フレデリック・L・ショット氏 国際交流基金賞 受賞記念講演会レポート
海を越えて異文化を繋ぐ情熱

椎名 ゆかり(海外コミック翻訳者、東京藝術大学非常勤講師)

 「Cultural Surfing - IT、歴史、アニメ・漫画、ポップカルチャー、異文化交流の波に乗って生きる。- 」本講演の主役であるフレデリック・L・ショット氏自身がつけたこのタイトルは、日本とアメリカを結ぶ海上で様々に姿を変える波に乗りながら、その卓越した日本語力をもって長年に渡り文化交流の懸け橋となってきた氏の生き方をあらわすものだ。
 去る2017年10月20日、日本記者クラブ内ホールで、翻訳者、通訳者、そして研究者として活躍するショット氏による国際交流基金賞受賞の記念講演が行われた。会場を埋めた観客(中には氏の母校の高校生が何人もいた)を前に、筆者はモデレーターとして、その40年を超える業績を振り返る機会を与えていただいた。講演は、前半はショット氏のマンガに関係する仕事、後半は日米交流史の研究についての2部構成で、筆者の作った資料を見ながらお話をうかがった。

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フレデリック・L・ショット氏の国際交流基金賞受賞記念講演会(2017年10月20日)

 国際交流基金賞の授賞理由にあったように、ショット氏はアメリカにおける日本マンガ紹介の先駆者として70年代から活動されている。国際基督教大学に留学していた頃マンガに魅せられ、手塚治虫『火の鳥』や士郎正宗『攻殻機動隊』を始め、数多くの日本マンガを翻訳し、やがてその翻訳の質の高さでファンに知られるようになった。2017年2月にもショット氏による英訳版『手塚治虫物語』※1 出版記念講演が国際交流基金主催で行われたので、そちらの記事※2 も是非読んでいただければと思うが、氏は特に手塚治虫との関わりが深いことでも知られる。今回の国際交流基金賞授賞式で手塚プロダクションの代表取締役松谷孝征氏がスピーチで、手塚治虫は通訳や自作の翻訳者として「ショット氏でなければ駄目」と言うほど氏に深く信頼を寄せていたと語った。一方でショット氏に「これまでで一番印象に残った翻訳は何か」を尋ねると、『鉄腕アトム』との答えが返ってきた。アメリカでの『鉄腕アトム』翻訳刊行(2002年)のために読み直し、手塚治虫がいかに深い洞察力と先見性を持っていたかをあらためて感じ心を動かされたと言う。更に氏の業績は翻訳のみならず研究書にも及ぶ。日本マンガ文化全体を俯瞰した『Manga! Manga! The World of Japanese Comics』※3 は、驚くべきことにアメリカにおける日本マンガの商業展開が本格的に始まる以前の1983年に出版された。同書は出版から30年以上経った現在でも、世界における日本マンガ研究者の必読書であり続けている。

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2017年度 国際交流基金賞授賞式(2017年10月16日)

 マンガを通した文化紹介からショット氏の興味は過去に遡って、日本とアメリカの文化交流史にも広がっていく。20世紀初頭にアメリカ西海岸に渡った日本人画家が現地での自らの体験を描いた『Four Immigrants Manga』(英訳出版1999 年)※4 は、氏の尽力によりアメリカでその存在が公にされ、日米双方での出版に繋がった作品と言っても過言ではない。歴史的背景や現地の状況等の充実した注釈も加えられた英訳版は、単なる訳書を超えて日本の移民史の一端を鮮やかに映し出す。またペリー来航以前、鎖国を続ける日本に命を賭けて渡り、アメリカ人として初めて幕府の英語教師となったラナルド・マクドナルドについて調べた『Native American in the Land of the Shogun: Ranald MacDonald and the Opening of Japan』(2003年)※5 、開国直後の日本でサーカスを組織し世界中で日本サーカスのブームを起こした興行師"リズリー先生"についての『Professor Risley and the Imperial Japanese Troupe』(2012年)※6 といった、あまり語られることのなかった日米文化交流史をショット氏は明らかにする。本講演の中で「ラナルド・マクドナルドはわたしのヒーロー」と語った氏の情熱は、違う文化の中に身を投じ困難にも挫けず異文化間の交流に尽力した人々とその仕事に向けられているようだ。

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ショット氏の講演は、マンガを通した文化紹介から日本とアメリカの文化交流史にまで及んだ。

 ショット氏が現在住むサンフランシスコは、日本の開国以前から遭難した日本船が何隻も漂流の末辿り着き、様々な形で異文化交流が行われた歴史を持つ。この海を挟んだ隣国同士の長い関係を背景に二つの国を繋ぐ役割を担ってきたショット氏の、これからのお仕事が益々楽しみである。


※1 The Osamu Tezuka Story: A Life in Manga and Anime, Toshio Ban & Tezuka Productions, Stone Bridge Press, 2016
※2 「アメリカに日本のマンガ文化を紹介し、作品の魅力を伝えて40年」
※3 Manga! Manga! The World of Japanese Comics, Kodansha International, 1983
※4 The Four Immigrants Manga: A Japanese Experience in San Francisco, 1904 - 1924, Henry Yoshitaka Kiyama, Stone Bridge Press, 1999.
オリジナル版のセリフには日本語と英語が混在するため、言語を統一した"英訳版"と"邦訳版"が存在する。邦訳版『漫画四人書生』(木山義喬)は、文生書院から2008年、新風書房から2012年に出版。
※5 Native American in the Land of the Shogun: Ranald MacDonald and the Opening of Japan, Stone Bridge Press, 2003
※6 Professor Risley and the Imperial Japanese Troupe: How an American Acrobat Introduced Circus to Japan - and to the West, Stone Bridge Press, 2012

cultural_surfing_schodt_04.jpg フレデリック・ショット
1950 年米国生まれ。 国際基督教大学留学中の1970年頃、 日本のマンガにはまり、1977 年以降、手塚治虫の『鉄腕アトム』をはじめ、池田理代子、松本零士、士郎正宗、星野之宣、浦沢直樹等、数多くの日本の漫画家の作品を翻訳・共訳し、著作、講演、通訳などを通して海外への普及に貢献。昨今の米国におけるマンガ・ブームの火付け役となった。その功績を称えられ、2000 年に、第4 回手塚治虫文化賞特別賞、2009 年には、旭日小綬章を受賞。近訳に『手塚治虫物語』(英題:The OSAMU TEZUKA Story: A Life in Manga and Anime)。

【執筆者プロフィール】
cultural_surfing_schodt_05.jpg 椎名 ゆかり(しいな ゆかり)
海外コミック翻訳者、東京藝術大学非常勤講師。
アメリカ・オハイオ州ボーリンググリーン州立大学院ポピュラーカルチャー専攻修士課程修了。平成23~25年度文化庁芸術文化課マンガ研究補佐員。海外マンガや論文の翻訳及び海外におけるマンガ状況について執筆を行う。主な訳書は『ファン・ホーム ある家族の悲喜劇』(第15回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞受賞)、『ブラックホール』『サーガ』『ザ・ボーイズ』他。

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