、(3)同じ組み合わせで日韓両国で公開での対談をお願いする。(4)同じ活動分野でも他分野でもかまわないが、原則としてこれまで直接コンタクトのない方々の組み合わせとする。(5)対談の模様は後日日韓両言語で出版する。幸い、韓国国際交流財団(Korea Foundation)東京事務所、韓国の文学作品を精力的に日本語で出版している株式会社クオンにも主旨を賛同いただき、三者で事業を進めることとなった。コンタクトのない方同士という条件をつけたことで対談者の選定には苦労したが、各界の一線で活躍する日韓文化人各5人から参加するとの快いお返事をいただいた注2

第1回 朝井リョウ×チョン・セラン

 対話の初回は東京で、前年の朝井リョウさんとチョン・セランさんとの対談だった。朝井さんの母校である早稲田大学の会場には200人近くが詰めかけた。1年ぶりという時を全く感じさせない二人の対話は、互いの作品の感想からしだいに両国の文学を取り巻く環境の話へと移っていった。筆者は進行を担当したが、自分たちの世代の作家が文学界をいかに豊かで魅力あるものにしていくかなど、時間の経過とともに深みが増していく内容を来場者一人ひとりが一言漏らさず聴こうとする姿勢が壇上から感じられた。また、日本では履歴書を手書きで書く人が大多数だが、それは手書きに「愛」があると信じている人が多いからだという朝井さんの分析に驚くチョンさんと、10年以上前に履歴書がデジタル化されている韓国の状況を知ってうらやましいという声を挙げる朝井さんのやり取りを横で見ながら、互いの国の一般の人々がどのように生活しているかについては案外よく知られていないのではないかとも思った注3

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第1回朝井リョウ×チョン・セラン日本対談(2015年7月、東京)

第4回岡田利規×キ・スルギ

 劇作家・演出家の岡田利規さんからは、ある展覧会で見た韓国人アーティスト、キ・スルギさんの作品に強い衝撃を受け「この人とぜひ話してみたい」とのラブコールがあった。分野の異なる二人による、いわば「他流試合」の実現である。「私は岡田さんのことを全く知りませんでした。でも私が付き合いのあるソウルの演劇関係者は全員、岡田さんのことを知っていてビックリしました!岡田さんは有名な方なのですね」と話すキさんを見て、これは面白い対話になると直感した。今年3月に京都で行った対話では、写真というメディアを用い一人で創作活動を行うキさんから、作品の制作に行き詰まったときの対処方法について問われた岡田さんが、「僕の作品には俳優やスタッフなどともに作る人々のアイディアが含まれていて、結果として自分の頭の中で思い描いたものよりも良いものができるから、実は最近行き詰まったと思ったことがない」と答える場面があった。対話終了後キさんから岡田さんに対し、この出会いを大切にして二人で共同で作品を制作できないかという、企画者の当初の意図を超えた提案があった。岡田さんは即座に快諾、現在制作が進行中である。

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第4回岡田利規×キ・スルギ日本対談(2016年3月、京都)

ともに語り、考えを分かち合う。

 5組の対話は話す場所も内容も全く異なるが、その根底には共通点が存在する。相手の語ることを受けとめよう、理解しようとする姿勢である。疑問に感じる点や理解が難しい点を含め、相手の考えをいったん自分のものとして受けとめ理解しようと努力する。受けとめた側も同様に自らの考えを投げ返す。いわば考えのキャッチボールを、来場者を含めた公の場で分かち合ってみる。結果として相手の考えることすべてを理解できなくてもかまわない。そうした姿勢で相対してみる行為を続けていくことで、岡田さんとキさんの例のように新しい文化の営みの「種」が生まれていく。このような経験こそ、今の日韓の人々に必要なことではないだろうか。その意味で、この事業のサブタイトルに「ともに語り、考えを分かち合う。」とつけたことはあながち間違っていなかったなと思う。

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第2回(於・日本)で対談した光嶋裕介氏とアン・ギヒョン氏
(左)銀閣寺を見学する2人(右)対談会場で記念撮影

 ソウルでの勤務を終えこの事業の担当ではなくなったが、今後は一人のサポーターとして、日韓の文化人が紡ぎ出す言葉のやりとりや分かち合いが、両国の次世代の交流の種となっていく過程を見守りたいと思う。来年の書籍出版も楽しみだ。

*対談の内容をまとめた本は、来年株式会社クオンから日本語で、追って韓国の出版社から韓国語で出版される予定です。

(注)
注1 : このときの模様は、「いつの時代も読者とともに~朝井リョウ、初訪韓」をご覧ください。
注2 : 5組は次の通り(敬称略)。第1回朝井リョウ×チョン・セラン(ともに小説家)、第2回光嶋裕介×アン・ギヒョン(ともに建築家)、第3回寄藤文平(デザイナー)×キム・ジュンヒョク(小説家)、第4回岡田利規(劇作家・演出家)×キ・スルギ(アーティスト)、第5回西川美和(映画監督・小説家)×ムン・ソリ(女優)。
注3 : 朝井さん、チョンさんの東京での対談の模様は、『早稲田文学』2015年冬号に掲載されています。

本記事の韓国語版はソウル日本文化センターのウェブページでお読みいただけます。

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