海外で発展を続ける日本食の新潮流

佐久間裕美子


japanese_food05.jpg  たとえばニューヨークのケースでいうと、2004年にMEGUMatsuriEn Japanese Brasserieといった大型の高級和食レストランを相次いでオープンし、空前の和食ブームが始まるまで、和食レストランの約85%は、非日本人が経営する「スシ」レストランだった。それから約7年、海外における「ジャパニーズ・フード」は、そば、ラーメン、天ぷら、焼肉、焼き鳥、懐石料理と、バリエーションを広げつつ、今も人気を拡大し続けている。今、海外の「和食」がどう変貌しているのか、食のプロたちに話を聞いた。

 まず最初に訪ねたのは、食の評論家で、現在はオンラインの食雑誌「Daily Meal」でエディトリアル・ディレクターを務めるコルマン・アンドリュース氏。日本を訪れたことこそないが、ニューヨークを拠点に、欧米のさまざまな都市で「和食」を体験してきた。

japanese_food16.jpg 「ニューヨークに初めてスシ・レストランがオープンしたのが1950年代のこと。以来、カロリーの低い健康的な食事として市民権を得たスシが、いまだにアメリカ人の大半にとっては『和食』。けれども、舌の肥えた人々が味わうことのできる和食の幅がどんどん広がっています」
 前述したように、2004年には日本人が経営する大型の和食レストランが相次いでオープンした。それぞれがスシ以外の食事をメニューに取り入れ、和食=スシでないことを知らしめた。そこから焼き鳥、ラーメン、そば、懐石、炉端焼き、精進料理というように、専門性の高い小さな店が次々オープンし、ちょっとした和食ブームが巻き起こったわけだ。

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 コルマン氏が指摘する興味深いポイントに和食の価格帯がある。
「カリフォルニア・ロールなどの『寿司ロール』のパッケージを、スーパーやデリで見かけることも当たり前になった。同時に、欧米の多くの大都市ではフランス料理にとってかわって、街で一番高価なレストランが、和食の店である例が増えています」
 90年代には健康食ブームに乗っかった形でアメリカから世界に広まったスシが、2000年代になって、日本人シェフがオープンする「オーセンティックな和食の店」が増えたことで高級な食事と認識されるようになったという指摘である。
「興味深いのは、素材の新鮮さと作り手の技術が物を言う和食に、長く複雑な調理過程が必要なフランス料理に払う以上のお金を費やしてもいいと思う食べ手が増えていることです」

 アンドリュース氏がニューヨークで頻繁に訪れる「オーセンティックな和食レストラン」のひとつが、En Brasserieだ。オーナーのアレクサンダー麗華さんは、2000年にニューヨークを訪れ、和食のエッセンスをとりいれたフュージョン風の料理が「和食」と呼ばれていたことに衝撃を受け、兄が東京で経営するレストランの姉妹店を開店することを決めた。
「当時、アメリカ人を相手に正当な和食を出す店はありませんでした。東京でご飯を食べに行く感覚をそのまま味わってもらえる店を目指しています」
 店の設計から、食やドリンクのメニューまで、あえて「アメリカ人向け」を避けた。一晩に6回、新鮮な豆腐を作り、できあがりの時間をメニューに掲載した。2008年には、マーサ・スチュワートの番組に招かれ、新鮮な豆腐の作り方をプレゼンテーションした。
「開店当時は、『スパイシー・ツナ・ロール(辛く味付けてあるネギトロ巻き)はありますか?』と聞かれたり、真夏の熱い時期に熱燗を注文するようなお客さんもいました。かつては敬遠されたカウンター席を好むお客さんも増えてきた。和食に対するIQは上がってきていると思います」

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 その理由のひとつに、日本の食文化を紹介する人々の層が厚くなっていること、レシピ本などのリソースが増えていることがあげられる。雑誌や書籍、インターネットを通じて、和食文化へのガイド役を務めてきた一人が、「ジャパニーズ・フード・リポート」というブログを執筆するハリス・サラット氏だ。20代でレストランのキッチンで働いた経験を持ち、のちにジャーナリズムの道に進んだが、食器への興味から日本を訪れたことをきっかけに食文化に目覚めた。ニューヨーク・タイムズやグルメ誌などのメディアに和食についての記事を執筆する一方で、Matsuriの小野正シェフに師事する形で、約1年間にわたり、キッチンで修行した。自分が和食について学んだことを書き留める目的もあって、レシピを中心に始めたブログは、年間で約50万ものアクセスがある。
「米海軍のキャプテンから『あなたのレシピが気に入った』とメールが届きました。和食に興味があるのは、都会のグルメだけではないのです」

japanese_food06.jpg  欧米人にとっての和食の調理法の魅力はなんでしょうか?との質問をぶつけてみたところ、1980年に辻静雄氏が出版し、今も広く読み続けられている「Japanese Cooking: A Simple Art」の話題が出た。
「西洋の料理と和食では、アプローチがまったく違う。西洋料理がフレーバーを重ねることで味を作るのに対し、和食は、味噌、みりん、しょうゆ、酒といったすでに『旨み』が織り込まれた調味料を使って、調和するポイントを見つけるシンプルなアプローチ。だから多くの人に好まれるのだと思います。けれども一方で、そのシンプルなアプローチは、学習しなければ身につけることはできません」。

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 前出のアンドリュース氏に「和食の今」を聞いたときに、彼が指摘したもうひとつの「和食ブームが及ぼした影響」があった。和食以外の分野のシェフたちのスタイルに対する影響だ。
「レモン汁より繊細なユズの絞り汁をソースに取り入れたり、醤油を隠し味に使うのはもはや当たり前。またイタリアン・レストランのメニューに、生の魚を意味する『crudo』というコーナーを目にすることが増えました。イタリアには、モレノ・セロドーニというシェフが、スシにインスピレーションを受けて「Susci(スーチ)」というイタリア風のスシを開発しました。生の魚を使うけれど、米をリゾットにしたり、イタリアンの解釈を加えたのです。こういった動きの結果、世界中のシェフたちが入手できる魚の鮮度は大きく向上した。世界の食に対する和食の影響ははかりしれません(アンドリュース氏)」

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Susci(スーチ)


 和食の影響を大きく受けた有名シェフのひとりに、ニューヨークのデビッド・ブーレー氏がいる。1980年代に、自分の店を閉店後に遅くまで開いている寿司レストランに通うようになって和食と出会った。

japanese_food15.jpg 「当時、欧米の数多くのシェフが自分のレシピにわさびやポン酢を取り入れた。でもわれわれのほとんどが、文化の背景をまったく理解できていなかったのです」
 90年代後半に、学校法人辻調グループの辻芳樹氏の招きで、日本を訪れたのをきっかけに、数々の調理法や歴史、哲学を学ぶように。
「日本人の料理人は、魚の鮮度を落とさずに魚をさばくやり方を知っている。単品の調味料がいいとか、このレシピが優れているという問題ではない。 生の素材のクオリティを向上させるパワフルな技術と、それを取り囲む食文化全体が、和食の力なのです」
 今年の4月には、辻氏と共同で、懐石料理のレストラン「Brushstroke」をオープンした。
「寿司や刺身を好み、日本流グリルの方法くらいは知っていても、懐石料理がもつ洗練された表現には馴染みのない人たちのためにオープンしたかった店です」
 ブーレー氏が懐石の店をオープンした理由はもうひとつある。和食に使われる食材の、健康的な側面だ。
「糖尿病を抱える友人のために、葛を使った料理を出したら、血糖値が上がらなかったということがあった。アメリカでは子供人口の約4分の1が糖尿を患っている。和食からわれわれが学べることは計り知れません」。

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Brushstroke


 今、Enのアレクサンダー氏は、日本酒に馴染んだお客のために、今度は焼酎のメニューを充実させたり、クッキングのクラスを開催したりと、レストランを起点に、和食を取り巻く文化を海外に紹介する活動の幅を広げている。日本人の専門家が、海外に出かけていって、郷土料理を紹介するイベントも頻繁に行われている。ブーレー氏はダイニングルームのひとつを「Chef Pass」と名付けて、食材や調味料の生産者が、日本をはじめとする世界各国からスカイプを通じて、食べ手に生産過程や健康効果を説明するイベントを始めたという。サラット氏は、自らのレストランの開店準備を進めながら、和食についての本を執筆中だ。
「和食のありようと、それについて世界が知っていることの間にはまだまだ大きなギャップがある。このギャップをどう埋めるかが課題です(サラット氏)」 

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En Brasserie:Cooking Class





japanese_food01.jpg デビッド・ブーレー
コネティカット州出身。全米各地のレストランを転々としたのち、フランスでポール・ボキューズ氏に師事。その後アメリカに帰国してル・サークを始めとする有名店に勤務した後、1987年に独立し「ブーレー」をオープン。90年代後半に、一時店を閉店した際に、辻調グループ校の辻芳樹氏と出会い、来日して和食の調理法に触れる。以来、たびたび日本を訪れ、調理法や哲学を学んでいる。http://davidbouley.com/

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japanese_food02.jpg コルマン・アンドリュース
カリフォルニア州出身。複数のライフスタイル誌のエディターを務めたのち、フリーのライターとしてFood and Wine誌、Bon Appetit誌など多数の雑誌に食とワインについての記事を執筆。1994年に食の専門誌Saveurを創立して、ニューヨークに移住。現在はthedailymeal.comのエディトリアル・ディレクターを務める。数々のレシピ本や、スペインの有名シェフ、フェラン・アドリア氏を題材にした「Ferran: The Inside Story of El Bulli and the Man Who Reinvented Food」など著作多数。http://www.thedailymeal.com/

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japanese_food03.jpg アレクサンダー麗華
ロンドン留学を経て日本に帰国したのち、2000年に東京でレストランチェーンを経営する兄の依頼でニューヨークを視察し、本格的な和食を出す店を出店することを決意。2004年にトライベッカにEn Japanese Brasserieを開店。2008年にはマーサ・スチュワート氏のトークショーに出演。現在は夫のジェシー・アレクサンダー氏と共同経営。3月の東日本震災直後には、マーサ・スチュワート氏と共同でチャリティイベントを開催した。http://enjb.com/

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japanese_food04.jpg ハリス・サラット
ニューヨーク出身。20代でコックなど食関係の仕事をいくつか試したあと、1991年からフリーランスのジャーナリストに。陶器に興味をもって萩を訪ねたのをきっかけに和食に興味を持ち、新聞や雑誌に和食に関する記事を執筆するように。同時に、約1年間にわたり、ニューヨークのレストランMatsuriの小野正シェフの厨房で和食の調理法の指導を受ける。著書に小野正氏との共著「The Japanese Grill」がある。http://www.japanesefoodreport.com/


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佐久間裕美子
ニューヨーク在住ライター。1973年生まれ。東京育ち。慶應大学卒業後、エール大学で修士号を取得。1998年からニューヨーク在住。出版社、通信社などを経て2003年に独立し、幅広い文化をテーマに多数のメディアに執筆している。http://www.yumikosakuma.com

Photo by Shiori Kawasaki (デビッド・ブーレー/コルマン・アンドリュース)



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