雑誌『をちこち(遠近)』
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日韓文化交流使として新たに思い知った「文化」の底力

辰巳満次郎
能楽師、文化庁文化交流使  



私は能楽師をしております。
亡父も、祖父も、曾祖父も、叔父も、兄も、甥も、そして息子も・・・。
同じ道を、それぞれに同じ方向に歩き、若い者は親の背中を見失わない様に必死に歩き続けます。

それは、たまたま数代続く「能の家」に生まれたことが大きな影響ではありますが、4歳から舞台に立ち、師匠である父の厳しい稽古から逃げ回りながらも、「能」の面白さに目覚め、いつしか己の確固たる道と成ったのです。

国内外の普及活動、つまり、「公演」のみならぬ「講演」「講座」、体験型ワークショップを開催し、能を「退屈・難解・眠い」ものから「面白い・解りやすい・息もつかせぬ」ものへと理解していただくメニューを提供してきました。 それが、たまたま何方かの目に留まったか、思いもよらず文化庁より御連絡あり、「文化交流使」を御指名いただく事と成りました様です。

その役割は自身にとっては願っても無いこと、大変有難いものでありました。 海外公演の度にやってきたことですが、30日以上も活動すると言う事は、交流・普及目的として大きな可能性を持ちます。

ただし、活動国は「韓国」と定まっておりました。


渡航前の逡巡
「韓国・・・」。
私の個人的なイメージですが、韓国国民は総じて反日感情が強く、また、政治的にも様々な難問が課題としてあり、おそらく日本文化にも拒否反応の強い方々であろう、事実、音楽や映画など日本文化が解禁になったのも最近のこと、これは手強いのではと、不安にもなりました。

しかし考えれば、お互いに誤解されている部分も多いのではないか、文化的な交流ならば受け入れてくれるのでは、日本文化を通じて日本人の精神性も理解してくれるのではないかと、次第に強い信念と期待を抱くに至りました。

果たして活動開始に当たり、己にも様々な課題がありました。 まずもって、全く1人で計画・実行することが基本、渡韓経験も無く、出発日が近づいても現地コーディネートも中々決まらず、しかも活動は2012年1月から3カ月かけて延べ30日、寒いソウルでは学校は3月初めまで休み、人々は外にもあまり出ないよ、という逆風的情報が入るばかりです。


幸先のよいスタート
そんな状況下でも、まず、在韓国日本大使館公報文化院のサポートが始まり、公報文化院での新年日本紹介展でのワークショップが初仕事となりました。

事前に相当に言葉使いなどに気を遣い、敬意も含めてカタコトの韓国語で2分ほど御挨拶すると、全く想像にない韓国の方々の反応、素晴らしく「反応」が良いのでした。
実は前夜に食した「テジカルビ」(豚のカルビを鉄板、網などで焼いた韓国料理)で既に韓国のファンになっていた私は、即効、韓国が好きになってしまうのです。
自信をつけた私は3月の公報文化院での「ひな祭り」では、国立能楽堂の協力も得て、「本物の五人囃子体験」として、能の楽器体験もしていただきました。

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国立能楽堂の協力も得て実施した「本物の五人囃子体験」


ソウル日本文化センターでの文化講座
3月に入ると、国際交流基金ソウル日本文化センターのサポートを得て、同センターのコーディネートにより、様々な活動を行いました。

ソウル日本文化センターでの3回にわたる文化講座では、韓国人受講生に、「高砂」の謡(歌唱)と仕舞(部分的な舞)を勉強して頂きました。

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(右)まず初回は、能楽についての講義

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(左)2回目からは、「高砂」に取り組む。仕舞(部分的な舞)をについて、図を使って動きを説明
(右)受講生も皆、足袋を履いて、実技体験


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(左)教室いっぱいを使って、動きを学ぶ。真剣な眼差しの受講生たち
(右)映像資料も交えながら、能楽について学ぶ韓国人受講生


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全3回の講義を終えて、受講生らと


韓国の地方都市でも精力的に活動
ソウル、テジョン(大田)、アサン(牙山)、アンソン(安城)、テグ(大邸)など、韓国各地8大学でのワークショップ、演劇俳優や舞踊団でのワークショップなど、最後の活動として、4月18日に啓明大学でのワークショップを行うまで、最終的に、延べ32日、25回の活動を行いました。
ソウル日本文化センターには、うち16回のアレンジをお願いし、体験用の白足袋・舞扇・楽器ほか、実演用の装束なども保管してもらうなど、さながらベースキャンプの如きでした。

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中央大学安城校で実施したワークショップの様子

また、ソウルタワーのある南山(ナムサン)の「南山国楽堂」で主催した「日韓伝統文化交流『能楽&韓楽』」公演において本格的な能の実演と、韓楽(国楽)の実演、更には新作能舞「光明」での共演という歴史的な公演も、国際交流基金の助成も得て、成功に終えることができました。
大阪留学中に私が弟子として能を指導した縁で、今回助手として雇った若者が、「韓国人は日本が嫌いと言いながら、日本食が大好きで、日本式居酒屋が繁盛し、日本の音楽が流行っているのです。日本の文化は好きなんです。」と言いました。
そもそも彼が能を始めた切っ掛けは、着物を着たいという理由でありました。


新たに思い知った「文化」の底力
歴史的・政治的に課題多き国ならばこそ、文化交流が重要であること、反日といえども食文化を含む日本文化を嫌うどころか理解し好むこと、散々常日頃「今こそ文化を!」と言っている私自身が、今更ながらに「文化力」というものを思い知りました。

文化交流使の使命期間は過ぎましたが、己の生業をもって今後も韓国に伺いたいと考えております。
そしてお互いに「他を知り我を知る」こと、それが「我」を伸ばすことでもあるのではないでしょうか。
韓国の伝統文化の素晴らしさも、日本に伝えたいと思っております。





nou_korea08.jpg 辰巳満次郎
シテ方宝生流能楽師。故辰巳孝の次男として生まれ4歳で初舞台。
東京藝術大学音楽学部邦楽科卒業。大学入学と同時に18世宗家故宝生英雄(ふさお)の内弟子となる。東京藝術大学助手を経た後、東京大阪間の東海道を中心に全国で公演や実技指導、普及活動を行う。
大曲「石橋連獅子」「乱」「道成寺」「翁」など披演。ニューヨーク国連前広場、メトロポリタン美術館ホール、エジプトスフィンクス前薪能などの海外公演も多数。
新作活動にも参画し、2006年「マクベス」、2008年「六条」の演出・主演。2001年重要無形文化財総合指定の認定、2005年度大阪文化祭賞奨励賞受賞。
社団法人日本能楽会会員。社団法人宝生会会員。金沢より大阪に地盤を移した祖父の孝一郎、父の孝が流儀に於ける関西全域を統括したあとを継ぎ、大阪の宝生流定期能「七宝会」主宰。「満次郎の会」、「巽会」、「宝生流あまねく会」主宰。
オフィシャルサイト http://manjiro-nohgaku.com/



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