雑誌『をちこち(遠近)』
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山海塾 対談『主宰・天児牛大×演劇評論家・渡辺保』――「日本の舞踊から」

天児牛大(山海塾主宰 )
渡辺保(演劇評論家)



sankaijuku03.jpg sankaijuku04.jpg 平成25(2013)年度 国際交流基金賞 授賞式



舞踏家・天児牛大さんが、2013年の国際交流基金賞を受賞されたことを記念して、演劇評論家の渡辺保さんを聞き手に、対談が行われました。天児さんの舞踊に対する考えを聞ける貴重な機会とあって、国際交流基金 JFICホールにはたくさんの聴講者が訪れました。

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■制作の裏側
天児:(山海塾の2作品『歴史いぜんの記憶―うむすな』と『降りくるものの中で―とばり』のダイジェスト映像を会場で見て)まず題にした「うむすな」は―近い言葉では「うぶすな」ですが―生まれたところを指す古い言葉です。本来は狭い範囲の場所を指しますが、これを普遍化して広く地球上で考えれば、人が生まれた場所はたくさんあると考えられますね。そこで、人が地水火風を要素とする自然と関わる場所、そこに時間を介在させようという思いから作品を創りました。舞台上では砂が最初からずっと落ち続けます。砂は落とせば堆積していきます―時間を象徴するように。砂は、以前の作品『卵を立てることから―卵熱』でも使っていますが―こちらでは水と砂が一条ずつ落ち続け、砂は堆積し、水は落ちて水平線を生むという、命の始めと終りが共存する空間を作りましたが―今回『うむすな』では、命が消滅したものというよりも、垂直線であり、時間を感じさせる堆積するものという意味で、舞台の中央で砂を落し続けています。舞台を真ん中から二つに分けて、上手と下手に砂を敷いた床を広げ、光の色などで四元素(火・水・風・土)を含めていくように作品にしました。

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『歴史いぜんの記憶―うむすな』(C)SankaiJuku

渡辺:あの舞台は何でできているんですか?

天児:通常、私たちは劇場の建築物の舞台面の上に、もう一層、面として踊りの場をしつらえます。今回、一番上はよく舞踊で使うリノリウムです。その上に、砂を均一に敷きます。砂は、踊り手の動きとともに削られたりして、踊り手の動きにより、1時間半あとには舞台上にレリーフが作られるわけです。ふだん1時間半後に踊りの床面を見ても、踊り手のエネルギーは見えませんよね。でも私は時間とともに変化をする舞台美術が好きなんです。そこで、具体的な性質をもつ、砂であったり水であったり、作品ごとに使います。

渡辺:〝とばり〟についてはいかがでしょうか?

天児:劇場の舞台の上に楕円形の舞台が設置されており星が映しだされます。これは2200個のLEDで、日本からみえる8月の星座を正確に写し取ったものです。舞台の背景にみえる星は6600個の星がありますが、こちらは北極星を中心にしたやはり8月の星座で、光の等級の違いを表すために大きさを変えた穴を黒幕にあけたものです。これはすべて踊り手自身が製作します。踊り手が稽古と平行して舞台美術を作る、立ち上げの時から作品に入り込んでいくということです。劇場で舞台がたちあがった時に、踊り手がただ作られた場に入り込むのではなく、その空間をわかっていて存在するわけです。作り始めの手触りから入っていくという過程により、作品に向かうときに様々な要素が加わっていきます。これは山海塾創設のときから変っていません。

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『降りくるものの中で―とばり』(C)SankaiJuku

渡辺:「とばり」とは簡単にいいますとカーテンのことですが、どうして星というテーマと結びつくのでしょうか?

天児:「とばり」という言葉そのものは古語で、空間を仕切る薄い布をさしましたが、昼と夜の境目を意味するようにもなります。夜のとばりが降りるといいますが、昼から夜への境界は、はっきりしません。夜になった、という時には既に過去形として捉えられています。また星の光には、数億年、数万年前に輝いた光を今私達が受け止めているという時間の差があります。このようなことから、「今」というのは本来の「今」なのかという疑問と、「過去」を「今」として受け止めるということを、作品に織り込んでみようと思いました。

渡辺:天児さんは、この2作品に限らず、宇宙的、哲学的な思考をお持ちですが、それはどこからくるのでしょうか?

天児:振り返ってみると、1980年に初めてヨーロッパへ出たことが一番大きな転機だった思います。


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■半生
渡辺:ヨーロッパへでるきっかけはどんなことだったんですか。

天児:フランス大使館文化参事官に8ミリの映像をみて頂いたことがきっかけで、大使館によばれました。参事官みずからが目の前でフランスに電話をしてくれ、パリのフォーラム・デ・アル、カレ・シルヴィア・モンフォールの公演が決まりました。その公演中に、評判をききつけたナンシー・フェスティバルのプログラム・ディレクターが見にきてくれ、契約が決まりました。ナンシー・フェスティバルでは、千秋楽日の最後のプログラムということもあり、非常に多くの方が見に来てくれました。この時の記者会見で、一年間日本へ帰らずに欧州で公演を続け、生活していきますと言いました。

渡辺:それはあてもなくて、おっしゃったということしょうか...?

天児:決まっていたのは、ナンシー・フェスティバルを入れた3箇所だけでした。しかし、いろんな方の協力により、あり得ないような一年になりました。公演に招待されるという形で、アヴィニオン・フェスティバル、ボルドーのシグマ・フェスティバルに始まり、フランスの地方、そしてスイス、イタリアと徐々に決まっていきました。確かに冒険のようなものでしたが、多くの方々に助けられ、最後のメキシコのセルバンティーノ・フェスティバルまでの一年間をこなすことができました。

渡辺:この経験が考え方の転換点となっているのですか?

天児:言葉・食・生活習慣の違いを毎日シャワーのようにあびることで、違い、つまり差異は文化であると感じました。それだけではなく、ラスコーや巨石文明など各地の原始美術を目の当たりにして、どんな文化でも造形的・絵画的衝動は似通っていて、自然から生み出された普遍性がもう一方にあると感じました。この差異と普遍性というものが、徐々に自分を後押ししてくれたと、今振り返って思います。

渡辺:天児さんは舞踏の中で、常に自然と宇宙の中の人間の在り方を追求されていますね。

天児:個人というものは始まりと終わりがある存在です、個そのものは非連続ですが、自分の身体の外側には川の流れのように続く連続性があります。つまり、連続性に包まれた非連続性です。自分の中に両方を抱えているわけですが、テーマは永遠性を基本にしたいと思っています。

渡辺:舞踊は、瞬間芸術というか、舞台の上で一瞬できえるものですが、永遠と瞬間というのは、舞踊の中では重要な要素を作っています。そのような転換を経て、テーマとして獲得していくという過程があったのですね。

天児:私が生まれてからずっと海の近くで育ったということもあるかもしれません。ランボーの『地獄の季節』(小林秀雄訳)の一節、「また見つかった、――何が、――永遠が、海と溶け合う太陽が。」にとても共感します。小さい頃からかかえているものと同じような心象風景だと思いました。


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■これから
渡辺:これからはどういう作品をつくられるのですか?

天児:同じようなリズムで、特に変わることなく、同じテーマを、違った角度から見えてくるものや、あるいは自分で見たいものを、表現していきたいですね。日常で気になることや疑問をメモして、時間が経ってみても変わらず残るメモなどが作品につながります。タイトルありきや、テーマを変えるとか、そのようなアプローチはしないと思います。



■日本の舞踊とは?
渡辺:日本の踊りは、老人になるほど名人になるんですが、年を取ればとるほどうまくなる。ヨーロッパでは例えば、モダンダンスも、クラシックバレエも老人になるとだめになりますよね。
天児さんはそういう意味では、きわめて日本的な感覚をもっておられるから、大野一雄さんのように100歳になっても踊っていることは可能だと思います。天児さんは老いの芸術というのをきっとおそらく発見なさるに違いないと思います。

天児:私は、自分で振りを付けて、自分で踊っていますので、加齢はすなおに受け入れ、年齢に沿った踊りにしています。無理な動きは自分に付けられませんから。海外の場合は「運動能力」と言いますが、日本では「運動」ではなくて「振動」だと私は思っています。空間とか時間などとの係わり。

渡辺:ヨーロッパの一般的な舞踊は目に見える身体を基本として、日本は目に見えない身体を基本としている。つまり、身体感覚がちがうんです。

天児:その通りですね。『日本の舞踊』の中にある〝身体の声〟という考え方が好きです。詳しくは、渡辺さんの著作『日本の舞踊』(岩波新書)を読んで下さい。とても素晴らしい本です(笑)。

渡辺:私の本の宣伝ありがとうございます(笑)。以上で対談は終わります。


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■質疑応答
:山海塾はずっと同じメンバーでやっているんですか?

天児:創立からいるメンバーが1人います。38年目になりますね。フランスに初めていったスタッフも数人残っています。最初は固定していたんですが、平均年齢が上がる一方でしたので(笑)、途中から若い方にも入ってもらうことにしました。今は、一番若手が20代で、30代から60代までいます。


:オペラにはどのような心積もりで関わったのですか? オペラの場合、創作の発端は他人なので、天児さんが始めから創作する舞踏とは、微妙に違うと思うのですが。

天児:変な言い方ですが、本来の仕事を再検証する場として捉えました。様式の異なるジャンルの中で反映できることを基本にしました。


:なぜ白塗りするのですか?

天児:私が舞踏を始める前からあり、日本独特のことでもありません。色々な文化で、お祭り、冠婚葬祭などの様々場面で、〝白〟は使われています。それだけ〝白〟は、普遍的なイメージを共有できるということですね。日常から非日常への入り口のようなイメージでしょうか。さらに、私は、個性を消す道具とも解釈しています。剃髪もそうですが、髪型などの身体的特徴を消し、ただ人間である、ということだけを、白塗りは引き立てることができます。また、白塗りは光の当たり方で様々な表情を見せます。それも面白いですね。


:どのような判断で衣裳を決めているのか聞きたいです。特に、なぜ耳からいつも血が流れているのか知りたいです。

天児:耳の血は、自分への勇気づけの意味合いです。身体的にはデッドラインの表現で、舞台に集中するために化粧の最後にほどこします。また衣装に関してですが、古代ギリシャやローマは布を巻いていいます。日本の着物も然りです。つまり、ズボンとスカートが分かれる前の、ユニセックスのような、やはり普遍的な衣裳を、と意識しています。また、山海塾は男性だけなので、女性的な意味を含ませたいという意味もあります。ズボンは馬にまたがるために発明された衣服ですよね。そのような個性が付く前の衣服を使いたいと思っています。


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(撮影:角心紗矢子)




sankaijuku01.jpg 天児牛大(あまがつうしお)
1949年横須賀市生まれ。1975年に山海塾を創設。『アマガツ頌』(1977)、『金柑少年』(1978)、『処理場』(1979)を発表後、80年に初めてのワールドツアーを行う。82年以降、パリ市立劇場を創作の拠点とし新作を発表し続けている。同劇場との共同プロデュースにより創作された作品は現在までに14作品を数える。また97年よりオペラの演出もてがけ、ペーター・エトヴェシュ指揮によるバルトークのオペラ『青ひげ公の城』を東京国際フォーラムで上演。また同氏の作曲による新作オペラ『三人姉妹』(原作:チェーホフ)をフランス・リヨン国立歌劇場にて演出し(1998)、本作品はフランス批評家協会最優秀賞を受賞。08年3月にふたたびペーター・エトヴェシュ作曲による新作オペラ"Lady SARASHINA"(原作:菅原孝標女「更級日記」)を演出。リヨン国立歌劇場にて世界初演。本作は、ふたたび、フランス批評家協会最優秀賞を受賞。
公式ページ:http://www.sankaijuku.com/

white.jpg sankaijuku02.jpg 渡辺保(わたなべ たもつ)
1936年東京生まれ。演劇評論家。慶応義塾大学経済学部卒業後、東宝入社。1965年『歌舞伎に女優を』で評論デビュー。企画室長を経て退社し、現在に至る。『女形の運命』で芸術選奨新人賞、『俳優の運命』で河竹賞、『忠臣蔵 もう一つの歴史感覚』で平林たいこ賞と河竹賞、『娘道成寺』で読売文学賞、『四代目市川団十郎』で芸術選奨文部大臣賞、『昭和の名人 豊竹山城少掾』で吉田秀和賞受賞、『黙阿弥の明治維新』で読売文学賞を受賞。天児さんお勧めの著書は『日本の舞踊』(岩波新書)。
公式ページ:http://homepage1.nifty.com/tamotu/



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