物語を伝える―災厄を越えて―<4>
芸術人類学者、秋田公立美術大学大学院准教授 石倉 敏明さん寄稿
「再創造される物語――『イシの物語』から『宇宙の卵』へ」(後編)

2021.8.2
【特集074】

特集「物語を伝える―災厄を越えて―」(特集概要はこちら
何世代にもわたり語り継がれる神話や歴史。過去の物語はいかに語られ、時代や地域を超える物語へと更新されていくのでしょうか。そして、自身が世界の神話のリサーチをもとに「第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」日本館展示で再創造した「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」神話に込めた思いとは? 後編をお届けします。
再創造される物語――「イシの物語」から「宇宙の卵」へ(前編)はこちら

再創造される物語――「イシの物語」から「宇宙の卵」へ(後編)

石倉 敏明

4. 複数化する「イシの物語」

シオドーラが『内陸のくじら』で新たに創造した神話には、確かな学術的探求と大胆な想像力の飛躍によって、自分の属する社会や時代とは全く異なる他者の物語に接触しようとする人類学的な関心が感じられる。さらにその後、夫のアルフレッドに代わって『二つの世界のイシ』(邦題は『イシ 北米最後の野生インディアン』)という作品を書いたことによって、シオドーラは世界中に知られるようになった *¹。

コロンブスの上陸以前にアメリカ大陸に暮らし、独自の文明を築いてきた先住民は、ヨーロッパ系移民による度重なる迫害や虐殺、彼らによって外部から持ち込まれた伝染病によって甚大な被害を受けることになった。白人の追撃を逃れ、最後に家族と離散してから孤独な野生人として暮らしてきたイシという男の物語は、こうした公式の記録からは見えにくい植民地的現実を後世に伝えている。娘のル=グウィンが、イシを「ナチによるユダヤ人大量虐殺に等しいインディアン撲滅の生き残り *²」と形容しているように、この物語はアメリカ合衆国とカリフォルニア州にとって、歴史から隠された悲惨な災厄を意味していたのである。

ishikura_06.jpg シオドーラ・クローバー『イシ 北米最後の野生インディアン』行方昭夫訳、岩波書店、1991年

シオドーラが描き出した物語は「滅びゆく種族」についての例外的な物語であり、その最後の一人として、5年もの月日をサンフランシスコの人類学博物館で過ごした男の奇跡的な生の物語であった。人類学者のジェイムズ・クリフォードが克明に描き出しているように *³、クローバー一家にとっての「イシの物語」は、文化的多様性を称揚するアメリカ合衆国の輝かしい夢の背後で、先住民たちに降りかかったとてつもなく残酷な傷を縫合することのできる縫い針のようなものだったのかもしれない。

とはいえ、過去と未来、先住民社会と白人社会という「二つの世界」を生きた「イシの物語」には、二重の「語り難さ」が存在していたことは明らかであった。一つにはイシと呼ばれることになった男自身の沈黙があって、この男は発見時から最後のときまで、彼自身の名前を公にすることはなかった。「イシ」という名前は本名ではなく、1911年のある朝に犬に追い詰められ、屠殺場の柵囲いの中で見つかった一人の哀れな先住民の男に、人類学者が便宜的に与えた「通名」にすぎなかったのだ。「イシ」という言葉は、ミル・クリーク・インディアンの言語で「人間」を意味する。この男は、結核で死にゆく最期のときまで、自身の真の名前を明かさなかったのである。

もう一つの語り難さは、アルフレッドのものだった。北米先住民の詳細な目録を作り、生涯にわたってカリフォルニア・インディアン諸部族の研究を行ったこの人類学者にとって、彼が所長を務めた博物館に置いて保護し、やがて彼の希望に反して解剖されることになった「滅亡しつつある最後の先住民」について語ることは耐え難い行為であったのだろう。イシの死後、彼が生前に望んでいたような形で埋葬せず、科学のために遺体を解剖する話が持ち上がった際にアルフレッドは激しい怒りを表明している。死を迎えようとするその日まで、イシは「最後の野生インディアン」として観察の対象となり、死んだ後の身体はアルフレッドの意思に反して解剖され、その脳は博物館に保管された *⁴。

シオドーラは、この二人の「語り難さ」を超えて、先住民社会と文明社会を行き来した稀有な男の半生を描き、この物語は世界中に共有されていった。しかし、物語はここで円環を閉じるわけではない。イシにとって近縁に当たるカリフォルニア先住民は、クローバー夫妻がすでに死去していた1990年代に「インディアン遺物返還法令」に基づいて訴訟を起こし、イシの遺体の返還を要求していた。

物語は、当時行方不明になっていたイシの脳がスミソニアン博物館の収蔵庫で発見されたことによって劇的に進展する。1999年4月5日、カリフォルニア州サクラメントの州議会で行われた「イシの脳と賠償」に関する正式な公聴会では、カリフォルニア大学バークレー校の人類学部より、過去の遺体についての正式な謝罪と反省が伝えられた。2000年の8月には、保管庫に残されていたイシの脳とマウント・オリヴェ墓地にあった彼の遺灰は複数の集団との交渉の結果、レディング保留地とピット・リヴァーから来た小集団に返還され、非先住民の博物館員の立会いのもとで秘密裏に埋葬された。その数週間後、先住民と人類学者によって、ラッセン山のサミット・レイクで2日間にわたって共同の祝宴と癒しのダンスが行われたという *⁵。

シオドーラによって紡ぎ出された「最後の野生人」というイシのイメージは、あくまでも白人中心の物語だった。しかし、この物語はその後、アメリカ大陸における先住民性を再考する美術家ジェイムズ・ルナやフランク・デイ、小説家ジェラルド・ヴェゼナー、ドキュメンタリー作家のジェド・リフやパメラ・ロバーツといった先住民・非先住民の表現者たちによって繰り返し取り上げられ、その後の芸術的創造の重要な資源となって再活用されていくことになる *⁶。
クリフォードが書いているように、「イシの物語」は「救出された過去」についての物語であることを超えて、「先住民の複数の未来」についての物語として変奏され、さまざまな現代芸術の実践領域に拡張される。この物語の再話と再創造には、娘のル=グウィンも参加している。彼女は『オールウェイズ・カミングホーム *⁷』という重要な作品で、シオドーラの語るイシとの家族物語を変形し、「未来についての物語」の新しいヴァージョンを展開した。クリフォードによれば、ル=グウィンによる創作物語は「植民地化の後に『先住民』になること、変容した場所で伝統的な未来を作りなしてゆくこと *⁸」という、きわめて重要な歴史的プロジェクトである。複数の記憶と物語の混ざり合うこの新たな地点において、「イシの物語」をめぐる歴史の傷と沈黙を癒し、未来の記憶へと開かれてゆく幾多のイメージが生起している。

5. 「宇宙の卵」という物語

クローバー一家が関わった一人の先住民の物語が再解釈され、21世紀になってアメリカ合衆国の歴史認識と社会的現実を動かす力を持つことができたのはなぜだろうか。
インディアン撲滅という残酷な災厄をこえて、なぜ「イシの物語」は複数化され、とりわけ現代芸術という領域で豊かな成果を生み出すことになったのか。その答えを得ることは容易ではないが、沈黙と困難に抗してこの物語を再創造し、語り継ごうとする試み自体が、ある出来事にまつわるさまざまな物語のヴァージョンを通して、複雑な歴史的現実の意味を吟味するという、神話の論理的構造に類似しているということは言えるかもしれない。

災厄を越えて歴史を再発見し、物語を再創造することは、必ずしもある出来事の悲惨さから目を遠ざけることや、当事者のやむを得ない沈黙を冒涜するフェイクニュースや歴史修正主義に加担することを意味しない。そうではなく、歴史のプロセスを未来の絶えざる審議の場に開くということであり、場合によっては事実の認定や善悪の位置付けを超えたところにまで、ある出来事の意味を深掘りすることでもある。このことは、とりわけ他者の歴史を理解しようという試みの中で、現実と虚構の混ざり合った神話的現実に直面したときに注意すべき挑戦である。ある社会に置いて尊重されている神話的な物語には、それ自体のうちに重要な歴史の真実性が含まれている。他者との対話からそれらを読み解き、共に生きる歴史的実践を、かつて歴史学者の保苅実は「歴史する(doing history)」というユニークな表現で言い表した *⁹。

安易な類型化は許されないが、2019年におこなわれた「第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」における日本館展示で、過去に宮古・八重山諸島を襲ったという地震と津波に関する伝説の調査と新たな神話物語の創造というプロジェクトに関わったとき、私たちが意識していたのはこのことである。
特定地域の災害伝承を超えて「歴史する」という私たちのプロジェクトは、美術家の下道基行がこの地域を旅行中に偶然出会ったという「津波石」という物体のイメージから出発している。「津波石」とは、現地の島々の住民が、陸上に残された巨大な岩に名付けた通称に他ならない。下道の撮影した津波石は、単なる岩石ではなく打ち上げられた珊瑚礁の一部を含み、宮古・八重山諸島では特に18世紀に発生した明和大津波をはじめ、この地域に数百年おきに生じている大津波の被害を伝えるモニュメントとなっている。だが、ただの歴史的モニュメントというにはあまりにもユニークな造形で、実際に島々をまわってみると、公園の一部で遊具と一体になっているものや、住居の一部として利用されているもの、御嶽うたきの一部として聖地化しているもの、畑の真ん中にあるが何らかの理由でそのまま保存されているものなどが見つかった。中には、波打際に残されて、干満を知らせる絶景の一部となっているものもある。

私は下道と一緒に現地を訪れ、これらの津波石の来歴や具体的な名称を訪ね歩いた。興味深いことに、これらの津波石は、現地の主要な神話や伝説に関連づけられたものが極端に少ない。その代わりに島外の役人と島の娘との恋愛を伝える恋物語や、島外から流れ着いた謎の漂流者の伝説など、半ば歴史化した逸話の断片が、それぞれの石の来歴として張り付いている。数多くの伝説が語り伝えられている南島の世界にあって、津波石は意外なほど奇想天外な伝承に乏しく、むしろ具体的でありふれた、三面記事的なエピソードの断片がそれらの周囲に堆積しているのである。

現実の津波石は、渡り鳥や昆虫が集い、木々や植物がその周囲に生い茂る環世界にはなっているが、決して島々の世界を一つにつなぐような、統一的な歴史物語の要素にはなっていない。それにもかかわらず、一見バラバラに見える個々の津波石の周辺に伝えられている物語まで調査を拡張してみると、驚くほど豊かな伝承世界が姿を表す。

ishikura_07.jpg 沖縄県・多良間島での「津波石」フィールドワーク(右が下道基行)

下道と共同でおこなった現地調査と並行して、私は石垣島や伊良部島を中心に伝承されている津波を呼び起こす魚の物語と、池間島を中心に宮古諸島に異伝が伝えられている卵を産む少女の物語を中心に、沖縄の島々に伝えられた神話・伝説の調査を進めていった。前者の物語では、人間に釣り上げられた人間の言葉を話す魚が、救出のために津波を呼ぶ。後者は、あるとき日光を浴びた少女が、人知れず用を足した際に12個の卵を産み落とし、これが島の祖先になったという伝承である。どちらも私が10年前に宮古諸島を旅行したときに出会った不思議な物語だ。

こうした別系統に属する物語同士の構造を分析するだけでなく、新たな物語創作を通じて、島々の現実が多元的に理解できるような展示の形式が実現できないだろうか。そのような考えから、私は人類学者のクロード・レヴィ=ストロースの神話研究や、かつて民俗学者の中沢厚や人類学者の中沢新一らと美術評論家の石子順造をはじめとするグループが共同で行なった共同調査『丸石神 庶民のなかに生きる神のかたち』(木耳社、1980年)などを参考にしながら、さまざまな物語の背景に広がっている現地のコスモロジーや祭事との関係を探っていった。

展示プロジェクトのメンバーは、キュレーターの服部浩之のほか、美術家の下道基行、作曲家の安野太郎、建築家の能作文徳、人類学者の石倉という編成であった。私たちは「津波石」を主題とする下道の映像作品をコラボレーションの中心に据えつつ、これに応答する音楽の自動演奏装置によって聴覚的な体験へ、さらに日本館の内部構造に設置された巨大なバルーンによって空間認知の体験へ、そして調査地の伝説を基に新たに創作した神話物語によって物語論的な体験へと迫ろうとするプランを練っていった。
ここで重視したのは、下道による現地の「津波石」の映像化への応答として、撮影地の津波石周辺に生息する鳥類(アジサシ、リュウキュウアカショウビン)の鳴き声に基づいて互いの音に反応する音楽演奏機械の制作(安野による)、会場となる日本館の建築構造を生かし、津波石の可動性や地震・津波の流動性を参照した建築空間の制作(能作による)、そして現地の伝説や歴史を再構築することで生まれた新たな物語を壁面に彫刻刀で彫り込む作業(石倉と他のメンバーによる)といった領域横断的な表現の実現である *¹⁰。

ishikura_08.jpg 《Cosmo-Eggs | 宇宙の卵》
「第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展」日本館展示(展示室内)

このプランを実装するための調査を通じて、私は「世界の終わり」を伝える津波神話と、「世界の始まり」を伝える卵生神話をつなぐ物語を構想したい、と考えるようになった。下道の映像も、安野の音楽も、実際の展示空間の中で反復しつつ上演される。こうして繰り返される視覚的・音楽的なループに対して、私は物語による意味論的なループによって、「世界の終わりと再創造」とをつなぐ、複数の島々の歴史を描き出したいと考えたのである。下道の映像作品におけるループと、安野の作曲する音楽作品におけるループが、どちらも上演の状況に応じて少しずつ微細な差異をはらみながら新たな鑑賞体験を誘発することを意識しながら、私はそれらの表現と構造的な応答関係にある創作神話を執筆しようとした *¹¹。

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ishikura_10.jpg 《Cosmo-Eggs | 宇宙の卵》
壁面に彫刻された創作神話テキスト

実際には、「終わり」と「始まり」を三つの異なる空間において反復することに苦労したが、2019年の1月に調査に訪れた台湾で「津波の到来と石からの世界創造」を伝える物語群に出会ったことによって、当初の構想を一挙に現実化する着想が得られた。私はここで、かつて日本の植民地であった台東の原住民神話を通して、いくつもの民話や伝説に秘められた、恐ろしいほどの歴史の厚みに驚嘆することになった。台湾から戻り、私は一気に物語を書き上げた。私の創作した神話物語のテキストは、英語に翻訳された上で日本館の壁に彫刻刀で刻まれ、さらに調査資料と神話の構造分析などの思考の過程を記録したフィールドノートは、公式カタログに一冊分丸ごと掲載された。

私たちのプロジェクトは、あえて台湾まで「物語」の調査範囲を拡張することによって、国境地帯の分割線を越えて到来する自然災害という現実への参照軸を得ることができた。この実験が可能になったのは、ひとえに各地の協力者のおかげであった。

先住民集団の歴史を、周縁化された「島々の物語」として語り継いできた日本列島の状況は、アメリカ合衆国における先住民政策の反省と和解に向けた取り組みとは異なる種類の困難さを抱えている。例えば、国連は2008年以後、沖縄の住民を先住民として認定するように何度も日本政府に勧告しているが、政府はこの勧告を認めずに事実上の撤回や修正をするように働きかけている。こうした拒絶の背景には、最初から沖縄の島々を日本本土と同質的な歴史を持つものとして併合する想像力が存在している。近代の国民国家時代においては、拡張された島々のネットワークを通じて日本人と他民族との関係がもっぱら空間的な集団秩序として編成され、アジア・太平洋の島々を覆い尽くすような想像界のマトリックスが描き出されてきた。

しかし日本列島の各地、そして国境を超えて広がる島々に伝えられてきたさまざまな民話や伝説の破片には、実に多様な来歴を持った、生々しい「野生の物語」の息吹が宿っている。国際芸術展の国家別パヴィリオンという枠組みの中で、こうした息吹を蘇らせることはできないだろうか。複数化された島々の記憶、あるいは地震や津波を踏まえた別の生存様式の物語を提示することは可能だろうか。ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展における展示「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」における創作神話は、以上のような物語論的な実験であったと言える。

多元的に再創造されている「イシの物語」がそうであるように、この物語もまた災厄を超えて語り継がれる。「Cosmo-Eggs | 宇宙の卵」というタイトルがしめすように、「複数の宇宙卵」というイメージには、まだ実現されていない現実を宿す潜在性のイメージが含まれている。物語の中では、日光を浴びた少女が単独で12個の卵を産み落とすのだが、このモチーフは東アジア各地に伝承されている卵生神話の広がりと確かな想像力の系譜を保っている。

神話や伝説は、歴史の代替物でもなければ、単なる空想上の遊戯や暇つぶしでもない。それは、語ることのできない体験や知覚を召喚し、想像されたものと現実に存在するものの分裂を越えて、ある共通の現実を後世に届けることのできるメディアである。しかもこの物語は、人間が人間のために構築した記号の体系を超えて、他の生物や無生物の存在を社会の中に位置付け、人間自身をそれらの関係が織りなす局地的な世界の中に位置づけ直す。神話的想像力の卵は、芸術における新たな可能性を開くだけでなく、私たちの知っている共通世界を人間だけの意味のシステムから解き放ち、惑星規模の歴史の中に再び配置し直す一助となるかもしれない。

恐ろしい災害や、今は死者となってしまった膨大な先人たちの記憶を前にして、私たちはもう一度みずからの生を受け入れ、新しい物語を語り直すことができる。歴史と神話の交錯を越え、語ることの困難を越えて再創造される物語は、未知の現実を迎え入れる人類の倫理へと開かれていくのではないだろうか。


  • *¹ シオドーラ・クローバー『イシ 北米最後の野生インディアン』行方昭夫訳、岩波書店、1991年。
  • *² アーシュラ・K. ル=グウィン「序文 ――『イシ』再版に寄せて」、シオドーラ・クローバー『イシ 北米最後の野生インディアン』行方昭夫訳、岩波書店、1991年、ⅶ頁。
  • *³ ジェイムズ・クリフォード「イシの物語」『リターンズ』所収、星埜守之訳、みすず書房、2020年、179~182。
  • *⁴ イシの脳の発見と奪還については、下記の文献を参照。Orin Starn, Ishi's Brain: In Search of America's Last "Wild" Indian (English Edition) , New York: W. W. Norton, 2005.
  • *⁵ クリフォード「イシの物語」、136~145頁。クローバーとイシの関係をめぐる後世の再評価については、下記のブログでも詳しく伝えられている。Nancy Sheper-Hughes, Alfred Kroeber and his Relations with California Indians, July 24, 2020.
    URL: https://blogs.berkeley.edu/2020/07/24/alfred-kroeber-and-his-relations-with-california-indians/(2021年7月2日最終閲覧)
  • *⁶ クリフォード「イシの物語」、101~215頁。
  • *⁷ アーシュラ・K.ル=グィン『オールウェイズ・カミングホーム』(上・下)星川淳訳、平凡社、1997年
  • *⁸ クリフォード「イシの物語」、207頁。
  • *⁹ 保苅実『ラディカル・オーラル・ヒストリー オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践』、岩波書店、2018年、5頁。
  • *¹⁰ 石倉敏明 「「宇宙の卵」と共異体の生成 : 第58回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館展示より」──『たぐい vol.2』、亜紀書房、2020年。
  • *¹¹ 石倉敏明「共異体のフィールドワーク : 東アジア多島海からの世界制作に向けて」『Cosmo-Eggs | 宇宙の卵 コレクティブ以後のアート』所収、torch press、2020年。
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石倉 敏明(いしくら としあき)人類学者・神話学者。1974年、東京生まれ。秋田公立美術大学複合芸術研究科・美術学部准教授。1997年より、ダージリン、シッキム、ネパール、東北日本各地で聖者や女神信仰、「山の神」神話調査をおこなう。環太平洋圏の比較神話学に基づき、論考や書籍を発表する。近年は秋田を拠点に、北東北の文化的ルーツに根ざした芸術表現の可能性を研究する。著書に『Lexicon 現代人類学』(奥野克巳との共著、以文社)、『野生めぐり 列島神話の源流に触れる12の旅』(田附勝との共著、淡交社)など。

2021年7月寄稿
写真はすべて本人提供

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