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未来を担う子どもたちが考える、平和へのアクション
~記憶を記録に、思いを紡ぐ~

折り鶴が飾られた展示物の前に立ち上を見上げる制服姿の児童二人

終戦から80年の月日が流れ、「記憶の継承」がますます大きな課題となっています。戦争体験者の証言や平和への思いを次世代に手渡していく―その役割を子どもたちにも担ってもらおうと、国際平和文化都市を掲げている広島市が1996年から取り組んでいるのが「こどもピースサミット」です。
その一環として、市立小学校などで学ぶ全ての小学6年生が平和をテーマとした作文を書くというプロジェクトでは、審査を経て選ばれた子ども2人が、8月6日に催される平和記念式典で「平和への誓い」を世界へ向けて読み上げます。
2025年の代表に選ばれたのは、佐々木駿さんと関口千恵瑠(ちえり)さん。過去最多となる120カ国・地域の代表が参列した式典で、自分たちの思いを述べました。国際交流の経験も豊富な2人は、記憶の継承や平和について、どのように考えているのでしょうか。2025年最後の「こどもピースサミット」の活動を前に話を聞きました。


120カ国・地域の代表が見守る中
被爆地の子ども代表として発信した「平和への誓い」

米軍が広島に原爆を投下してから80年の節目を迎えた、2025年の「原爆の日」。平和記念公園内に設置された式典の会場には、被爆者や遺族、外国人の参列者も合わせて、約5万5000人が集まっていました。海外メディアも配信する中、佐々木さんと関口さんが声を合わせます。

〈被爆者の方々の思いを語り継ぎ、一人一人の声を紡ぎながら、平和を創り上げていきます〉

約5分間の「平和への誓い」が終わると、長く、大きな拍手が2人を包みました。「式典が終わるとたくさんの人に囲まれて、すごかったよ、素晴らしかったよって、声をかけてもらいました。お菓子をくれたメキシコの人もいました。聞いてくれた人の心に届けることができたかな」。関口さんは、うれしそうに当時を振り返りました。

2025年8月6日平和記念式典でスピーチをする制服姿の児童二人 2025年8月6日平和記念式典で堂々としたスピーチを披露した2人。写真提供:広島市広報課
2025年8月6日平和記念式典に参列するスーツ姿の来賓者たち 2025年8月6日平和記念式典では、初参加の国や地域を含む過去最多となる各国の代表が訪れた。写真提供:広島市広報課

「平和への誓い」は、広島市による「継承」と「発信」を主軸とした平和教育プログラムの一つ「こどもピースサミット」(※1)の活動として実施されています。市立小学校と、参加を希望する国立や私立の小学校で学ぶ6年生が応募した平和に関する作文を、校内と市教育委員会で審査します。選ばれた20人の子どもたちは6月に行われる意見発表会でそれぞれの思いを述べ、「ピースサミット大賞」に選ばれた2人が、その年の式典で「平和への誓い」を読む代表となるのです。いわば、被爆地で学ぶ小学生の代表。佐々木さんが「小学3年生のときから読みたいと思っていた」と言うように、憧れを抱く子どももいるようです。31回目となる2025年は、計144校の1万465人が作文を寄せました。

ただし、読み上げる文章は代表2人だけがつくるものではなく、意見発表会に参加した20人が「平和への誓い」検討会議で話し合って考えます。今回、ファシリテーターとして議論の行方を見守った広島市教育委員会の担当者は、「自分たちが継承し、発信していくんだという強い意識を感じました」と振り返ります。被爆者の平均年齢は86歳を超え、2025年3月末時点で9万9130人と、初めて10万人を下回りました。「話を聞ける最後の世代かもしれない」という思いが、子どもたちの間で共有されていたそうです。

机を囲んで議論し合う制服姿の小学生たちとそれを見守る大人 検討会議の様子。子どもたちが中心となって伝えたい思いや言葉を話し合った。写真提供:広島市教育委員会

伝えたかったのは、自分たちが持つ力
今、戦争が続く世界を変えるために

もう一つ、子どもたちがこだわったのが、「自分たちにもできる」というメッセージを打ち出すことでした。

〈One voice. たとえ一つの声でも、学んだ事実に思いを込めて伝えれば、変化をもたらすことができるはずです〉

この言葉を読み上げたのは、0歳7カ月から英語を学ぶ佐々木さんでした。観光で訪れる外国人に平和記念公園を案内する個人ガイドを、小学2年生から続けています。

「うれしかったのは、案内した人に『原爆のおかげで戦争が終わったと思っていたけれど、君の話を聞いて核兵器はなくすべきだと思ったよ』と言ってもらったことです。自分にも、何かを変える力があるんだと思いました。僕たちも世界を変えるOne voiceになれるんだって、伝えたかったんです」

制服姿の男子小学生の横顔とその奥にいる制服姿の女子小学生 個人ガイドの経験から、「もっとたくさんの人に思いを届けたい」と感じてきた佐々木さん。式典では、参列者の真剣なまなざしを見て「伝わっている」と実感できたという。

「平和への誓い」では、広島に投下された原爆だけではなく、世界中で起きている戦争についても言及しました。「原爆は80年前のことだけど、戦争は今も起きている。遠くにあるものじゃないと思います」と関口さん。

ウクライナへのロシア軍侵攻が2022年2月に始まってから、日本に逃れてきたウクライナ人の母子と交流してきた彼女は、国外に出られない父を残して来日した姉妹と友情を結ぶ中で、「家族みんなで暮らす日常さえ奪ってしまうのが戦争」だと実感しました。

違いをよいものとして認め合う
一人一人の声を大切に、平和を紡ぐ

私たちは何をなすべきなのでしょうか。2人がそろって強調したのは「対話」の重要性でした。異なるバックグラウンドを持つ人々と話をしていると、数々の発見があるのだといいます。

本記事冒頭で紹介した「平和への誓い」の最後の一文には、「一人一人の声を紡ぎながら」という表現が使われます。20人の子どもたちが集った意見発表会で、なぜ「つなぐ」ではないのかと議論をしたそうです。

関口さんは答えます。「‟つなぐ"だと、一人一人の声を一つに連ねていくイメージがあるけれど、‟紡ぐ"は、一つにまとめるのではなく、それぞれの声を大切に積み重ねていけるイメージなのです。だから、紡ぐが私たちの思いに近いと感じました」

椅子に座って話す制服姿の女子小学生とそれを見ている制服姿の男子小学生 関口さんは、式典当日は全く緊張せず、参列者一人一人の顔を見ながら挑んだそうだ。「とにかく伝える。世界平和を実現する1ピースになりたいという一心でした」。

全世界に発信した手応えについては、「点数はつけられない。受け取ってくれた人が、どう行動してくれるのかが大切だから」と佐々木さん。発信から対話、そして行動へ。彼らが考える継承の形です。

「こどもピースサミット」は、8月6日の後も続いています。爆心地から410メートルで被爆し、今もその爪痕が残る広島市立本川小学校内にある平和資料館(※2)で、 意見発表会に参加した子どもたちがボランティアガイドを行いました。

資料を持ちながら正面を向いて発表する女子小学生2人 館内資料の説明だけでなく、自分たちの学びや平和への思いも積極的に伝える大森友貴さん(左)と関口さん。
外国人観光客に向けて説明をする男子小学生 本川小学校平和資料館にて、フランスからの観光客を英語で案内する佐々木さん。2002年に亡くなった曽祖母が被爆者だったことも交えて説明する。
本川小学校平和資料館 本川小学校平和資料館(被爆建物)。写真提供:広島市

本川小学校平和資料館でのボランティアガイドの活動は、「こどもピースサミット」の集大成。これまで平和について学び、考えたことを自分なりに消化して、伝える場でもあります。当日は、プロジェクトに参加した子どもたち20人のうち9人が参加し、3つのグループに分かれて来館者のガイドを務めました。ガイドにあたって、来館者に何を伝えたいか、子どもたちが中心となって数週間かけて議論し、準備を進めたそうです。当日も開館直前まで予行練習をし、来訪者を迎えました。

「広島に投下された原爆は地面に落ちたのではなく、地上600メートルのところで爆発したことを知っていましたか?」

「この本川小学校では何人が助かったと思いますか?」

「ここに展示されている柱は原爆ドームの一部から持ってきたものです。実際に触ってみてください。ざらざらしていませんか?」

どのグループにも共通していたのは、来訪者との対話でした。情報や思いを一方的に伝えるだけでなく、訪れた人々に質問を投げかけたり、考えを尋ねたりと相互のコミュニケーションが活発に行われていました。ある女性の来訪者は「みなさんの言葉で、広島で起きたことを聞くことができて本当に良かった。ありがとう」とガイドを終えた子どもたちに感謝の意を伝えていました。

平和記念公園でもボランティアガイドを行っている佐々木さんは、こう言います。「戦争がなくて安全に暮らせれば『平和』なんじゃなくて、楽しく幸せに暮らせることも必要。これは、多くの人をガイドする中で気付いたことでした」。

一方通行ではなく、双方向で。相手を尊重し、多様性を認め合いながら平和を紡ぐ――次世代の子どもたちに続くOne Voice、One Actionを、彼ら自らが発信しています。


「こどもピースサミット」(※1)
世界の子どもたちを広島市に招いて交流した「こども平和のつどい」(1995年)の成果を引き継ぎ、翌年から実施。被爆体験を継承するとともに、世界恒久平和の実現に向けた主体的な意欲や態度を養成する市の平和教育の一環として行われている。作文の審査を経て選出された小学6年生20人は、平和記念資料館を改めて見学し、「平和への誓い」の検討会議で意見を交換し合う。8月6日の平和記念式典には、全員で参列している。2025年度は活動を継続する目的で、本川小学校平和資料館でボランティアガイドとして被爆の実相や平和教育の取り組みについて説明した。
https://www.city.hiroshima.lg.jp/education/kyouiku-suishin/1026024/1009040.html

本川小学校平和資料館(※2)
爆心地からわずか410メートルという位置にあり、約400人の子どもたちと10人の教職員が犠牲になった本川小学校の敷地内にある平和資料館は、原爆投下で甚大な被害を受けた旧校舎の一部と地下室を保存し、1988年に公開された施設。子どもたちや来館者が平和の大切さを学べる学びの場となっている。開館時間:9:00〜17:00(入館は16:40まで)、入館無料(閉館日:土曜日、日曜日、祝日、学校の振替休業日)
https://www.city.hiroshima.lg.jp/atomicbomb-peace/fukko/1021101/1026920/1026921/1020868.html
https://peace-tourism.com/story/entry-131.html

2025年「平和への誓い」全文
https://www.city.hiroshima.lg.jp/education/kyouiku-suishin/1026024/1008989.html

折り鶴が飾られた展示物の前に立ちこちらを見ている制服姿の児童二人

佐々木駿(ささき しゅん)
広島市立祇園小学校在籍。毎月2回程度平和記念公園を訪れ、母親と共に作った手作りの資料を使って外国人観光客を中心にボランティアガイドを行っている。7歳の開始当時から、これまでガイドした数は1500人を超える。「過去を変えることはできないけれど、教訓として未来に活かすことはできると思う。今後もできる限りガイドを続けていきたい」。将来の夢は医師。

関口千恵璃(せきぐち ちえり)
広島市立皆実小学校在籍。ウクライナ人の姉妹とは洋服の寄付を通して知り合った。それをきっかけに交流を深め、母親の仕事関係で知り合ったアメリカ人の友人も交えて広島で一緒に遊んだことは、今でも良い思い出と話す。「話す言葉が違っても私たちはみんな同じ人間。命の大切さは変わらない」。将来の夢は俳優。

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