文学の橋をかける〈媒介者〉について

2019年6月号

小野 正嗣(作家)

出身地の大分県南部を舞台として、そこで暮らす人々の姿を精緻な文体で描かれてきた小野正嗣さん。国際交流基金事業でも、ベトナムで自作の解説とともに講演を行い、カナダ(トロント、モントリオール)で日本の文学シーンについて語る一方、ロシア、アルメニア、ドイツの国際文学祭にて、朗読会や対談を行われてきました。これまで小野さんがどのように海外の読者たちと出会い、どう考えてきたかをご寄稿いただきました。

 小説を書くようになっても、自分自身が作家として海外の読者と出会う場面を想像したことがなかったのは、われながら不思議である。僕は読者としては、読んで強く印象に残った作品を書いた作家が生きていれば、「会ってみたい」「話を聞いてみたい」とすぐに思ってしまうたちだからだ。ただ記憶の限りでは、僕が大学生だった1990年代の前半には、書店に作家がやって来て自作について語ったり朗読したりするというイベントはあまりなかったように思う。だから作家は非常に遠い存在だった。

 ところがフランスに留学したら、作家との距離がぐんと近くなった。最初に住んだパリでも、次に暮らしたオルレアンでも、近所の書店では新作を刊行した作家を招いてのイベントがしょっちゅう行なわれていた。書店のガラス壁に貼られたイベント告知のチラシを読み、あるいはレジのカウンターに置かれたチラシをもらっては、そこに紹介された新しい小説を購入する。そしてそれを読んで、イベント当日に話を聞きに行く......。

 たしかに、こちらの貧弱な語学力および知力ゆえに、話の内容のすべてを深く理解できていたとは言いがたい。しかし登場人物や個々のエピソードなどを手がかりに、それなりに作家の話を楽しむことはできた。イベント終了後にはもちろんサインをもらい、書店が用意してくれたワインなどを飲みながら、運がよければ作家と話をする。「日本から来ました」と自己紹介し、訛りのきついたどたどしいフランス語で必死に作品の感想を述べ、作家その人に会えた喜びや感動を伝えようとする読者に対して、作家のほうもどうして邪険な態度を取ることができるだろうか? 「読んでくれて、ありがとう」と優しい言葉とともに、読者は、作家に温かく(シャイな作家の場合は、そこに戸惑いめいたものも感じられなくもないけれど)迎え入れられる。これは読者にとっては、とても嬉しい、忘れがたい体験である。

 なるほど、イベントでの作家の話が面白くなかったり、作家の振る舞いや態度が想像していたのとはちがって驚いたりすることもあるだろう。それが作品から受けた感動を左右し、ひどい場合には作品を読む気が失せたりするなんてことも起きるかもしれない。そういうことが起こりうるので(あるまじきことかもしれないけれど、やっぱり僕たちも人間ですから)、生身の作家には会わないほうがよい、という考え方があるのは当然だと思う。

 ただ僕の場合、幸運なことに、作品を読んで話を聞いてみたいと思った作家に実際に会って、失望した経験は一度もない。それに、かりに作家の生の声と作品から聞こえてくる声とのあいだに違和感を覚えることがあっても、そのせいで作品と僕とのあいだが遠くなってしまうことはないと楽観視している。この〈ズレ〉はどうしてなのかを考えることを通じて、作品の読み方はより豊かになり、作品との距離はより近くなるはずだから。

 ここで当たり前だけれど、とても大事なことを思い出しておきたい。作家が登場するイベントを観客として曲がりなりにも楽しむためには、僕たちはまず読者でなければならない—〈作品を読んでおく〉のが大前提である(じじつ、僕がフランスに暮らしていたころ、作家がゲストとしてやって来る書店イベントを楽しめたのは、フランス語でその作品を読むことができたからだ)。そんなの当たり前じゃないか、と言われるかもしれない。

 しかし、イベントに登場するのが外国の作家の場合はどうだろう? その作家の作品をオリジナルの言語で読める人の数は限られている。多くの読者にとっては、翻訳がなければ作品は閉じられたままだ。まったくお手上げである。もちろんそんな状態でもイベントに行くことはできる。でもそこに通訳がいなければ? 作者の生の声は聞けても話を理解することはできない。作品との関係を深め、作家について知ることは不可能だ。

 ここ7,8年だろうか、僕自身が作家として海外に行く機会がずいぶん増えた。国際交流基金の招聘事業や文芸フェスティバルなどで、これまでアメリカやカナダ、ベトナムやロシア、アルメニア、ドイツ、イギリスといった国々を訪れた。しかし当時、僕の小説はそれらの国の言語にはほとんど翻訳されていなかった。

 ところが、どこでも僕の参加する文芸イベントの会場に足を運んでくれた人々との交流は、つねに楽しく実り多いものだった。作品やこちらの言葉に思いも寄らぬ反応が返ってきて、驚かされ、自作やみずからの創作活動にとって発見も多かった。いい思い出しかない。でも、どうしてそんなことが可能だったのか?

 それは、異なる言語と文化のあいだをつなぐ〈媒介者〉—すなわち、それぞれの国で現代日本文学に関心を寄せる文芸翻訳家や文学研究者といった人々—が、僕のために〈読者〉を作ってくれたからだ。訪れたほとんどの国で、日本文学の翻訳者たち(多くは日本文学の研究者でもあった)は、長篇の一部や短篇を翻訳し、それをあらかじめ会場に配布してくれた。また、イベントの現場はむろん、滞在中のさまざまなおりに、日本文学の専門家や大学院生が通訳をしてくれた。こうした〈媒介者〉のサポートなくして、〈出会い〉も〈交流〉もありえない。実際、よくあることなのだけれど、イベント会場で、通訳の言葉を聞いて、観客が「ああ、なるほど」と納得した様子で目を輝かして頷いたり笑顔を浮かべたりするのを目にすると、まるで自分が直接その観客と話をしているような気がするものだ。何かが伝わり理解された、という手応えが感じられる。海外での文芸関連のイベントにおいて、そのような〈よき思い出〉ばかりが残っているのは、ひとえに、関わってくれたすべての〈媒介者〉の愛情と熱意にあふれる献身のおかげである。そして、こうした文芸関連の翻訳者や通訳者、日本文学を専門とする学者や院生、日本文学に関心を寄せる作家に声をかけ、イベントをしっかり組織してくれる文芸フェスや国際交流基金のスタッフもまた、日本文学と世界の他地域の読者をつなぐ大切な〈媒介者〉であることは言い添えておきたい。

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ボン大学(ドイツ)におけるワークショップ(2015年9月)
(c)国際交流基金ケルン日本文化会館

 文学を通じての国際交流が、現代日本文学の書き手にとっても、外国の読者にとっても真に意義深いものになるかどうかは、それぞれの国に、現代日本文学に通じた翻訳者や研究者などの〈媒介者〉がどれだけ存在するかにかかっている。そうした媒介者たちの文学への情熱や愛は、彼女ら・彼らの翻訳やイベントでの通訳といった具体的な実践を通じて、読者や観客に必ずや伝わる。そして時間はかかるかもしれないけれど、そこから次世代の媒介者が生まれてくる。

 詩や僕自身が深くかかわっている小説といったジャンルは、漫画やアニメといったジャンルに比べると、読者=観客は多くないのかもしれない。しかし、過去の書き手たちと媒介者たちが、多くの読者ととともに現代に至るまで時間をかけて積み重ねてきたもののおかげで、文学のことを大切に思ってくれる媒介者はまだまだたくさんいる—海外でのイベントに参加するたびにその感は強まるばかりだ。こうした媒介者たちに支えられて初めて、ひとつの言語で書かれた小説が他の国にその声を届かせることができる。文学を通じて異なる国や文化のあいだに橋をかける次世代の媒介者たちが、文学への好奇心や愛情をすこやかに発展させていくために何ができるだろうか? 僕自身が文芸フェスや国際交流基金との仕事を通じて得てきた—どれもこれもポジティブな—経験が、これから活かせそうな予感はたしかにあるのだ。

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(c)講談社(撮影/森清)

小野 正嗣(おの まさつぐ)
1970年、大分県生まれ。作家、早稲田大学教授。著書に、『にぎやかな湾に背負われた船』(朝日文庫、第15回三島由紀夫賞)、『獅子渡り鼻』(講談社文庫)、『九年前の祈り』(講談社、第152回芥川賞)、『残された者たち』(集英社文庫)、『水死人の帰還』(文藝春秋)など。訳書に、アミン・マアルーフ『アイデンティティが人を殺す』(ちくま学芸文庫)、マリー・ンディアイ『三人の逞しい女』(早川書房)など。

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