雑誌『をちこち(遠近)』
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アメリカに日本のマンガ文化を紹介し、作品の魅力を伝えて40年

マンガ文化の海外普及に貢献した漫画作家を顕彰する、外務省主催の日本国際漫画賞。国際交流基金は第10回同賞の授賞式(2017年2月6日)に合わせて招聘した日本マンガ翻訳の第一人者、フレデリック・L・ショットさんの講演会を開催しました。日本マンガに魅了され、40年以上にわたりその翻訳に携わってきたショットさんは、生前の手塚治虫と直接の交流があり、2016年には自身の翻訳による『手塚治虫物語』の英語版をアメリカの出版社から刊行(国際交流基金は翻訳出版助成事業にてサポート)。海外コミック翻訳者、マンガ研究者で、ショットさんの大ファンでもある椎名ゆかりさんがモデレーターを務めた今回の講演会で、日本マンガ翻訳に対する情熱や手塚作品への愛情をたっぷりと語ります。

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フレデリック・L・ショットさん講演会(2017年2月8日 国際交流基金 ホール「さくら」にて)

20代の多感な時期に『火の鳥』と出会い、一瞬にして日本マンガにハマった

「Manga」の名称で今や世界中で親しまれている日本マンガですが、海外で評価されるずっと以前から、ショットさんは日本のマンガ文化に着目。翻訳や評論を通して、日本を代表する漫画家の作品を長きにわたりアメリカに紹介してきました。ショットさんの日本マンガとの出会い、それは1970年代に遡ります。

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モデレーターの椎名ゆかりさん(左)がフレデリック・ショットさんの多彩な経歴を紹介。

椎名:作家、漫画評論家、翻訳者と、ショットさんはいくつもの肩書きをお持ちです。

ショット:仕事の幅が広すぎて、得体の知れない人と思われるかもしれないですね(笑)。

椎名:つまりお仕事は多岐にわたっているわけですが、今回は『手塚治虫物語』の英語版『The OSAMU TEZUKA Story』の出版記念ということで、日本マンガを北米に紹介した先駆者、手塚治虫先生と深いつながりを持つ翻訳者、この2点に焦点を当ててお話を伺います。
まずは、ショットさんの生い立ちからご紹介します。1950年にワシントンDCでお生まれになって、5歳まで暮らしたんですね。

ショット:そうです。5歳以降、僕はずっと海外育ちで、ノルウェーに5年、オーストラリアにも5年、そして1965年に初めて日本に来ました。

椎名:その当時はまだ、日本のマンガを読んでいなかったとか。

ショット:1965年から高校を卒業する1968年まで日本にいましたが、マンガは読んでいませんでした。日本語がわからなかったし、マンガを目にした記憶もないですね。

椎名:ショットさんが日本のマンガを読むようになるのは大学に入ってからですか。

ショット:日本の高校を卒業してアメリカの大学に進み、3年生の時に国際基督教大学(ICU)に留学して集中的に日本語の勉強を始めたんです。その頃ちょうど大学生の間でマンガがブームになっていたらしく、周りにいる学生のほとんどがマンガを読んでいましたね。これは面白い現象だなと思いながら、自分もマンガを読み始めたわけです。

留学して1年ほど経ったある日、大学の友人が僕のそばに来て「絶対に面白いから」と言ってマンガの単行本を差し出しました。「必ず返してね」と念を押しながら、まるで宝物でも手放すようにして手塚治虫さんの『火の鳥』を貸してくれたんです。こちらも思わず、聖なるものを渡されたような気分になってしまいました(笑)。

さっそく読んでみると、人生や生きる意味など、多感な20代の自分が悩んだり考えたりしていることが描かれている。『火の鳥』はすごいと思いました。一瞬にして虜になった。つまり、日本マンガにハマったわけです。僕の人生はここで狂ってしまいました(笑)。

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「『火の鳥』と出会い、人生は狂った!」と、ショットさん。

日本マンガの紹介本『Manga! Manga! The World of Japanese Comics』を出版

 日本の大学に留学中、友人の勧めによって『火の鳥』と出会ったショットさんは、その後プロの翻訳家となり、手塚マンガの翻訳を手がけます。その最初となった作品は何を隠そう、ショットさんをこの道に導いた『火の鳥』でした。

椎名:日本マンガにハマった結果、日本マンガ専門の翻訳グループ「駄駄会(DADAKAI)」をお作りになったんですよね。

ショット:僕は留学後に、通訳と翻訳の勉強をするために研究生として再度、ICUに在籍しました。そして研究生のプログラムを終えると、プロの翻訳家として東京で仕事を始めます。その傍ら、日本のマンガを海外に紹介する目的で、ICU時代の友人(Jared Cook、 坂本伸治、ウエダ・ミドリ)と駄駄会を結成したんです。会を発案したのは実業家精神に欠けている自分ではないと思いますが、会の名前は多分、僕が駄洒落でつけました。

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ショットさんは日本の漫画を海外に紹介する「駄駄会」を友人と結成。

椎名:駄駄会は結成後さっそく、手塚プロダクションに『火の鳥』を翻訳したいと売り込みに行ったそうですね。

ショット:僕だけでなく駄駄会のみんなも『火の鳥』が大好きで、手塚プロにアプローチするために3~4人で訪問しました。まさか手塚先生に会えるとは誰も思っていなかったんですが、現社長で当時マネージャーだった松谷(孝征)さんと話をしていると、手塚先生が突然現れて。僕たちにとっては雲の上の存在ですから、驚くと同時に感激しました。

駄駄会はこの訪問を足がかりに『火の鳥』の1巻から5巻までを翻訳し、手塚プロに渡しておいたんです。それが1977、78年のことで、僕たちが仕上げた『火の鳥』の翻訳はその後25年ほど、手塚プロの資料室の隅で埃をかぶることになります。

椎名:これをきっかけにショットさんは日本マンガの翻訳活動を始めるわけですが、手塚先生が渡米するたびに通訳を務めたりして親交を深めながら、『Manga! Manga! The World of Japanese Comics』という日本マンガの紹介本をアメリカで出します。それも、北米に日本マンガが本格的に上陸する前の1983年に。

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アメリカに日本のマンガ文化を紹介した初の書『Manga! Manga! The World of Japanese Comics』(1983年 講談社インターナショナル刊)

ショット:この本は国際交流基金の翻訳出版助成プログラムの支援を受けて出版されたんです。でも、出すのがちょっと早すぎました。10年後に出していたら、もう少し売れたかもしれません(笑)。

椎名:日本漫画家協会とニッポン放送の共同企画による「マンガ博覧会'83」(1981~1983年開催)で、ショットさんの著作は第2回マンガ・オスカー賞の特別賞を受賞しました。

ショット:この本の序文を書いてくださったのが、他でもない手塚先生なんです。しかも、東京の書店で行った出版記念サイン会にも参加していただきました。当日、会場に長蛇の列ができたんですが、来場者が何を求めていたかというと、僕のではなく手塚先生のサイン。先生はサインをする際に、必ずイラストを描き添えていたんです。僕の本が1日でこれほど売れたのは最初で最後ですね(笑)。

『鉄腕アトム』23巻を翻訳し、手塚治虫に対する理解がより深まった

『Manga! Manga! The World of Japanese Comics』が刊行された後の1987年、小学館と集英社の子会社、ビズ コミュニケーションズ(現ビズ メディア)が北米市場に参入して『カムイ外伝』などを出し、ほぼ同時に当時シカゴ市にあったFirst Comics が『子連れ狼』を出版。これを皮切りに、日本マンガのアメリカでの出版が本格的に始まります。

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椎名:北米の日本マンガ事情を語る上で外せないトピックの一つに、ショットさんが90年代に翻訳なさった士郎正宗さんの『攻殻機動隊』があります。『攻殻機動隊』の英語版『GHOST IN THE SHELL』は、文字の入れ方やオノマトペの英訳の質がものすごく高いということで、日本マンガ出版のお手本と言われました。ショットさんの翻訳も、ファンの間で素晴らしいと絶賛されて。

ショット:一部のファンから「士郎さんの日本語をよくぞ訳した」と言われました。士郎さんの作品はジョークや複雑な駄洒落が多く入っていて、けっこう訳しにくいんです。

椎名:そして、2000年代になってようやくアメリカで、『鉄腕アトム』23巻と『火の鳥』全12巻がほぼ同時に並行して出版されるんですよね。

ショット:実は'90年代に一度、手塚プロの松谷さんと一緒にビズ メディアを訪問して『火の鳥』の出版を打診してみたことがあるんです。でも当時のアメリカではマンガに対する関心が低く、無理でした。2002年になってやっとアメリカでも環境が整って、'77、'78年に翻訳して手塚プロに渡しておいた1巻から5巻までを含め、『火の鳥』全12巻の英語版『Phoenix』をビズ メディアから出すことができたわけです。

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『火の鳥』の英語版『Phoenix』全12巻は2002年~2008年に出版された。

椎名:同じく2002年に、『鉄腕アトム』の英語版『Astro Boy』が出版されました。5年後の2007年にショットさんは手塚先生とアトムをテーマにした著作『The Astro Boy Essays』を出し、その序文でこんなことをお書きになっています。「これまでも手塚さんの本を書かないかという話はあったけれど、なかなかその気になれずにいたところ、『鉄腕アトム』23巻を翻訳したことで手塚先生に対する理解が深まり、書けるのではないかと思った」と。

ショット:手塚作品は数が多い上に描かれているジャンルも幅広く、とても1冊では書き切れないと思い、ずっと断っていました。『鉄腕アトム』を全巻訳した後、アトムに焦点を絞れば先生について1冊の本にまとめられるかもしれないと思うようになったんです。

900ページ以上にも及ぶ『手塚治虫物語』を翻訳して肩凝りが再発

 アメリカで誰よりも手塚治虫を、手塚作品を熟知するショットさんは、上・下巻合わせて904ページに及ぶ『手塚治虫物語』も翻訳。1992年に朝日新聞出版から刊行されたこの大著は、手塚プロに当時在職していた漫画家の伴俊男氏と制作スタッフがエピソードを織り交ぜながら描いた手塚治虫の伝記マンガです。ショットさんの翻訳による英語版『The OSAMU TEZUKA Story』は2016年、ストーン ブリッジ プレスによって出版されました。

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『手塚治虫物語』の英語版『The OSAMU TEZUKA Story』は全928ページの大著。

椎名:ここからはショットさんの翻訳最新作『The OSAMU TEZUKA Story』についてお話します。この本も国際交流基金の翻訳出版助成事業の支援を受けて出版されたんですね。

ショット:国際交流基金には長年お世話になっております(笑)。

椎名:原本の『手塚治虫物語』は904ページですが、英語版は全928ページ。

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ショット:『手塚治虫物語』は構成が非常に面白く、昔の資料も上手に生かされていて、僕にとっても学ぶところや発見がたくさんありました。日本では「情報マンガ」というジャンルに入ると思いますが、アメリカにはなかったカテゴリーです。アメリカでは本は左開きですから、僕は当初、より多くのアメリカ人に読んでもらうためには左綴じで出版したほうがいいのではないかと考えていました。でも構成上『手塚治虫物語』は右開きが適しているし、アメリカのマンガファンも右開きに慣れてきていることを考慮して、日本と同じ右綴じで出版することにしたんです。

椎名:アメリカの人たちに抵抗なく手に取ってもらうには左開きがいいというのは、実は私も感じるところです。ただ、作品によっていろいろ事情が異なるので、翻訳を出版する際に右開きか左開きかの選択はこの先も避けて通れないかもしれませんね。

さらに『手塚治虫物語』の場合は翻訳する上での苦労もあって、モブシーン(群衆が登場するシーン)がその一つとか。

ショット:そうです。モブシーンは手塚マンガの特徴的な表現手法で、たとえばモブシーンが印象的だった初期の作品に、1949年に発表された『メトロポリス』があります。『手塚治虫物語』にも収録されていて、虫眼鏡を使ってモブシーンを翻訳したために、また目を悪くしてしまったんです(笑)。

椎名:わかります。かなり翻訳者泣かせかもしれないですね。でも、最大の難関は何といっても、巻末の年表だったんじゃないでしょうか。手塚先生のマンガ全作品とテレビアニメや劇場アニメーション、さらには年賀状やカレンダーの発売情報まで入っていて、年表だけで45ページ。ショットさんはそれを全て訳したんですよね。

ショット:出版元は年表を全ページ訳しても誰も読まないだろうと言ったんですが、僕は翻訳者魂で原本に忠実に訳しました。そのために肩凝りが再発してしまって、まだ凝りがほぐれないんです。もし『The OSAMU TEZUKA Story』を手に取る機会があったら、巻末の年表にもぜひ目を通していただければと思います(笑)。

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(編集:斉藤さゆり、講演会撮影:桧原勇太)

【Profile】

manga-frederik_11.jpg フレデリック・L・ショット(Frederik L. Schodt)
作家、マンガ評論家、翻訳者。1950年米国ワシントンDC生まれ。現在、サンフランシスコ在住。国際基督教大学留学中に日本のマンガにハマり、1977年以降、手塚治虫の『鉄腕アトム』『火の鳥』『罪と罰』をはじめ、池田理代子『ベルサイユのばら』、士郎正宗『攻殻機動隊』など数多くの日本マンガを翻訳する他、『Manga! Manga!』『The OSAMU TEZUKA Story』『Dreamland Japan』といった評論書や研究本を執筆。英語圏に日本マンガを広めた功労者で、その功績が称えられ、2000年に第4回手塚治虫文化賞特別賞、2009年には旭日小綬章を受賞。近訳に『手塚治虫物語』(英題:The OSAMU TEZUKA Story: A Life in Manga and Anime)。公式サイトhttp://www.jai2.com/

manga-frederik_12.jpg 椎名 ゆかり(しいな ゆかり)
海外コミック翻訳者、東京藝術大学非常勤講師(マンガ文化論)。米オハイオ州ボーリンググリーン州立大学院ポピュラーカルチャー専攻修士課程修了。北米のコミックスと海外における日本マンガの受容を主なテーマに執筆活動を展開。2011年から3年間、文化庁芸術文化課マンガ研究補佐員を務めた。訳書に『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』(第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞)、『ブラックホール』『サーガ』など。

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