国境を超えて13人のキュレーターたちが展覧会を作り上げる醍醐味

アデリーン・オオイ(インディペンデント・キュレーター/マレーシア)



 日本と東南アジアのメディア・アート展を企画するために、2012年8月下旬に初めて東京で会ってから、我々、つまり日本、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの13人のキュレーターは長い道のりを歩んできた。
 東京で行われた第1回ミーティングは、まるで新しく入学した学校の初日のようだった。初対面の緊張をほぐし「お互いのことを知る」プロセスを経て、ようやく共に仕事に取り掛かることができたからである。
 私たちは長期の校外学習に出かける生徒のように、何をやるのも一緒だった。何度も一緒に食事をとり、お茶を飲みながら休憩し、美術館・博物館やアート・スタジオへ電車で通うのも一緒。そのなかで、互いにいろいろなことを尋ね合い、意見を交換した。自分の仕事を紹介し、自分の国のアートシーンについて語り合った。そうして一緒に時間を過ごすのは有益だった。相手の経歴、何に関心をもっているのか、また互いの違いなどについて理解する必要があったからだ。

 東京滞在も終盤となった頃、私たちはついにプロジェクトについて詳細な説明を受けた。そして、すぐにプロジェクトの構想を練る作業に取り掛かった。日・ASEAN友好協力40周年を記念して、日本とASEAN諸国のメディア・アートをテーマとする一連の展覧会を私たちキュレーターが企画するとのことだった。展覧会は2013年にジャカルタ、クアラルンプール、マニラ、バンコクの4都市で順次開催されるということだった。


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社会状況や文化的背景の違い
 最も単純な仕事が、時には最も難しいことがある。私たちは自分自身に、またお互いに対して、簡単には答えが見つからないと分かっている次のような「大問題」を問いかけなければならなかった。「メディア・アートとは何か?」「あなたの国では、メディア・アートはどのように定義され理解されているか?」「あなたの国ではどのようなものがメディア・アートと見なされているのか?」というような問題である。

 私たちが出した答えは、それぞれの国によって社会状況や文化的背景が異なっているうえ、社会基盤や利用できる資源も違うことから、「メディア・アート」の定義と理解は国によって非常にばらつきがあるというものだった。メディア・アートとは何か、何がメディア・アートと言えるのかは、それぞれの国のアートシーンによって異なる。そして、メディア(媒体)を実現したり支援したりする技術が絶えず進歩するように、メディア・アートの定義や中身それ自体も常に新しく生まれ変わり続け、完成された姿になることはない。ぬるぬるしたウナギを捕まえようとするように、メディア・アートの実態はとらえどころがなかった。

 2012年8月の初回のミーティングを終えて、私たちは途方に暮れ混乱していた。展覧会の日程と開催候補地については概ね合意していた。各開催地を三日月型に巡回し、幕開けは2013年9月にジャカルタとすることに決めた。ジャカルタで開催されている国際的なアート・フェスティバルである「OK. Video Festival」と時期を合わせ、互いのイベントがもたらす効果を最大限に生かすためである。ジャカルタを皮切りに、続く10月にクアラルンプール、11月にマニラへ移り、12月にバンコクでグランド・フィナーレを迎えて終了することとした。
 各会場の展覧会はそれぞれの都市の要求と状況に合わせて企画される。ある会場に出品した作家が、別の会場に登場する必要は必ずしもない。展覧会の目的は、できる限りさまざまなアーティストを見てもらうことだからである。この時点で、それぞれの開催都市と状況にふさわしいアーティストは誰なのか、適切だと思う人物の選定をすでに始めていたが、まだ100%の確信はなかった。
 プロジェクトについて明確な像を描くためには、そこから距離を置く必要があった。頭の中で少しばかり「ねかせる」必要があったのだ。私の知り合いの脚本家はこれを「アイデアを奥のコンロに置いて弱火で煮込む」と表現していた。私たちは皆、それぞれ自分の住む都市の自分のオフィスにいる間、企画について真剣に考えると同時に頭を空にする、そういう作業を頭の中でしていたのではないかと思う。



大きな転機となった2回目の大会議
 私たちは、仲間のキュレーターや、日本および各都市の国際交流基金のスタッフと定期的に連絡を取りながら、2013年2月の終わりに、東京で2回目のミーティングを迎えた。
 その頃までに、日本人のキュレーターである、岡村恵子 (東京都写真美術館 学芸員)、会田大也 (山口情報芸術センター[YCAM] 主任エデュケーター)、服部浩之 (青森公立大学 国際芸術センター青森[ACAC] 学芸員)の3人は、展覧会が開催されるインドネシア、マレーシア、フィリピン、タイの訪問を終えていた。そのASEAN 4か国への訪問は、短期集中型のまさに「日本型ツアー」だったという話を聞いて、私たちは日本人キュレーターを気の毒に思った。
 彼らのほとんどにとって、このツアーはそれぞれの国を初めて体験する機会でもあった。彼らの頭の中で何が起こっていたのか私には想像できないが、控えめに表現したとしても、大量且つ馴染みのない情報が彼らの頭の中に流れ込んでいたことは確かだ。

 2013年2月のミーティングはプロジェクトの大きな転機となった。私たち13人が2度目に集まるまでに、展覧会のアイデアはより明確なものになっていた。また、この頃までには、互いのことを良く知りあい、それぞれのキュレーターが抱いている目標やビジョンを理解し合えるようになっていた。
 ジャカルタでの展覧会まで約半年を残すばかりとなり、集まれる機会は恐らくこれが最後だろうということが分かっていた。私たちはほとんどの時間を国際交流基金東京本部の会議室で過ごした。展示やプログラムの構成について具体案を出し、各都市の展示の性質や展示に必要な技術を決定し、ワークショップやラボ、上映プログラムをどのように構成するのか決めた。また、適切と思えるアーティストを各国から選び出して絞り込んだ。
 日本とASEAN諸国のアーティストやその作品をまとめた「基本リスト」から、各都市のキュレーターは適切なアーティストの作品を選び、それぞれの都市の展示に組み込むことになる。誰もが教育的な要素があれば展覧会はさらに有意義なものになると考え、4都市すべてにおいて、専門家から大学生やティーンエージャーに至るまでさまざまなレベルの来場者が参加できるワークショップやラボを開催すべきだという点で意見が一致した。

 そして、最大の問題にも取り組まなければならなかった。展覧会のタイトルをどうするかということである。タイトルの決定はミーティング全体のなかで最も時間がかかり、最も疲れる仕事になったが、最終的に「Media/Art Kitchen」ということで意見がまとまった。「キッチン」と「料理」のコンセプトにヒントを得たタイトルで、実験、遊び、そして創造の場としての台所ということを表わしている。副題の「Reality Distortion Field (知らず知らず聴衆を巻き込み感動させる、現実を歪曲した空間)」はスティーブ・ジョブズ氏へのオマージュであるとともに、4都市を通じて展示される作品群を言い表すのにふさわしい表現だった。



親しみやすさを主眼としたクアラルンプール展
 こうして、展覧会の全体準備は進んでいったが、私は、自分の住む、クアラルンプールでの「Media/Art Kitchen」展に、とりわけ深くコミットメントをした。
 クアラルンプールの「Media/Art Kitchen」展は、「メディア/アート」を初めて目にする一般市民を念頭に置いて企画されている。郊外のショッピングモールに会場を定め、その広大な敷地の中にある3つの会場--Black Box、Art Row(ユニット54、55、56)、そしてPublikaで人気の高いカフェPlan B--を使用して、2013年10月6日~20日までの間、展覧会が開催された。おそらく開催4都市の中で最も普通とは違う展覧会になったと思う。

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展覧会場

 クアラルンプール展では、Bani Haykal(シンガポール)、Tad Ermitano(フィリピン)、Fairuz Sulaiman(マレーシア)、萩原健一(日本)、堀尾寛太(日本)、クワクボリョウタ(日本)、Lifepatch(インドネシア)、Narpati Awangga(aka oomleo、インドネシア)、Operasi Cassava(マレーシア)、Nitipak Samsen(タイ)、田村友一郎(日本)、The Propeller Group(ベトナム)、八木良太(日本)の13人のアーティストを取り上げた。
 この13人の作品は、メディア技術や携帯型の電子機器がどこにでも存在するものであることを浮き彫りにし、メディアが人間の住む環境の一部にすっかりとりこまれているということを気づかせてくれる。メディア技術や携帯電子機器は、その存在を意識しているか否かに関わらず、私たちが日々消費や利用の対象としている物の中に入り込んでいる。スマートフォンから家庭用のメディア・プレーヤー、監視カメラからソーシャルネットワーキング・サイト、そして私たちが毎日インターネットで見ている莫大な映像源に至るまで、世の中はさまざまなメディアであふれている。ショッピングモールを会場に選んだことから、私たちはこの展覧会が観客に親しみやすいもの、さまざまな年齢層の人々にとって魅力あるものになってほしいと願っていた。それには、すでに人の往来が活発なショッピングモールという場所での開催は、非常に好都合だった。



ペンキが乾くのを辛抱強く待った48時間
 会場設営は2013年10月1日に始まった。日本人アーティストのクワクボ、八木、堀尾の3人が最初に到着した。
 「ホセ」こと田村友一郎は、クアラルンプール展のために特別作品を制作するつもりで、クアラルンプールのはずれに住むマーメリ族が作る仮面に関心を持っており、すでに9月初旬に1週間ほどクアラルンプールに滞在していたが、会期直前に、さらにもう一度、マーメリ族との共同制作の最後の仕上げのために、生活を短期間でも共にすべく、すでに3日早く到着していた。
 続いてアートグループLifepatchのメンバーであるUcokとTimbil、そしてTad Ermitano、oomleoが10月2日に到着し、そして、最後となる10月3日にBani Haykalがやって来た。
 出品するアーティストをマルチメディア大学のメディア・アート専攻の学生が手伝った。学生たちはクアラルンプールの「Media/Art Kitchen」展のために休日を返上してくれたのだ。プロジェクトのアシスタント役としてこの学生たちは最高だった。多くの学生は、とりわけクワクボ、Bani Haykalの2人の一流アーティストに魅せられていた。展覧会場の設営に携わっている者でさえクワクボの仕事に畏敬の念を抱き、彼のために完璧な白い展示ボックスを設営するという課題を自らに課していた。
 設営作業の日々はあっという間に過ぎていったが、問題がなかったわけではなかった。毎日、小さな技術的な問題が起こり、解決する必要に迫られた。アーティストからの要求や依頼に応えて、最後の段階になって展示レイアウトを変更しなければならないということもあった。
 なかでも複雑だったのは、堀尾とクワクボの展示設営である。堀尾はBlack Boxの奥の部屋に、会場に合わせたインスタレーションを作り上げなければならなかった。一方、クワクボは特設の白い展示ボックスを動かせるようになるまで、ボックスの中に塗ったペンキが乾くのを辛抱強く48時間待たなければならなかった。
 アーティストは大変協力的で、お互いに助け合っていた。休憩時間には互いの展示スペースを訪れて、互いの研究ノートを比べたり、「技術オタク」の会話を交わしたりしていた。このようにアーティスト同士が交流している様子は非常に心温まる光景だった。彼らは一緒に出掛けて、夕食にさまざまなマレーシア料理を味わってみたり、宿泊しているホテルの屋上でビールを飲みながら長い間話をしたりしたことを私に話してくれた。
 10月5日の真夜中になって展覧会はようやく形になってきた。クワクボがアーティスト・トークを終える頃までには、クアラルンプール展の白眉はクワクボの「10番目の感傷(点・線・面)」だということがはっきりした。来場者が展示全体にどう反応するのか我々には確信がなかったが、正式開催前に行われるその夜の内覧会で年齢を問わず来場者たちが楽しんでいるのを目にしたときは大変うれしかった。

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クワクボリョウタ:「10番目の感傷(点・線・面)」



双方向的要素で観客を楽しませる
 展示期間の1週目は来場者数が非常に多かった。Tad Ermitanoの映像作品「Sammy and the Sandworms」はあっという間に子どもたちのあいだで人気となり、クワクボの展示スペースは、私が立ち寄ったときは常に人で溢れていた。この他に来場者に人気を博した展示としては、Bani Haykalの「Dormant Music」という変形させた楽器の付いた立体アート、八木良太の作品「Sound Sphere」、Nitipak Samsenの映像作品「Coinflipper」、観客自身に動画を作成してもらうFairuz Sulaimanの「Praxijectorgram」、カフェPlan Bで展示されたoomleoのピクセル・アート・アニメーションなどがあった。

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Tad Ermitano:「Sammy and the Sandworms」

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(左)Bani Haykal:「Dormant Music」、(右)八木良太:「Sound Sphere」

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(左)Nitipak Samsen:「Coinflipper」、(右)Fairuz Sulaiman:「Praxijectorgram」

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oomleo:ピクセル・アート・アニメーション

 展覧会はその後も特に週末は大勢の来場者でにぎわった。家族連れから学生グループ、デザイナーや建築家、ヤングアダルトや好奇心旺盛な人々まで、クアラルンプールの幅広い人びとが来てくれた。
 観客の反応を耳にするのは興味深いことだった。多くの人から、心から楽しんだ、絵画にはどう反応すべきなのか分からないから、絵画や彫刻のように昔からある表現方法を集めた展覧会よりメディア・アート展のほうがいいと聞かされた。双方向的な要素は観客に展示に参加してもらうためのよい方法だった。また、薄型テレビやプロジェクター、おもちゃの電車は観客にとってはるかになじみ深く親しみやすく感じられたようである。



大盛況だったワークショップとラボ
 展示そのものに加えて、特にメディア・アートの基本についてさらに知りたい観客のために、ラボやワークショップが設けられた。堀尾寛太は光を音に変換する方法を、アートグループのLifepatchはタッチ・センサーの作り方を参加者に教えた。oomleoはピクセル・アートの作り方について6時間のワークショップを実施し、共同キュレーターの会田氏は「音を聞く」という現象にスポットライトを当てた。Bani Haykalは、すでに持っている音楽の知識を忘れ、音楽的表現を再考するようワークショップの参加者に促した。Fairuz Sulaimanは影と形を使って物語を伝えることには無限の可能性があることを参加者に示した。どのワークショップも満員盛況で、私たちはとても満足だった!
 ラボマスターのYap Sau Binの指揮の下、2週間にわたり2つのテーマでラボを開催した。1週目は「Sound and Circuits(音と回路)」というテーマで、鍋やフライパン、寄せ集めの調理器具、野菜、果物が並んだラボは騒々しくにぎやかな台所に変身した。このラボのスタッフは野菜から音を出し、その音をどうすれば実際に「目で見る」ことができるのかを参加者に見てもらった。ラボは訪れた人でぎっしり埋まっていた。

 2週目のラボは「Forms and Shadows(形と影)」のための暗室となった。参加者はこの暗室で、与えられた突拍子もないキーワードを手掛かりに、特別に用意された物を使いながら、自分たちで影絵の物語を作ることに挑戦した。いろいろなことを試して楽しめる一種の遊び場のように感じられ、子どもたちはとりわけラボに引き付けられたようだ。
 全体として、クアラルンプール展は成功したといえるだろう。私たちが観客のために楽しみながら展示作業に取り組んだように、マレーシアの観客も展示作品を楽しんでくれたことを願っている!

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ラボ「Sound and Circuit」





13curator01.jpg アデリーン・オオイ Adeline OOI
インドネシア、マレーシア、フィリピンの現代アートに焦点をあてて、美術展、アート・プロジェクト、出版など幅広く、フリーランスでキュレーター及び美術ライターの仕事に従事。クアラルンプールのValentine Willie Fine Art Galleryのキュレーターとして勤務(2006~2008年)、2008年には、Beverly Yong 及びRachel Ngとともに、東南アジアの現代美術に特化した「RogueArt」を設立。マニラのシルバーレンズ財団の理事も務める。日本財団アジア・フェローシップ(APIフェローシップ)の第2期(2002-2003年)フェロー



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