「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」インタビュー・寄稿シリーズ<3>
アートディレクター 北川 フラムさん

2020.10.30
【特集073】

特集「新型コロナウイルス下での越境・交流・創造」(特集概要はこちら)インタビュー・寄稿シリーズ第3回は、「大地の芸術祭」(新潟県・越後妻有地域)、「瀬戸内国際芸術祭」(瀬戸内海地域)をはじめ、国内外で数々の芸術祭をディレクションする北川フラムさんです。コロナにより、一部の芸術祭を延期する決断をした理由、そしてコロナで越境しづらくなっている今、どのようにアートを通して地域との交流を進めているのか? 芸術祭のスタッフたちがリモートで忙しく準備を進めている、東京のオフィスを訪ねました。

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オフィスには開催を延期した各地の芸術祭のポスターも飾られている

――ディレクターを務める国内の芸術祭のうち、「房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス」(千葉県市原市)、「北アルプス国際芸術祭」(長野県大町市)、「奥能登国際芸術祭」(石川県珠洲市)を延期する決断をされました。オンライン開催に替える芸術祭もある中、なぜ延期にされたのですか?

2020年1月くらいからコロナの話が出始めて、これはちょっと厳しいぞという感じで、本来の規模でちゃんとやるために、延期を決めたという感じですね。
アートはオンラインでも結構やれるわけですが、パフォーミング関係は1年ずれると出演者等の予定がみんな違って、なかなか厳しいものがありましたし、「房総里山芸術祭」等、一部の制作はほぼ終わっていましたが、それぞれの行政と話し合って、延期してちゃんとやろうという形になりました。

それと同時に、距離が遠くなるわけですから、2021年以降に延びた芸術祭を中心に、国内外の参加アーティストたちに、今どう生活しているか、何を考えているかという2分程度の動画をインスタグラムで投稿してもらうプロジェクト「Artists' Breath」*¹ を始めました。
文化庁委託事業として、6月15日から連日やっていて、2021年まで続けるつもりです。

アーティストって非常に生理的、直覚的、直感的な人たちなので、他のジャンルに比べて、本当にいろいろなタイプがいる。そういう意味でものすごく面白いわけですね。
その人たちの生活や考えていることは、このパンデミックの時期の貴重なアーカイブになるかもしれないと思って始めました。

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アーティストの現在進行形の"息吹"を紹介する「Artists' Breath」のアカウント

芸術祭は延びるわけですが、アーティストたちといつもより丁寧に検討をやれるようになったということと、動ける範囲で、地域に入れるところは入って、勉強するというか、交流するようにしてきました。

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「フラム塾」と称して、芸術祭開催各地で芸術祭の担い手を育成する講座を開いている。写真は2020年10月、新潟県十日町市にて、妻有の動植物、昆虫等を観察し、里山を散策する様子(左から2人目が北川さん、本人提供)

この間、同時にそれぞれの芸術祭で作品の公募をしていますが、面白いことに、海外からも含め、今までよりずっと応募作品が増えました。美術とか文化、芸術に非常に関心が高まっているということと、もう一つは、あまりやっている展覧会がないから皆さんが応募してくれるのかもしれないですね。

――延期される際に、プログラム内容は変更されますか?

一部変更しています。作家が少し作品を変えるものもあるだろうし、開催まで時間があり最終的にはまだ変更可能なので、そういう変更は少しずつやっていますね。

ただ今の段階だと、どこの国からも来られないから、コロナがどう続くかによっては、リモートで考えなきゃいけないのもあるし、お客さんの動きに関してはまったく見えないこともあり、国内の方により来ていただけるようなセットをしていかなきゃならないというのはあります。

アーティストから映像作品を送るという提案がものすごく増えるかなと思ったら、あまりないですね。やっぱりその現地に行って、サイトスペシフィック*² な作品をつくるということに対しての関心が高いです。

――コロナ以降、社会やアートの現状を見てお感じになられたこと、印象深いことはどんなことでしょうか?

いろいろあるんだけど、もともと均質化し、市場第一主義化が進んでいく世の中で、歴史的な、あるいは地域のいろいろな土地、空間、そういう中でサイトスペシフィックなことをやろうとしていたわけですが、コロナで移動の自由とか、人と食事をするという楽しみとか、いろいろしゃべるっていうことが駄目になっている。
デジタルで、ソーシャルディスタンスで、とかっていうのは、非常に寒々としていると思っていまして、大変だなぁと思いました。

コロナにおいては大げさにいうと、生命の発生以来の、自然の中の人間というものや、地球発生以来の生命がどうなってきたかについて考えなきゃいけない、ということはよく思いましたね。

もう一つ、非常にミニマムな話なんだけど、土との遊び等を含めた自然との関わりがなくなってきて、それが食にも現れていて、人間の個体がものすごく弱くなったのではないかと思っています。
今もソーシャルディスタンスとか、リモートとか、無菌化に向かう感じになっていて、これは美術がもともと持っていた働きからいうと、相当違う話になっていってしまいます。

ただ、面白いといったら語弊がありますが、コロナのパンデミックは世界の人がいろいろな場所で、初めて共通に体験していることですよね。そういう意味では、企業や政府が採っている方法は、どうも根本的なことではなく、対症療法みたいになりつつあるというところは疑問に思っています。

個人的に言えば、自粛期間、こんなに勉強した時間はなかったですね。僕は3カ月、外で食事しなかったから、考える時間だけはやたらにありました。

――コロナで「社会的距離」を保ち、他者と密に接することが難しくなった中、どのように活動されていますか?

社会的距離をとっても、それはそれでやれちゃうんですよね。
でも、やっぱりモノが生まれにくいし、論理だけで進んでいくので、いろいろなことが派生して面白くなっていくということがなくなるわけですね。
美術の愛好家は1万~2万人しかいない中、「瀬戸内国際芸術祭」に50万、100万人来られたっていうことは、美術だけじゃない、いろんなことが体験としてあるから、いろんなことが起きて、みんな面白いと思ってくれたからです。

無味乾燥な、無菌状態、均質空間になりかねないのに対して、そうならないように活動をどうするかっていうのはなかなかいい手がない。

実際に人が動けないのは厳しい話です。
田舎なら、10万、15万円で生きていけるし、刺激は少ないかもしれないけど、農業に関わっていると、天気がいいとか、雨が降らないとか、いろいろな劇的な体験があるわけですね。だから田舎って重要なんだと言っているわけですが、それが今回行けなくなった。

コロナで一部の田舎では、極めて強い排他性を発揮するようなことが起きているということを、どうしていくかっていうのは現実的な課題の中で非常に大きいし、熾烈ですね。僕の半分は地方に拠点があるようなものだけど、行けないわけですね。
何かわかりやすい、車のナンバーの登録や住民票がたまたまどこにあるかが問題になるとか、批判的に言いたいわけではないんだけど、行政単位とかでバーっと網をかけていくっていうことに対して、リアルじゃないなぁという感じはすごくしましたね。

――芸術祭の延期に対して、各自治体の理解はいただけましたか?

ある集落で、50人おられるとする。芸術祭で人が来るのをいいと思っている人は、7~8割おられるんですよ。拒否する人は1人、2人です。
そう思うのを悪いって言っているのではなく、お年寄りがおられるとかいろいろ条件が違いますよね。でも、1人、2人おられると、やっぱりやれない。

行政も、そうであれば来てもらっちゃ困るって方向にならざるを得ないですね。これは相当厳しい問題だと思います。だから、この1年の中で、どこまで地域の人に共通の理解ができるかどうかがカギです。
だからといって理屈でしゃべってわかるようなもんじゃないですから、正しい、正しくないじゃない。

よそから来られる人は、アートもそうだけど、そこの地域に来たいわけです。
行く前は、芸術祭を目的に行くんだけど、帰る時のアンケートでは、地域の人としゃべれた、土地の料理を食べられた、お祭りに参加できたっていうのが圧倒的に上位に来るわけですよ。

ただ、そんなに急には理解してもらえないので、どうやっていくかをこの間一番考え、いろいろ試行錯誤しながら、動いている段階ですね。

――これだけ芸術祭を開催しているご実績があっても、地方においては「東京」というだけで不安に思われてしまうところがあるんですね。

「東京が悪」というのは一面の真理でもあるわけですね。東京に代表されているいろいろなことが、地域を駄目にしたし、だましてきたっていうのが一挙に見えてきているところがある。

だから、丁寧にやっていくしかないわけで、緊急事態宣言下の自粛時期が終わってから特に7月以降、向こうがOKである限りは今まで以上にとにかく地域、集落を回って、いろんなワークショップをしています。
週に3~4回は田舎に行っていて、すごい頻度になりました。その上リモートがあるから、前よりはずっと地域と密になっています。

――訪問の際、緊張感はありましたか?

いやぁ、大変ですよ。「東京の人お断り」って看板が出ていましたから。もう本当にどうなるかわかんないから、芸術祭のスタッフにも、住民票を移せとか車を妻有ナンバーに替えろとか、そういう感じですよ。

今の動きっていろいろ非常にまずくて、犯人探しみたいになっている部分も出てきましたからね。だからコロナを拾っちゃった人は、たまたままずかったという理解なんか全然できませんから。

リモートに慣れちゃうということが、事務所としていいかどうかは大きな問題があると思いますが、それでやれると思っちゃうのは本当に怖い。
対面で接触することがあっての人類でしょう。移動とおしゃべりと、一緒に飯食うっていうのが人類だと僕は思っているのに。

――芸術祭もそれをテーマにされていますね。

そうそう、でもそれが今はアウトでしょう。僕らの芸術祭は特に「食」を一生懸命やってきているから、厳しいところにあるけども、大きな課題をどう越えるかですね。
できるだけいろんな場所に行きましょうということを言っていたんだけども、行けなくなった。

今コロナでこうなっているけど、自殺者が3万人とか、7人に1人は貧困家庭であるとか、そっちも大変なんじゃないかと。それがコロナに注目が集まって見えにくくなっているのは、想像力の問題として、非常に厳しいなぁと思っていますね。

芸術祭によって、一つは、アートで元気になることもあるし、もう一つ、それが事業化すれば雇用を生むことができます。
「大地の芸術祭」を開催している越後妻有でいうと、芸術祭の年は数百人、芸術祭がない年でも今は150人か200人、芸術祭の関係で雇用されているというのは、すごく重要なことですね。

僕らの芸術祭は作品の展覧会だけに重きを置いていないから、子どもたちのワークショップ等いろいろな日常的な活動がすごく大きな要素になっていて、そっちのほうが僕にとっては重要ですね。

――創造的な場があることで救われる人も多いでしょうね。

それはものすごく大きいですね。時々、新聞の投稿で見るんだけど、「芸術祭に行って、何を私はつまんないこと考えていたんだろうと思って死ぬのをやめた」という人が結構いるんです。やっぱりいいんですよ、美術とかは。

いろんな人がいるんだなぁと思うところに面白さがあるわけでしょう。正解がないし、人と違うことで褒められるんだから。正しくなきゃ駄目ということがない。そういう意味では人間の生理の表れだと思っています。

――将来の目標としては、芸術祭を含めて、どういうふうに日本をデザインしていきたいとお考えですか?

そんなこと大げさに語らないけども、「東京の生活には、刺激、興奮、大量の消費があって情報も多い」っていうのは数年だけの話だと思う。
僕もそれが面白いと思って東京に出てきた人間だけど、だけどそれはたいした話じゃないって数年でわかる。朝起きて、マンションの戸を開けて、「こんにちは!」って言えない関係性が多いんです。電車では蹴落として乗るような、そんな生活よりは、一日の晴れだか雨だかを気にして農業をやっているほうが豊かですよ。

そういう生活が面白いと思えるような仕組みになったほうが面白いと思うし、そこに来てくれる人は懐かしい友になるし。今私たちは五感を持った、非常に豊かなものではなく、すれっからしになっているじゃない。
一生なんてあっという間に終わるんだから、そういう豊かなことが多いほうがいいな、という年寄りじみた話ですけど(笑)。でも真面目にそう思っていて、頑張ろうと思っていますが、大変ですよ。

なんだかんだあるけど、芸術祭をやめようっていう意見には全然なっていないし、面白いと思っている人もいっぱい増えている。昔大反対したじいちゃんたちも、なんだかんだ面白いって言ってくれているからね。

――反対する人たちと、どうやって気持ちを通わせられたんでしょうか?

僕は人格円満じゃないし、人徳がないから、ただ本当に一生懸命に、「美術って面白い」と思っていますからね。本当にそう思っているから、困難があっても頑張ってやる。

アーティストがモノをつくっている時ほど美しいものはないんですよ。一生懸命やるし、あるもので一生懸命工夫してつくっているでしょう、平気で徹夜もして。あれは地域の人たちの心を打つんですよ。やっぱり基本的に労働なんだ。それが面白いですよ。
ほとんどの人が「何やってんだかわかんない」と言っているけど、ただ、人が来てくれるからうれしい。アーティストと、大反対していた田舎のじいちゃんは実はものすごく相性がいいんです。

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2018年の「大地の芸術祭」で、越後妻有里山現代美術館[キナーレ]に展示されたレアンドロ・エルリッヒの作品《Palimpsest: 空の池》を楽しむ来場者ら(2018年8月撮影、本人提供)

――そうなると尚更、実際にアーティストを招かないと、ということになりますね。

僕はアーティストが頑張っていろんなところに行くといいと思うし、それに関わる人も多くなると変わると思って、そこはかなり自信を持って、信念を持って芸術祭をやればいいと思います。

行政や国からもらうお金も額が多いほうがいいと思っているんです。そこを美しく清貧でやる必要はなくて、僕みたいなプロデューサーは、いかにお金をとってくるかっていうことを頑張ったほうがいいと思っていて、だから美しくない生き方をしているわけ(笑)。そこがものすごく重要で面白いところだと思っているんですね。

――芸術祭は「お祭り」であり、行政や地域の人々と協働して運営する上で「政」でもありますね。

僕らの芸術祭ではどこでも、アンケートを取ると、8割以上の人が「やって良かった」って言ってくれます。2004年の中越大震災の時、越後妻有の集落の人たちは「早く芸術祭の準備をしたい」と言ってくれた。
やっぱりお祭りってすごく重要なんですよね。つまり人間の本能ですよ。文句を言いながらも、変なのが来ると面白がってくれる。

移動とか会食とか、おしゃべりとかっていうのも、やっぱり人間の本能だと思いますね、好奇心というのは。芸術祭では一言で言えば「好奇心」、知らない人や、知らない文化に出会えることはやっぱりすごく重要なことだろうと思っています。

芸術祭が縁で地方に来たいとか、移り住んだ人たちはものすごく多い。そういう人たちが何らかの形で仕事できて、生活できるようにすれば、やがて価値観もちょっと変わり始めて面白いかなと思っています。

――ご自身が面白いと思われることを地域の皆さんにも広げていらっしゃるのですね。

非常に単純で、率直に面白いものは面白いね。僕は美術と建築を多少専門にしていますが、ジャッジする時には、その美術なり建築の系統内の発想をしないようにしていますね。ちょっとそういうと単純すぎるんだけど、子どもが面白いと思うものは明らかに面白いと思っています。

長谷川って銅版画家の作品を地方の体育館で展示した時、子どもの感想に「こういう黒を見たことがない」というのがあって、これはすごいと思いました。誰も指導していないのに直感的にやっぱりわかる。

新しいもの、違うもの、面白いものに対しては直感的にわかるところが多いですよね。説明しなくたって面白いのは面白いと思うような作品を選びたいと本当にそう思いますね。

アートはめちゃくちゃ面白いと思います。
僕は芸術祭に関わりだしたのは50歳過ぎてからですから、時間がやっぱり足りないね。
アーティストのお手伝いは頑張ってしたいし、できるだけ彼らにチャンスを増やしたいと思っています。


*¹ Artists' Breath https://www.instagram.com/artistsbreathpress/
*² サイトスペシフィック......その場所に帰属する作品や置かれる場所の特性を生かした作品、あるいはその性質や方法を指す(「Artwords®」より)

北川 フラム北川 フラム(きたがわ ふらむ)
1946年、新潟県高田市(現上越市)生まれ。東京芸術大学卒業。主なプロデュースとして、「アントニオ・ガウディ展」(1978~1979年)、日本全国80校で開催された「子どものための版画展」(1980~1982年)、全国194カ所38万人を動員し、アパルトヘイトに反対する動きを草の根的に展開した「アパルトヘイト否!国際美術展」(1988~1990年)等。2014年には「基地のまち」を「アートの街」に変えた「ファーレ立川パブリックアート」をディレクションする。地域づくりの実践として、2000年にスタートした「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」(第7回オーライ!ニッポン大賞グランプリ〔内閣総理大臣賞〕他受賞)、「水都大阪」(2009年)、「瀬戸内国際芸術祭2010、2013」(海洋立国推進功労者表彰受賞)等。長年の文化活動により、2003年フランス共和国政府より芸術文化勲章シュヴァリエを受勲。ポーランド共和国文化勲章。2006年度芸術選奨文部科学大臣賞(芸術振興部門)、2012年オーストラリア名誉勲章・オフィサー。2016年紫綬褒章。2017年度朝日賞。2018年度文化功労者。2019年度イーハトーブ賞他を受賞。「越後妻有アートトリエンナーレ」、「瀬戸内国際芸術祭」の総合ディレクター。2017年より新たに「北アルプス国際芸術祭」「奥能登国際芸術祭」の総合ディレクターを務める。
◇現職および公職
公益財団法人 福武財団 常任理事、株式会社アートフロントギャラリー代表取締役会長、一般財団法人 地域創造顧問等
アートフロントギャラリー https://www.artfront.co.jp


2020年9月 於・東京「アートフロントギャラリー」
インタビュー・文・写真:寺江瞳(国際交流基金コミュニケーションセンター)
※インタビューは新型コロナウイルス感染対策に配慮して実施しました。

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