雑誌『をちこち(遠近)』
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アジア太平洋共同体の可能性

入江 昭(ハーバード大学名誉教授)



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平成25(2013)年度 国際交流基金賞 授賞式




asia_pacific_ocean_community04.jpg ■アジア太平洋共同体の可能性
「なぜ今、アジア太平洋共同体なのか」と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれません。アジア太平洋、アジア太平洋共同体という考えは、かなり長い間言われてきたことですし、何か目新しいことがあるのか、今さら何を言うのかとお考えになる方もいらっしゃるかもしれません。

丁度60年前、終戦後まだ数年しかたっていない頃に渡米した私のような世代にとっては、アジア太平洋というと、まず戦争が浮かんできてしまいます。アジア太平洋戦争の悲惨な時代があり、その後も冷戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と、色々なことがこのアジア太平洋地域に起こりました。そうした戦争の時期が終わって、これからのアジア太平洋にどのようなものが出来ていくのか、その過程でアジア太平洋共同体のようなものが生まれてくる可能性があるのかどうかを考えてみたいというのが、私の出発点です。


■アジア太平洋共同体の定義
まず、アジア太平洋共同体をどのように捉えたら良いでしょうか。ここでは「アジア」を東アジア及び東南アジアに限定して考えてみたいと思います。そして「太平洋」は、東アジア、東南アジア、オーストラリア、ニュージーランド、北米、中米、南米、そして太平洋周辺諸国も入れて「アジア太平洋」とします。

アジア太平洋共同体というものは、少なくとも2つの捉え方があると思います。1つには独立主権国家、つまり中国、韓国、日本、アメリカ、カナダなどの主権国家が多数存在する集合体。つまり、国家間に何らかの形で動きができ、取決めとして成立するアジア太平洋共同体です。例としては1950年代頃から始まったヨーロッパの国家連合が挙げられますが、そういう形としてアジア太平洋共同体を見ていくのか。

或いは、もう1つの捉え方として、市民間、民間同士のつながりの場としてアジア太平洋共同体を見ていくのか。

私は後者、つながりの場としてのアジア太平洋を考えます。主権国家同士の集合体としてのアジア太平洋はそう簡単に出来るものではないからです。主権国家間の関係には、領土問題、軍事問題など多くの問題が山積しています。国家には利害、権益、領土という意識があり、国家同士が何らかの形で協力して地域的な共同体を作ることは、アジア太平洋地域においてはそんなに簡単なことではないでしょう。私は前提として、そういったものが出来る前に市民間のつながりを強くしていく、それこそが積極的な平和主義、アジア太平洋の将来に向けた1つの道であろうと思います。


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■歴史のキーワード「つながり」
私は現代問題の専門家でも時事評論家でもなく、昔のことを研究している歴史家なのですが、なぜ歴史家が将来に対してある程度の確信を持ってそのような発言ができるのかと言いますと、最近の歴史研究に非常に好ましい方向性が出てきているということがあります。それは「国家中心ではなく、人間社会のつながりを通して歴史を眺めてみよう」という方向性です。そして、そのキーワードは「つながり」です。

今までの歴史研究では、国家中心の歴史が多かった。ところが最近では、原始時代から始まって今日に至るまでの人間と人間とのつながり、或いは自然と人間とのつながりも含め、どのようにして各地域の社会で人間関係が出来上がっていったのか、そのつながりを中心とした歴史を考えてみようという機運があります。

例えば10年ほど前、私とドイツの歴史学者がドイツとアメリカの出版社から「新世界史」編纂の依頼を受け、全6巻の新しい世界史を編集しました。その際、「何か新しい枠組みの中で世界の歴史・人類の歴史を考えてみよう」と思った私たちが考えついたのは、つながりの歴史です。

従来は歴史というと、中世から近世、近世から近代、近代から現代に至る流れがあり、それを動かしていたのはヨーロッパであり、アメリカであるという考え方でした。産業革命、民主革命、或いは政治運動など、どうしても欧米中心の見方になってしまう。

ところが「つながり」というものは、世界の大多数を占めるアジア、アフリカ、南米など色々な諸国も含めた見方になります。「世界各地の人間同士がどのようにしてつながり合ってきたのか」を中心に考えてみたいと思ったのです。

私たちは全6巻の新世界史を計画し、19世紀半ばから20世紀半ばまでの歴史を扱った第5巻が昨年出版されました。一般的には、帝国主義や列強間の抗争を中心に「戦争の時代」と言われる時代です。もちろん、第1次世界大戦や第2次世界大戦があり、戦いや抗争によって作られた歴史が非常に多かったわけですが、それだけでは底を流れるつながりが見失われてしまうのではないか。

そこで私たちは『ア・ワールド・コネクティング』、つまり「色々とつながりが出来つつある世界」を全体のテーマとし、当時の世界史を考え直しました。人間同士のつながりを見て作ったこの新しい歴史書は「今までとは違った印象を与えた」ということで、ドイツやアメリカで出た書評ではかなり好評を頂き、私たちも喜んでいます。

最後の第6巻では、戦後20世紀後半である1945年から今日に至るまでの歴史を扱っています。冷戦を中心に捉えた歴史は多くありますが、「むしろ相互依存性が高まった時代として1945年以降の歴史を考えてみたら面白いのではないか」という思いで編纂を進め、もうじき出版される予定です。

このように、できるだけ相互依存性、或いは国家間の関係とは別に人間同士のつながりを中心にして歴史を捉える流れが出てきた中、これからのアジア太平洋には、或いは他の地域でも、ヨーロッパのようにつながりの場が出来上がっていくかもしれない。そうしたつながりの場としてのアジア太平洋共同体を考えてみたいと思います。

つながりと言っても色々種類があります。経済的なつながり、社会的なつながり、文化的なつながり、接触とか交流といったつながり、或いは歴史的なつながり。こうしたつながりが世界全体に出来上がってきて、コネクションというものが密接になった19世紀から、その後も紆余曲折を経てつながりが高まっている時代に、それではアジア太平洋地域ではどうだろうか、というのが私の問題意識です。


■アジア太平洋共同体形成の前提
アジア太平洋共同体が出来上がっていく前提として、いままで経済的、社会的、文化的にどのような点でつながりが出来てきたのか、また更に出来ていく可能性があるのか、それが今日のテーマの中心です。


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■経済的なつながり
例えばまず、経済面でのつながりです。グローバル化の中、アジア太平洋ももちろんその流れの中にあったわけですが、歴史的に見るとつい最近まで、アジア太平洋は世界経済のグローバル化に十分な作用をしていたとは言えませんでした。20世紀最初の頃までは、アメリカを入れてもアジア太平洋が世界貿易に占める割合はせいぜい25%位。つまり、アジア太平洋地域の貿易は国際貿易の四分の一程度しかなかった。しかも、その約15%はアメリカですから、日本、中国、韓国、東南アジアが世界貿易に占める割合はせいぜい10%と非常に少なかったのです。

それが変わり始めるのが20世紀末です。例えば、アジア太平洋地域での国際貿易は60年代以降少しずつ増え始め、その後あっという間に、2000年には世界貿易の5割を占めるまでになりました。すごい勢いで伸長してきたと思います。1990年になるとアジア太平洋諸国の富の総資産は、ヨーロッパ諸国が持っていた国富、富の総額よりも多くなり、アジア太平洋が国際貿易に占める比率、重要性が急速に発展したわけです。その傾向は今後も続き、アジア太平洋諸国間でのいわゆる域内貿易はこれまで以上に緊密になっていくと思います。

ここで重要なことは、国家ではなく、個人や企業の重要性が増してくるという現象です。経済的なつながりというのは国家がやるのではない。中国のような国でさえ国家がやらせているのではなく、個人や企業が非常に重要になっています。グローバル化といっても、国同士ではなく、最終的には個人の創造性の問題です。例えばIT等、個人或いは小さなグループによる発明があっという間に世界中に広がっていくように、個人の創造性、クリエイティヴィティ、想像力の重要性が増していることが現代の経済グローバル化の特徴だと言われます。

国際経済を発展させ、アジア太平洋地域の経済的つながりをさらに強めていくためにも、やはり個人の力が重要です。そのためには、個人の家庭環境や教育環境まで考え、いかに想像力に富んだ個人を輩出していくかが問題となってきます。

また、経済発展には環境汚染問題やエネルギー問題が伴います。アジア太平洋共同体が出来ると仮定して、経済的なつながりを強化していくと同時に、その過程で生じる環境問題に対し国境を越えた対策が出来上がっていくかどうか。これも、アジア太平洋共同体の将来を担う一つの重要な指針になると思います。東日本大震災の問題からも見て取れるように、日本一国だけで処理できる問題ではない、世界各国の力を借りなくてはならないという問題がこれからも増えていくだろうと思います。


■社会的なつながり
社会面でのつながりで一番簡単なレベルは、人口の動きです。経済とは離れた意味での人間関係、そういった意味でのつながりがアジア太平洋諸国でどうなっていくか。

世界の人口の半数以上を占めるこの地域には、人間同士がお互いにつながりあっていく前提として、国境を越えた動きがあります。様々な人種、宗教、文化が混在するアジア太平洋諸国で、移民、植民、観光等を通じ、人の動きとつながりがどのように形成されてきたか。多様性に富んだ人間同士が出会った際に、紛争や摩擦が起きることが多かったのか、或いはそこに何か良い関係が生まれてきたのか。

これは、根本的には人権の問題です。ある国の人が外国に行って仕事をしたり生活したりする場合、その人がその国にどのように受け入れられるのか。多くのアジア人が外国においてどのような経験をしたか。北米の人たちがアジアに来てどのような扱いを受けてきたか。つまりは異人種間の人権保護問題になると思います。

この点、1960年代までは良くなかった。米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドといった白人中心の国では、人種的な偏見や移民政策があり、アジア太平洋を越えた社会的なつながりがなかなか出来にくかった。ところが1960年代以降、こうした国々でもアジアからの移民を受け入れ、定住も許可するようになり、段々と状況が変わりました。北米やヨーロッパでアジア系の人たちがどんどん増えると同時に、アジア諸国でも徐々にですが、ヨーロッパ人、アメリカ人、カナダ人、オーストラリア人、ニュージーランド人たちが増えています。希望的観測かもしれませんが、今後はお互い人間としての権利や人権を守りながら社会的なつながりを作っていく方向に行くかもしれないと思っています。

ただ、人権は人種の問題だけではありません。国連の人権宣言などにもあるように、男女平等、身体的・知的な障害、ハンディキャップがある人たちの処遇や社会での受け入れなど、取り組まなくてはならない課題がまだまだ沢山あります。高齢化社会への対応も、アジア太平洋各国にとって重要な問題です。社会的なつながりがより人権を尊重する良い方向に向かえば、アジア太平洋共同体というものも一つの可能性として実現するのではないかという気がします。

その背景の一つに、NGOが各国で増えていることがあります。米国の他、日本、韓国、中国でもその数が増加しており、これはとても良いことだと思います。人間レベル、市民レベルでのつながりを深めていくためには、国家間だけではなくNGO間のつながりも強くなっていかなくてはならないし、実際にそうなりつつあると思います。中国でも人権保護や環境問題のNGOが生まれていますが、各国でこうしたNGOが増えれば、アジア太平洋共同体の可能性も増していくと思います。


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■文化的なつながり
それでは続いて、文化面でのつながりを取り上げたいと思います。文化的な交流の場としてのアジア太平洋というものはあるのでしょうか。

アジア太平洋では、文化交流が意外に早くから始まったと言えます。アジア諸国間では、国境を越えた文化交流が古くからありました。また、太平洋を越えてアメリカやカナダとの文化交流というのも明治時代からありました。1930年代ですら、アジア諸国や北米諸国との間で様々な学会や教育者間の会議などが非常に多かったのです。

国際交流というのは決して戦後から始まったものではなく、戦前からかなり強い流れがこの地域にあったと思います。戦前からマスコミの人たちや学者や学生の間では、お互いの対話を続けるという気運がありました。日本と中国との戦争が始まってからも、或いは日本とアメリカの戦争が始まる前夜まで、そのような意味での文化交流が続きました。これは非常に大事なことだと思います。

戦後、アメリカと中国が国交断絶の状態にあった時も、一度ニクソン大統領が訪中しており、国交正常化以前に既に文化的交流が始まりかけていました。アジア太平洋諸国間での文化的つながりは長く存在してきたし、今後もそうだと思います。

ここで非常に興味があるテーマは、文化的なつながりが出来る過程で「ハイブリッド(雑種)文化」が形成されていく可能性です。色々な意味で重なり合い、お互いにめぐり会って作っていった文化、例えば日本とアメリカであれば、純粋なアメリカでもなければ純粋な日本でもない、両方を足して二で割ったような文化が生まれています。人間に限らず食べ物でも衣類でも、或いは学問でも、徹底的に雑種化していくのは良いことだと思います。そして、この雑種化がこれからのアジア太平洋共同体の可能性を高めていくことになると思います。


■知的なつながり
そして最後に、知的つながりについてです。これは文化的つながりの一部ですが、お互いをどう考えているか、どう見ているか、お互いにどのようなことを一緒に考えようかとか、そういったつながりです。知的なつながりがアジア太平洋共同体を作っていく一つの前提条件だとすると、そのようなものが既にあるのかどうか、まだそうしたつながりができていないのであれば、今後できる可能性があるのかどうかという問題です。

歴史問題もそこにあると思います。まず、国単位でない教育というものが生まれるのかどうか。各国でそれぞれの教育制度があり、自国の教科書しか使わない状態では、なかなか知的なつながりが出来にくいでしょう。フランスとドイツで同じ歴史教科書を使うなどヨーロッパではすでに実践されているように、外国から来た先生に教えてもらう、或いは同じ教科書を使うなど、教育の場でつながりを作ることが非常に大事だと思います。

日本と中国の間で同じ教科書を使うことはまだ難しいでしょう。しかし、国家が作った教科書ではなく、民間レベルで、或いは家庭での教育においてそのようなつながりが出来てくる可能はないか。アメリカと日本の間ではかなり出来ている気がしますが、アジア太平洋全域においても、ある程度教育を共有していく方向に向かっていくことが大事だと思います。

学問はもちろん共有されるべき世界であり、日本だけ、或いは中国だけに通じる学問などあり得ません。ところが歴史問題になると、日本と中国の歴史認識が違うということがあります。個人個人が色々な意見を持っているのは良いのです。それは歴史解釈の問題で、認識の問題ではないのですから。ただ、事実としての歴史というものは一つしかない。いつどこで何が起こったか、それしかありません。アメリカ人が見ても中国人が見ても、アフリカの人が見てもトルコの人が見ても、歴史というものは一つしかない。そうした歴史を共有していかなければならないのです。

皆に通じるような学問や研究をし、皆に納得してもらえる結果や結論を出すべく、歴史家も努力しています。その意味では科学と全く同じです。ある国にだけ通用する科学はあり得ないし、ある国にだけ通用する人文科学というものはないのですから。あるのは、世界中の人全てが共有する歴史だけです。

アジア太平洋全域において、全ての人が共有する歴史というものがあるのかどうか。まだない。明らかにまだない。けれども、オーストラリアでも、カナダでも、中国でも、歴史学者に会いますと、皆で過去を勉強し、お互いに共有していこうという根本的な姿勢としてはあると思います。

そこに国家が介入してくると、「都合の悪いことは発表するな」と言われてしまいますが、そんなことを国家にさせていては駄目で、むしろ人間として、市民として、歴史を研究する者として、国家に左右されないような自由な立場で学問をしていく必要があります。世界中の歴史学者の中には、つながりを意識し、これを一層強めていこうという流れがありますので、私はある程度楽観視しています。各国の内政問題や政治問題が現在どうあれ、歴史そのものを変えることはできないのです。


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■結び
つながりの場としてのアジア太平洋の可能性を考えると、それは経済的にはかなり出来上がっているし、社会の面でも文化の面でも、過去に比べて良い方向に向かっていると思います。最後の問題は知的なつながりです。学者の間だけではなく、一般の人たちの知的なレベルでのつながりが強まり、お互いに人類の歴史、或いは自然の歴史、地球の歴史を共有しようとする気運がもう少し強くなっていかなければならないと思います。

ただ、アジア太平洋を中心としたつながりが今日ほど強くなっている時はないと思います。あと少し、全ての国の人たちがつながりを強化して、色々な角度から経済、社会、文化、知の面でつながりを増していけば、アジア太平洋全域の相互依存性が高まっていくでしょう。国家関係、国益、国家主権、領土等にどのような問題があるにせよ、それ以外の点でのつながりを強化し、相互依存性が高まれば、アジア太平洋共同体というものが出来上がっていく可能性も高まっていくと思います。

国境を越えたつながりの強まっている時代、この良い流れの中でアジア太平洋の共同体を一層強化していきたいと思います。それは世界全体をより緊密につなげる役割を果たすことにもなると感じています。

(了)





asia_pacific_ocean_community01.jpg 入江 昭(ハーバード大学名誉教授)
Akira Iriye (Professor Emeritus, Harvard University)
1934 年10 月20 日生まれ。成蹊高校卒業後、1953 年に財団法人グルー基金奨学生として渡米。1957 年ハバフォード大学卒業、61 年ハーバード大学院歴史学修了、博士号取得。専攻はアメリカ外交史。日本出身のアメリカ合衆国の歴史学者として長年にわたって活躍してこられました。思想・文化の影響力を重視するアプローチを特色とし、一国の外交史研究を超えた多国間の視点とその相互作用を組み込む「国際史」研究を提唱、「アメリカのディプロマティックヒストリーのありかたを変えた一人」と称されています。日本出身者として初めてアメリカ外交史学会会長やアメリカ歴史学会会長を務める等、「海外で活躍する日本人」として日米交流におけるパイオニア的存在です。




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