雑誌『をちこち(遠近)』
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人間の心にある宝物~第53回外国人による日本語弁論大会に出場して

吉田 ガンバマリア カロリーナ
(主婦、ブラジル・サンパウロ在住)



国際交流基金設立40周年記念事業として、第53回外国人による日本語弁論大会が大分県別府市で開かれました。出場者の多くは、日本在住の外国人ですが、遠くブラジル・サンパウロからも参加者がいました。「命の布」の発表テーマでスピーチをおこなった吉田 ガンバマリア カロリーナさんです。
カロリーナさんは、現在は主婦ですが、サンパウロの日本語学校で日本語を教えていた経験があり、国際交流基金日本語国際センターで実施された日本語教師研修にも参加したことがあります。現在は、母親業に専念しているカロリーナさんが、なぜ、はるばる日本の弁論大会を目指したのか、日本語で綴ってくれました。

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大会当日(青い服を着ているのが私)
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リハーサルの様子。弁論大会の出場者はさまざま。
日本人のよさを語る人もいれば、日本人が忘れてしまった日本のよさを語る人もいる。日本語のおもしろさについて語る人もいれば、日本語のみだれについて語る人もいた。一人ひとり、出身国も職業も、日本を見る角度もまた異なる。



私を感動させる場所、日本
日本は私を感動させる場所です。そして、日本語は私を感動させる外国語です。
5年前のある日、国際交流基金の日本語教師研修で日本に滞在中、私は友達と「三鷹の森ジブリ美術館」に行きました。美術館の入り口が、物語の入り口になっていて、入り口のガラスの中に大きなトトロがいましたが、その下に書かれていたメッセージに私はとても強い印象を受けました。
そのメッセージは(正確な文章は忘れてしまいましたが)、「物語の主人公になるには、カメラを向けるのではなく、この空間をご自分の目で見て体で感じてください。そして、思い出は心の中に大切にしまって持ち帰ってください、これが私達の願いです」というものでした。
その日から、私はあまり写真を撮らない人になりました。特に、私が感動するような場所では、写真を撮ることはなくなりました。

日本留学準備のため一生懸命勉強していた頃、スペイン留学から帰国したばかりの友達からとても含蓄のある言葉を教わりました。「宝物はどこか特定の場所にあるのではない。ブラジルにも、スペインにも、日本にもない。宝物は人間の心にある。」 そのとき、私は「ふ~ん」と思っただけでした。その言葉を理解するにはまだ若かったのかもしれません。


日本での弁論大会に出場するまで
最近、第53回外国人による弁論大会に参加するため、4回目の訪日をしました。5月28日にサンパウロを出発し、30日の夕方日本につき、大会は6月2日から3日まで、6日には帰国するという短い滞在でした。三歳になる娘から離れたのは初めてでした。外国からの参加者は私一人で、あとは日本に住み、日本で勉強している外国人でした。

私は、ブラジルの田舎にある日本語学校に通っていて、そこでは毎年、弁論大会がありました。地域の弁論大会で優勝した生徒は大都会のサンパウロ市で開催されるブラジル全国レベルの大会に参加することができました。さらに、ブラジル全体の弁論大会で優勝できれば、日本で開催される弁論大会に参加できるのです。
(余談ですが、昔、日本からブラジルに移民した日本人は、自身の言葉や文化などを守るために学校を作り、それらの学校は日本語学校と呼ばれています。20年前、ちょうど私が日本語の勉強を始めたときは、ブラジルで日本語を学ぶ学生のほとんどは日系人でした。現在は、50%が非日系人となるまでになりました。)

日本語学校に通い始めてから、私も毎年、地域の弁論大会に参加しました。初めて参加したときには3位でしたが、その次は、特別な賞をもらうことができました。
3年後、私が14歳のとき、サンパウロに引っ越し、サンパウロでも日本語学校に通いました。サンパウロの日本語学校には3年間ほど通い、ブラジルの全国レベルの日本語弁論大会に出場できるようにトレーニングを積みました。それぐらい、日本へ行きたかったのです。
17歳のとき、ブラジルの全国レベルの日本語弁論大会で受賞し、ブラジル代表として、東京で開催された外国人高校生によるスピーチコンテストで1位になりました。2000年のことでした。私は、やっと、夢を実現することができたのです!

それから10年以上たった今年、また日本のスピーチコンテストに出たくなりました。まだ長いテキストを覚えられるだろうかと自問しました。六人の大家族で、夜泣きする小さな娘がいるのに覚えられるかどうか心配でしたが、それでもやってみたかったのです。長い間日本語を勉強していなかった私は、それでもまだ何かできると思い、自分自身にチャレンジしました。


「赤い糸」でつながる
発表テーマを考えているときに、小さいときに、よく祖母や叔母のところへ遊びにいって、世界中の女性の喜びの一つが針仕事で、ミシンを愛用していた時代の彼女たちの昔の話を聞かせてもらっていたことを思い出し、ふらっと、娘の幼稚園の前にある洋裁学校に立ち寄ってみました。その洋裁学校に足を踏み入れたとたん、自分にも、布や針を好む血が流れていると感じました。
そして、弁論大会での発表テーマを「命の布」としました。この話では、私たちは皆、布が針と糸でつなぎ合わせられていくのと同じように、人も皆がつながっているということを発見した気持ちを、私のスピーチを通じて伝えたかったのです。

弁論で話すために、日本だけでなく、ギリシャ神話、ヨーロッパの童話、日本の昔話から文学作品まで、様々な「糸」の歴史を調べました。日本で糸にまつわる話といえば、「かぐや姫」「鶴の恩返し」、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』など。 さらには、日本の「赤い糸」という表現についても知り、「赤い糸」を信じるようになりました。一度か二度会っただけで、その後に絶対に会うことが適わない人でも、出会いは偶然ではなく、私たちの運命は赤い糸でつながっているのです。

自分のスピーチが選ばれるとは思わなかったので、選ばれたときは、まだ完全に暗記していませんでした。眠れない夜、トイレでマントラのようにスピーチを繰り返しました。もちろん、自分の力だけでここまで来たわけではありません。昔、日本語を教わった先生に助けていただきました。遠い日本から先生たちが支えてくださったことをとても感謝しています。

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(左)緊張してステージに立ち、日本語でスピーチをするのは何て素晴らしい!
(右)スピーチを終え、ほっとした表情をしている出場者たち。出場者同士、日本語で交流を図っていた。



私がもらった「人生の賞」
大会は別府市で行われました。別府市では、10カ国の人たちと知り合いました。
彼らは私と同じで日本語が大好きな外国人です。多くの人の前で緊張してステージに立ち、日本語でスピーチをするとは、なんて素晴らしいことでしょう。十年以上前に感じた、あの気持ちをもう一度感じたかったのです。同じ状況の他の参加者達と一緒に緊張したり、がんばったりしたかったのです。
選ばれてスピーチするときの、あの気持ちを感じることができるのも最高でした。でも、最高だったのは、三日間で気が合う外国人と会えたことです!
私にとっては、それも一つの賞でした。人生の賞と言えます。「命の布」のスピーチのテーマを思い出しました。ほんの短い出会いも運命で、私たちは永遠につながっているのです。もう会えなくても、メール交換ができなくても、彼らは私の人生の「糸」に参加したのです。私は、そのようなチャンスがあったことに感謝しています。

中東のある言い伝えでは、この世ではもう会えない人にも、違う世界にある木の下で、もう一度会えるかもしれないそうです。今回、別府の大会に一緒に参加した外国人、別府で会った方々とは、その木の下で待ち合わせをしようかな? それとも、待ち合わせの場所は、渋谷のハチ公前? それとも、他の弁論大会で!?
(* 編集部が、読みやすいように校閲をしましたが、原文は日本語です。)

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国際交流基金の広報ブース
別府市は留学生数の対人口比の高さが日本有数の町。また、源泉数、湧出量ともに日本一を誇る温泉都市であり、外国人観光客も多い、国際観光温泉文化都市である。今回の弁論大会を聞くために来場された方の中にも海外の方が多かった。




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