雑誌『をちこち(遠近)』
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07 初めての映画祭、初めての海外旅行

河瀨直美
映画監督



kawase07_01.jpg  ロシアのサンクトペテルブルクがわたしの初めての海外旅行先だった。「かたつもり」という映画がサンクトペテルブルグ映画祭に招待され、渡航した。養母の日常を綴った非常にプライベートな映画ではあったが、海を越えた先の人がどうゆう風にこの映画を見てくれるのかがとても楽しみだった。ロシアは当時ペレストロイカの影響から、国民は民主化への期待を膨らませ、結果的にソビエトの崩壊が始まり、ロシアの貨幣ルーブルの価値は暴落。人々は仕事を求め、貧困と闘っていた。混乱した国へ郵送で大切なフィルムを送ることが憚られ、わたしは自分の作品を手持ちしてロシア入りした。初めての時差。初めての入国審査。英語のほとんど通じない町。モスクワ経由で国際線から国内線に乗り換えの途中で移動に白タクにひっかかり、たった5分の距離を40ドル取られたが、一言も文句が言えず、紙幣を渡した。支払わなければ命の保証がないかもしれないという緊迫感もあった。4時間のトランジットタイムを狭い国内線のロビーで過ごしているとき、だんだん傾いてくるオレンジの陽の光をずっと見つめていた。小さな女の子が母の傍らにぴったりとくっついて座っている様が愛らしかった。

 ようやく到着したホテルのロビーで出迎えの映画祭スタッフがわたしの手に握られたフィルムを持ち去ると、翌日からのスケジュールも伝えられぬまま、一人ホテルの部屋に取り残された。時差ボケからすぐにベッドにもぐりこんで眠ったが、まだ夜も明けきらないうちに目覚めてしまい、おなかが空いて仕方がない。しょうがないので、朝まで待つことにした。

 表通りに出て、小さなパン屋を覗くとパンと牛乳を買って1ドル紙幣を差し出した。店主は、その価値に飛びあがり、大歓迎のまま玄関先までわたしを見送った。こんなに人に喜ばれるようなことをしたとは思えなかったが、当時のロシアではドルの価値が異様に高かったのかもしれない。

 6月の白夜の季節だったので、夜が短くエルミタージュ美術館の横を流れるネヴァ川の跳ね橋が船が通るたびに開くのが美しかった。アテンドでついてくれたカップルと散歩しながらこの川面に映る小さな光を見つめて、お互いの国の子守歌を歌いあった。彼氏は写真家を志し彼女はそんな彼を支える小さくてかわいい女の子だった。「いつか日本に来てね」と心から伝えると、彼らは「僕たちが日本に行くことはほとんど夢の世界だ」と言った。そんなお金が自分の手元にやってくることはまったく想像できないのだと。

 帰国後、彼らから手紙と一緒に写真が届いた。肩を組んで微笑んでいる彼女とわたしの写真。それはまだ20代の若者同士の国境を越えた友情の証だった。20年近くが経った今、彼らはどこで何をしているだろう。わたしは元気ですよ。こうして、映画を撮り続けていますよ。とどこかで伝わればいいなと願っている。

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kawase01_00.jpg 河瀨直美
生まれ育った奈良で映画を撮り続ける。
「萌の朱雀」(96)カンヌ国際映画祭新人監督賞を史上最年少受賞。
「殯の森」(07)カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
「玄牝-げんぴん-」をはじめドキュメンタリー作品も多数。
自らが提唱しエグゼクティブディレクターを務める『なら国際映画祭』は今年9月14-17日に第2回を開催〈http://www.nara-iff.jp/〉。
奈良を撮りおろした作品「美しき日本」シリーズをWEB配信中〈http://nara.utsukushiki-nippon.jp/〉。

公式サイト:http://www.kawasenaomi.com/
公式ツイッター:https://twitter.com/#!/KawaseNAOMI




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