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第51回(2024年度)国際交流基金賞 授賞式レポート

2025.9.30
【特集084】

国際交流基金設立の翌年である1973(昭和48)年に始まった国際交流基金賞は、2024年度で51回目となりました。毎年、学術や芸術等の文化活動を通じて、国際相互理解や国際友好親善にすぐれた功績を挙げ、引き続き活躍が期待される方々に贈られています。 これまでの受賞者は、バーナード・H・リーチ(陶芸家、1974年)、黒澤明(映画監督、1982年)、ドナルド・キーン(コロンビア大学教授/日本文学、1983年)、小澤征爾(指揮者、ボストン交響楽団音楽監督、1988年) 、宮崎駿(アニメーション映画監督、2005年)、村上春樹(作家/翻訳家、2012年)、蔡國強(現代美術家、2016年)等(敬称略、肩書は受賞当時)──とそうそうたる方々が名を連ねています。

第51回目の国際交流基金賞の受賞者は、塩田 千春(美術家) [日本]、モンゴル日本語教師会 [モンゴル]、セインズベリー日本藝術研究所 [英国]の1個人、2団体です。10月16日に受賞者も登壇して東京都内で行われた授賞式とレセプションの模様を報告します。

壇上に5人の人物が5脚のいすを並べて座っており、中央の3人の受賞者が盾を持っている受賞風景

国際交流基金賞は、国際交流基金の事業の中でも最も歴史のあるものの一つであり、第50回までの受賞者・団体は世界35か国、207に上ります。 2024年も国際交流基金が活動の柱としている「文化芸術交流」「日本語教育」「日本研究・国際対話」の3つのテーマに沿って、内外各界の有識者及び一般公募により推薦のあった60件から、有識者20名による選考委員会での議論を経て受賞者が決定しました。

10月16日、東京都内で開かれた授賞式には、受賞者・団体代表者のほか、ご来賓として、外務省から、鈴木秀生特命全権大使(広報外交担当)にご臨席いただき、選考委員、関係者等約200人が集まりました。
また、授賞式に引き続いて、国際交流基金賞受賞者を囲んでレセプションを開催いたしました。

授賞式では、鈴木秀生特命全権大使からご祝辞を頂きました。

左右2枚を組み合わせた写真、左は広角で観客の後ろから舞台全体を見ており、右は祝辞を述べる鈴木大使の左横からのクローズアップ

鈴木大使は、本年度の国際交流基金賞の受賞者の方々に祝意を述べられ、長年にわたり、それぞれの分野で素晴らしい活動を継続され、その文化芸術、学術を通じた国際交流へのご貢献に敬意と感謝を表されました。
人と人との相互理解促進、親近感や信頼感の醸成は、平和で安定した二国間関係や国際社会構築の基盤となり、特に、言語を含む文化や芸術は、相手をよりよく理解する上で大変重要であること、そして受賞者の方々の活動が、深く、強い絆を、日本と各国の人々の間に築き上げられたことを賞賛するとともに、その絆を大切に育み、平和で繁栄する国際社会を築き、維持していくことの重要性にも言及されました。
また、日本の文化・芸術が、今や伝統的なものから新しいものまで、世界中で幅広く受け入れられ、日本人アーティストやクリエイターの方々が国内だけでなく海外でも活発に活動されている状況にも触れられ、外務省としても、国際交流基金と引き続き連携し、受賞者の皆様をはじめ、日本文化の担い手となる人々と手を取り合って、日本文化の魅力発信に努め、今後も日本が各国から信頼され親しまれる国であるよう尽力する旨を述べられました。

続きまして、受賞者の方々と、その授賞理由についてご紹介があり、その後賞状の授与が行われました。

塩田千春氏は、ベルリンを拠点に活躍する国際的な美術作家で「生と死」といった根源的テーマで作品を展開しています。1997年ドイツ留学時の身体を素材とした作品が作家としての起点となり、2001年横浜トリエンナーレの泥のついた巨大なドレスの作品《皮膚からの記憶》、2002年のルツェルン美術館で30台のベッドを用いた《眠っている間に》等で示された「生と死」を暗示する作品は驚きを持って多くの観衆に迎えられてきました。このような特色ある作品を世界各国で数多く発表し続け、特に2015年のヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で展示された、数万本の鍵を圧倒的な量の赤い糸で結びつけた作品《掌の鍵》は、視覚的インパクトと人々の願いや記憶が一体化した作品として高く評価されました。こうした塩田氏の活動は国際交流の実践であり、女性の国際的な活躍を促進する原動力ともなり、国際交流に大きく貢献しています。

左に理事、右に塩田氏が立ち、開いた賞状を二人で持ちこちらに見せている
国際交流基金の黒澤信也理事長(左)と、塩田千春氏(右)

モンゴル日本語教師会は、モンゴル全土の日本語教育の発展と普及に大きく貢献してきました。1975年のモンゴル国立大学文学部日本語コースの開設を皮切りに、日本語教育は初等から高等教育機関まで普及しており、1993年に設立された同教師会は、本賞の受賞時点で363名の会員を擁し、現地の日本関係機関などと協力して日本語スピーチコンテストや日本語教育シンポジウムを開催しています。また、2000年からは日本語能力試験の実施機関として活動し、「JF日本語教育スタンダード」、そのスタンダードに基づく初中等教育向けの教材『できるモン』の開発や普及にも力を入れています。毎年多彩な日本語教育関連行事を実施し、日本語教育の質向上に尽力し、今後のますますの活躍と発展が期待されます。

左に理事、右にバトジャルガル氏が立ち、開いた賞状を二人で持ちこちらに見せている
モンゴル日本語教師会のエルデネバヤル・バトジャルガル会長(右)

セインズベリー日本藝術研究所は、ロバート・セインズベリー卿ご夫妻の資金援助により、1999年に英国で設立された日本の藝術・文化に関する調査・出版・交流のための研究機関で、現在ではこの分野に関する欧州最大の研究機関の一つにまで発展しています。フェローと、日本を含む世界からの客員研究員がこれまで多く在籍し、その数は、設立以来90名を超えます。またイースト・アングリア大学との教育連携により、学際日本学修士課程も設置し、図書館の史資料も5万冊以上あり、現在これらのデジタル化を進めています。近年では考古学やマンガ・アニメなどにも関心領域を広げ、今後も欧州における日本研究の中心機関としての活躍が期待されています。

左に理事、右にサイモン・ケイナー統括役所長が立ち、開いた賞状を二人で持ちこちらに見せている
セインズベリー日本藝術研究所のサイモン・ケイナー統括役所長(右)

賞状の授与に続き、受賞者によるスピーチが行われました。

塩田氏のスピーチは次のとおりでした。
「皆さま、こんにちは。アーティストの塩田千春です。今回、このような身に余る賞をいただき本当に嬉しく光栄に思っています。心より感謝いたします。
私のような芸術家というのは、誰かから頼まれてやっている仕事ではなくて、毎日注文があるわけでもなく、作品を作れば売れる訳でもなく、一般的な職業と結びつけることもなかなか難しいと思います。日々、これで良いのか、もっと上手くやっていけるのではないかと、作品を作りながらも迷うことが多いのです。
でも、こういった大きな賞をいただけると、自分がこれまでやってきたことが間違いではなかったのだと承認していただいたというか、これで良いからこのまま続けてやっていっても良いよ、と言っていただけたようで、本当に嬉しく思います。またこれからも頑張って作品を作っていこうという励みになりました。
作品を作り続けて30年近くになるのですが、今思い返してみると本当に挫折の繰り返しでした。24歳の時にドイツに渡り、2度も癌を経験して、抗がん剤治療をしながら作り続けた作品もあります。特に海外で作品を発表し続けることは私にとっても大きな挑戦でした。言葉の壁や文化の違い、そして異国の地で自分の作品が受け入れられるのかという不安もありました。でも大きな国際展では国際交流基金の援助をいただくことが何度もあり、支え続けていただいたことに本当に感謝しています。
2000年のアーヘン、ルードヴィヒ・フォーラムで行われたグループ展からはじまり、私の日本のデビュー作でもある2001年の横浜トリエンナーレ、そして2015年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館での個展や、今行われている日本とトルコの国交100周年記念として開催しているイスタンブール現代美術館での展覧会、その他、数多くの支援をいただき、まさに私がこうして国内と国外の両方で展覧会ができているのは、国際交流基金のサポートがあったおかげだと思っています。
特に、2015年のヴェネチア・ビエンナーレの日本館での個展は、私にとって忘れられない経験です。私が作品に使う赤い糸は、人間の複雑な感情や記憶、そして目に見えないつながりを表しています。作品を設置しているときは本当にトラブルも多く大変だったのですが、無事に完成して多くの人に声をかけてもらった時に、赤い糸で空間を埋め尽くすという私の表現が言葉や文化を超えて多くの人々の心に響いたことを実感しました。言葉や文化が違っても、人間の根源的な感情や記憶や経験は共通しているのだということを、この経験を通して改めて認識することができました。
展覧会の助成だけでなく、過去に一緒に仕事をしたキュレーターが国際交流基金からの招聘により日本の文化を楽しみ、日本のアートをより知るきっかけを与えてもらったという話を聞くことがよくあります。これからもっと日本人のアーティストと仕事がしたいと喜ばれたことも覚えています。
これからも驕らず、等身大で自分のアイデアを形にして制作に励みたいと思います。また、今後も国際交流基金のご支援のもとに日本の芸術がさらに世界へと羽ばたいていくことを願っています。
これまで支援していただいた美術館関係者、ギャラリー、コレクター、キュレーター、そして日々の仕事を共に毎日手伝ってくれたスタッフに心から感謝したいです。
どうもありがとうございました。」

演題のマイクを前にスピーチをする塩田氏
これまでの作品制作と美術展への参加について語る塩田千春氏

次にモンゴル日本語教師会を代表して、エルデネバヤル・バトジャルガル会長から、次のスピーチがありました。

「この度は、モンゴル日本語教師会を国際交流基金賞という非常に栄誉ある賞にご選出いただき、身に余る光栄に存じます。モンゴル日本語教師会はモンゴルにおける日本語教育水準の向上を目指して日々活動を行っておりますが、その努力を図らずもこのような形で評価していただき、モンゴルからの初めての受賞者となれたことに、私はもちろん、会員一同、感激にたえません。
モンゴル日本語教師会は、モンゴルの日本語教育のためを思う初・中・高等教育機関、日本語学校の先生方から成り立っているもので、その先生方のご協力や支えがなければここまで来ることは到底できませんでした。設立に尽力された先生方、この数十年の歴史の中でモンゴルの日本語教育に携わって日頃から支えてくださっている全ての日本語教師の皆様に感謝するとともに、この場をお借りしてお祝いを申し上げます。
また、今回の受賞は、在モンゴル日本国大使館、JICA、モンゴル日本人材開発センター、モンゴル日本人会、モンゴル日本商工会をはじめ、いつもご協力、ご支援をくださっている機関、団体、個人の方々のお陰でもあります。そのような皆様にも重ねて心より感謝を申し上げます。
そして、何よりも、モンゴルの日本語教育の発展に大きく貢献し、長い年月にわたりご支援、ご援助を続けてくださったのは、国際交流基金の皆様です。モンゴル日本語教師会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。
モンゴルにおける日本語教育の歴史は、1975年のモンゴル国立大学文学部日本語コースの開設に始まります。日本語学習者数と教師数が年々増加する中で、モンゴル日本語教師会は1993年に設立され、1998年に法務省に正式に登録された団体となりました。2021年度の日本語教育機関調査によれば、小・中学校は28校、大学は24校、民間日本語学校は66校、日本語教師会会員数は363名にまで増え、その中でモンゴル日本語教師会は、モンゴルにおける日本語教育の幅広い発展と普及、また、日本語教師の専門性の強化や優秀な日本語人材の育成に、力を注いできております。
現在私たちが行っている主な活動は、まず、今年で第30回を迎える学校対抗日本語スピーチコンテスト、漢字ナーダムという漢字クイズ大会、年に一回の日本語教育シンポジウムがあります。毎年多くの参加者で熱く盛り上がることを通して、日本語学習者や教師の成長と相互交流のための一助となっていると感じています。2000年からは日本語能力試験の実施機関となり、ウランバートル市では年2回、アルバイヘール市とダルハン市では年1回実施しており、今年7月の試験は応募者が2,000人を超えるほど、需要の高い試験となりました。また、日本留学試験も実施協力機関として年2回行っており、こちらも年々受験者数が増えています。さらに、2012年からはJF日本語教育スタンダードに基づいて初等・中等教育機関向けの教材開発も行い、モンゴル国内の日本語教育に大きな影響を与えた教科書『できるモン』を完成させ、広く普及させています。一方、研究支援の側面からは、2013年より教師会の下部組織である日本語教育研究会で研究論文を公募し、『モンゴル日本語教育紀要』を取りまとめています。2023年に第7号を発行し、今後も定期的に刊行予定です。
このような活動を通して、日本に対する理解の促進及び両国の関係の発展に力を尽くしてまいりました。そういった点を評価していただいた結果、このような素晴らしい賞の受賞に至ったのではないかと存じ、この上ない喜びでございます。あらためて感謝申し上げます。
この栄誉ある賞が私たちにとってますますの励みとなっています。日本とモンゴルの関係や交流は今後一層深まっていくでしょう。モンゴル日本語教師会としましては、そこに微力ながら貢献していけるよう、今後も皆様のお力添えをいただきながら活動を継続し、さらに精進を重ねていく所存です。
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。本日は本当にありがとうございました。」

演題のマイクを前にスピーチをするバトジャルガル会長
モンゴルにおける日本語教育の進展について語るエルデネバヤル・バトジャルガル会長

セインズベリー日本藝術研究所を代表して、サイモン・ケイナー統括役所長から、次のスピーチがありました。

「セインズベリー日本藝術研究所は25年前、支援者であるご夫妻、ロバート・セインズベリー卿とリサ・セインズベリー夫人により設立されました。当研究所の使命は、北海道から沖縄、先史時代から現代にわたって、日本の芸術と文化のあらゆる側面について世界レベルの研究を行い発信することです。この四半世紀の間に、当研究所は2人だけの小さな組織から、日本国外では、日本の芸術と文化に関して最も優れた専門知識を持つ研究所の1つにまで成長しました。私たちは、日本、英国、その他のヨーロッパ諸国、南北アメリカ各地の実務家、学者、大学、博物館、ギャラリー、研究機関と提携して活動しています。ソーシャルメディアやオンラインプレゼンスを辿ることで、当研究所が世界的な足跡を残していることが確認できます。
当研究所の関係者全員を代表して申し上げます。私たちの創立記念の年に、国際交流基金賞に選ばれたことを大変光栄に思います。国際交流基金は当研究所の設立当初から私たちを支えてくださり、会議、出版、展示会、そしてイースト・アングリア大学との戦略的パートナーシップによる芸術遺産と文学の講義、さくらネットワークを通じた日本語学習の促進など、当研究所の活動に多大なご支援をいただいてきました。
芸術と文化は、人間であることの本質的かつ不可欠な部分であると私は信じています。時として、芸術や文化は政治や経済から切り離され、歴史にとってさして重要でない、人間の試みという独自の分野だと考えられることがあります。この見解には強く反対します。私は考古学者として、人類が現代まで進化する過程で生み出された数万年前の芸術作品や、古代からインスピレーションを受けた素晴らしい現代アーティストと仕事をする機会に恵まれました。芸術と文化は私たちを人間たらしめるものです。問題を抱えながらも、かつてないほどつながりの強い今日の世界において、芸術と文化を通じた相互理解がこれまで以上に重要になっていると私は信じています。英国の演出家サイモン・マクバーニーの言葉を借りるなら、文化は私たち全員が浸かっている溶液(solution/注「解決策」の意味もある)なのです。
国際交流基金の活動は、芸術文化振興の道標です。アーツカウンシル・イングランドの最高責任者ダレン・ヘンリー氏が書いているように、芸術と文化に投資することで、莫大な配当、すなわち「芸術の配当」(Arts Dividend)が生み出されます。芸術と文化は、災害、気候変動、健康と高齢化、紛争と再生への対処など、グローバルの、そしてローカルの課題に立ち向かい、前進する方法を提供してくれます。セインズベリー日本藝術研究所は、この名誉ある国際交流基金賞をいただき、大変光栄に思います。これまで共に歩んでくださった皆様に心から感謝するとともに、芸術の配当をさらに広げて、すべての人に還元できることを楽しみにしています。」

演題のマイクを前にスピーチをするサイモン・ケイナー統括役所長
芸術と文化を通じた相互理解について語るサイモン・ケイナー統括役所長

授賞式後に引き続き開催された国際交流基金賞のレセプションでは、受賞者のみなさまとのご懇談が行われ、受賞者の方々は、これまでのご功績を称える多くの人々に囲まれ、ご歓談されました。

文:国際交流基金 広報課 西納 由美子

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