白髪一雄と元永定正展―絵画の定義を革新したアーティスト

ガブリエル・リッター(ダラス美術館アシスタント・キュレーター)



 国際交流基金は具体美術協会(以下「具体」)を代表する2人の作家、白髪一雄と元永定正の活動を紹介する「アクションと未知の間で―白髪一雄と元永定正」展を、ダラス美術館(米国テキサス州)との共催で7月19日まで開催しています。共同キュレーターの一人であるガブリエル・リッター氏に本展の見どころをご寄稿いただきました。

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写真提供:河﨑晃一氏



具体への注目

 具体美術協会が1958年にマーサ・ジャクソン画廊でニューヨーク・デビューを果たした際、美術批評家のドリー・アシュトンに「期待はずれ」と酷評されました。しかしそれ以降、アメリカでの具体への評価は大きく変化しています。当時の具体は、ジャクソン・ポロックらによるニューヨーク・スクールと直接比較されたため、抽象表現主義の模倣とみなされたのです。アラン・カプローといったアーティストが1966年に「ハプニングの先駆例」として具体を評価して初めて、具体の活動や舞台上での実験的作品が、パフォーマンスアートの先駆けとして認められました。以来、美術史やモダニズム全般をめぐるナラティブでは、中心と周縁から成る階層的秩序への言及が減り、国境を越えたアイデアの交流が盛んになりました。戦後には日本、アメリカ、ヨーロッパ及び世界各地で、こうした交流が同時に発生しました。
 ニューヨーク近代美術館(MoMA)が主催した1965年の「日本の新しい絵画と彫刻」展以来、アメリカの美術館は、欧米以外のアートを含めて美術史をめぐるナラティブの地平を広げることに、次第に関心を向けるようになりました。こうした新たな時代背景を受けて、具体は戦後日本で最も前衛的な集団として評価され、具体に所属するアーティストの作品は、美術館コレクションや個人コレクションの注目を集めていきました。アレクサンドラ・モンローが企画した1994年の画期的な「戦後日本の前衛美術(Japanese Art after 1945: Scream Against the Sky)」展を皮切りに、近年では2013年にMoMAで「Tokyo 1955-1970:新しい前衛(Tokyo 1955-1970: A New Avant-Garde)」展グッゲンハイム美術館で「具体:素晴らしい遊び場所(Gutai: Splendid Playground)」展が開催されるなど、アメリカの美術界は、日本の近現代美術をテーマに美術史家らが手がけてきた重要な研究にようやく追いつこうとしています。現在、美術史家ミン・ティアンポらは具体をパフォーマンスアートと結びつけるだけでなく、同集団がランド・アートやニューメディア・アートに与えた影響を改めて検討しています。



白髪一雄と元永定正

 白髪一雄や元永定正といった具体のメンバーの作品が、次第に世界のコレクターの間で人気を集め、今や絵画作品は国際市場で数百万ドルで取引されています。とはいえ集団として具体への注目が高まる一方、いずれかの時点でメンバーに参加していた60人近いアーティストが忘れられ始めています。だからこそ、かつてメンバーだったアーティストや、彼らの具体への参加前及び脱退後の豊かなキャリアに改めて目を向ける必要があるのです。ダラス美術館で開催される「アクションと未知の間で―白髪一雄と元永定正」展は、具体のメンバーとしてだけでなく、何よりもひとりのアーティストとして、白髪一雄と元永定正の仕事を振り返るものです。

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(左)白髪一雄《天捷星没羽箭》
1960年 油彩・キャンバス
ラチョフスキー・コレクション
(右)元永定正《赤と黄色と》
1963年 油性合成樹脂塗料・小石・キャンバス
三重県立美術館


 2人は具体に参加する以前に、自力で独自の抽象表現を編み出していました。中でも、白髪の足で描くフット・ペインティングは有名で、元永の場合は自然や身の回りの環境が創造の源泉でした。しかし、「今までにないものをつくれ」と弟子に説いた吉原治良の教えを受けて、2人は極めて革新的な実験作品を作りだしたのです。2人がそれぞれ独自の創造的探求の道に乗り出したのも、こうした黎明期のことでした。白髪にとって具体は、身体的なアクションと肉体の解放を通じて、個人が体験する主観性を追求する場を提供するものでした。元永は具体を起点として、自然の美や創造力に対する畏敬の念、すなわち彼が「未知」と呼んだものに形を与える作業を、生涯にわたり追求しました。



白髪のアクション

 白髪一雄の作品の最大の特徴は、「アクション・ペインティング」です。彼は、天井に取り付けたロープにぶら下がり、足を使って大型の作品を描きました。これらの作品には、芸術的自由と個性の表現を体現する、過剰なまでの身体活動と暴力性があふれています。この両者は、第二次大戦後に活動した具体をはじめとする日本人アーティストの中心的なテーマでした。白髪は、個性と芸術的自由を求めるこの戦いをアクション・ペインティングで表現しました。そこでは、肉体自身が解放の場であり、文字通り解放を具現化したものでした。この戦いの肉体性と暴力性は、《泥にいどむ》《赤い丸太(どうぞお入りください)》(ともに1955年)などの作品に最も容易にみてとることができ、両作品で白髪は足のみならず、全身で描くという行為を実践しました。白髪のアクション、暴力、肉体への関心は、戦時中の「国体」に対立するものとしての戦後日本の「肉体」信奉(田村泰次郎や坂口安吾の小説に見られるような)と密接に関係するように思えます。

innovation_artist03.jpg  白髪のアクション・ペインティングはこれまで、英雄小説、男らしさ、子どもの遊び、はては政治的宣言など様々な視点で解釈されてきましたが、彼の作品が体現する残忍性には、快楽主義的な側面があります。初期の作品の多くに、個人を解放する手段として戦いや暴力、血、過剰な身体性などが見られます。こうした点から、白髪が示した肉体的愉楽への耽溺は、自身の人間性の暗黙の承認であり、真の自己を見極めようとする試みではないかと解釈できます。 1972年に具体が解散すると、白髪は密教にインスピレーションを求めました。新たな作品には、円環モチーフと明るいパステルカラーが採用されました。彼は1970年代末に「アクション・ペインティング」に回帰し、2000年代初めまでこのスタイルで描き続けました。



元永の未知

 白髪の作品ではアクションが基盤を成し、肉体的な闘争や過剰性が個性追求のメタファーであったのに対し、元永の作品は何よりも、彼自身のいう「未知」を追い求めた自然の探索と密接に結びついています。元永は、1955年刊行の『具体』誌第3号に掲載された「未知」と題した記事で初めてこの考え方に言及し、「未知」というものを、彼が考える美の概念ひいては自然、存在、創作活動そのものに関連づけました。
 元永によると、段階的な同化と認知のプロセスを経て、太古の人類に恐怖や驚きを与えた事物が今や当たり前になったといいます。これに対し元永は、世界を新たに体験し直し、自然の脅威やその力、自然の中にある様々な形を体感して、未知への驚嘆の念に裏打ちされた「新たな美」を創造しようと提案しました。
 元永の初期の抽象画は、はるか遠くの六甲の摩耶山頂で点滅するネオンサインに着想を得たものです。彼は単なる自然の模倣に飽き足らず、アーティストの役割は自然そのものを作りだすことにあると考えました。《作品(水)》と題したシリーズでは、小さな袋やビニール製のハンモックに色水を入れて吊るし、彼を魅了する様々な自然現象を表現しました。元永はこうした現象を絵で表現する代わりに、最初は直感的に水を媒体に選び、 それがやがてカンヴァスに置いた絵具の流動性を利用して、水の特性を抽出し視覚化する手法へと変化しました。
 水や煙を使った初期の実験的作品を経て、元永は新たに開発した「流しかけ」の技法を用いた絵画の制作に精力を注ぎました。当初は、色を塗って乾かないうちに他の色を加える「たらしこみ」の技法を使用していましたが、1959年、床に置いたカンヴァスの上に樹脂エナメルとテレピン油を重ね、川のような流れを作る画期的な手法を考案しました。この流しかけを発展させる中で、川の流れを想起させる作品が生まれただけでなく、《Work》(1962年)などの作品は細胞分裂やビッグバンなどの自然現象を示唆するものになっています。描かれた内容が微小な世界であれ壮大な宇宙であれ、元永の「流しかけ」による作品はどれも、創造をコンセプトとしています。
 1年間のニューヨーク滞在中に、元永はアクリル絵具やエアブラシと出会いました。これを機に、彼の作風は代名詞だった「流しかけ」から、ハードエッジなスタイルへと大きく変化しました。遊び心あふれる後期作品の多くは、漫画を思わせる雰囲気を漂わせ、作品名に「のびのび」「Z Z Z Z Z」など日本語の擬態語・擬音語(オノマトペ)が使用されています。晩年は家具やタペストリーも製作し、詩人の谷川俊太郎作の『もこ もこもこ』といった人気絵本も手がけました。

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絵画の定義を革新

 吉原治良の指導を受けて、白髪と元永は戦後日本の美術界で最も実験的かつ象徴的な作品のいくつかを生みだしました。躍動的な絵画作品のみにとどまらず、《泥にいどむ》《作品(水)」》などの作品は、日本ひいては世界の戦後における前衛芸術発展の大きな節目を成すものです。煙や水を使う、足で描くなど、彼らの独創的な素材の利用法と先駆的な技法によって、史上類のない形で絵画の定義が大きく広がりました。美術史界は、今ようやくその全貌を理解しようとしています。

会場写真の提供:ダラス美術館

【参照記事】
特別寄稿:ブラッシュアップされた「戦後美術」の見取り図として ~ニューヨーク近代美術館での「TOKYO 1955-1970:新しい前衛」展


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ガブリエル・リッター(ダラス美術館 ナンシー&ティム・ハンリー現代美術アシスタント・キュレーター)

1980年生まれ。2012年より現職。これまで企画した展覧会に「Out of the Ordinary: New Video from Japan」(2007年、ロサンゼルス現代美術館)、「TOKYO NONSENSE」(2008年、サイオン・インスタレーション L.A.)、「Sculpture by Other Means」(2012年、ワン・アンド・Jギャラリー、ソウル)、「Never Enough: Recent Acquisitions of Contemporary Art」、「Concentrations #57: Slavs and Tatars」(2014年、ダラス美術館)、共同企画展に「六本木クロッシング2013展:アウト・オブ・ダウト―来たるべき風景のために」(2013年、森美術館)がある。




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