サウジアラビア 砂漠を越えて響く島唄

(株)ステーション代表 田村光男


Janadriyah01.jpg 太陽と仲間達
トラスと呼ばれる鉄骨のステージ構造も、照明器具も音響機材もほとんど何もなく、ただ建物の前にコンクリートの既設のステージが張り出しているだけだった。 しかも砂漠のまっただ中である。他のパビリオンに至っては、ほとんど工事にかかっている様子さえないのだ。 本当に後数日でこの国最大のフェスティバルと言われている催しがスタートするのだろうか。 先にサウジアラビア入りしている日本側のスタッフ達は明らかに疲れていて、日陰で休憩するしかなく、体力的と言うより精神的にぐったりしているのがわかった。 こういうとき日本側のスタッフの最初の仕事は相手のやり方から何かを学んで、こちらのやりたいこととの接点を探すことである。 世界の様々な場面を経験し今回のイベントのために選ばれた演出チームの面々である。 それが一週間たってこの有様とは、想像を超えていた。

もう15時だというのに、誰も働いている人がいない。みんなが強い日差しをさけて日陰を探し、寝転んだりしゃがんだりしている。 大地に太陽が大きな陰を落とすまでは誰も動こうとしないのだ。 つまり現地の人たちにとって夕方からの何時間かが働く時間なのでありそれは太陽の動きとともに訪れる。 前の日に何時集合、何時仕事開始とどんなに固く約束しても、彼らが信じ感じているのは 地球の動き、そして天候なのであって、時計の文字盤の数字ではない。

異文化交流の入り口はいつもこういう風にお互いが異文化同士になれる努力から始まる。 時として最大の異文化は目の前の自然である。いかんともしがたい自然の中で人々はそのように生きている。初めに知らなければならない相手は自然そのもの、そしてその自然と一体となって生きている人々そのものなのである。 ひとまずはその自然という異文化を受け入れてみなければなるまい。

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Janadriyah02.jpgようやくそんな有り様に慣れた頃、機材やそれを運ぶ重機が入ってくる。
動かしているのはだいたい海外からの出稼ぎの人。ヨルダン、シリア、レバノン組で、会社などに雇われた個人であったり、小さなプロダクションだったりする。荷物を受け取って重たい物を手運びをするのはパキスタン、バングラデシュなどの出稼ぎで、あまり僕らと言葉を交わそうとしない。さらに砂漠の民ベドゥインがいるが彼らは国民として認めてもらっていないから働けないし、この地域への入場も許されない。周辺の砂漠に移動しつつひっそりと生きている。 こういった様々な人たちがこれから約一ヶ月毎日顔を合わせてやって行く仲間達なのである。 (実はまだ登場していない別の仲間達もいるのだが。) 仲間達はすぐに友達になる。日本のスタッフはそれぞれ舞台のポイントとなる人たちとの友達関係は確保していて、仕事が進まなかった分、家族の事や食べ物の事など和やかに話している。 何語なんだかわからないけれど、ここは国際交流の最先端の現場なのだ。


中東民主化そして東日本大震災
ジャナドリヤ祭はサウジアラビアで年に1回、国内各地の文化や芸能を集めて行われるこの国最大の文化フェスティバルである。 国王の主催によるこのフェスティバルには毎年海外からの参加国一カ国が選ばれ、パビリオンを主催し、展示や芸能などを披露して国際交流の目玉プログラムとなる。 2011年は日本が選ばれ、フェスティバルは2月終わりから3月中旬にかけての開催予定で準備が進んでいた。日本側は現地大使館を中心に企業・団体が参加して実行委員会が形成され、日本から参加する展示各企業、資源エネルギー庁、ジェトロなどのブースが「日本文化の多様性、豊かさ、最新の技術」などのテーマに沿ってそれぞれプランを作っていた。国際交流基金はパビリオン内に「オーセンティック・ジャパン〜日本人の源流、自然、歴史、伝統文化」をうたった展示を構成し、武具甲冑、刀、屏風などの展示のほか華道、日本画、茶道などの実演を展開。それとは別にパビリオンに併設する形で野外に本格的なステージを作り、日本の芸能・文化を伝えるステージを連日展開するという、かつてない規模の総合催事をプロデュースしていた。



開催直前になったところで、国王の健康問題を理由に開催の延期が伝えられた。
しばらくあって、4月開催という主催者側の決定が通知されてくる。 しかしその時期にはチュニジアの革命から始まって、エジプト、リビアなど周辺各国に民主化の波が広がり、中東の政治・社会状況は劇的な変化を迎えていた。サウジアラビアの情勢について日本のメディアはほとんど触れていなかったが、関係者の心に不安があったことは否めない。
そして誰もが予想もしなかった事が起こった。 東日本大震災。
地震・津波、そして放射能という、うち続く未曾有の大災害であった。 直接的に間接的に、多かれ少なかれ、出演者もスタッフもそれぞれの中に大きな悲しみや痛みを抱え込んだに違いなかった。 主催者の間でも開催についての討議がなされた事だと思う。

4月13日をオープニングとしてジャナドリヤ祭を予定通りにスタートさせる。 目標をはっきりさせ、各出演者との再交渉、日程の調整が行われた。 幸いほとんどの出演者が、これに応じてくださり、プログラムはほぼ原案通りで実現することとなった。 歌舞音曲・華美な演出を控えるなどといった風潮もあったが、参加する音楽家やスタッフ一人一人にとって、音楽や踊り、祭りはそれ自身が自然への感謝と鎮魂の表現であり、避難所で、防空壕で、子供をあやすお母さんの子守歌の存在こそが音楽の基本であり、祈りの本質だということは参加するお互いの共通認識だった。


しのびよる闇
Janadriyah03.jpg オープニングを翌日に控え、会場周辺がうっすらと闇に包まれたように暗くなる。霧の中に包みこまれたように遠くの風景が消えて行く。目が痛くなる、やがて喉、そしてそれが胸の方にまで沈み込んで行く。これがこの地方の砂嵐である。他の国でビュウビュウと吹く砂の嵐にやられたことはあったけど、これは少し違う。 3日に1回ぐらいおそってくるこの砂嵐は音もなく迫り来る。気づくとすっぽりと一帯が闇に包まれているのである。 霧のように茫漠として降りかかるこの砂はさながら放射能のようで、見えないうちに堆積して行く。嘘や言い訳、引き延ばし策は通用しない。砂の降り続ける現場を目の当たりにし、ここに住む人々の姿や生き方を見習うしかない。つまりこういう場合、予定もくそもなく、すべては中止となる。


砂漠に響く島唄
そもそも石見神楽(益田地域保存会浜田地域保存会)が現地でどう受けとめられるのだろうか。
ようやく初日を迎えた4月14日。 満員の観客は祭り気分でステージ前を通りすぎて行く。しかしその服装は白一色、頭には全員が赤白に編んだ布をかぶっている。サウジアラビアでは男性の普段の衣装である。 これは結構異様な風景で、会場中が全員その服装なのだ。テレビの映像とは違う、360度、フルタイムずっとなのだから。
しかも、オープンから何日間かはシングルデーと言って男性以外の入場は許されない。4日間は真っ白な衣装の群衆とともにあった。 5日目以降のファミリーデーになると、これに頭まですっぽり真っ黒な衣装を着た女性達が混ざる。一挙手一投足を周り中から見つめられているのはもちろんこちらで、真っ黒い仮面の奥から鋭い目線が興味津々でむけられてくる。歓迎されているのかどうかもよくわからないまま、どちらにしても私たちはこの間、まったくの異邦人であった。
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Janadriyah05.jpg ともかくも、石見神楽のお囃子が始まり、神歌が辺りに響きわたる。
と、どうだろう。ステージの前にいた人々がその神歌に答えるように節をつけて唸り歌い出したのだ。セリフや歌が入る度にそれに答えて歌い出す群衆。やがて会場にはコール&レスポンスのファンクミュージックのようなやりとりが広がりだしたのだ。宗教行事での音楽や唄で、演歌のこぶしに節をつけ声を震わすようなものがあることは理解していたが、それが神楽の神歌やセリフにぴったりとははまるものだとは考えてもみなかった。神楽に合わせて会場中がいきなり歌い出すという光景は、世界中でも初めての経験だった。

続くミュージック&リズムス一行の演奏には「ワールドミュージックとしての日本の音楽の今」というテーマがあったが、正直、現場はテーマを越えて地球的に発展していった。 伝統の鬼太鼓座の太鼓が鳴り出すと、一打ち一打ちに拍手、声が上がる。越智ブラザースのアフロリズムがそれに加わると、会場の前のほうでは身体を振り、踊りが始まり出す。日本の太鼓とアフロリズムの変拍子など物ともしないで踊っている。
Janadriyah06.jpg 奄美大島からの前山真吾さんの生命力あふれる力強い島唄は、人々の心を強く動かし、合唱となって会場に響きわたった。 西表島の池田卓さんの島唄は、遙か海の離島からの強いメッセージが込められており、声が唄となる前の熱いため込みがある。その声が唄へと変化する瞬間に観衆の唄がどっとわき上がってくる。思いが通じているのだ。やがて三線にリズムが生まれ、揺れ出すとそれはブルースであり時に追分であった。 遠い海の彼方から聞こえてくる島唄は、砂漠という大海原にかこまれた彼らに強い共感を生み出した。そしてセッションが続く。新田昌弘さんの津軽三味線は追分を受けて、それをテンポある音頭へと変化させ、会場の乗りを次第にグルーブさせて行く。
Janadriyah07.jpg ロックのコンサートのような興奮の中、梅津トリオも加わって、全員参加のフリーセッション。頂点に達したところで鬼太鼓座の和太鼓が強引に進入してくると、会場は足踏みやかけ声も混ざって熱狂し、「その場」はまさに西でも東でもない地球上のどこか小さな村の「祭りの場」のようだった。その場所でそこの人たちと、その時しか出来ない祭りを一緒に作る。踊る歌う叫ぶ、ステージも観客もない興奮と共感がそこにあった。
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地球の祭り
ミュージック&リズムスは、自然・音楽・子供・地域・地球をテーマに2005年から始まった音楽ムーブメントだ。世界各地で子供達と楽器作りのワークショップを展開し、そこに現地の人を含め邦楽・洋楽を問わないミュージシャンが参加して、その場所での体験をテーマに音楽を作り出し、その場所で音楽の祭りを実現して行く。これまでも東京での展開(ミュージック&リズムス TOKYO KIDS)を始め、アフリカなど各地で,その土地のミュージシャン、子供との共演を果たしてきた。 サウジアラビアでは子供達との出会いが難しく、お祭りの場での関係しか持てなかったが、出会いは日々新たな体験を私たちに与えてくれた。
Janadriyah09.jpg  出演者それぞれが持ち味をだしてステージを披露することはもちろんだが、大切なことは現地の人々とともにそこに祭りを作りだそう、そして二週間の祭りの中でなにかを発見し続けよう、ということ。その為には舞台演出が毎日変わってよい、と言う原則があった。だから出演者には「一座」となって様々な試みに挑んでもらうことだった。 石見神楽もついに最終日には幕類を一切なくした素舞台での演出を試みた。 日本各地で廃れようとしている神楽の中で、単に守ろうとする伝統としてではなく、新たに生きて行く方向を模索する若い参加者に出会えたことも重要であったと思う。伝統を残す為に踊るわけではない。為にする行為はむなしい。踊ること演じることの楽しさとその共感こそが神楽の場を生み出し、変わらぬ喜びが伝統として残る。今回の経験は参加された各社中、そして一人一人の中に蓄積され、それが新しい伝統を捧げる力になると確信している。

Janadriyah10.jpgまた現地のリヤド日本人学校の子供達のステージへの参加は、同じパターンになりかけていた出演者、スタッフにはほっとする時間であった。 スケジュールをぬって参加して頂いた空手、古武道の皆さんの出演にあたっての演出の方向性も一致していたと思う。 停電で真っ暗な中、空手や古武道がその姿はよく見えはしないものの、吐く息、吸う息、すり足の音、気合い、その神髄を観客に充分に伝えていたことを、誇りを持ってご報告できると思う。 フィナーレで鬼太鼓座や越智ブラザースも加わっての出演者全員によるインプロヴィゼーションセッションには、日本チーム公演の幕開けにシンセサイザーを演奏してくれた現地在住の前田清光さんも加わり、まさにここでしかない地球の祭りが夜中まで続いた。 ちなみにステージ前の女の子を中心とした追っかけグループにはサックスの鈴木さんがお目当ての子供達が多く、サイン攻め、携帯写真に追い回されていたようである。
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音楽は自然への感謝そして魂への祈り
しかし建前は抜きにして、当初異邦人のような感覚でいたわれわれがいきなり出くわした会場の熱狂とは何だったのだろう。
サウジアラビアでは日常の中で音楽は一般化していない。コンサートというような形式で音楽を聴いたり、チケットを買って席を確保するといったような選択肢はない。つまり商品としての音楽は流通しにくい。しかし音楽のエネルギーは、宗教的な儀式や祈りなどの中に力強く蓄えられている。だから人々は祭りの最中、みんなで唄ったり踊ったりして楽しむものとして音楽をとらえている。押し黙って音楽の技術を鑑賞することや、構築された音楽世界のすばらしさにお金を払うことをしない。コーランの祈りや説教が音楽としての意味をはっきりと唄っているのである。
世界各国の音楽がBGMとして絶え間なく流れ、コンサートはエンターテインメント商品の一つとして存在している我々の世界とは異質である。 しかし音楽の本来の意味と存在の有り様を考える時、重要な問いかけがそこにあるような気がする。 音楽は本来切実な思いであり、自然への感謝であり、魂への祈りではなかったのか。 本来音楽には意味や存在の理由があるはずなのだ。 音楽がメッセージであり、祈りであり、その時そこでしかないものであるとすれば、それを取り戻す機会が今回、私たちの側にあった。 遠い海の彼方から聞こえてくる島唄が、砂漠という大海原にかこまれた彼らに強い共感を生み出したように。 日本から参加した一人一人が持ち続けていた心の痛みや悲しみはサウジアラビアの人々の祈りとどこかで深く通じていたんだと思う。

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地球--サウジアラビアと日本
もう一つ忘れられない事がある。
観客の熱狂する様はライブ中継のテレビ画面に大きく映し出されていた。女も男も関係なく皆が腰や腕をゆらし踊っている。 この映像が大問題になった。こういうことは宗教上許されないことだというわけだ。まずカメラワークを変えろというお達しが、日々監視態勢をしいている宗教警察から届く。昔の日本なら不敬罪ということだ。どうすればいいのかと困っていると、主催者である国家警備隊から「構わないから続けてくれ」と言ってくる。やがて今後のステージを中止するよう申し入れが来ているという。宗教警察と国家警備隊協議の結果続行と言うことになる。このほかに治安に関してはロイヤルセキュリティーという王様直属の部隊がいて、これが一番手強そうだ。 軍隊は別として宗教警察、国家警備隊、ロイヤルセキュリティーの3者が王家を中心とした国家権力の中枢を構成しているのだ。ローカルな警察はあるにはあるが、我々が楽器を盗まれる事態になった時も国家警備隊に阻まれ、この場所に近づくことも許されなかった。 始めに書いたように普通に接する人たちにサウジアラビア人はほとんどいない。出稼ぎの人々である。 この権力の上部構造にサウジ人が存在し、社会はこの仕組みに依存して営まれてきたわけだ。そして王家と通ずる一部の部族の人たちがこの国の石油による富を再分配しているという構造になるのだ。

Janadriyah16.jpg アフリカのいくつかの国でも感じたことだけれど、自然のあり方に大きく規定された部族社会や無頭制というこの地域の歴史的存在のあり方に、西洋の帝国主義国家がいきなり国家という枠組みと境界線を強いてしまった時代から、構造自体を大きく転換させないまま各国の専制体制が続いてきたのではないかと思う。 振り返って考えれば、戦後の繁栄と体制維持の為に構造化してしまった「国家・官僚・業界」の村構造は、原発であれ、米軍基地であれ、ダムであれあらゆるところで同じ形で機能している。私たちはそれを本気で排除しようとしてこなかった。 そして気づかない間も、地球は回り続け、自然の恵みと怒りは等しなみにこの地球を包んでいる。 放射能のように音もなく静かに降り積んで行く砂嵐のなかで、言い訳もすり替えも、先送りもできない事態が起きているんだと思い至る。
地球は一つである。同じ問題がそれぞれの形を取りながら一人一人の生き方を問うているんだと思う。
 
会場から帰ると毎晩1時か2時になる。それでもスタッフは一杯やりながらその日の事を語り合う。 これは変わらない、ただ一杯やるお酒がない。アルコールは宗教上全く禁止なのだ。 そこでノンアルコールビールが出回ることになる。これがまたたくさんの種類がある。今日はストレート(麦味)とか、明日はレモン味、ザクロ味などと工夫を凝らして夜中のコンビニへ仕入れに行くのだ。 不思議な物で一杯飲むとみんな酔ってくる。 ひとしきり今日の失敗なんかの話をして2〜3本飲むと。 あぁ、酔ったとかいってみんな部屋に帰る。 そうするとよく眠れる。 日本に帰って来てたった1日で、この風習はなくなってしまったけれど。



ジャナドリヤ祭 中東最大級とも言われるお祭りジャナドリヤ祭、正式名称「伝統と文化の国民祭典(ジャナドリヤ祭)」(Al-Maharajan al-watani lil-turath wa al-thaqafa al-Janadriya) 今回26回目。毎年、来場者数は約100万人に達し、サウジ主要王族の他、外国要人も来賓として多数参加。 このお祭りでは、世界で1カ国だけ「ゲスト国」が選ばれ、歴史や文化がサウジアラビアで紹介される。これまでトルコ・ロシア・フランスが招待され、今年のゲスト国は日本。



Janadriyah13.jpg 田村光男
(株)ステーション代表取締役社長 ミュージック&リズムス TOKYO KIDS 実行委員長 NPOバンブーオーケストラ理事 NPO国際舞台芸術交流協会(PARC)副理事長
アートキャンプ白州、越後妻有大地の芸術祭、瀬戸内国際芸術祭など地域イベントへの立ち上げに参加。ユーロパリア・ジャパンフェスティバル、WOMADヨコハマフェスティバルなどの国際フェスティバルを組織。愛・地球博「地球市民村」「地球大交流祭」、ブラジル移民100周年コンサート、スペイン・サラゴザ世界博「ラファロ」、EU50周年記念ツアー、TICADアフリカ開発会議記念ミュージカル「やし酒飲み」など国際交流イベントのプラン・プロデュース、演出を手がける。モンゴル建国800年祭では500頭の馬と兵士を使った草原のスペクタクルをプロデュース・演出、話題となる。
 テーマは地球の旅、地球の祭り、そして地球の夢

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