雑誌『をちこち(遠近)』
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千年の後にも繋がる創作を目指して再出発~ 「注文の多い料理店」アジアツアー

小池博史(演出家・作家・振付家・舞台美術家・写真家)



 宮沢賢治の名作童話『注文の多い料理店』をアジアで公演――。国際交流基金(ジャパンファウンデーション)は、2013年10月から11月にかけて、小池博史ブリッジプロジェクトによる「注文の多い料理店」(作・演出:小池博史、原作:宮沢賢治)のフィリピン、インドネシア、マレーシア、インドでの巡回公演を行いました。 演劇であり、ダンスでもあり、喜劇でありながらも悲劇であると評価された作品について、制作の背景を小池博史さんに綴っていただきました。


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「注文の多い料理店」アジア公演①


人間と自然の関係を深く追い求めて

 2013年10月から11月にかけて「注文の多い料理店」、4カ国6都市を結ぶアジアツアーを実施した。国際交流基金の海外各事務所が主催するツアーで、マニラ、ジャカルタ、ペナン、クアラルンプール、デリー、トリシュールの各都市を回ったが、「パパ・タラフマラ」を解散したのち、「小池博史ブリッジプロジェクト」としては初の海外ツアーとなった。
 そもそもこの作品を制作しようと考えたのは、人間と自然との関係を深く追い求める必要があると感じていたからで、日本ばかりではなく、全世界が同じような状況となり、人類が今後とも生き延びたいと願っているとは思えない状況を踏まえての意識的制作だった。2010年12月、岩手に滞在した際に本作品の創作を思い立ち、翌1月には台本を書き上げ、2011年3月11日の震災時にはすでに稽古を行っていた。

 3・11はうっすらと予感しながらも大きな衝撃だった。地震、津波は天災としての側面がある。しかし原発問題はまさしく人災であり、人類が行ってきた諸々は、いかに人類が前向きに生きんがためだとしても、自然や異界に対し強く敵対的行為であったことは誰の目にも明らかであろう。人類は、敬虔さ、謙虚さを失い、もっぱら自然に対し、一方的に攻めるだけの存在となっていたのだから、しっぺ返しは必ずやってくると感じていた。
 私が創作をするとき、最も重要なのは舞台の三要素、空間、時間、身体である。舞台芸術はそれらの絶妙なミクスチャーによって成り立つが、まずは空間の声を聞くことから私は創作を始める。そこで、当時流れていた空気感、時間の流れ方、身体のありようを創作にではなく、社会全体を舞台として照射してみるなら、浮かび上がってくるのはいかにも奇怪に歪み、行き場がなくなっている人々や社会の姿で、3・11は自然現象にも関わらず、いびつな形を取りながら巨大な怒りとなって現出したかの如くに感じられた。この流れは1990年代からは明らかになっていたが、多くがうっすらとは感じても、その歪みや閉塞感をよい方に、身勝手な解釈をして、漫然と構えてきた。それはアート作品でさえ同様。漠然と不安は抱くも、先送りし、強い危機意識にまでは至らなかった。
 私は本作品の創作を始めてはいたけれど、この事件はもはや我々はすべてを無に置き、ゼロポイントからのスタートを考えなければならない局面に立つ覚悟を問うていると思わされるに十分だった。そこで30年間続けた「パパ・タラフマラ」を解散し、「小池博史ブリッジプロジェクト」を立ち上げた。時代と時代、場と場、場と時代、そして人と人の間に文化的な橋を架けるために最大限の動きを取ろうと考えたプロジェクトで、創造力を核に、創作・教育・発信(出版等)の3つの柱を据えての再出発である。


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「注文の多い料理店」アジア公演②


多様性が渦を巻くアジアへの強い思い

 「注文の多い料理店」は狭すぎる場所では無理だが、ある程度はどこでもできる作品にしたいと思った。「パパ・タラフマラ」作品は極端に場所を選んだが、本作品はよほどの場所でない限り、交流のためのツールとして機能させたかった。
 私のアジアに対する思いは、1990年代半ばから強くなった。ヨーロッパ型ではもはや世界は成り立たない、そこで可能性に強く目を向けるなら、やはりヨーロッパ文化圏ではない地域、特に近くのアジアだろうと思った。一元的価値へと向かいがちなのがヨーロッパ型とすればアジア型は多様性が渦を巻き、その伝統芸能は大地に根ざした深みを持って強烈な魅力を放った。もちろんヨーロッパ、アメリカを無視するのではない。より一層、近くの連中とのコミュニケーションを図らねばとの思いと行動がその閉塞感の突破口になるだろうと考えたのだ。
 3・11後、思いはますます強くなった。「注文の多い料理店」は奢った都会のハンターたちが、山の森にわけ入って、動物たちをただのハンティングの獲物としか見ず、傍若無人の振る舞いをしていると嵐に遭う。這々の体で見つけたのが山奥のレストラン。そのレストランは実はハンターたちが食われるために準備された山猫のレストランだったという話。この話は今の私たちと瓜二つではないか。人は知らず知らずに、謙虚さを失い、自然界の逆餌食になりつつあるのではないか。
 しかし世の富の多くを保持する人々は目先利益しか見たくもなく、必死になって「今」を守り、問題には目をつむって先送り、さらなる富の蓄積に邁進しつつ、地球上のすべての人々を巻き込んで自滅へと向かう。富は所詮、うたかたの夢に過ぎないとの思いがぷかりぷかりと浮かぶけれども......であろう。
 だから「ブリッジプロジェクト」で最初に行うに当たっての格好の素材は『注文の多い料理店』でなければならなかった。そして、これからますますそんな方向性を持った社会へ向かうであろうアジアの国々を回ることに強い意味があった。一括りにはできないアジアだが、東南アジアではマレーシアのように2020年に先進国入りを目指す国も出てきたし、多くの国でバブル化現象が起き、開拓へ開拓へと向かい、いまだアメリカ型、ヨーロッパ型に憧れがある地域......。


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「注文の多い料理店」アジア公演③


100年後、千年後を意識して次につなげる

 ツアーはどこでもきわめて温かく迎えられた。かつ強く感じたのは、本作品は世界中の老若男女、子供含めて、誰でも感覚の回路の開いている人なら十分受け入れ可能であること。ジャカルタやクアラルンプールでは「パパ・タラフマラ」はこれまで何度も繰り返し公演を行ってきており、馴染みの観客もたくさんいて、素晴らしい反応を返してくれたが、トリシュールのように、コンテンポラリーの舞台など無縁に近い場所でも、非常に強い反応があり、次はいつ来るのだという熱いことばをたくさん受け取った。
 「パパ・タラフマラ」時代、毎年数回の海外ツアーが当たり前になっていたのを投げ捨て、新たな旅立ちとしての初海外ツアー。観客の反応やことばを自身の血肉としつつ、今後はそれを伝播させるよう努めなければならない。公演が良かった、悪かった、それだけに留めるのではなく、次に繋げ、この社会への提言にできなければ意味は薄い。
 「パパ・タラフマラ」の頃と大きく異なるのは、その意識だ。次を意識すること。100年後、1000年後を意識すること。だから古典の芸術家を入れての公演でもある。
 ヒトとして生を受けた以上、その生でできることを次に繋げることに意味があると思うようになった。私も年を取ったのだなあと思うけれど、でもそれこそが最大の使命であろう。


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(左)マニラ公演も多数の観客が詰め掛けた(フィリピン文化センターで)
(右)熱気溢れるジャカルタ公演の受付(サリハラ劇場で)






小池博史(こいけ・ひろし)
茨城県日立市生まれ。1982年パフォーミングアーツグループ『パパ・タラフマラ』を設立。以降、全55作品の作・演出・振付を手掛ける。パパ・タラフマラ以外での演出作品も多数。演劇・舞踊・美術・音楽等のジャンルを超えた作品群は、35ヶ国で上演され、国際的に高い評価を確立。世界中のアーティストとの作品制作やプロデュース作品の制作、プロ対象・市民対象のワークショップを世界中で数多く実施。つくば舞台芸術監督、アジア舞台芸術家フォーラム委員長等さまざまな審議員、審査員等を歴任。2011年12月、青幻舎より「ロンググッドバイ~パパ・タラフマラとその時代」を刊行。2012年5月、パパ・タラフマラ解散。同年6月、新プロジェクト「小池博史ブリッジプロジェクト」を発足する。 2013年12月には「からだのこえをきく」を新潮社より刊行。現在、アジアの古典芸能家との「マハーバーラタ・プロジェクト」を複数年プロジェクトとして実施し、日本では「宮沢賢治シリーズ」を展開中。




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