蔡國強が日本の美大生に伝えたいこと
― 国際交流基金賞 受賞記念講演レポート

蔡國強(現代美術家)

破壊と創造を司る火薬をもちいたダイナミックな表現と、深遠なコンセプトを共存させる現代美術家、蔡國強。「国際交流基金賞」2016年度の受賞者のひとりに、同氏が選ばれました。この賞は1973年から毎年、学術・芸術などの文化活動を通じて国際的な相互理解や友好親善に貢献する個人・団体に贈られています。

ご本人の希望により、受賞記念講演会は多摩美術大学で学生たちを対象に開かれました(2016年10月20日、多摩美術大学八王子キャンパス)。会場のレクチャーホールは、通路まで埋まる超満員。蔡さんの温かい人柄と、アーティストとしての信念が伝わる講演の様子をレポートします。

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多摩美術大学で開催された、蔡國強さんの国際交流基金賞受賞記念講演会(2016年10月20日)

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2016年度 国際交流基金賞授賞式(2016年10月18日)

日本の若いアーティストたちへ

蔡さんは1957年、福建省・泉州市生まれ。上海演劇学院で舞台美術を学んだ後、1986年から日本で約10年間を過ごします。火薬を使ったドローイングやプロジェクトで注目を集め、1995年からはニューヨークへ。第48回ヴェネチア・ビエンナーレ(1999)金獅子賞を受賞するなど高い評価を得てきました。また、北京五輪(2008)では壮大な花火パフォーマンスを監督。国境を超えて多様な文化を行き来しつつ、活躍しています。

トレードマークの朗らかな笑顔で登壇した蔡さんは、まず集まった学生たちに、今回この場での講演を決めた経緯から語りかけました。

「最近、日本の大学で教える作家さんたちに"若い学生さんはどうですか?"と聞くと"おとなし過ぎてつまらない"という(笑)。それで、実際にみなさんに会ってみたいと思ったのです」

とはいえそこは蔡さんのお人柄、お説教ではなく、意表を突く最初のスライドが投影されます。ヨーロッパ風の街並を見下ろす大空に昼の花火で絵を描くプラン図。しかし描かれるのは、思春期の少年がトイレに落書きするような、いわばお行儀がよいとは言えないイメージでした。

「これは最初に、 みなさん、ぜひ"めちゃくちゃ"をしてください、とのメッセージです(笑)。今日は私の作品の方法論をきちんとお伝えしたい。その後、みなさんと話もしたいですね」

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学生たちに語りかける蔡さん。

続くスライドは、2016年春に蔡さんが企画したグループ展「What About the Art? Contemporary Art from China.」(Qatar Museums Gallery Al Riwaq)からでした。

「テーマの"What About the Art?"について、まず様々な美術関係者に質問しました。そこで感じたのは、社会を反映した表現が注目される一方、作家が独自のアートを研究しているかどうかは注目されにくいこと。また、誰の作品がどれほど高値で売れたかは話題になるけれど、美術史上でどんな挑戦がなされたかは議論されにくい。そこで同展では、中国の現代美術家を対象に"独特な方法論と新しい表現"にフォーカスしました」

蔡さんが解説したのは、徐氷(Xu Bing)の《Background Story: Shangfang Temple》(2016)。中国の伝統的山水画のような大作ですが、裏側にまわるとゴミで作られていることに驚かされます。

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徐氷 《Background Story: Shangfang Temple》、Qatar Museums Gallery Al Riwaqでの展示風景(ドーハ) 2016年
Photo by Wen-You Cai  Courtesy Cai Studio

「破壊と解体を同時に扱い、方法論があって、その裏に"美術に対する"コンセプトもある。私の作品も、大きく派手なことが注目されやすいのですが、その裏でアートの方法論をずっと研究してきました」

個別性を普遍性へとつなげる

「あなたのアートは中国発? 日本発? ニューヨーク?とよく聞かれます。答えは常に、Yes、Yes、Yes。中国で生まれ、日本で約10年暮らし、ニューヨークでは20年生活してきました。いろいろな文化背景がクロスした結果、国や地域を超えて今の私がいるのです」

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《ベネチア収租院》第48回ヴェネチア・ビエンナーレでの展示風景 1999年
Photo by Elio Montanari  Courtesy Cai Studio

そう話す蔡さんは、1999年のヴェネチア・ビエンナーレにおける《ベネチア収租院》で、かつての中国における社会主義リアリズム彫刻を再現しました。当時の作り手を招いて制作現場を見せる展示を敢行。これは賛否両論を呼びつつ、金獅子賞を獲得します。ここには特定の文化を超えた表現に関する問題提起も感じられますが、普遍的な問いを宿す作品は他にも多くあります。《壁撞き》では、99匹の狼が見えない壁にぶつかるさまを表現。《Heritage》では、多様な動物たちが水場に集う美しい光景を生み出しました。

「《壁撞き》はベルリンで最初に発表したもの。見える壁は超えられるけれど、見えない壁もあることを表現しました。西洋の一点透視法と違い、東アジアの絵巻がそれを広げるなかで時の流れを感じる、その表現法も参照しています。《Heritage》はユートピア風で、美しい風景に涙するかもしれませんが、環境問題も暗示し、地球の未来への心配を現してもいます」

さらに話題は「蔡さんと言えば」の火薬作品に移ります。

「火薬は中国で発明された由来があり、暴力につながる一方、花火などの創造的表現にもなる。北京五輪のセレモニーでは、空に花火で巨大な足跡が進むさまを描きました。国家的イベントが個人の作品にもなったケース。国が個人にも"さわれる"存在であってほしいと思っており、その点で満足しています。国を少しずつでも現代的・開放的にしていくためにも、アーティストが何かできたらと思う」

実はこの通称「ビッグフット」の構想は、日本にいたころ生まれたそうです。当時、日本の美術は西洋からどう見られるかをとても意識していると感じ、より広く、宇宙と人の関係をあつかう連作「外星人のためのプロジェクト」が誕生。そのひとつが時を経て実現したのでした。日本滞在時期の1993年に行った《万里の長城を一万メートル延長するプロジェクト:外星人のためのプロジェクト No.10》も語り草。導火線を用いてタイトル通りの試みを行う挑戦でした。

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《万里の長城を一万メートル延長するプロジェクト:外星人のためのプロジェクト No.10》1993年
Photo by Masanobu Moriyama  Courtesy Cai Studio

「このときは現地旅行ツアーを企画し、集めたお金の半分を参加者の旅行代、残りを作品制作の費用にしました。アーティストには外交的・政治的な判断力も必要。世の中を理解し、作家としてどう生きていけるかをいつも考えています」

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自身の作品について解説しながら話をする蔡さん。

1995年に蔡さんは渡米。まずMoMA PS1に滞在します。「アメリカでは無名」な彼がまず向かったのは、ネバダの核実験場でした。そこに立ち、爆竹の火薬で小さなキノコ雲をつくったのです。

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《キノコ雲のある世紀 - Projects for the 20th Century》1996年
Courtesy Cai Studio  Photo by Hiro Ihara

連作《キノコ雲のある世紀 - Projects for the 20th Century》は、小さな行為から生まれたスケールの大きな表現が反響を呼び、以降の活躍につながっていきます。

美術で「見えない時空や世界」とつながる

なかには「ぜひ"めちゃくちゃ"をしてください」という助言のお手本的作品も。セーヌ川での花火イベント《One Night Stand》がそれです。

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セーヌ川の花火イベント、《One Night Stand》2013年
Photo by Thierry Nava  Courtesy Cai Studio

「世界中から50組の恋人を招き、夜の川に浮かぶ観光船に設置した特設テントで過ごしてもらいます。愛の営みを外の観衆に見せたければライトを点けてもいいし、高まりの瞬間には専用スイッチを押すと、夜空に花火が上がります(笑)。パリ市の依頼で考えたプランですが、川の使用は国の許可が必要になりました。でもそこは私も上手で「世界がパリに恋をする」といった魅力的な言葉を用意して(笑)、結果、この川で30年ぶりに花火が上がったのです」

「アートは面白くなければ」が蔡さんの持論。それは、自らの祖母が暮らす故郷・泉州で行った《Sky Ladder》にも一貫しています。

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《Sky Ladder》2015年
Photo by Lin Yi  Courtesy Cai Studio
会場となった蔡さんの祖母の住む故郷、泉州の村人のほとんどが立会い、配信されたネット映像を通じて億単位の人が天に昇る爆竹の火をみた。

「空に伸びる幅5.5mの梯子に着火すると、爆竹の火が天に昇っていきます。宇宙との対話を考えたもので、子どものころの"雲をさわれるかな"との気持ちにも通じます。会場地域に住む私の祖母は、孫が世界各地で発表する作品を観たことがなく、100歳の誕生日にあわせて実現させたかった。村人のほとんどが立ち会い、映像がネットにあがって視聴者数は億単位になりました。なお約一ヶ月後に祖母は亡くなり、実現できて本当によかったと思っています」

アートを介して「見えない時空、世界とつながる」と語る蔡さん。花火作品にも、生命力あふれるものに加え、葬儀や弔いの想いを乗せるものなど奥行きがあります。アジアの作家には自然への敬意や畏怖を抱き、不可視の力を研究してきた人も多いものの、最近それが失われつつあると感じるそうです。

「視覚表現であるアートを通じて、見えない世界をどう考え、表現するか。これは西洋の作家も昔から考えてきたことです。そこで、絵画の話を少ししましょう。それは美術史との対話でもありますから。私は父が絵描きで、自分も最初はそういう美術家を目指しました。後に高松宮殿下記念世界文化賞の絵画賞(2012)を頂き、"空をキャンバスに絵を描いた"との言葉ももらえた。嬉しいけれど、本当のキャンバスにもいい絵を描かないと、と思います」

2016年9月に始まったオランダでの個展「私の絵画の物語」(ボネファンテン・ミュージアム)では、2歳で描いた絵に始まり、カンディンスキーらに影響を受けた学生時代、さらに近作や、父親や家族による絵画までが並びました。

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個展「私の絵画の物語」の展示風景(ボネファンテン・ミュージアム、マーストリヒト)。開催期間:2016年9月30日~2017年5月1日。
写真提供:ボネファンテン・ミュージアム  Photo by Harry Heuts

「父はかつて小さなマッチ箱に故郷の風景を描いています。実際はこれほど雄大な場所ではなかったと思う反面、それは確かに心の故郷だったのだろうとも思う。その点は私に影響を与えています」

時空を超えて生まれ、伝わる表現

2015年、横浜美術館での個展「帰去来」では、色付火薬による絵画に挑戦した蔡さん。月岡雪鼎の肉筆春画に着想した連作「人生四季」を発表しました。

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《人生四季:夏》2015年
Photo by the Yokohama Museum of Art

「神様から愛される子どもには、必要なときに必要なものがやってくるといいます。30年前の私は、色付き火薬はつまらない、と黒い火薬を選びました。でも時を経て人生が柔らかくなり、愛情も複雑になった。そのとき改めて、この素材に向き合えたのです」

2017年には、プラド美術館で個展を予定。存命作家では、故サイ・トゥオンブリーに続き2人目だとか。敬愛するエル・グレコらと時空を超えた対話に挑みます。

「数年前から、グレコの生地ギリシャにはじまり、トレドのお墓までを辿る旅をしてきました。リアリティのある物語描写が多かった時代に、グレコが表現したのは霊的な精神ともいえる。また、環境や戦争を扱う表現も、対象の内容"だけ"が濃いものは、永くは残らない。逆に昔の王侯貴族たちを知らなくても、ベラスケスらの絵には伝わるものがあると思うのです」

最後のスライドは、その言葉を引き受けるような作品でした。2006年、メトロポリタン美術館での《Transparent Monument》です。

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《Transparent Monument》の展示風景(メトロポリタン美術館、ニューヨーク) 2006年
Photo by Hiro Ihara  Courtesy Cai Studio

「館の屋上に、5m高のガラスを設置しました。その向こうには、ツインタワー(ワールドトレードセンター。2001年の同時多発テロで崩壊)のあった場所が見えます。足元には、ガラスにぶつかって落ちた鳥をつくり、置きました。私はあの飛行機が、文化の壁を超えられなかったことを考えます。同時にここには、近年の私の絵画についての問題意識も反映されています。どんなインスタレーションをつくっても、結局は2次元(絵画)の壁にぶつかり落ちていくのではないか? 絵画はとても難しいですね。でも、私はあくまで楽しく"少年のトイレの落書き"を続けます。今日はありがとうございました」

最後には、会場の学生からの積極的な質問と、蔡さんの応答が飛び交いました。「訪れたことのない場所も、作品に反映される可能性がありますか?」との問いには、「ひとつずつ、見えるアートを通じて見えない世界をつなげていきたい。いわば永久に昇っていく梯子で、常に梯子を見つけて楽しくやりたい」と回答。また、もし現代美術家に乗り移られたら、という大学の課題で蔡さんを選んだという質問者に対しては、「見えない世界と見える世界の間」が様々な場に見出し得ることが、蔡さんの体験を通じて語られました。

「僕のアートをどう思う?」と題されたこの講演。実は蔡さんの真意は「あなた自身のアートをもういちど考えてみよう」との問いかけだったのでは----そんな風に感じる内容でもありました。大ベテランとこれからの作家たちという違いを超えて共有された「つくること」の課題と可能性。それが未来へと開かれていくことを期待します。

(構成:内田伸一)

cai-guo-qiang_16.jpg 蔡國強(さい こっきょう)
中国福建省泉州生まれ。上海演劇学院で舞台美術を学んだ後、1986年から日本で約10年間を過ごす。1995年にニューヨークへ移住後、活動の場を世界各地に広げ、1999年にはヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞を受賞。2008年北京オリンピック・パラリンピック開会式・閉会式の視覚特効芸術監督を務める。2011年の東日本大震災後、「いわき万本桜」プロジェクトの支援を続け、越後妻有里山現代美術館企画展にも参加。2015年、横浜美術館での大規模な個展「帰去来」を開催。2017年にはプラド美術館で個展を予定している。

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