雑誌『をちこち(遠近)』
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緊急特集:被災地とつながる 生の声001


復興支援とは、衣食住だけを提供することだけじゃない。
~阪神大震災の経験を活かして~

公益社団法人 セカンドハンド設立者 新田恭子

 

311日、私はカンボジアで東日本大震災の発生を知りました。「私たちに何ができるのか...」、すぐに日本に連絡し、被災地支援の募金活動をはじめました。15日、成田から羽田を経由して地元、四国高松へ。避難する赤ちゃん連れの女性が多い機内でしたが、降り立つと、混乱する東京とは別世界のような穏やかな空気が流れていました。「小さな国だけど、遠いんだ...」そう感じました。実際、四国から東北までの距離は自ら運転して行くには遠く、すぐに物資を集めて送ろうと決断することはできませんでした。しかし、阪神淡路大震災のときの経験から、被災地の混乱ぶりとニーズの高さは容易に想像できました。

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© Yuichiro Haga

阪神淡路大震災当時の状況は今でも鮮明に覚えている。

あの時私は午前4時頃に神戸市に到着。どこに物資を下ろすべきか聞こうと、ある区役所を訪ねたら、援助物資を各地から運んできたトラックの運転手たちでごった返していました。「7時まで待ってください」という職員に「俺らは運送が仕事。早く下ろして帰らな次の仕事ができん!」と怒鳴る状況。落着くまで待って、職員に「どこか物資を必要としている避難所を教えてください。そこに届けますから」と声をかけると「そんなん、わかったらこっちが教えてほしい!」と怒られてしまいました。寝不足で目が真っ赤、無精ひげを剃る時間もなく、ほとんど飲まず食わずで対応する職員に、「この人たちも被災者なんだ」と実感した瞬間でした。区役所のカウンターがある隣の部屋は霊安室。「どんな気持ちで仕事してると思いますか?」「自宅も被害を受けてますが、帰ることもできないんです」と訴える職員に名刺と持っていた食料に応援メッセージを添えて手渡し、自分で避難所を探すことにしました。数時間して、その職員の方から避難所の情報と取り乱したことの謝罪の電話が入りました。

 

物資の溢れている避難所と、水も届かない被災地

1週間ほど経過して再び物資を載せて現地に入った時、前々日テレビで不足していると訴えられていた物資がもう溢れる状態になっている現状も目の当たりにしました。避難所で不要だといわれた物資を載せ、「大人用おむつあります」と叫びながら走っていると、長屋から手を振り走り出てくる人が目に入りました。「寝たきりの老人がいて、避難所に行けない。ここに水や物資が届いたのは初めて。有難い」と涙を流しながら手を合わせられたことが忘れられません。公設の避難所では物資が溢れていても、私立の施設で避難生活をする人、倒壊を免れた自宅で生活する人たちに物資が全く届いていないという現状も知りました。

 

言葉が通じず孤立していた外国人被災者

その日、残った物資を載せて住宅地を走っていると公園でテント生活をしているグループが目に入りました。フェンスの外から「すみませ~ん」と声をかけると、男性がフライパンを振り上げながら理解できない言葉で威嚇しながら近づいてきます。日本の人じゃないんだと理解し、身振り手振りで物資を持っていること、必要ならば差し上げますと伝えると、ようやく顔がほころんできました。こんな風に威嚇してくるなんて、一体何があったんだろう?よほど嫌な思いをされたのだろうか...単に警戒していただけ?あるいは、関東大震災での虐殺事件が起因しているのか...。言葉が通じず、孤立する人たちが阪神淡路大震災のときには存在していたのは事実でしょう。

 

過去の震災経験が活かされる東日本大震災

セカンドハンド新田P1100072.JPG今回の東日本大震災ではどうでしょうか。役所の職員も被災しており、混乱している状況は毎回変わりません。他都道府県・市からの応援があるものの、コーディネイトをしなければならない現地の職員は不眠不休で働いています。物資は、溢れているところと不足しているところの差が大きく、一ヶ月を経過した今も物資による助けを待っている人たちがいます。テレビや新聞では多角的に現状を報道しようと努力しているものの、どうしてもすべてをカバーできず、「何が必要とされているのか」を遠隔地から判断することは難しい状況です。しかし、報道の姿勢(報道する側の認識)は大きく変化し、そういった背景を理解した上で情報を伝えようとしていると感じます。

外国籍の方々は、多文化共生の為の諸策を推し進めてきた成果なのか、現段階では、孤立している人はおらず、避難所などでも早くから多言語での相談に応じるチラシを配布するなどの対応をしているそうです。

とはいえ、まだ浮かび上がっていない問題が潜在している可能性もあります。今後も同じ人間同士として、言葉や国籍で区切ることなく助け合っていける素地をさらに固める必要があると思います。


生きていくというのは、ただ安全に飲み食いすることだけじゃない -アチェで得たヒント-

 スマトラ沖地震の被災地アチェに2005年、復興支援事業を模索しに参りました。*1 支援先として考えていた地区で英米のNGOが次々に支援を決定し、「出る幕でない」と悟らされた経験があります。そこでは、まず「支援にはお金が必要」だと思い知らされましたが、もうひとつ、仮設住宅を訪ねた時にハッと気づかされたエピソードがあるのでご紹介します。40歳代のご主人と家を失った女性が、「生活するための必要なものはほとんど援助してもらって満足している」と話しながらも、「あなたみたいにお化粧したい。あなたの化粧品ちょうだい」と言うのです。女性なら、おしゃれも化粧もしたいでしょう。生きていくというのは、ただ安全に飲み食いすることだけじゃないんだと、当たり前のことですが気づかされた瞬間でした。この経験から、東北への支援の際に、当初から基礎化粧品(化粧水、乳液)を集めて送り、とても喜ばれました。ちなみに、リップクリームも要望が多く、喜ばれた物資です。セカンドハンド新田P1100165.JPG


被災地での新しい労働サイクル「キャッシュ・フォー・ワーク」

 国際協力と同様、同じ人間として「できる人ができることをする」ことは、当たり前の行動と考えているので、被災地で涙ながらに感謝の言葉をいただくと、かえって戸惑い、返す言葉が見つけられません。こうやって、思いを形にできる場が自分の足元にあることに感謝しているくらいです。

 セカンドハンド新田P1100158.JPG現在、避難所で生活する方や職を失った方に有償で瓦礫・汚泥撤去作業を行っていただく、キャッシュ・フォー・ワークの為に資金集め団体として活動しています。避難所のリーダー、現場に拠点を置き活動する山形のNGO事務局長と3人で面談した際に、瓦礫等の撤去作業のニーズが高いこと、ボランティアが全国から来てくれているが、もっと地元の人材を活用できないか、経済効果を高める手法はないかという話になり、当事業が立ち上がることになりました。遠隔地にあるセカンドハンドとしては、この事業を広報し、資金を集めるのが仕事と考え、現在寄付金集めに奔走しています。義援金など現金の支給がなかなか進まない中、瓦礫撤去などの仕事を被災地で雇用した方にしていただき、現金を直接支払うという仕組みです。国際協力の場では、労働の対価としての食糧を援助するフード・フォー・ワークなどと共によく使われる手法で、地域社会の自立を促すことを目的とした事業です。物資の支援もまだ必要でしょうから、今後もできる限り届けていくつもりですが、CO2を排出しながら物資や人を単発で送るよりも、遠い香川からは復興に向けての活動を支える「お金が一番」と考えています。

最後にひとつ。支援先のカンボジアのスラムに住む人たちからよく言われる言葉ですが、「私たちを忘れないで」。忘れられることが一番こわいのでしょう、セカンドハンド新田P1100151.JPG例え支援活動が終わっても、絶対に忘れないでほしいと彼らは言います。応援している人がここにいるよ、というメッセージを送り続け、困難な状況の中、がんばっている人たちの存在を忘れないように私自身も心に留めておきたいと思っています。

 

セカンドハンド新田プロ府chiiki02.jpg公益社団法人 セカンドハンド http://2nd-hand.main.jp

香川県高松市を拠点に主にカンボジアへの国際協力を行うNPO団体。1994年設立。 東日本大震災後は地元の運送会社、倉庫オーナー等の全面的な協力を得て、日ごろ国際協力の玄関口として運営しているチャリティーショップを受け皿として、「何かしたい」という人々の気持ちと物資を宮城県石巻を中心に届ける活動を行っている。 2004年度国際交流基金地球市民賞受賞  


20回「国際交流基金地域交流賞」受賞者

アチェの子どもたちと創る演劇ワークショップ

公開セミナー 「アチェ 津波と紛争からの復興」

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