被災地とつながる生の声006「共感」と「思いやり」の国際支援

松村真澄
国際交流NGO・ピースボートスタッフ


 2004年12月、インドネシア西部・スマトラ沖地震が起こり、死者は22 万人を上回り、スリランカに到達した津波では、死者・行方不明者は約3万6人を数えました。今年3月11日、太平洋沖を震源地とする未曽有の東日本大震災でも、かけがえのない多くの命が奪われました。
 国際NGOピースボートでは大震災発生以降、宮城県石巻市を中心に、被災地で支援活動を行うボランティア派遣をコーディネートしてきました。その数はすでに2,000人を越えますが、その中には200名以上の国際ボランティアも含まれます。

peaceboat01.jpg  5月中旬にスリランカから派遣された災害管理省職員ボランティアチーム15名は、スマトラ沖の津波被害経験を持つ国の出身ということもあり、現地での彼らの活動は非常に大きな力となりました。彼らは、スリランカ復興作業を手掛けた豊かな経験を生かして、東日本大震災の復興の力になろうと、在日スリランカ大使館 の手配で来日。出身地・職種はまちまちで、重機オペレーター、電気技師、 通信兵のほか、食事をつくるシェフ、ギター・太鼓のできる方など、多彩な能力 を持ち合わせ、発揮しています。被害状況がひどい石巻市中浦町の一般家屋で は、ボランティアでは対応できないと一度断られた瓦礫撤去も、屈強なスリランカチームによって撤去が実現しました。リーダーのウィッキーさんは言います。「僕らには同じ経験があるから、被災者たちがどのように困っているのか、 どのようにしてほしいのかがよく分かります」。避難所の湊小学校では、スリランカ音楽のコンサートも行いました。駆けつけた在日スリランカ大使は、「スマトラ沖地震の際に一番早く駆けつけてくれたのは日本の医療団だったことをよく覚えています。早く恩返しがしたいと思っていました」と挨拶されました。

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peaceboat05.jpg  同じくスマトラ沖地震で被害を受けたインドからも、大きな支援が届きました。届いたものは「ツナミカ」。津波から生まれた女の子の人形です。当時、津波の被害に遭い、漁師をしていた夫を亡くし絶望の渦の中にいたオーロビル村の女性たちが、余り布を利用して人形を作り、夫に頼っていた過去を振り切り、自立を獲得したのでした。今回、東日本大震災の知らせを受けた「ツナミカ・プロジェクト」の女性たちは、ひどく心を痛め、「いまの大変な状況を心から応援したい。そして私たちが自立したように、必ず復興がやってくると信じてほしい」という気持ちをこめ、地球一周の船旅でインドに寄港したピースボートに「ツナミカ」を託したのです。石巻にて行われるイベントや炊き出し場所で配布予定。遠くからも、大きな支援の声が届いているのです。
 東日本大震災では、多くの海外支援の申し出がありました。専門家や現場活動者の中には、「日本は、海外で多くの支援を行ってきたが、今回のような海外からの支援を受けることに慣れておらず、受け入れに戸惑いがあった」と言う人もいます。しかし、「恩返しをしたい」「経験を生かしたい」というスリランカボランティアチーム、「被害の過酷さ、悲しみが痛いほど分かる」というインドの女性たちの取り組み、そして現地の深刻さを想像して参加してくれた30か国約200名の国際ボランティアなど、ピースボートの災害支援活動の中だけでも、国際支援は実際に大きな支えとなっています。また、こういった動きが、世界の日本に対する不安感を取り除き、正しい情報の波及へとつながっていくのではないかとも考えます。いつかまた世界のどこかで人々が困っているときに、経験を生かして恩返しできるよう、まずは東北の地の復興を目指して、今後も災害支援ボランティアを続けていこう、と考えています。


※ピースボート災害ボランティアセンターでは、現地・東京でのボランティアを募集しています。
この支援活動に関するお問い合せは下記までお願いします。
ピースボート災害ボランティアセンター TEL:03-3363-7967(10:00-19:00/日祝定休)
http://www.pb-kyuen.net


松村真澄 
群馬県出身。 国際交流NGO・ピースボートスタッフ
GPPAC・グローバル9条キャンペーン事務局担当
東日本大震災の後すぐに被災地入りし、現在も現場で活動している。

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