文化的伝統を再想像する力

2020.6.30

【特集072】

キャロル・マーティン
(ニューヨーク大学演劇学科教授、同大学アブダビ校兼任教授)

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宮城聰演出『アンティゴネ』

ある時、日本演劇の研究者たちとの会話の中で「私は日本演劇の専門家ではありません。でも、私の娘は暗黒舞踏の創始者の一人、大野一雄がアジア・ソサエティーで公演を行った日に生まれたのですよ」と述べたことがあります。それは何気ない一言でしたが、文化的なつながりという意味で、より深い真実を象徴する言葉でもありました。1988年の夏、うだるような暑さの中で、私は生まれたばかりの娘ソフィアを胸に抱きながら、まさに同じ瞬間、入院先のレノックス・ヒル病院の目と鼻の先で、もう一つの命のドラマが展開していることをはっきりと認識していました。

文化的な試みの寿命は、その作り手や受け手と密接に関連しています。ニューヨークでは、日本の伝統演劇と現代演劇をめぐって、先見の明のあるプレゼンター、知識と創造性に富んだ研究者やアーティスト、感受性豊かな観客や批評家らが一つのネットワークを構成しています。この人間関係のネットワークこそが、日本独自の美意識、芸術に対する先進的な考え方、才知あふれるアーティストに接する機会を生み出しているのです。

20世紀初頭に端を発するジャパン・ソサエティーや国際交流基金をはじめとする非営利団体や財団の役割は注目に値します。長年にわたり創造的な文化交流を推進し、助成を行ってきたこの種の機関は、文化の紹介にまらず、文化の創造に取り組んでいるのです。1972年以来、国際交流基金は日本と諸外国の相互理解を深めるため、世界中で文化交流を支援してきました。また、そうした文化機関が発揮するリーダーシップや果たすべき使命は、グローバルな芸術文化とそれに触れる観客に直接的な影響を及ぼしているという点でも重要です。2019年11月、岡田利規のニューヨークでの公演実績について問い合わせた私は、国際交流基金ニューヨーク日本文化センター副所長(当時)の松本健志氏から次のメールを頂きました。「当センターで芸術文化プログラム・ディレクターを務めていた若かりし頃、日本の戯曲をアメリカの観客に紹介するため、日米両国の演劇専門家が集い、意見交換できるフォーラムづくりを自らの課題の一つと考えていました」。

松本氏が言及する「フォーラム」が開かれたのは2007年秋ですが、今もなお日本の演劇作品がニューヨークで熱烈に受け入れられているのは、その事業の成果です。宮城聰演出によるソポクレス作のギリシャ悲劇『アンティゴネ』がパーク・アベニュー・アーモリーで、近松門左衛門が江戸時代に書いた『曾根崎心中』を現代に甦らせた『杉本文楽 曾根崎心中』がリンカーン・センター「ホワイト・ライト芸術祭」で上演されたのも、その好例と言えるでしょう。奇しくも共に、愛し合う二人―片や王族同士、片や平民同士―が腐敗した世界に絶望し、死を選ぶ演目です。

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『杉本文楽 曾根崎心中』

『曾根崎心中』は18世紀の大阪、露天神の森で手代と女郎が心中した実際の事件を題材にしています。劇の中で、原作者の近松は許されざる恋を仏教信仰と結び付け、心中を遂げた恋人たちはあの世で結ばれると示唆しています。実際の情死事件からわずか1か月後、1703年6月に初演されると、『曾根崎心中』は大きな反響を呼び、これを機に心中物が流行したばかりか、実社会でも心中事件が多発。このため、1722年には「心中」という言葉を使った戯曲が幕府によって一切禁じられるに至りました。この文楽の古典劇に高名な現代美術作家・杉本博司が現代的な演出を行い、人間国宝・鶴澤清治が音楽を、現代美術作家・束芋と杉本氏が映像を手がけた『杉本文楽 曾根崎心中』は2019年、アメリカ初演を実現しました。

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杉本博司(左)と鶴澤清治(中央)

筋書きは次の通りです。大阪の醤油商の手代・徳兵衛は、遊女お初と恋に落ち、お初を身請けしたいと思っていました。しかし、徳兵衛の叔父でもある醤油屋の主人は、徳兵衛を自分の姪と結婚させたいと考え、徳兵衛の継母に結納金を握らせます。姪との結婚を拒む徳兵衛に、叔父は勘当を言い渡します。結納金を継母から取り戻したのもつかの間、徳兵衛は叔父に返すべき大事なその金を、あろうことか悪徳の油屋に貸してしまうのです。返済を迫る徳兵衛に、油屋は「借用書は偽造である」と主張して徳兵衛を裏切り、侮辱するばかりか、公衆の面前で散々に殴りつけ、けがを負わせます。強欲の赴くまま徳兵衛を欺き、屈辱を与えることに歪んだ喜びを感じる油屋に、杉本氏は人間の途方もない邪悪さを浮き彫りにします。油屋の裏切りは、彼の限りない金銭ずくから生まれるものなのです。堕落した世界に生きる気力を失った恋人たちは、この世を儚み、あの世で結ばれることを夢見て心中を決意するのでした。

お初が神社から神社へと急ぐ冒頭の場面では、束芋のアニメーションを使った映像作品が幻想的な空間と動きを作り出します。また、二人の恋人が心中現場となる橋へ向かう場面では、杉本氏は人形たちの背景に木立の動きを投影することで、二人がこの世から逃れようと足早に去りゆく様を表現しています。(全般照明ではなく)局部照明のお陰で人形の顔がくっきりと浮かび上がり、舞台脇に座る太夫や三味線方とは空間的な差別化がやんわりと図られます。このようなアニメーションと照明の組み合わせにより、登場人物は現実世界と作品世界のはざまに置かれ、人形に力強い、ごく微かなリアリティーが吹き込まれるのです。『杉本文楽 曾根崎心中』は、長く愛されてきた物語を、伝統的な上演方法よりも早口で語り直し、若者たちの夢が裏切りと腐敗に破れるというテーマを今日の状況にかにつなげています。

『アンティゴネ』(類い稀なる女優、美加理が演じる)の物語はごくシンプルです。アンティゴネの叔父クレオン王(阿部一徳)は、国家に対する反逆者ポリュネイケスの弔いを禁じます。アンティゴネはこの禁令に背き、兄ポリュネイケスに埋葬の礼を施します。神の法は人間の法に優先すると主張し、宗教的義務を引き合いに出すアンティゴネは、当然のことながらクレオンと衝突。両者は互いに譲りません。近代劇では一般的に、アンティゴネは高潔な王女として、クレオンは独断的で情緒不安定な新王として描かれます。古今を通じて、『アンティゴネ』にはその他にも様々な解釈があり、原典とは全く正反対の演出すら存在しています。つまり、解釈は無限なのです。

宮城氏の演出では、アンティゴネとクレオンの抜き差しならぬ対立に仏教的な解決を提示しています。宮城氏は空間デザイナー・木津潤平の協力を得て、18,000ガロン(約68立方メートル)の水が一面に張られた漆黒の舞台空間を作り出し、これを浮世に見立てます。高橋佳代のデザインによる白装束を身にまとった29人の演者は、人間の法と神の法の間で引き裂かれた大きな岩があちこちに点在する、液体の舞台を彷徨います。公演プログラムに掲載されたインタビューの中で、宮城氏は「私は、物事を善悪に二分しない視点があることを観客に伝えたいと考えました。善悪の境界とは、さほど切り立っておらず、曖昧なものであるということを表現したかったのです」と述べています。水は、アンティゴネとクレオンの視点を媒介する流動体であり、生と死の絶対的な対立に疑問を投げかけるものなのです。

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宮城聰演出『アンティゴネ』

文楽を参考に、宮城氏は一人の登場人物を動き手と語り手に分けて演じさせる「二人一役」の手法を取り入れ、様式化された身ぶり手ぶりによって、人間の現実を超えた幻想の世界を作り出しています。棚川寛子の独創的な音楽(生演奏される)はサスペンスを高めながらも、反抗的なアンティゴネと頑迷なクレオンという役柄から演者たちを分離させ、舞台に静謐さを生み出します。舞台中央の岩山にアンティゴネが腰掛けると、背景となるパーク・アベニュー・アーモリーの後壁に巨大な影が浮かび上がる一方、語り手の本多麻紀が水の中にひざまずき、アンティゴネの台詞を一人称で語ります。かくて人間の欲望を超越した神秘的な領域が立ち現れるのです。作品の終盤で筏に乗った僧侶が登場し、死者の魂を象徴する灯籠を流します。そして最後に、演者たちは大きな輪になり、まるで幽霊のく夢現の状態で盆踊りを踊りながら舞台を周回します。その行列は、この世とあの世をつなぐ橋掛かりをゆっくりと歩む能役者を彷彿とさせます。

このように、宮城氏が作り出す『アンティゴネ』の世界は、美しく情死を遂げることに心を砕き、美と無常さを結び付けた徳兵衛とお初の世界にも通じるものがあります。
が告ぐるとは曾根崎の、森の下風音にえ取りへ、貴賤羣集廻向の種、
未來成沸疑ひなき、の手本となりにけり。」と近松は『曾根崎心中』を結びますが、これは宮城版『アンティゴネ』の終幕にも通底しています。ニューヨークの観客は、名高い古代ギリシャ悲劇を日本的に解釈した宮城氏の演出を称賛し、『タイム』誌はこの作品を2019年演劇ベストテンの一つに選びました。これは、アメリカ人が現世的な欲望や幻想を断ち切る時が満ちたことを暗示しているのかもしれません。

ニューヨーカーは2019年秋の演劇シーズンにこれら二つの並外れた作品を鑑賞する機会に恵まれ、幸運でした。続く2020年春シーズンには、岡田利規の『消しゴム山』がニューヨーク大学スカーボール舞台芸術センターで、野田秀樹の『ワン・グリーン・ボトル』がラ・ママ実験劇場で、平田オリザの『コントロールオフィサー』+『百メートル』がジャパン・ソサエティーで上演されます*。新たな誕生、新たなアイデア、新たな『アンティゴネ』、新たな演出。これらに加え、2020年1月にはジャパン・ソサエティーで山本卓卓の『となりの街の知らない踊り子』が上演されました。

私の娘ソフィアにとって、日本とは桜、緑茶、簡素さ、原宿竹下通りの混沌、礼儀正しさ、靴を脱いで地下鉄の座席に上がる子どもたち、アニメ、お箸、着物、お辞儀、お寿司、村上春樹、黒澤明の映画『夢』です。自然、ファッション、社会規範、食、文化。20年の時を経た今、ソフィアはエンターテインメント業界専門の弁護士になっています。確かに日本からは遠ざかってしまいましたが、彼女の子ども時代の最も大切な思い出のいくつかは、日本文化に関するものです。そして私はと言えば、日本は初めて訪れた外国です。その旅の途中、私は奈良で能『清経』を見たことがきっかけとなり、生涯にわたってあらゆる種類の日本演劇を見続けることになりました。ソフィアと私の体験、そしてそれらの演劇作品こそが、文化を超えて人々をつなぐ想像力の根幹を成しています。

ここで取り上げた二つの現代作品は、ある種の「ソフトパワー」と見なされるべきでしょうか。いいえ、私はそう思いません。ソフトパワーとは軍事的・経済的な「ハードパワー」の対概念です。これら二つの作品は、軍事力や経済力と対比すべきものではありません。むしろ、私たちに仏教的な考えを通じて文化・外交・歴史の影響力を理解させてくれるという意味で、あらゆる形の権力関係を左右する存在なのです。これに勝るものがあるでしょうか。

*『コントロールオフィサー』+『百メートル』の上演は、新型コロナウイルス感染症の影響により中止されました。

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https://www.jpf.go.jp/j/about/area/japan2019/

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キャロル・マーティン
ニューヨーク大学演劇学科教授、同大学アブダビ校兼任教授。宮城聰演出『アンティゴネ』ニューヨーク公演では、パーク・アベニュー・アーモリーで行われた宮城氏とのアーティスト・トークに参加。コンテンポラリー・パフォーマンスに関する著書や論文を多数発表し、数か国語に翻訳されている。2006年、東京大学客員教授として1学期間、日本に滞在した。編集代表を務める図書シリーズ『In Performance』には、平田オリザと川村毅の作品にげられたアンソロジーが収録されている。演劇ジャーナル『TDR』日本演劇特集号を共同編集し、アメリカ出版協会(AAP)専門・学術出版部門の年間最優秀賞を受賞。

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